68話 そんなこと誰でも経験すっことだかんな
〔閑話──上司M・同僚O・B・後輩U side〕
駅前商店街の端にある、とある居酒屋。カウンターを含めて席は全て埋まっている。奥まったテーブル席の四人組は、既に二時間以上も居座っていた。天井近くの隅に設置された小型テレビから、ニュースを読むアナウンサーの声が流れてくる。
「本日、アメリカ国防省は、国籍不明の飛行物体をステルス型スパイ衛星と断定し、○◇国に対して強く抗議。今後、領空侵犯した際には、警告なしに破壊命令を発令する旨を通告したと発表しました……これに対して、○◇国の報道官は……」
同僚O
「そういえば、伊藤さん、どうしたんですかね? もう十日も連絡がつかないなんて。あの日もいつもどおり、会社で残業してたみたいですけど、総務にいる友達の話だと、防犯カメラのどれにも、退社したところが写ってないって、大騒ぎになってたらしいですよ。なんか私、怖くなっちゃって」
後輩U
「そうそう、屋上の鍵が開いたまんまで、キーボックスの鍵も無くなってたらしいっすね。しかも、屋上に燃え残った煙草も見つかったとか……。しっかし、あの人が吸いきらずにポイ捨てするとか、まして火を消さずにその場を離れるとか、ありえないっしょ! 俺も総務に言われて、あの人のパソコン確認させられたんすけど、仕事は全てキレイサッパリ終わってたんすよ。机の中の引き出しも全て空っぽだったし」
同僚O
「らしいよね。だから最初は自殺を疑って、真っ先にビルの周りに死体があるんじゃないかって、総務が総出で調べて回ったんですって。気の毒よねぇ。まあ、何もなかったわけだけど……。失踪ですよね、これって。それとも拉致られたんですかね?」
同僚B
「へん! あんな奴、誰が好き好んで拉致るんだっつうの。キャトラれたんだよ、キャトラれ!!」
後輩U
「なんすか、そのきゃとられって?」
同僚B
「キャトルミューティレイションだよ。キャトルミューティレイション! テレビとかでよくやってただろっ?」
同僚O
「いや、あれって、UFO騒ぎで牛のお腹が切断されて内臓が無くなってたり、くり貫かれているのが見つかったりするやつでしょ!? そもそも死んだって決まったわけでもないし」
同僚B
「はぁれ?! キャトラれって、宇宙人に誘拐されるって、ことじゃねえの?」
同僚O
「違うわよ。それはアブダクション。キャトルは牛で、ミューティレイションは切断って意味ですからね。そもそも、キャトラれって、聞いたことないんだけど。サトラレと勘違いしてない?」
同僚B
「へっ、どうでもいーよ! そんなことは。腹に穴を空けられようが、ケツの穴掘られようが、あの馬鹿のことなんて、どーでも、ぺっ!!」
同僚O
「き、汚い! 唾なんか吐いて。お店の中なのよ。飲みすぎ。ほら、ティッシュ。自分で拭きなさい!!」
同僚B
「はい、はい。わたくしがわるーござんした。ごめんちゃい」
上司M・同僚O
「「まったくっ!」」
後輩U
「失踪事件の方も謎みたいっすけど。あの人自体もなかなか謎めいた人でしたよね。俺の失敗なんかも、いつの間にか穴埋めしてくれてたんすよ。なんも言わずに。ハ○ポタのしもべ妖精みたいじゃないっすか!?」
同僚B
「くはは、お前、それってよぉ……あいつに見限られてんぞ」
後輩U
「うそっ!?」
上司M
「まあ、あいつも以前はそんなやつじゃなかったんだがな。親御さんを亡くしたときから、随分変わっちまってな」
同僚O
「私、見たことあります。伊藤さんが仕事中もネットで病院や治療のこと、暇を見つけては、せわしなく調べてたの」
後輩U
「まじっすか!? あの人、勤務時間中は仕事に専念するのが当たり前だって感じの雰囲気、ずっと漂わせてたっすよね?」
上司M
「仕事に支障があったなんて、報告はなかったはずだが?」
同僚O
「もちろん、自分の仕事はさっさと終わらせてたから、問題ないのかもしれないけど……そのときも、かなりばつが悪そうな表情浮かべてましたから、自分でもいけないことだと思ってたんでしょうね。けど、人に見られても、あの時分は決して止めなかったんですよ」
上司M
「まあ、あいつは意固地になるところがあるからな」
同僚O
「その後すぐ……一緒の仕事でちょっと失敗しちゃって、伊藤さんの足引っ張るような形になったことがあるんですけど、謝りに行ったら、あんまりにも呆れたっていうような目で、唖然とした顔されたから……」
上司M
「喧嘩でもしたか?」
同僚O
「えぇ、ちょっとした言い合い程度でしたけど……その後、伊藤さんが大変そうな姿見かけても、見ないふりするようになったんです」
上司M
「そうかぁ、君には嫌な思いさせてしまったな。仕事中のあれは私が許してたことなんだよ」
同僚O
「えっ?!」
上司M
