79話 これって……変なこと?
馬鹿なことを妄想している内に、もう朝食を取ってもいい時間帯になってしまっていたようだ。
ユタンちゃんもばっちり目が覚めているようだし……あれっ!? 俺が演じた痴態って、もしかして見られちゃった? ……うん、忘れて。
しかし、まあ、どうして二人とも耳、生えちゃったんだろうな? こんなおっさんに本気で惚れるとは、どうしても考えられないもんな。
さては、おじさんの魔素だけが目的なんでしょっ!? んっもう、ちょっとだけよぉ。
はい、すみません。やりすぎました。
へえ、改めてこうしてよく見てみると、スプライトの頭に生えているのは、俺が大好きなカラカルみたいな耳だ。大ヤマネコの一種のな。
そう、細長く尖った格好良い感じのケモミミなくせに、その耳の一番先端に伸びる柔らかそうな房毛が、ちょっとかわいい──超絶美人に大変身したスプライトには、ぴったりの雰囲気の耳と言える。
ユタンちゃんの方は、ちんまりとしたハムスターみたいな感じで、こちらもユタンちゃんの艶々した柔らかい黒髪にマッチした、かわいらしい焦げ茶色のケモミミだ。
どちらも至高。甲乙つけがたい。
つうか、そもそも、こんな良いものを比較しようとすること自体が、愚の骨頂だ。嬉しさがどこからともなく湧き出してくる。
にやけ顔を抑えられぬまま、今更ではあったが、朝の挨拶を二人と交わした。
軽く身支度を整えて、あるものを持ってから、三人で食堂へ向かう。
食堂のおばちゃんに持ち込みしても構わないかと、持ってきた物を見せて確認すると、「まあ、それくらいなら構わないよ」と快諾を得られた──そう、ユタンちゃんの朝御飯用に持ち込んだベーコンだ。
もし、他にも欲しがるものでもあれば、当然俺の分をあげたり、追加の料理を用意してもらったりするつもりだけど。
普通の椅子に座って食べるのには、さすがにユタンちゃんでは小さすぎるようだ。
テーブルの上にハンカチを敷いて、その上で食事をしてもらおう。
あっ、しまったぁ! スプライトの分も必要だったのか!?
「なあ、スプライト。おまえも耳族になった今なら、食べることができるんだろう?」
「さあ、分かんない。ねえねえ、なんか……この辺がきゅるきゅるしてるけど、これって……変なこと?」
「ん!? ああ、それな! それがお腹が減るってこと……えっと、生理現象としてだな。腹が鳴って、空腹であることを自分に知らせてくるサインというやつだ。だから、なにも心配要らない」
「へぇーっ、そうなんだ! なんだか、かわいらしいのね。おなかって」
いやいや、それは特別かわいいおまえだからだ……って、そんな場合じゃなかった!
再度、おばちゃんに声をかけて、スプライトの分の料理を追加で注文した。
「あんたひどい男だねえ。連れの注文を忘れるだなんて! あたしゃ、てっきり……その美人さんがダイエットでもしてるのかと思ってたのにっ」
「すみませんね。二度手間になっちゃって……ははは、つい、うっかり」
「気が利かない亭主と一緒じゃ、あんたも苦労するねえ……んっ! それって、最近流行りのケモミミアクセサリーかい? へえ、かわいいの付けてるねえ、よく似合ってるよ」
俺に対する呆れた表情から一変し、スプライトの頭にかわいらしく生えているケモミミを偽物と勘違いし、盛大に大声で褒めた後、おばちゃんは厨房へ戻っていった。
さっきまで周りのテーブルから聞こえていたざわめきが、おばちゃんのこの一言で、すっかり落ち着いた。
「なんだよ!? 付け耳かよ。紛らわしい。まあ、そりゃそうだよな」と、がっかりした様子で。
おばちゃんのお陰で、なんか大騒ぎにならずに済んだみたいだ。
あれって、もしかすると、気を遣ってくれたのかもな。ありがとな、おばちゃん。
でも、どうすんだ、これ!? いずれは、ばれそうだけど。まあ、しばらくしらばっくれるしかないか。
だって、ユタンちゃんにベーコン与えただけで、周りのオーディエンスがまた騒ぎ出したくらいだからね。おぉ、さざ波のごとく広がっていく……。
おまえら、この宿に泊まってねえだろうが。どうせユタンちゃん目当てで集まったんだろうけど、なんなんだよ? この数……よく見回したら、立ち見してる奴まで。
さすがはユタンちゃん、凄い人気だ。
それに加えて、スプライト姉さんの蠱惑的な姿態──風妖精だけあって、軽やかな雰囲気はそのままに、出るとこ出て、引っ込むとこは引っ込んだダイナマイトボディーだもんなぁ。
こりゃあ、下手しなくても刺されるな……俺。
どうせ、その程度じゃ死なないだろうから、どうでもいいけど……でも、そんなの放っとくのも、社会のためには悪いことだろうしな。
なんて、そうこうしている内に、先に注文した分のビーフシチューが届いた。
昨日の件もあるので、温かいうちにその皿をスプライトに回して、食べてもらうことにした。
あ!? もう熱々じゃなくても、いいんだっけか?
