初めてのメイク
翌朝、寝た時と変わらない体勢で目を覚ました詩乃。
寝起きからのえるの柔らかな膨らみに包まれていい目覚めだったが、普段より少し早く起きてのえるがまだ夢の中で、しっかりと胸に抱き寄せられて身動きが取れなかった。
少し息苦しいのはまだ我慢できるが、女の子のいい匂いとか柔らかいのとか色々あって、朝からやり場のない性欲が雁首をもたげたりほんの少しだけ感じる衝動で、息苦しさとは別の苦しさがあった。
三十分後にようやく目を覚まして開放してくれて、行き場のないほんのちょっとの衝動を落ち着かせるために、のえるに抱き着いて首筋に甘噛みしたら脳天に軽くチョップされてからデコピンを食らった。
「あ、あの、のえる……」
「まだ動いちゃダメだよー」
朝食を食べ、制服に着替えてから詩乃はのえるの部屋に招かれて、床に座ってのえるにあることをされていた。
それは男だったら無縁だと思っていたことで、女の子になってからは知識がないので一切やっておらず、今となっては覚えておいた方がいい女の子の嗜みだ。
そう、お化粧である。
「詩乃ちゃんお肌白いしシミもないから、薄いナチュラルメイクでも全然見違えるくらい綺麗になりそうなんだよねー」
「別に、必要ないと思うんだけど」
「だーめ。そりゃお化粧無しでも十分超美人さんだけど、お化粧って綺麗にする以外にも紫外線もカットすることもできるんだから、今の詩乃ちゃんには大事なことだよ?」
リアル吸血鬼となった今、日差しの強さにもよるが快晴は天敵で長いこと日に当たることができない。
アルビノではなく、どちらかというと白人の部類に入るが、比較してもそれでも色素が薄い。
なのでのえるの言う通り、紫外線をカットすることも日差しを遮るのと同じくらい大切なのだ。
「はい、おしまい。……うん、ただでさえ美少女な子にちゃんとメイクすると大化けするね」
そう言ってのえるが手鏡を渡してきたので、それで自分の顔を確認する。
派手なメイクは一切なく、ちょっとアイライン引いたり、ファンデーションを薄く塗ってほんのりとチークも塗られている。
薄桃色のリップも付けてぷるりと潤いのある唇になっており、見慣れてきたはずの自分の顔がこんな薄いメイクでここまで変わるのかと感動を覚える。
「これからはちゃんと、自分でもメイクできるように練習しないとね」
「うっ……。やっぱり覚えておかないとダメ?」
「詩乃ちゃんほどの美少女だといらないって言われると思うけど、さっきも言った通り紫外線カットにも使えるからね。リップは保湿にもなるし、最低限は覚えておいた方がいいかもね」
のえるが説明してくれている間も、ちょっとの化粧でがらりと印象の変わった自分の顔を鏡で見る。
化けると書いてある通り、上手にやれば本当に化けるんだなと顔を左右に動かして確認する。
のえるがメイクしているのは何度も見ているし、何ならすでにのえるは自分にメイクを施している。
元が明るく懐っこい美少女である分、詩乃同様に薄めのメイクでも今朝見た時よりもうんと可愛く映る。
お化粧ってすごいんだなとしみじみ思い、紫外線カットにもなるから覚えたほうがいいなと思いつつ、しばらくはのえるのお世話になろうと考える。
メイクも終わりそろそろ時間になってきたので、二人とも鞄を持って家を出る。
空が外で待っており、手を繋いで出てきて空が詩乃を見た時にかなり驚いた顔をして、のえるがすごく得意げな顔をした。
その後は、遂に詩乃もメイクデビューかと少しだけいじられた。
その数分後、のえるが使っていたリップを自分にも使っていたということに気付き、これって間接キスじゃね? と一人で恥ずかしくなって頬を赤らめた。
♢
「なーるほどねー。道理で男子がやたらちらちら詩乃のことを見ているわけだわ」
「美月、どうにかして……」
「無理。元から注目度マックスなあんたが、より可愛くなるメイクをしたらもっと注目されるに決まってるでしょ」
「ここにリボンとか付けたらもっと可愛くなると思うんだけどねー」
「それは本当に勘弁してのえる」
学校の昼休み。
中庭でお弁当を美月とのえると一緒に食べている。そこでどうして今日はやたらと男子が落ち着きないのか、美月に説明していた。
「分かっちゃいたけど、メイクなしであの美少女っぷりだったとはね。全く、羨ましい限りよ」
「美月だって美人さんなのに」
