第10話 人間である証明
死神の影に突きつけられた試練の翌朝、私は畑に立っていた。
鍬を握る手にはまだ夜の冷気が残り、胸の奥ではあの声が木霊していた。
——やさしすぎる。
その言葉は呪いのように何度も繰り返される。
だが、私は鍬を振った。土が裂け、土の匂いが立ちのぼる。
この匂いを嗅ぐたびに思う。私は死神ではなく、人間だと。
だが、村の空気は冷え切っていた。
病で救えなかった命、魔物を倒した力、そして死神の眼。
人々は感謝しながらも、同時に私を遠ざけた。
川で水を汲もうとすれば、桶を持った女が道を譲らずに去っていく。
子供たちの遊ぶ輪に近づけば、誰もが視線を逸らす。
そして囁き声だけが残る。
「死神の子だ」
「触れると余命が削れる」
心臓が握りつぶされるようだった。
けれど、私は逃げなかった。
ある夕暮れ、村の男たちが慌ただしく駆け出した。
「牛小屋だ! 狼が出た!」
叫び声に、私は鍬を放り出して走った。
牛小屋に着くと、狼が一頭、牙をむき出しにして暴れていた。
角を折られた牛が呻き、子供が泣き叫んでいた。
村人たちは槍を構えていたが、恐怖で足がすくんでいた。
私は前へ出た。
狼の靄が見える。死期はまだ遠い。だが、牛と子供の命の砂は急速に落ちていた。
選べ、と声が囁く。
どちらを救う?
私は叫んだ。
「両方だ!」
木の棒を拾い、狼の前に立ちはだかった。
突進してきた牙を受け流し、背後の牛を追い立てて外に逃がす。
狼が振り返る隙に、私は子供を抱え上げ、父親の腕に渡した。
腕に噛み傷が残った。
血が滴る。
だが構わなかった。
狼が低く唸り、飛びかかろうとしたその瞬間——背後から父の槍が貫いた。
狼は地面に崩れ、息絶えた。
沈黙の中で、皆が私を見ていた。
私は血に濡れた腕を押さえ、言った。
「俺は死神じゃない。人間だ。人間は……守るために血を流すんだ」
誰もすぐには答えなかった。
だが、やがて子供を抱いた父親が震える声で言った。
「ナギ……ありがとう」
その言葉が、私を人間に繋ぎ止めた。
夜、スミレが私の傷に布を巻きながら笑った。
「やっぱり怖がられてるけど……私は知ってる。ナギは死神じゃなくて、人間だって」
その笑顔に、胸の奥が熱くなった。
死神の影がどれほど試してきても、この手で守り抜いた事実は消えない。
血を流してでも、私は証明する。
——私は人間だ、と。