勇者の下ごしらえ
冒険者ギルドに併設されている酒場。ここは主に待ち合わせや情報交換、任務達成後の打ち上げに使われている。冒険者の連中は泥や返り血で汚れていて、拭いたくらいじゃ臭いが取れないので一般の飲食店だと嫌がられる事もある。だから大抵の連中はここで飲む。その方が面倒が少ない。
という名目で併設したわけだ。もちろんギルド内に酒場を作ったのはその方が管理しやすいからだ。
俺の名前はオヤージュ=シレイラ。人呼んで『酒場のオヤジ』だ。ロマン=ティカ達と同じ“脚本委員会”──始まりの六人の一人だが、俺はこれといった推しもいなければ、イベントも担当していない。他の連中のサポート役みたいなもんだ。なので、ひとまずロマンの一推しであるライン少年を死なないようにしてやらなきゃいけない。
指導者として誰をつけるか検討していると、ちょうどいい人物が酒場にやってきた。よし、あいつに頼もう。
「クトーさん、ちょっと相談があるんですよ。このお酒は奢りです」
「おい、またアタシにひよっ子を……ングッ……押し付けようってのかい」
カウンターのスツールに腰かけるなり、置かれたジョッキを一息で飲み干したのは熊のような体躯を持ち銀髪を短く刈り込んだ女格闘家リア=クトー。人呼んで豪腕のリアだ。
「この間のめんどくさいジジイに仕事の流れを教えるのでもううんざりなんだけどね」
「……お体の具合はよろしいようですね。上級の病気治癒ポーションが効いたようで」
「おい、あれは正規の価格で買い取ったんだ。それを貸しにしようってつもりかい?」
「いえいえ、貸し借りなんて事は何も。ただ、めったに手に入らない上級ポーションは貴族でも探してる方がいましたので。確保するのはギルドでもなかなか大変でした。あ、これはただの愚痴なのでお気になさらず」
ギュッと手を握り込むのが見える。怖い。あの拳で殴られたら人間よりだいぶ華奢なミミックの身体はバラバラになってしまう。誇張なしで本当にバラバラになる。なにせミミックには丈夫な骨格とかないんだぞ。
「……炭鉱夫のグローム達のパーティの護衛で来週から鉱山に行く。それまでの間だけならいいぜ、引き受けてやるよ」
「助かります。あそこにいるライン君が滅ぼされた村の生き残りで、少し危なっかしいんですよ」
「なんだそりゃ、本当に何もかもじゃないか!」
「そうなんですよ」
結局面倒見のいいクトーさんは引き受けてくれる。
彼女はバルドのお気に入りですからね、テンプレ大好きなアーキも『師匠の死を乗り越えて強くなるのだ!』とか言って軽々と殺す事は無いでしょう。
半日ほどたった真夜中の酒場は、昼間の喧噪を忘れたように静まり返っていた。
木製のカウンターテーブルには、使い古された木製のジョッキが並び、客たちが残していった喧騒の名残が、まだ隅っこの方に漂っている気さえする。
暖炉の火はもう落としてあるが、その床下では魔力結晶がゆるやかに明滅していた。熱も光も、表には出さない。裏方の舞台装置は決して客に見せてはいけない。舞台の基本だ。
オヤージュはカウンターの奥、客には見えない位置にある扉を開ける。
そこは、ギルド酒場の「仕込み部屋」。
棚の上には、使い古されたポーション瓶、折れた剣、焦げたマントといった物語用の小道具並ぶ。
勇者の剣に竜の鱗、封印の巻物に怪しげな邪神像。
リアリティを重視したいロマン=ティカが全部ホンモノっぽく作らせた小道具だ。
たぶん、小道具だ。……実際、どのくらいリアルなのか俺にもわからん。小道具や大道具を担当するウォルは、たまに本物を混ぜてくる。
壁際には、奇妙な機構の箱。細いミスリルの導線が壁を這い、地下室の天井を覆っている。つまり、酒場の床下だ。
これは、いわばダンジョンの中で機能している罠と同じ仕組みだ。重量感知識のトラップの試作を行っていたのだが、効果が酷いので急遽取りやめた失敗作。冒険者が派手に喧嘩した時にモクモクとケムリがでて星型のエフェクトを幻影魔法で飛ばすという効果がある。マンガじゃねぇんだぞ。
面白がって設置していたが、いくらかかったと思ってる。
「やれやれ……演出費って言えば何でも通ると思ってやがる」
ひとりごとをこぼしながら、壊れかけ風のダメージ加工を施した宝箱の金具に油でなじませる。
カチン、と錠の閉まる金属音が静かな夜に響いた。
「なんだろうな、この箱。妙に中に入りたくなる……先祖代々の記憶でもあるのかね」
「そんなもんねぇよ。ただの種族特性だろ。俺たちゃ何かに隠れてないと安心出来ねぇんだよ」
「いたのか、ウォル」
「お前にも気づかれなかったのなら俺の隠蔽術も大したもんだな」
同族であるミミックですら気配に気づかない高度な隠形技術を持っているこの男はウォル。『壁になって観察したい』が口癖の灰色の髪をした細身の男だ。
「『この男はウォル……』じゃないよ禿。俺、昼間からずっとお前の近くに居たからね?」
「本当に気付かなかった」
「いいけどね、存在感薄いのは。ミミックとしてはお前らみたいに前に出る方が異端なわけだし」
ポンポンと宝箱を叩く。扉から外したドアノブに武器防具、床板。全て俺たちミミックがかつて擬態していたモノたちだ。
「そんだけ隠れるのが上手くても、まだ不安か?」
「そりゃそうだ。擬態がバレたら終わりだぞ、平気で酒場のオヤジとかギルドマスターとかやってられるお前たちの胆力どうなってんだ」
「ミミックという擬態型魔物がいる、という情報自体を消して存在ごと隠れるっていうアーキの案、あれは革命的だったよ。おかげでこうやって人に擬態して大手を振って街に住める。他の魔物からは強い人間たちが守ってくれるしな」
「ああ、安全になった。良い時代だ」
「でもなぁ、なんでこんな事になっちゃってんだ? 脚本委員会とかさ。勇者劇場とかさ?!」
「あいつらぶっ飛んでるよな。まぁ、見てるのは楽しいけど」
はぁ~、と深くため息を吐く。
「昼間、ラインとリア=クトーが出発したよ」
「お、勇者育成シナリオか」
「ああ、はじめの一歩の、薬草採取の依頼だ」
「ギルドの中では『死なない導入クエスト』として定番のやつな」
「……担当、アーキじゃなくて、ロマン=ティカなんだよ。あいつが関わってる以上、予定調和で終わる保証はない」
「あーあ。俺しらね」
俺たちはもう、何度も見てきた。
ロマン=ティカのやらかすアドリブという名の狂気が、お約束という安定食い潰していくのを。
仕込み部屋から上がった二人は、油まみれの手を布で拭きながら、カウンターに戻る。
夜風がスイングドアを押して、ギィ、と短く鳴った。
「神にでも祈るかい」
空のジョッキを二つ取り、そこに残っていた葡萄酒を注ぐ。
「いないだろ、神も魔王も。みんな俺たちが作った配役なんだから」
「それでも、気休めにはなる。お前さんは割と本気で冒険者たちの無事を願ってるんだろ」
「……まぁ、な」
二人のミミックは杯を掲げて、若き冒険者達の無事を祈った。




