4.からぶり、転落
ぐっと上げたこぶしをおろす。
よし。誰も見ていませんわね。部屋にはチェッタもいない。お母様も、もちろんお婆様も。
それをいいことに、自分の部屋に備え付けている鏡に全身を映してポーズをとる。
十一年経ちましたわ。
あの時の、未来予想図のような夢のわたくしそっくりに成長した姿がある。
やはり、これから起こることの予知だったのでは。日増しにそう思えてしまうくらい、そっくり。
十五歳のわたくし。
やっぱり夢の通り。
わたくし、記憶力には自信がありますもの。誕生日ごとにお父様たちが肖像画を描いているのをよく見ていたのだから、間違いありません。
「決戦は近くてよ」
鏡に手を当てて呟いてみる。
これは決意表明ですわ。四歳から目覚めて、探し続けて十一年。
あのアーヴスを追いやってから、やたら茶色の髪の子と会わされましたけど……なんだったのかしら、あれ。わたくしのせい? いえ、お婆様がやたら推したせいですわよね?
ともかく。
ただその間も、大人しく待っていたわたくしではない。
あちこち、それこそお父様たちや公爵家の情報に頼ってみましたわ。もちろん。でもダメ。
わたくしを包むように肯定してくださるリリネットお姉様でさえも、「シグにはもっと似合いの人が他に見つかるわ」と慰めるほど。
いたもの。本当にいたもの。
何度、足を踏み鳴らして抗議したことか。
あの夢の通りなら今日の公爵家パーティーで会えるはず。お姉様と王弟殿下のご成婚記念のパーティー。
「できるわ、大丈夫。出会えるわ、きっと」
ちょっと自信がない口ぶりになったのもしょうがない。
だって、完璧に夢をなぞっているわけではなくなったのです。
あの夢の通りなら、今頃はカシュロお兄様が婚約者候補として我が家でくつろいでいたはず。だけど今、そうならなかった。
「うーん」
胸元に飾った懐中時計を触る。冷たい感触はちゃんとそこにあるとわかっても、やっぱり誰にもわからない。
わからないなら堂々と持ち歩いても構わないでしょう。そう思って、いつからか首飾りにして持ち歩くことにした。
チェーンだけ周りに見えるので、シンプルなチェーン飾りを好むと思われたけど、それはそれで。新しいオシャレとして楽しめばなんてことはありません。
くるりと一回転。文句なしよ、シグエスネッタ。
うんうんと我ながらの称賛をこめていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「シグちゃん、そろそろ行きますよ」
部屋の向こうからお母様の声。
よし。大丈夫。大丈夫ったら大丈夫! 今夜こそ見つけてみせますわ!
両頬に手を当てて、気合い一発と叩く。
「今、参りますわ!」
元気よく答えて、わたくしは部屋を出た。
会場に向かう途中。
馬車の中で、お父様が心配そうに呟く。
「ああ、とうとうシグちゃんもデビュー。変な輩に捕まってはいけないよ。お父様に任せてね」
「あなた、そういうことは……いえ、そうね。心配だわ。カシュロ様は望めないし」
カシュロお兄様は、公爵家を継ぐにあたって知らない女の子と婚約した。そしてわたくしにとって何より衝撃だったのは、リリネットお姉様が公爵家からお嫁に行ってしまわれること。
「お姉様とこれから会いづらくなるなんて」
「リリネット様なら、きっと喜んで会ってくださるとも」
嘆くわたくしに、お父様がとりなす。お父様にはわからないのです。いえ、ここにいる誰も。
あの夢通りなら、お姉様はもっと近くにいたというのに。
「はーあ」
「ああっ、不安なんだね。シグちゃん、お父様が防壁になってみせるからね」
「あなた、落ち着きなさい。でもシグちゃん、無理はしなくて良いのですからね」
お父様、お母様ったら。
淑女らしからぬため息をついても優しいのですから。なんだか、ちょっとだけ申し訳なくなってしまう。
わたくしは笑みを作って「大丈夫ですわ」と答えた。
到着した時点で、会場は賑わっているとわかった。
とはいえ、わたくしの記憶通りのきらきらしく賑やかな光景。二度目だとしても、それでもこの輝かしい光景は心が浮き立つもの。
お父様たちと一緒にパーティーホールに入ると、主催席のあたりで軽く手を振る人物が見えた。
リリネットお姉様だわ! ああ、今宵もとっても麗しい!
