番外編 ハッピーバレンタインデー
世の中には様々な、リア充イベントと呼ばれるものがある。その最たるものと言えば、言うまでもなくクリスマスだろう。
海外では家族と一緒に過ごす聖夜だし、日本でもそれは一般的だが、どういうことかカップルで過ごす時間としても知られ、最も大人な行為をする人が多い日だ。
それを揶揄してか、性の六時間と言われる時間が存在しているという。
もう一つの代表的なリア充イベント。それはバレンタインデー。
二月十四日に女の子が友達にチョコを渡したりする、だけでなく女の子が気になる男子に義理と称して渡したり、逆に本命と呼ばれるものを渡す日。
中には男子が男子に友チョコを渡すということもあるが、基本的に日本では女の子が男の子にチョコレートを渡す日だ。
そして本日、世間はバレンタインデームード一色だ。
豪華なラッピングのされた小分けのチョコレートパックだったり、真ん中にハイフンがあるかどうかが議論されることのある、赤いパッケージが特徴のさくさく触感チョコがバレンタインデー仕様になったり、高級チョコの代名詞ともいえるお店もバレンタインデー限定商品を出したりしている。
それに伴って、学校の男子の一部が女子からチョコレートを貰おうと、いつもは騒いでいるのがこの一週間やけに大人しくなったり、妙に優しく接したりする。
当然日頃の行いというのがあるので、一週間前から優しくされたり大人しくされても、それまでの評価というのがあるのでその程度で覆せるはずがない。
というか、直前でそんな風に普段と行動が変わったらあからさますぎる。
しかし男子たちは忘れていた。今年のバレンタインデーは、土曜日で学校が休みであることを。
なのでその前日の十三日の金曜日が、学校内でチョコレートを渡す日になっていた。
「空、色んな子からチョコ貰ってたな」
「世界大会優勝したプロゲーマーだし、基本IGLやってて頭もいいし背も高いし、私から見てもそこそこなイケメンだからねー」
「何人かの女子が目をぎらつかせててビビってた」
「お前があんな顔するの、見てて超面白かった」
土曜日で学校がお休みなので、昨日出された課題は全部昨日のうちに終わらせておいた詩乃と東雲姉弟は、東雲宅のリビングでまったりとくつろいで、詩乃の作ったホットチョコレートと一緒に、スーパーで買った徳用チョコを摘まんでいる。
せっかくのバレンタインデー当日だというのに、色気も何もない。
「そういうお前こそ、昨日やたら男子がお前の近くに寄ろうとしてて面白かったぞ」
「先週あたりから、露骨に詩乃ちゃんに優しくなってたもんね。教室移動の時に荷物を持とうとしたりとかね」
「ありがたいっちゃありがたいけど、その後に迷惑が付いたね。そんなに優しくされても、ボクは男にチョコなんか渡すことなんてないけど」
「とか言いつつおれにはホットチョコレート出してるけどな」
「今更お前のことを異性とかそういう目で見れないし、FDOで世話になってるから。その日頃のお礼」
「あーあ。空、それを学校でぽろっと言ったら地獄を見るよ」
「分かってるからぜってー言わねえ」
そう言って白い湯気の上がるマグを傾け、ホットチョコレートを少しだけ飲む空。
詩乃も、電気ストーブで部屋の中が温かくなっているとはいえちょっと前まで外にいたので、まだちょっとかじかんでいる手を温めるように両手でマグを持って、チョコレートを溶かしたミルクを飲む。
「……寒いとトイレが近くなるな。ちょっと行ってくるわ」
三人でバレンタインデー特集のテレビをぼんやりと眺めていると、空が立ち上がってリビングから出ていく。
余計な奴がいなくなった今しかないと、きゅっと唇を軽く結んでから覚悟を決めて口を開く。
「「あの」」
のえると同時に話し出して被った。
ちょっと気まずくなってから小さく吹き出し、くすくすと笑う。
「詩乃ちゃんからどうぞ」
「うん。……その、これ」
隠すように置いておいた小さな包みをのえるに渡す。赤のラッピングに緑のリボンのその箱は、言うまでもなくバレンタインデーチョコだ。
「い、いつもお世話になってる、し、女の子になってから本当に色んなこと教えてくれたし……それで、その……えっと……」
