第11話 剣を取る覚悟
腕の傷はまだ疼いていた。布の下に残る牙の跡は、熱を帯びて赤黒く腫れている。
けれど、その痛みは不思議と心を落ち着かせていた。
血を流したとき、私は確かに人間として生きていた。
死神の影でも、眼でもなく、この身が“命を守るために働いた”証だった。
だが、村の人々の目は依然として冷たかった。
狼から子供を救ったことを知りながらも、彼らは私を避ける。
「死神の眼を持つ子は、いつか村を滅ぼす」
そんな囁きが、夜の井戸端で繰り返されていた。
私は竹林に立ち、棒を振った。
木を打ち、風を切る音に耳を澄ませる。
だが、足りない。
魔物も狼も、いつかもっと大きな脅威が村を襲う。
ただの木の棒では限界がある。
「……剣が、必要だ」
呟いた言葉は、夜気に吸い込まれて消えた。
翌日、私は父に頼んだ。
「剣を学びたい」
父は黙って私を見つめた。
沈黙の時間は、鍬を振るよりも長く感じた。
「ナギ。剣は人を斬るためのものだ」
「わかってる。でも俺は……人を守るために斬る」
父の眉間に深い皺が寄る。
やがてため息とともに言った。
「村には兵はいない。だが、西の町へ行けば剣を教える者もいるだろう。……覚悟があるなら、行け」
数日後。
私は父と町へ向かった。
石畳が続くその町には、村にはない賑わいがあった。
市場の喧噪、商人の声、鍛冶屋の金槌の音。
そして、武具屋の前に立つ一人の剣士。
白髪混じりの髭を蓄え、片目に傷を持つ老人だった。
父が事情を話すと、老人は私をじろりと見た。
「小僧、剣を習いたいのか」
「はい」
「理由は?」
「人を守るために」
老人は鼻で笑った。
「守るため? そんな綺麗事で剣が振れるか」
私は答えた。
「振れる。俺はすでに血を流した。痛みを知ってる。……だから、今度は誰かの痛みを減らすために剣を振る」
老人の目が一瞬光った。
そして、低く言った。
「ならば見せてみろ」
試しに手渡された木剣は重かった。
木の棒とは違う、筋肉に響く重み。
私は構え、息を整えた。
老人が一歩踏み込み、木剣を打ち下ろす。
反射的に受け止めた瞬間、衝撃で腕が痺れた。
「悪くない」
老人は唇の端を吊り上げた。
「目だけじゃなく、体もよく動く。……だが、覚悟はまだ浅い」
私は歯を食いしばった。
「浅くても、深くしてみせる。俺は諦めない」
老人はしばらく黙っていた。
やがて笑い声をあげた。
「いいだろう。死神の眼を持つ小僧、剣を教えてやる」
その夜、宿に戻った私は布団の上で木剣を握った。
掌の豆はすぐに潰れ、痛みを覚えていた。
けれどその痛みすら、心を奮い立たせた。
「守るために……俺は剣を取る」
月明かりが木剣の刃先を照らす。
それは死神の鎌ではない。
命を刈るためではなく、命を守るための剣。
私は静かに目を閉じた。
これからの道は、血と涙に満ちているだろう。
それでも、人間として歩む覚悟を、確かに抱いていた。