第16話 血塗れの勝利
鎌の欠片を砕いた翌日から、私は己の胸に奇妙な静けさを感じていた。
死神としての過去に縛られることはもうない。
けれど、その代わりに重く伸し掛かるものがあった。
人間として生きる、と誓った以上、その責任を背負うということだ。
その時はすぐに訪れた。
夕暮れ、遠くの山道に黒い煙が立ち昇った。
やがて見張りに立っていた若者が叫んだ。
「旗が見える! あの盗賊どもが、また戻ってきたぞ!」
村中がざわめき、恐怖が駆け抜けた。
子供たちは母の背に隠れ、男たちは慌てて槍や斧を取り出した。
私は剣を手に立ち上がった。
胸の奥の鼓動が、耳を打つほど大きく響いていた。
——逃げられない。
今度は鎌にすがることもできない。
人間として、この手で村を守るしかない。
闇に包まれる頃、盗賊たちの軍勢は村を囲んだ。
数は前より多い。二十、いや三十近くいる。
松明の赤い炎が揺れ、笑い声と怒号が夜気を裂いた。
「今度こそ村を焼け!」
「女も子供も残すな!」
背筋が凍る声。
だが私は一歩前に出た。
死神ではなく、人間として。
「ここを越させはしない!」
叫びと同時に剣を抜く。
月光を受けた刃が、赤い炎を弾いた。
戦いは凄惨だった。
村の男たちは必死に槍を突き、女たちも石を投げた。
だが相手は数に勝り、剣を持つ者も多い。
倒れてゆく村人の呻きが、私の背を押した。
死神の眼が冴える。
盗賊たちの体に絡む靄、その死の線が見える。
私はためらわず踏み込み、剣を振るった。
血が飛び、砂時計が砕け散る。
胃の底が捻じれ、吐き気が込み上げる。
だが、背後にスミレと村の子供たちがいる。
逃げることは許されない。
敵の剣が腕を裂き、血が滴った。
痛みに視界が揺らぐ。
けれど私は叫んだ。
「生きろ! 誰一人死なせない!」
その声に、村人たちが奮い立った。
槍を構える腕が強くなり、石を投げる声が大きくなる。
私は先頭で剣を振り、道を切り拓いた。
幾人もの盗賊が倒れた。
やがて彼らは恐怖に駆られ、残りを連れて逃げ出した。
黒い旗が折れ、夜の闇へと消えていった。
戦場に残ったのは、血の匂いと、荒い息だけだった。
私は剣を地に突き立て、その場に膝をついた。
腕の傷口からは血が滴り、土を赤黒く染めている。
スミレが駆け寄り、泣きそうな顔で私を抱えた。
「兄さん、もういい! もう十分だよ!」
私は微笑んだ。
「まだ足りない。……俺はこれからも守る。何度でも」
涙がスミレの頬を伝い、私の傷口に落ちた。
その温もりが、血の冷たさを消していくようだった。
夜が明ける頃、村は静かだった。
幾人かが傷を負ったが、誰一人死ななかった。
村人たちは私を見て、恐れではなく感謝の眼差しを向けた。
「ナギ……お前は死神なんかじゃない。俺たちを救った、人間だ」
その言葉に、胸が熱くなった。
血塗れであろうとも、涙に濡れていようとも、私は人間として戦い、人間として勝利したのだ。
竹林を渡る風が、穏やかに葉を揺らした。
その音は、もう鎌の唸りには聞こえなかった。
生の歌、人間の歌。
私は剣を握りしめ、静かに誓った。
「これからも、この剣で守る。血を流し、涙を背負ってでも」
その誓いは、朝日の中で確かに輝いていた。