第17話 師の影
盗賊団を退けてから三日後、村には少しずつ平穏が戻り始めていた。
子供たちの笑い声が川辺に響き、女たちの洗濯物が風にはためく。
けれど、血の匂いと叫びは簡単に消えるものではない。
夜になると村人の何人かは眠れず、子供たちは夢にうなされた。
私自身も、剣を握った手の震えが止まらなかった。
勝ったはずなのに、心の奥に残ったのは安堵だけではない。
あのとき振るった剣は、人を救った。だが同時に、人を斬った。
人間として生きると誓った私にとって、その矛盾は重くのしかかっていた。
そんなある朝。
村の入り口に、一人の老人が立っていた。
町で剣を教えてくれた師匠だった。
「……師匠?」
驚いて声をかけると、老人はゆっくりとこちらを見た。
片目の傷が光を受け、冷たい眼差しが私を射抜いた。
「噂は聞いたぞ、小僧。盗賊を退け、村を守ったそうだな」
「はい……ですが」
「だが?」
「人を斬りました。救うためだと信じていますが……胸の奥で、まだ答えを見つけられません」
師匠はしばし黙り、やがて重い声で言った。
「ならば問おう。——お前はなぜ剣を振るう?」
広場に村人が集まり、私と師匠を見守った。
空気は張りつめ、誰もが息を呑んでいた。
私は答えた。
「守るためです。人を、家族を、仲間を」
師匠は首を振った。
「それだけでは足りん。守るためだけに剣を取る者は、いずれ迷いに呑まれる」
心臓が跳ねた。
師匠の言葉は鋭く、私の胸に突き刺さった。
「なら、俺はどうすれば……」
「戦いのたびに流す血と涙、そのすべてを背負え。それができぬなら剣を捨てろ」
師匠は腰の剣を抜いた。
刃が陽に煌めく。
「小僧。もう一度試す。お前が“人間として剣を振るう覚悟”を持つかどうか」
村の広場に静寂が落ちた。
私は深呼吸し、剣を抜いた。
師匠の一撃が風を裂き、私の木剣を打ち砕こうと迫る。
必死に受け止めた衝撃で、腕が痺れた。
師匠の動きは重く速い。
だが死神の眼が靄を捉える。
彼の死期は遠い。
それでも攻撃の「隙」が見えた。
私は踏み込み、剣を突き出した。
刃が師匠の首筋に届く寸前で止まる。
広場がざわめいた。
師匠は目を見開き、やがて笑った。
「……悪くない。迷いを抱えながらも振るった。ならば、その剣は人間の剣だ」
私は剣を下ろし、肩で息をした。
「俺はまだ迷います。……でも、それでも守るために振るいます」
師匠は深く頷いた。
「それでいい。迷いを背負い、血を受け止め、それでも進む。それが人間の剣だ」
村人たちは黙って私を見つめていた。
恐怖ではなく、希望の眼差しで。
スミレが駆け寄り、涙ぐみながら私の手を握った。
「兄さん……もう死神じゃない。立派な人間の剣士だよ」
胸の奥で、ようやくひとつの答えが芽生えた気がした。
その夜、竹林に座り、月を仰いだ。
過去の死神としての影は消えない。
だが、それを抱えたままでも、人間として歩いていける。
剣はもう、命を刈るためのものではない。
仲間の涙と笑顔を守るための刃なのだ。
「俺は生きる。迷っても、傷ついても、この剣で」
誓いの言葉は風に乗り、静かな竹林を渡っていった。