「詩乃と比べたらそこら辺のモブよ。まともにあんたと張り合えるのは、美琴先輩、華奈樹先輩、美桜先輩、あとはそこでずっとにこにこしてるのえるくらいでしょ」
美琴、華奈樹、美桜、のえる。ともに共通しているのは詩乃よりも背が高く、スタイルも抜群なモデル体型ということだ。
この四人はこの学校内で四天王と呼ばれ始めているようで、なにが四天王なのかをすぐに察した詩乃は、男子ってバカだと思った。
「でさ、今までメイクなしだったのにどうして急に?」
「そ、それは……」
「昨日詩乃ちゃんがちょっと悪いことをしたから。私はちゃんと理由も聞いてるから、もう一度自分に口で説明してね」
「美月はグランドの部外者でしょ……」
「グランド関連で何かやったことだけは今ので分かった」
言ってしまったと口を閉ざすが、もう意味はない。
仕方がないと、どうしてこうなったのかの経緯をきちんと説明する。
「刀戦技の解放は、昨日もログインしてたから知ってる。びっくりしたよ、仕入れとか色々してたら急に刀戦技が解放されたってアナウンスが流れたんだから」
「空も掲示板とか見てて、ずっと盛り上がりを見せてるって。央京都のあの道場に、プレイヤーが殺到しすぎてるって」
「透治さんにはちょっと悪いことしちゃったかもなあ」
もとよりかなり大きな流派ということは、NPCから情報収集していた時に聞いていた。
央京都のあの道場を総本山に、あちこちに道場があるそうだ。天翔流と比べると、その数は少し少ないこともその時に知った。
「これからは当分、多くのプレイヤーが刀戦技を求めてあそこに行くだろうから、色んな武具屋で刀が売り切れるだろうね」
「かもね。これはあたしも当分は刀を仕入れていた方がいいかもね」
「なんか、変なところで迷惑かけてる感じがする」
「そんなことないよ。むしろ商機が来たって感じ。というか、本当に詩乃ってFDOの話題の中心にいるよね。バーンロットを初めて見つけたのも、グランドを始めて倒したのもあんただし」
「それで今回、またグランドをちょっと進ませちゃったしね」
「それはボクの本意じゃないんだよ。刀戦技を試そうと思ったら、いきなりそうなっちゃって……」
「詩乃ちゃんがそういうの大好きなの分かってるけど、一日我慢すれば私にお叱りを受けることもなかったよ?」
「うっ……」
「今日ログインしたら、エマちゃんとステラちゃんにもちゃんとお説教しないとね」
自分のせいでのえるにお叱りを受けることになった二人に、心の中でごめんなさいを謝っておく。
すると、ふと視線を感じたので何気なしに視線を感じたほうに顔を向けると、中庭を見下ろすことができる校舎の窓辺に、男子が何人か集まっているのが見えた。
よく見ると、詩乃のことを見ている男子たちはよく教室内で、FDOのことを話しているのを聞く生徒たちだった。
果たして彼らは、この学校のアイドルになりつつある詩乃のことを見ているのか、FDOで魔王と呼ばれつつもどこかアイドルのような人気を獲得しているヨミを見ているのか、どちらなのだろうか。
もしかしたらのえるのことも見ているかもしれないと思うと、なんかちょっと嫌なのでのえるの方に少しだけ寄る。
「ん? どうしたの?」
「別に……。のえるのその卵焼き、美味しそうだなーって」
「欲しい? じゃあ、あーん」
「…………あ、あーん」
見られていることを知っているし目の前に美月がいるので恥ずかしさが勝るが、誤魔化すために言ったとはいえ厚意でこうして差し出してくれたものを拒絶するわけにも行かず、頬を赤らめながら卵焼きを食べる。
出汁の効いた卵焼きで、砂糖の甘さがほんのりとあって美味しい。
「ほんと、二人は仲がいいよねー。ご馳走様」
「美月ちゃん、まだお弁当残ってるじゃん」
「そういう意味で言ったんじゃないわよ。あんたも分かってて言ってるでしょそれ」
「えへへー。あ、詩乃ちゃん、お弁当食べ終わったらちゃんとリップ塗り直そうね」
「………………うん」
───こいつ、もしや間接キスに気付いていないな?
屈託のない笑みを浮かべながら、ポケットから今朝着けたのと同じリップを取り出して言うのを見て、詩乃はそう思った。
朝登校する時に一人で勝手にドキドキしたのがなんだか少しバカらしくなり、胡椒をかけてあるポテトサラダを口の中に放り込んだ。




