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3.気に入らない遭遇


 頭で理想を思い描いていても、体は追いつかないことがある。

 例えば、美しく文字を書き出すとか、何枚も書き続けられる体力だとか。


「ねえ、チェッタ。これで何枚目になった?」

「三枚目でございます。お嬢様、その、無理なさらず奥様やわたくしどもにお任せいただければ」

「んぬぬぬ、書けますもの! 自分で、ほら、このリリネットお姉様のお名前は上手に書けたもの!」

「ええ、とってもお上手でございますわ」


 チェッタの言葉はいつも優しい。でも、なんの慰めになりませんわ。

 どう見たって、今の手紙の文字は夢の記憶のわたくしよりも下の下だもの。


「はあ、三枚目……」


 気を取り直して机に向かう。ぷらぷらと届かない足を揺らして便箋(びんせん)の横に置かれた名簿の写しを睨む。

 公爵家に招かれたお家は、それはもうたくさんあった。わたくしの記憶にない名前もある。

 というより、そもそもあの男の子の名前がわからない。髪色とか目の色とか名簿に書かれているわけではない……盲点でしたわ。

 しかしやると言った手前、やらないわけにもいかない。わたくしはやるといったらやるのです。


「ううー……前略、春を言祝(ことほ)ぐ爽やかな香りに誘われ」


 季節の挨拶をぷるぷる震える小さな指で紡ぐ。なんてことでしょう。文字を書くって小さい体ではこんなに難しいなんて。

 おまけに一生懸命書いていたら、インク壺をこぼして紙も数枚台無しにしてしまう始末。

 いつの間にか机にあった懐中時計にかからなかったのはよかったけれど。

 でも、これもやっぱり不思議。チェッタが机を吹く時に綺麗に避けて本当に見えも触れもしないようだった。なんなのでしょうね、これ。


「謎が深まるばかりですわ……! ぬぬぬ」


 ともかく、行動をしなければなんにもならないのは事実。わたくしはまたペンを握って書き始めた。


「お嬢様が、そこまで研鑽をなさるなんて」


 チェッタが呟く。わたくしの成長ぶりに慄いているのでしょう。ますます張り切って文字に力が入る。

 あっ、締め言葉が彼方に羽ばたいてしまいましたわ。まあ、よし!


「手紙は差し出す前に、ぜひエタングル夫人に見ていただきましょう」

「お婆さまに? 恐ろしいほど添削されそう」

「まさか。この御年でこれほどまでの教養を得ていることに、お喜びになってくださいますとも」


 歪む文字と奮闘して、また一枚書き上げる。さっきよりも芸術的なお手紙となってしまった。波の絵画として売れるかもしれませんわね。

 ふうふうと息を吹きかけてインクを乾かして、また浮いた足を動かしてみる。

 ですが褒められて悪い気はしません。できる子扱いって、とってもいい気分。

 おだてられれば、やる気もでるというもの。胸がくすぐったくなって、くふくふ笑いもこぼれてしまう。


「そうかしら。そこまで仰るならよろしくってよ」

「はい、お嬢様。原本はこちらで保存して書き写し、送り出しましょう」

「そうね!」

「ひとまず御身を清潔にしなくては。御着替えも用意いたします」

「そうね!」

「では、残りはわたくしどもが」


 あら?

 体よく、わたくしが続きを書かなくても良いようにされているわね?

 けれど気づいたときには、にこにこしたチェッタが、インクで汚れた名簿や余った便箋たちを素早く引き取っていた。さすが我が伯爵家自慢の侍女。


「あそこにいた子たちとまた会えるかしら?」

「お嬢様がお望みということも申し付けておきましょう」


 そうだわ! あの男の子のことをさりげなくお願いしておけば、出会える可能性もあがるはずじゃないかしら。

 さりげなく特徴を伝えるなら、そうですわね……髪とか?

 茶髪は、あの会場にあまりいなかったはずですもの。


「ねえ、チェッタ。茶髪の子がいたら特にお願いしたいわ」


 ぴく、とチェッタの笑顔が一瞬動いて、「はい」と返事があった。

 これでいいのではないかしら。わたくしって頭も働くようになったかもしれないわね。

 気分よく着替えをしながら、お菓子を用意したとの声に、いそいそ跳ねて向かう。美味しいものを食べれば、さらにいい気分。

 充実した時間を過ごせて満足したわたくしは、ぐっすりとその日は休んだのだった。







 パーティーが終わって、一週間。

 どうやら数日と立たないうちに面会希望が続出したらしい。

 というのも、難しいお顔をしたお父様が「まだ早い」とぶつぶつ文句を言いながら来客希望を追い返していたのを目撃したから。

 ニューシグとして魅力が爆発し始めた、というところかもしれませんわね。

 これならすぐにあの男の子も見つかるはず。そうしたら、懐中時計のことも聞いてあの場面にいたることも調べて。


 けれど、そのわくわくも空振りに終わってしまった。


「……――シグエスネッタ。最近の貴女の意欲は汲みます。ですが、行動はいささか目に余ります。そこで、貴女に似合いの子を用意しました」


 オーガ。

 今日は微笑みのオーガではなく、渋面のオーガですわ。

 行儀の習いごとをするある日。深い深ーい皺を眉間に刻んだお婆様が、伯爵家のお城にやってきた。

 しかも一人だけじゃない。見たことない子がいますわね。

 わたくしより年上。いいえ、リリネットお姉様よりも上かしら。いかにもいい子そうな微笑みを浮かべた男の子がいる。

 今日はお父様も一緒に出迎えると言ったので、二人してホールで迎えたものの、嫌な予感がしてなりませんわ。


「ごきげんよう、マダム」

「はは、賢いお嬢さんですね」


 お婆様は片眉を一瞬上げて、そうでしょうとうなずいている。男の子はきらきらしい、人好きのするような顔でお婆様に話しかけている。

 うっさんくさいですわね?