何を今更恥ずかしがっているんだと自分を叱るが、本人を前にしてはっきりというのはやはりどうしても恥ずかしさが勝る。
言い淀んでいると、差し出した箱をのえるがそっと受け取り、大事そうに胸にぎゅっと抱き寄せる。
「ありがとう、詩乃ちゃん。すごく嬉しい」
ふわりと浮かべた女神のように優しい笑みに、詩乃は一撃でノックアウトされる。
ドキドキと鼓動が早くなり、彼女の笑みから目が離せない。それくらい魅力的で素敵な笑顔だ。
「私からも、はい。ハッピーバレンタイン」
のえるからも包みを渡される。
吸血鬼になって鋭くなった嗅覚が、その包みの中から甘い香りを嗅ぎ取る。
最近街中で感じていた甘いチョコの匂いより、少しだけその甘さが弱い、詩乃好みの匂いだ。
「ありがとう、のえる。大切に食べるね」
「どういたしまして。私もこれ、ゆっくり時間かけて食べるね」
ふにゃっと表情を崩したのえるに、また心臓が跳ねる。もう何度もこの顔を見ているはずなのに、今ののえるの表情は何度見ても慣れなさそうだ。
「ところで、今日もFDOにログインするの?」
「しようかなーとは思ってるけど、バレンタインイベントってクリスマスの時とあまり変わらないんでしょ?」
「らしいね。去年が『血と爆炎のバレンタイン』とか言われてたみたい」
「また嫉妬に狂ったプレイヤーが、リア充プレイヤーを爆殺して回るのか……」
去年のクリスマスの時、イヴの時はまだ平和だったが当日になったらあちこちで爆発音と悲鳴が聞こえた。
一応爆破する側にも独自に決めたルールがあって、人気のないところでいちゃ付こうとするカップルのみを対象にしていた。
なので完全に無差別というわけではなく、前回のクリスマスイベントの時にそういう人たちが狙われているとバレているため、今回のはわざと人気のないところに足を運んで楽しむカップルが多かったそうだ。
なお、女の子同士でイベントに参加している場合、システム側から保護を受けて自爆特攻するブラックサンタの爆発によるダメージは一切受けないし、女の子同士のカップルを撒き込んだらブラックサンタにえげつないペナルティが課せられたそうだ。
なんで運営が百合推しなんだよとツッコミしかなかったが、そのおかげでのえるとは聞こえてくる爆発音とかを無視すれば楽しいクリスマスデートができた。
「内容とかは変わるんだろうけど、クリスマス同様の自爆特攻があるとなぁ」
「じゃあ今日はやめておく?」
「そうだね、やめておこう。色んな意味で」
今日はリアルでゆっくりしていようと決め、だらんと脱力して床に仰向けになる。
すると隣にのえるが移動して来て、体を横にして倒れる。柔らかな栗毛が彼女の顔のラインに沿って重力に従って下がったので、右手で顔にかかった髪の毛をすくい上げて耳にかける。
少しくすぐったそうに目を細め、それが妙に色っぽくてむくむくと血を吸いたいという衝動が雁首をもたげてくる。
呼吸音が聞こえるくらい顔が近くにあり、男だった時よりもうんとよくなった視力で、のえるの乳白色のきめ細かな綺麗な肌に長いまつ毛、ぷっくりとしていて柔らかそうな薄桃色の血色のいい唇。それらが、より衝動を強める。
今は二人きりだし、いいよねと顔をのえるに近付けると、リビングのドアが開いたので動きを止める。
「……なんか怪しいな」
「べ、別に何も……」
この受け答えだけでも十分ちょっと怪しいが、空はそれ以上何も突っ込んでくることなくテーブルまで歩いてきて、どっかと腰を下ろした。
「っ!?」
行き場をなくしてしまった衝動をどうしようとのえるから視線を外すと、彼女は太ももに手を這わせてきたので体をびくりと震わせる。
急に何をするんだとぱっと顔をあげると、悪戯を成功させた子供のような笑みを浮かべていた。
「続きは、後でお部屋で、ね」
わざと言葉足らずな言い方をし、くすりと笑うのえる。
こんな悪い幼馴染には、少しきつめにお仕置きしてやらないとなと決め、空がテレビを見ている間にこっそりと首筋に甘噛みしておいた。
チョコを食べていたからか、あるいは他の原因か、甘噛みしたのえるからほのかにチョコの味がした。