当然のごとく横に王弟殿下がいらっしゃるのはともかくとして。すぐに挨拶に向かう。
「シグエスネッタ・グラシュープが参じました。今宵はお招きくださり、感謝申し上げます」
「堅苦しい挨拶は結構よ。ようこそ、あたくしの可愛いシグ。来てくれて嬉しいわ。ね、ガームンド」
「ああ、リリ」
気に食わないですが、王弟であらせられるガームンド殿下のお姉様への愛は相当なもの。わたくしは噛みつかず優秀な従妹として礼をした。
「またあとでお話しましょうね」
「はい、是非」
にこにこと会話をして、お父様たちとも親しく挨拶をした後、ゆっくりと下がる。
次は縁のある方々への挨拶回り。これも名家の務めですわね。
そして、あわよくばあの男を探すのです。よって、挨拶回りはお父様たちと離れてやらねばなりません。
我がグラシュープ伯爵家は、一応わたくしが跡取りということになりました。
一人で回れると言えば、お父様たちは感激して送り出してくれるというもの。まあ、お目付役が後からついてきているのには、目をつぶりましょう。
周囲を探りつつ回っていると、見知った顔が早足でこちらに向かっているのが見えた。若々しい婦人が二人。
お嫁に行ったお姉様たちだわ。さっと手を振ってお辞儀をしてみせる。
「お久しゅうございます。サヤエッラ姉様、ソーアンナ姉様」
「久しいわね、シグ。サーヤとソアと呼んでくれてよいのよ」
交流があるとはいえ、他家に入られて一回り以上も年上のお姉様たち。妹というより我が子のように扱われるのが玉に瑕ですけれど。
ためらいがちに言い直せば、お姉様たちはにっこりと嬉しそうに微笑んだ。
「わたくしたちが出て行ったので、貴女に家を任せることを申し訳なく思っているの」
そう言われたのは、長女のサヤエッラ姉様。
地方とはいえ、強大な傭兵部隊を囲う伯爵家に入った御方。かの傭兵部隊は、国の精鋭兵に並ぶ実力者揃いだとか。
「特に、サーヤ姉様に続いて私までですもの。シグ、困ったら何でも言ってちょうだい。私と姉様は味方しますからね」
続けてわたくしの手を握って真摯に言うのは、次女のソーアンナ姉様。
有力な商会を持つ子爵家に嫁入りされた御方。今は敏腕を揮って商品を流行させていらっしゃるのです。
「うれしい! ありがとうございます、お姉様がた」
「よりいい相手を見つけたかったらいつでも頼って。あちらの地方には有能な殿方もたくさんいるのよ」
「あらサーヤ姉様。シグには裕福な男性がいいに決まっています」
お姉様がたの可愛がりも、大きくなっても変わらない。
けれど、男の人は間に合っていますわ。
お二人がわたくしの相手について話しているのをいいことに、周囲を見回す。今は交流の真っ只中。あちこちで談笑の輪が広がっています。
あちらにはカシュロお兄様がいますわね。婚約者らしき女性をエスコートしていますが、なんだかぎこちない。気疲れしそうですけど、頑張ってくださいませ。
周囲の男の人は見覚えがある方ばかり……やっぱり目的の男はいない。森のほうだったりするのかしら。
ううん、と考えこむ。けれどその考えもざわめきで中断されてしまう。
何かしら、と思うと同時に嫌な思い出が頭に蘇った。そう、あの悪しき婚約破棄男の思い出ですわ。
「侯爵家のアーヴス様よ」
「素敵ね。なんて美しい金髪なのかしら」
「ええ、それに見て。あの立派なお姿。侯爵家の養子となったのも納得だわ」
さざめく女性たちの声が波のように響いている。
アーヴス? ここで聞くには嫌な名前ですこと。もしや記憶の時のように騒ぎを起こすのではなくて?
