未だ根強い反魔族意識
美琴たちと別れた後、詩乃はのえると一緒に帰宅して私服に着替えてからのえるの家にお邪魔して、のえるの部屋で課題を片付けた。
詩月は今日、三年生最後の大会となる夏の大会に向けて稽古に励んでおり、帰りが遅くなるので夕食は帰りに友達とマックでも食べてくると連絡があった。
今時の女子中学生の生活だなと苦笑し、一人で夕飯を食べることが決定していたのだが、のえるがそれを見かねて家に招待したのだ。
課題を倒した後のえるの部屋でのんびりして時間を潰し、途中でのえるの部屋のいい匂いにあてられてちょっぴり衝動が出てきてしまったので、真っ赤になって逃げようとするのえるを捕まえて、牙を立てずに甘噛みすることで衝動を紛らわせた。
甘噛みの仕返しに後ろから人形を抱くかのように抱きしめられ、後ろにたわわで柔らかなものが押し付けられて、夕飯ができたと呼ばれるまで非常にドキドキした時間を過ごした。
スパイスが少し強く効いたカレーで、ピリッとした辛さが非常に癖になる味だった。
この体になってからにんにくを受け付けないとまでは行かないが、昔より少し苦手になってしまったのでそのことを考慮してか、にんにくは入れていないそうだ。
別に食べたら体調が悪くなるわけではないので、これからはにんにくを使ってもいいと言っておいた。
「吸血鬼さんなのににんにく平気なんだね」
使った食器をのえると一緒に洗っていると、のえるが不思議そうに言う。
確かに吸血鬼と言えば十字架と銀、太陽、そしてにんにくが特にダメという説が一般的に知られている。
肉体は人間で能力や体質は吸血鬼の詩乃は、十字架を見れば強い嫌悪感と恐怖を感じるし、それが銀でできていればその恐怖が倍増する。
太陽も、色白さも相まってまだ夏本番じゃないのに日傘がないとろくに外を出歩けない。
なのでにんにくもダメかと言われると、実は意外とそうでもない。
「そもそもにんにくがダメとかっていうの、後の創作だからね」
怪異と呼ばれる人ならざる者の発生条件が、大勢が一つのものを信じることと言うものなので、大勢が吸血鬼はにんにくがダメと信じるようになった結果、後に発生する吸血鬼はにんにくがダメになったし、詩音の先祖も詩音もにんにくが苦手になったのかもしれない。
詩乃もにんにくの味やにおいは男の頃より少しダメになったが、思ったより拒絶反応を見せないし、匂いが強めのもので味付けした料理の中に入っているのなら気にならない。
自分の体がよく分からないなと思いながら食器を洗い、拭いて乾かして食器棚にしまう。
課題も終わらせたし夕飯もいただいて食器も片したので、鞄を持って帰宅する。
詩月はまだ帰宅していないようなのでロックを解除し、家に上がってから荷物を置きに部屋に向かい、すぐに階段を降りて脱衣所に向かった。
「まだまだこれから暑くなっていくってのに、結構汗かいたなー。少し肌がべたついてる」
言ってすぐに、こういうことを気にするようになる程度には女の子になって来たなと、諦めたような笑みを浮かべる。
そしてまだ五月でこれなのだから、本格的に暑くなってくる六月や七月八月はどうなってしまうのだろうと、今から鬱になりそうだ。
詩音が暑い日を快適に過ごすことのできる冷房魔術とか知らないだろうかと希望を抱き、脱衣所で一糸まとわぬ姿になって汗を流すために浴室に入った。
♢
お風呂に入り歯磨きもして、のえるに仕込まれたスキンケアをしっかりやって、部屋でストレッチをしてからログインしたヨミは、すぐに王都マギアに飛んだ。
その際せっかくだからとステラとエマが同行すると言い、アリアも行くと言ったが今回は大人しくお留守番してもらうことにした。
少し拗ねてもちもちのほっぺをぷくーと膨らませていたが、お土産を買って帰ってくると約束して機嫌を直してもらった。
「そちらからくるのは珍しいな、ヨミ殿」
「ちょっとマーリン……陛下に伺いたいことがあるので」
