第一話・始まりはどうだっていい日のことだった
「うっしょ」
井戸から運んできた水の、たっぷり入ったその水がめを、ごっとん。と自宅の隅に置く。
労働。くる日もくる日も働く毎日。俺にとって生きることと働くこと、生活することは一通り同じことだった。だからこそこんな重いものを持っていても、慣れたものだった。
「えぇ~、清しこなはいらんかねえ。今なら五分の二割増しでおとどけしますよ~」
ふり売りだ。この辺の風物詩なんだ、こいつは。水とか、飲み物の食あたりをなくす浄化剤をこいつはいる。せっかくだから買うか。
「おう、奴さん。ちょっと買わせてくれんか」
「おや!この辺ではあまり見かけないおかただ。みたところ、ワーピテクスの旦那と見ました」
「そんなにおれがめずらしいかい」
ふり売りは肩に担いでいた天秤竿のしたにぶらさがった、その売り物たる桶をこれまたかっとんと起きなさった。
「いやぁ、珍しいも何も、この辺は都会ですからね。見ない種族のかたも多くいらっしゃいますよ」
「旅なれた身じゃ、石畳はきつかろう。どうだい、商談ついでにひつじの乳でも飲まないか」
「いいですねぇ。じゃあちょっと失礼をば」
こうやって客はこの場の主人、南方方言でいうところのホストを迎え、接待しながらいい条件を引き出す。それがこの辺の商習慣だ。
「いや、この身分だと、どうも苦労しますね」
「お前さんのことかい?」
「とぼけなさらず。もちろんですとも。のりくちをしのぐためとはいえ、日ごろの行いがね」
「そりゃあ、奴さん。おめえら一人一人が変えていくことじゃねえのかい。モノを知って・いい悪いを見分け・おのれを治めて・家を治める・すると国が収まるから・空の元のすべてが平和になる・しかるに最大と最少はつながっている」
「ははぁ、最近脚光を浴びてらす百年前の宗教ですかい」
「大花の邦とやらの転生者が増えたからね。検閲きちがいの暴君に仕留められてこっちにやって来たんだと。どういうやっちゃな?」
「さてねえ。そうだ、こういう案件がございやす。売り上げの二割をあっしがかませていただいてるんでですけどね。旦那の話を図形学にまとめた本がここにございやす・・・。よっと」
そうして、ふり売りはやけに形の整った好い本を取り出した。
「ほう、いいな。それは」
「でしょう? そいで、五分の二割増しのところを五分の一割増しに差っ引いて、この本とセットでさらに11分の3割おまけしますよ。いかがでしょうか、旦那さん」
「へえ、計算でけむに巻く算段かい?」
「ええ。とりあえず、旦那さんの家には買い置きしておく場所がないと噂ですからね。多すぎる粉はかえって邪魔でしょう。そこをみとってくれませんか」
「じゃあ、あんた、さっき飲ました乳より好いのがあるっていったら?」
「そりゃ、飲んでみたいですけども」
ふり売りは流し目で査定の算段をつけている。それがこちらにわかる時点で、こいつはカモだ。それは言い過ぎかもしれないけれど、商売のうまい方じゃない。計算でけむに巻いて、読み会計さんのできないやつに突っかかって来たんだろう。教養を見せてもびくともせず、かえって話の愉しいのにつられて者につられるとは、さいきんのあきんどもヤキが回ったものだ。
「すこしまってなさい」
ゆっくりと立ち上がり、膝の力を瞬間的に抜く。
そこに従って、大きく後ろにした足を踏み出しながら、膝の力を急激に入れて自由落下を食い止め、瞬間的に強く踏み込む。
1メートル20センチ先のドアへ瞬時に体ごと移動し、ドアを失礼にならない程度に開け放ち、地下室の酒蔵への階段をタカタカと駆け下りて、酒蔵から目当ての素焼きの酒瓶をひったくり、ジャンプジャンジャンプを繰り返して、元の接待の席に戻ってしまった。
ふり売りのあきんどは口を大きく開けている。
「よっと。・・・ええ、お前さん。そんなにおれがめずらしいかい」
「いや、獣人の一種であられる中でも、よりによって原人のワーさまに合うとは思ってもみませんで」
「やっぱりあんたらはクサッてらあ」
あきんどは心の身なりがなっていないことを恥じて、清し粉を持てる分だけ置いて行ってしまった。
あんまり無鉄砲なので、(もう商売になっていないけれども)この辺の領主様の部下である騎士様が発行した、信用よろしき銀貨数枚と、サービス系商会が、独自発行している中銀貨3枚をやって、素焼きの酒瓶までつけて追い返した。あんまり恐縮するから、酒は飲まずに売れというのを言いそびれてしまったが、はたしてヤツは。さァ、やってやっての果てに、うまいこと商売ができる腕を持てるようになるだろうか。世の情けはあればあるだけいいと思うのだが。
「ゆうびんでーす」
おや。3メートル先からビン屋のあんちゃんがでかいカバンを下げやってきやがる。
初めて来る差出人の場合は、みなれないあんちゃんと紫の札を下げてやってくるものなんだ。さて色は?