「親父さんを看病するのに、『会社に迷惑かかるから辞める』なんて言い出したもんだからな……仕事に支障が出ない範囲でなら目を瞑ってやるから、会社に残れと説得してな」
同僚O
「そうだったんですね。私も昨年、母親が死んで、少し気持ちが分かったっていうか……私だって、セカンドオピニオンだとか、先端医療調べたり、治験の申し込みだとか、海外からかなり怪しい薬やサプリとかも取り寄せようとしてたりとか、それはもう、藁をも掴む気持ちで一杯一杯になってたから」
上司M
「君も随分、頑張ってたもんな」
同僚O
「今思うと、自分のポリシーかなぐり捨てて、あんなにも必死になって助ける方法探してたんだから、もう少し理解して協力してあげればよかったと後悔してます」
同僚B
「いやいや、そんなことは誰でも経験すっことだかんな! お前も経験したよぅにぃ、誰でもいずれは経験することだろーうっ? それを自分だけみてえな顔しやがって……けっ、悲劇のヒロイン面して、いつまでもぐじぐじぐじぐじ、してんじゃねえっ、つうのっ!」
後輩U
「まあまあ、先輩も落ちついて……って、グラス空いてるじゃないっすか。おねえさん! 大ジョッキ四つ追加ね~」
同僚B
「落ち着いてなんかいられるわけ……ねえじゃねえか! 学生時代からの付き合いの俺に……相談の一つもしねえ、ヒックッ!! なんて」
同僚O
「この人はもう放っておきましょう」
上司M
「はは、そうだな……あいつが会社に入ってきたばかりの頃、昔はよく連れ歩いて、飲みに行ってたんだよ」
同僚O
「ですよね。伊藤さんにはよく目をかけてらっしゃいましたもんね」
上司M
「あぁ、そのときにあいつの親父さんの話になったことがあったんだけど、結構、苦労してきた人らしくてな。ガキの頃に大黒柱の父親を亡くして、母親と兄弟達の面倒みるために、小学校出た辺りから働いて家族を養ってたそうなんだよ」
後輩U
「小卒で、労働っすか? そんな時代もあったんすね」
上司M
「俺だって知らないからな。その時分なんて! まあ、戦後の混乱期で、誰も彼も余裕なんてなかったそうだから、余計に大変だったみたいだけどな」
後輩U
「戦後って、いつの戦争?」
上司M・同僚O
「「おいおいっ!」」
上司M
「そんな苦労した父親のことを、あいつは相当尊敬してたらしくてな。『小卒だからって、学が無い訳じゃなくて、大学出た自分よりもずっと物を知ってる』って、感心してたし、誰にでも好かれる性格も羨ましそうな様子だったな」
同僚B
「学生時代のあいつ……そっくりだった……おやっさんに」
上司M
「うんうん、そうだったのかもな。それでな、『子供のときに苦労した人なんだから、自分が親孝行して晩年は少しでも幸せになってもらいたい』なんてことを酔ったときにこぼしていたことがあったのを思い出したんだよ」
同僚B
「あいつは……ほんとにバカだから……俺が結婚していようが、いまいが関係ねえだろうがっ……迷惑かけるからとか……そんな水くせえこと言いやがって」
後輩U
「結局、伊藤さんの父親の病気って、なんだったんすか?」
上司M
「△○病だな。今でこそ、治る病気にはなってきたらしいが、U君なんかは知らないだろうけど、当時は宣告されると絶望的でな」
後輩U
「そうだったんすね」
同僚O
「そうそう、そんな題材の小説とかドラマも結構ありましたよね。不治の病の代名詞的な」
上司M
「近親者であるあいつの骨髄を移植すればという話になったんだが、学生時代にバイクで大怪我したときに輸血を受けてたらしくてな」
同僚O
「あぁ、確か、輸血を受けたことがあると、骨髄ドナーになれないんでしたっけ?」
上司M
「それもそうなんだが、その際に肝炎ウイルスにも感染してたらしくてな……あっ! しまったぁ。君達、これは秘密だからな。決して吹聴するなよ」
同僚O・後輩U
「「分かってます」」
上司M
「くぅっ、酒の席とはいえ、迂闊に個人情報を曝してしまうなんて……飲み過ぎたか」
同僚O
「しかし、それは凹みますよね。伊藤さんなら、絶対」
上司M
「あぁ、タイミングも悪かったというか、なんというか……。当時は骨髄移植のドナー登録もまだまだ始まったばかりだったし。『大学時代に遊び惚けていなければ』ってな。ずっと後悔してたよ」
同僚B
「おやっさん! 早すぎるよ……半年で……逝っちまうなんて……」
上司M
「……相当まいっていたのは確かだよ。結婚して、子どもでもいれば、その後の反応も少しは違ったんだろうけどな……尤も、あいつの拘りすぎる性格が問題なのもあるだろうがな……」
同僚B
「うっ、うぅ……俺たち……親友じゃなかったのかよ……ばか野郎がっ……うっうう……最後に……自分まで切り捨てちまう……なんて」
上司M・同僚O・後輩U
「「「……」」」