マギアに到着してすぐに王城に向かうと、ちょうどいいタイミングでガウェインが城の周辺を巡回していたので、彼を捕まえて城の中に入った。
ステラとエマはワープポイントを使えないので、エマがステラを抱えて飛んでくることになっている。
そこそこ飛ばしてくると言っていたので、そう時間はかからないだろう。
ガウェインについていくような形で城の中に入り、長く豪奢な廊下を歩く。
メイドや執事、城の内部を警備している兵士たちが、ガウェインを見るたびにはっとなって横に避けて頭を下げる。
中には羨望と憧憬の眼差しを向ける者もおり、すっかり彼は竜王殺しの英雄としてあがめられているようだと、くすりと笑ってしまう。
「何も笑わなくてもいいだろう。私としては、少し居心地が悪い」
「ご、ごめんなさい……。でも、竜王殺しの英雄であることに変わりないんですから、いいじゃないですか」
「あれはヨミ殿の功績があまりにも大きすぎる。私は……貴女の手伝いをしたに過ぎない。それなのに私は准将に昇進した。嬉しいことではあるし、貴女には感謝しているが、まだ私には不釣り合いのように感じてしまう」
「謙虚ですねぇ」
真面目というかなんというか。別に損している性格ではないが、とにかく真面目だ。
しかしどれだけガウェインが自分自身を英雄ではないと言っても、あの戦いに参加し生還するだけでなく、止めを刺したのはヨミとはいえ竜王相手に勝利してきたのだから、周りからはどうしたって英雄視される。
顔に大きな傷があるが、その傷すらガウェインの魅力を引き立てるアクセサリーのようになっているくらい、とんでもない美形だ。
今頃、家族からお見合い相手でもあてがわれているのではないだろうかと、ヒノイズルでの自分の貴族からの評価を棚に上げて考える。
「なんて厚かましい……」
「何度考えても、やはりあのような体の小さな小娘に竜王を倒せるとは思えないな」
「魔族で真祖吸血鬼であれほど小柄でも、美少女ではあるからな。おおかた、ガウェインに色仕掛けしてその功績を譲ってもらったのだろう」
あと少しでマーリンの執務室というところで、廊下の壁際に集まって会話していた三人の貴族たちが、わざと聞こえるような大きさの声で話し出した。
流石に今のはかなりむっとしたが、どうせこいつらは自分よりも雑魚で口しか達者じゃない臆病者の卑怯者だと考えることで、怒りが瞬く間に憐みへと変化した。
「バルカ男爵、ランパート侯爵、バスター子爵、口を慎んでください。この方こそが、竜王を倒した真の英雄なのですよ」
そもそもこいつらNPCだし、人間じゃないから別にどうでもいいかと思っていると、ガウェインが足を止めて三人の貴族をとがめる。
「これはこれは、失礼したなソールエクス魔導王国軍准将殿。貴殿は、そこの魔族に助けられたのだったな」
「いやはや、今まで多くの美女から言い寄られても眉一つ動かさななかった貴殿が、自らそこの魔族を庇うとは。道理で、美女にはなびかないわけだ」
「言ってやるな、ランパート侯爵。おおかた、ガウェインは真祖が持つという魅了の魔眼に魅入られているのだろう。可哀そうになあ」
「あの日死んだ兵士たちも、この小娘に魅了されていたから無駄に死んだのではないのか?」
「大した実力もないやつが、栄誉欲しさにあんなものに挑むからだ」
「あ゛?」
せっかく抑えた怒りが、一瞬にして沸点を飛び越えていった。
頭の中で何かがぶちんと切れたような音が聞こえた。
明らかにガウェインをバカにして見下している。あの日亡くなった人たちのことを、バカにしている。
あの時の激戦を何も知らないような奴らが、どれだけガウェインに助けられたのか知らない奴らが、ヨミがいかに彼らに助けられたのか、あの日亡くなった彼の仲間を彼がどれだけ悲しんだのか、全く知らないような奴らが。
【強い感■を確認。魔■種の発■が進行。■■率:27%】
強烈な怒りで脳みそから血液まであらゆるものが沸騰しそうだ。