「気をつけろよ! ゆっくり食べ……って、あぁ、遅かったか!?」
「あふい……」
俺はすかさず、水魔法で冷たい水球を生成する。
それを空中に浮かべて、舌を出して、涙目になっているスプライトに飲ませてやった。
「「「「おぉっ!」」」」
食堂中に感嘆の声が共鳴した──分かる。うん、分かるぞ! おまえたち。今、俺も同じ気持ちだ。
「ありがとう。少しひりひりするの……引いてきた。ところで周りのみんなは何を騒いでるの?」
「さあ?」
俺はそ知らぬふりをした。
ふふふ、女には分かるまい。
これほどの絶世の美女が、ちょっとだけ苦悶の表情を浮かべて……口を窄め、男の指を吸った上に……口元をおもむろに拭って……満足するような表情に変わるワンシーン──実際には指先に浮かんだ大きな水の滴を吸ってるだけなんだけどね。
「君は気にせずに食事を堪能するのがよかろう」
「なによ!? 改まって。まあ、でも、うん。そうする」
スプライトさんは、初めて口に物を入れるのが、余程楽しみなご様子だ。
いいなぁ! やはり、女の子が美味しそうに食べてる様子って。
「ねえねえ。ちょっと、訊いてもいい?」
「なんなりとお嬢様。この執事めに御申しつけ下さいませ」
「もうっ! 真面目な話なのぉ。えっとね……あのね……鼻の中をね……あぁん、なんか、恥ずかしいな」
「なんだよぉ!? もったいつけて」
「だってぇぇ……その……変かも……変だって言われるかもしれないから……は、恥ずかしぃ。けど……あぁん、もう、分かったわよ!」
なんだ? スプライトが恥ずかしがることって。
「えっとね。こうやって空気を吸いたくなるの! 鼻から……料理に顔を近づけると、特に……前に森で見た猪みたいに……もう、なに言ってんだろう?! あたしって。もぉう、はずかしいよぉ」
んっ?! 空気、吸いたい、鼻から……あれっ!? 今まで匂いを感じてなかったの? つうか、喩えが猪かよ。へえ、最初って、そんな風に感じるんだ?
「ああ、それな。うん、変!」
「うそっ!?」
「……ではない」
「なによっ! びっくりするじゃない。変なところで区切らないでよ。もぉう」
「ごめんよう。スプライトちゃぁ~ん? 許しておくれよぉ。悪気はなかったんだよ。本当に……ただ、初めての感覚を面白く表現しているのが新鮮で、ついな」
「まったく、こっちが勇気を振り絞って、真剣に相談してるのに! 知らないっ!!」
「ごめんごめん! ……いや、それなっ。空気を吸いたくなる、それ。それが匂いを嗅ぐという肉体の感覚、嗅覚だ。料理からはそうした匂いがします。吸いたくなるのは良い匂い。花とかからもそうした良い匂い、香りもするんだけど。まあ、それは追い追い覚えていけば、大丈夫だから」
「匂い。へえ、これも身体の機能の一つなんだね。あれっ、あと香りだっけ?」
「そうそう! でも、考えるのは後、後。今は冷めない内に美味しく召しあがれ」
「そうね。集中しなきゃね。よしっ!」
いやぁ、気合い入ってるねえ。まあ、集中して味わって食べるのは、消化吸収にも良いしね。いいよいいよ! その調子で。
それにしても、こうも周りに注目される中で、食事するのは、落ち着かないなぁ。