お姉様がたも話を止めて、噂の中心に視線を向ける。
けれどさすが歴戦の貴婦人。見定めるような眼差しが勇ましい。わたくしも見習って、同じようにじろりと目を向けた。
金髪の背の高い男。
あの顔立ち。見間違うはずがありません。やっぱり、あの婚約破棄を起こした奴ですわ。
今からでも排除をしておけば、リリネットお姉様のためになるのではないかしら。思わず眉間に力が入りますわね。
「あら。シグはああいうのは……駄目なようね?」
「好みじゃないのかしら」
わたくしの反応を見たお姉様たちはそう言うと、改めて次の候補について話し出した。
これは捕まると長くなるやつ。こそっと「また後程」と言って、足を忍ばせて離れることにした。
やっぱり会場内に、わたくしに懐中時計をくれた男は見えなかった。
となると、やっぱりあの森にいるのかも。
ホールを抜けて庭先に行くには、大階段を通っていかなければなりません。会場はほかのところより高い場所にあるのです。
念のためついてきた者へ注意をするよう伝えてから、階段に足を踏み出す。はやる気持ちで進めようとして、声がかかりました。
「これはこれは、グラシュープ伯爵家のご令嬢」
大きくため息を出さなかったのを褒めてほしいものですわね。
顔に出さないようにして、しぶしぶ振り返る。案の定、アーヴスが胡散臭い笑顔を浮かべて立っていました。
「ごきげんよう。ゴスマンズ侯爵家のご令息」
「ああ。おひとりで寂しくしているのを見つけてね、君の機嫌は良くなさそうだな」
いやみで返したものをかわして、アーヴスはゆったりとした仕草で髪をかき上げる。
機嫌がよくなさそうなのがお分かりなら、どこかへ行ってくれないかしらね。
「私は今や侯爵家。あの時、君は偉大な金の魚を見逃した。お断り、だったか? 見る目がないものだ」
「はあ、左様で」
なんですのこの男。面倒くさいですわね。わたくしに何を言ってほしいのかしら。
適当に返していれば、アーヴスは表情を歪めて憎々し気にわたくしを見てきた。本当に何。
「わたくし急いでいますの。その見る目がない者より、ある者と親交を深めてくださいませ」
「なっ、無礼な。私は今や侯爵家の!」
ささっとお辞儀して背を向ける。いつまでもここにいても埒があきません。
視線を階下に向けたところで、失敗した。
「待て!」
「ちょ、ちょっと離してちょうだい!」
掴んできたアーヴスの腕を払う。もみあって注意がいかなくなったせいか、つるりと靴底が足場を踏み外した。
そして、さらに駄目押しとばかりにアーヴスの手がわたくしを押し出した。
ぐらりと視界が揺れる。
どうにか床を踏まなきゃ。駄目。くじいたように傾いてしまう。
そのはずみで、何が起きたか正確に理解できた時にはもう、わたくしの体は宙に躍り出ていた。
嘘でしょう!?
気が合わない嫌な奴であっても、救いの手を差し伸べるくらいはしてくれるはず。慌てて、アーヴスを見る。
すでにアーヴスは、背を向けて逃げていた。
最低、最低、最っ低! あの不届き者!
心のままに罵詈雑言を頭では言っても、口からはまともな言葉が出てこない。
「ひっ!」
転がり落ちながら、前方で驚いたようにこちらを見ていた野次馬たちと目が合う。
誰もわたくしに手を伸ばしてくれない。慄いたように足を竦ませるか一歩後退するかばかり。
でもその中で、唯一わたくしに駆け寄ろうとする人物がいた。
泥のように暗い茶色の髪。深緑の目。驚きながらもわたくしに向かって手を差し伸べてくれている。
あの男。わたくしに懐中時計を渡した人だわ。
咄嗟に手を伸ばす。
でも、手は掴まれることはなかった。
――グシャッ。
鈍い音が響く。
それと同時に、わたくしの頭にカチコチカチコチと懐かしい針の音が繰り返された。