 わたくしが幼いからと、侮る気配が見えていましてよ。

 お婆様やお父様たちには行儀よくしていても、見え見えですわ!


「いいですか、シグエスネッタ。カシュロ様では、貴女を甘やかしすぎます。それに、貴女の才気を庇えるような人物が必要と判断しました。よって」

「お義母様。その話はまだ未定です」

「可能性の話もすべきです。身分としては子爵ですが、血筋は確かな者です」


 ああ、お父様とお婆様が言い合いを始めてしまう。まあ、わたくしも今回ばかりはお父様を応援しましてよ。


「グラシュープ伯爵令嬢。退屈でしょう」


 さっと手を差し出された。エスコートのつもりかしら。今のわたくしは子守の母犬のように警戒心が強いですわよ。ガルルと吠えてやろうかしら。

 しかしお婆様の手前ですし、初対面の相手。いかにいけ好かなくても、取り繕うくらいはしてやってもよいでしょう。


「大丈夫です」


 つんと言い返すだけに留める。


「では、あちらに座って待ちましょう」

「……ええ」


 ホールの一角にある長椅子に促されて、間を開けて座る。お父様たちは場所を移すみたい。チェッタたちはまだここにいるからいいけれど。

 しかし駄目ね。大人が離れたらすぐに化けの皮がはがれましたわ。ぼそっと呟いた言葉を、わたくしの耳は拾いましたわよ。


「こんな子どものために」

「どういう意味ですか?」


 はっきりと返せば、淡い薄茶色の瞳が虚を突かれたように動いた。舌ったらずの子どもに聞かれるとでも思わなかったのかしら。

 こういうプライドが高い人は夢の中でもたくさんみたもの。そう、まるであの婚約破棄騒ぎを起こしたあの不審者のように。

 ふと、鼻先がむずむずとした。お婆様の匂いとは違う。


「ああ、やっぱり匂うんだ? 茶髪がここのドレスコードと聞かされたんだが、知らないのか」


 周りに聞こえないように声を落としている。なんて小賢しい。

 顔立ちは甘くても、意地の悪さが透けていますわ。

 でも、わたくしは体面を守れるもの。此奴とちがって。大人しく無邪気に取りなしましょうとも。


「そうですの? ええと、お名前は」

「アーヴス・ブロイだ。お嬢様」


 アーヴス?

 わたくしの記憶に残る不快な名前と同じですわよ。

 それに茶髪がドレスコードとかどういうことですの?

 いよいよもって胡散臭い。

 失礼とかそんな場合じゃなくてよ。じろじろ見ていたら、アーヴスの頭の根本や髪の毛の一部が金色だと気づいた。

 わたくしの目線に、アーヴスもせせら笑いながら自分の髪を摘まんで見せた。嫌そうに指先でばっちいものに触るみたい。


「言っておくがな、お前のせいだ。こんな地味な色に染めて、ちんちくりんとご機嫌取りの見合いなんて」


 乱暴な物言いにわたくしが面食らったと思ったのか、アーヴスは舌打ちまじりに好き勝手話す。


「公爵と繋がりがあっても、伯爵。俺ならもっと上を目指せるのに。俺は本来、お前とは天地の差がある身だぜ。せいぜい利用させてもらおうか」


 ここでピンときた。

 この男、あの、婚約破棄男では?

 夢で見たような、いけすかなさはこれね!

 アーヴスは、急に立ち上がり睨んだわたくしに不審そうな眼差しを向ける。それはこっちがしてやりたいわ。あなたはご存知なくともわたくしは存じているもの。

 絶対、絶対。絶対、この男と縁づくなんて嫌ですわ!


「お断りよ!!」


 わたくしは叫んで、ホールから飛び出す。騒ぎを聞きつけてやってきたお父様に飛びついた。

 そのままじたばたと暴れに暴れた。淑女なんてやってられっかですわよ! 暴れ馬のシグと呼ばれてもよくてよ!

 ドン引きするアーヴスなんて目もくれず、子ザルのようにお父様にしがみつき嫌だと訴える。お婆様はまた頭を抱えてらっしゃる。


「ほら、お義母様。シグちゃんがここまで嫌がっているではありませんか。相性が悪すぎるのは不幸の元では」

「……はああ、ですが」


 重たい溜息をついたお婆様がアーヴスを見た。

 お父様は「そういうことだから」と嬉しさを隠さずに言う。アーヴスもわたくしの勢いに気圧されたのでしょう。引き気味の顔のまま、お父様の話にうなずいた。

 そうしてお話は、見事に流れる羽目になったのだった。


 やってやりましたわー!

 お婆様と共に去っていく背中が見えなくなるのを確認して、わたくしは小さくこぶしを握り締めて上げたのだった。



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