ぐっと握った右手にこれまでにない程力が入り、怒り狂った心臓が激しく暴れ回る。
こいつらは、全力で殴りつけて地面に叩きつけて、泣いて謝っても殴りつけて骨も歯も全部叩き折らないと気が済まない。
二度と口が利けないように、二度と立つこともできないように、徹底的に、執拗に、殴って粉砕してやらなければ怒りが収まらない。
【強い感■を確認。魔■種の発■が進行。■■率:31%】
身を焦がすような怒りに突き動かされるように一歩前に進もうとすると、体が不自然に動かせなくなる。
拘束系の魔術をかけられているわけじゃないのに動かせないとなると、こんなことができるのは知っている中では一部しかいない。
そしてこの城の中と限定すれば、そんなもの一人しかいない。
「三人とも、これ以上英霊を侮辱することは私が許さない」
杖を持ちその先に魔法陣を出現させているマーリンが姿を見せる。
マーリンが出てきたことで自分たちの発言が聞かれていると気付いた貴族たちは、顔を青くして居住まいをただす。
「こ、これは大変失礼しました陛下。で、ですが……」
ランパート侯爵と呼ばれた中年くらいの貴族が、ちらりとヨミに視線を向ける。
「私には、どうしてもあの小娘が竜王を倒したとは思えないのです。確かに魔族、特に真祖吸血鬼は力が強い。しかし、それでもあのように小柄で腕も細い小娘に、竜王の首が落とせるとは到底、」
「私はフリーデンの近くで、金竜王ゴルドフレイの眷属金竜ゴルドニールと戦った。そこにはヨミもいた。私はこの目で、彼女の戦いを見ている。誰よりも勇敢で、誰よりも強く、誰かのために前へ進み傷付くことをいとわず、恐怖を捻じ伏せて戦っていた。もとより疑ってなどいないが、彼女の戦いを見て私は、アンボルトは確かに彼女によって打倒されたのだと強く確信した」
「し、しかし……」
「ならまた次彼女たちが竜王と戦いに向かう際、貴様らも連れて行ってもらおうか? 自分の目で確かめることができれば、文句はないだろう」
「そ、それは……」
「自分の目で確かめる勇気もないというのに、そちらの一方的な思い込みで他人を侮辱するな」
声は平坦で、瞳には強い怒りが燃えている。
マーリンもあの日アンボルトに殺された英霊たちを侮辱されることは腹立たしいことで、仲よくしているヨミのことをバカにされることも許せないようだ。
他人が本気で怒っているのを見て、だんだんヨミの怒りが収まっていく。
それを察したのか、かけられている空間凍結を解除してもらい、自由の身になる。
マーリンに怒られた三人はそのまますごすごと退散していくが、去り際にランパート侯爵がヨミのことをじろりと睨んで来た。
なので右目の下を人差し指で軽く下に引っ張りながら、べー、と舌を出してやった。
「すまないね、ヨミ。あの三人は特に、魔族を嫌っている連中なんだ。君は違うと何度も言っているんだが、どうしても聞く耳を持ってくれなくてね」
国王の雰囲気から、もう大分親しんで来たいつものマーリンの雰囲気に戻り、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「ううん、気にしないで。それより、ありがと。ああやってマーリンが出てこなかったら、今頃あの人たち血だまりの中にいたと思う」
「あのタイミングで出てこれてよかった。危うく王城内で流血沙汰になるところだったよ」
お互いにほっと安堵してから、数秒の沈黙が入る。
「とりあえず、僕の執務室においでよ。話があって来たんだろ?」
「そうだね。色々と聞きたいことがあるんだ」
「では、私はここで」
「いや、ガウェインさんも来てください。もしかしたら、魔導王国軍を総動員させる必要があるので」
「……承知した」
ヨミのことを信じてくれているからか、何故とは聞かずに立ち去ろうとした足を止めてくれた。
ちゃんと信じあえる仲間というのは大切だなと改めて思い、三人揃って執務室に向かった。




