66話 見知らぬ人で試すわけにも
アリエルがもう充分満足したようなので、彼女が用を足しにいっている内に、手早く会計を済ませておく。
戻ってきてすぐ、一緒に店を後にした。
外に出てみると、夜もそこそこ更けているというのに、繁華街ということもあってか、若い女の子たちなんかも、まだ飲み歩いているようだ。
楽しそうな笑い声が、時折、夜の町に響いている。
食べに食べて満腹になった様子のアリエルと並んで、腹ごなしを兼ねて、ゆっくり歩いて帰ることにした。
酒で火照った身体に、青く涼しい夜風が心地好い夜だ。
黄金色に輝くきれいな満月に、時折かかる雲なんかも、なかなかに風情がある。
歩き初めてしばらくして、横を向いた瞬間、丸々と膨らんだ下腹の辺りを擦りつつ、苦しそうだけれども、幸せそうなアリエルが目に入ってきた。
『それって、おれの子か?』なんてことは言ってない……いや、だって、ふと思い浮かべただけで、凄まじい殺気が飛んできたから。
繁華街の路地裏で残飯でも漁っていたらしき周囲一帯の犬たちが、一斉にキャイーン、キャイーンと遠くの方へ逃げていった。
凄いぞ! アリエル。これで、野良犬に怯えずにすんだ、ありがとう……そして、すまなかった。
はぁ~あ、もうこんな楽しい時間も、あと少しで終わりなんだなぁ。
「「……」」
こうして二人して黙して歩いていると、結婚をしたこともないのに、なんだか妻に出て行かれる夫のような気分になっちまうよ。
はぁ、もう宿に着いちまった。
静かな階段、静かな廊下……お互いの部屋の前までやってくると、後は「「おやすみ」」と挨拶を交わして、部屋に入るだけだった。
明日朝早くに、アリエルは出立するらしい。
明日はきちんと見送りたいので、いつもより早めに床に就くことにしよう。
だが、まだまだ宵の口。その前にやっておくことがある──ふぅーっ、こんなもんでいいかな。
さて、寝るとするか……。
でも、こういうときに限って、なかなか寝付けないものなんだよな。あぁ、分かっていたさ。
結局、明け方近くまでぐだぐだしていて、やっとのことで、うとうとし始めた。
──かと思ったら、もう朝だ。窓の隙間から外が少し明るくなり始めたのが分かった……なんか、ちっとも寝れた気がしない。
仕方ない。アリエルを起こさないよう静かに昨日の続きの作業をしてしまおう。
そぉっと、窓を開けて、朝焼け前の僅かな明かりを頼りに、窓際で準備をする。
昨日、急遽思い立って、食事へ行く前に例の雑貨屋に赴いて、プラスチック製の容器を数個買っておいたのだ。
袋からそれを取り出して、出窓のスペースに並べていく。
まずは、容器の中を【精霊水】で、きれいに洗浄した。
昨日の夜、ありったけの魔力を込めて作っておいた極上品質の【魔水】──今回は初の試みで、水の精霊さんの魔力を極力使わず、できるだけ俺自身の魔素だけを使って生成したものだ。
そう、俺自身の中にも、魔素があると気付いたから。
そして、もう一つの発見は、一度生成した【精霊水】や【魔水】を精霊さんが蓄えられるということ……と言っても、空中に浮かぶ精霊さんの周りをただただ漂わせているだけ、なんだけどね。
それにしても、水の精霊さんには面倒かけて、すまないねえ。
今回は急に思い立ったせいで、慌ててしまって、作業用の大きな容れ物の方を買い忘れてしまったから、本当に助かったよ。
試しに、少し飲んでみる。うん! 旨い。
昨晩作成したときと同じ味だ。効能の変化の方は……うん、正直分からん。
一応、時間が経過しても、品質に変化がないかチェックしようと思ったんだが、元々怪我しても瞬時に治ってしまう俺で試したところで、確認のしようがなかった。
見知らぬ人で試すわけにもいかないしな。
もうちょっと前に思いついていれば、なにか方法があったのだろうが、今更、言っても仕方がない。
一晩中、部屋の中で浮かべてもらっていたこの【魔水】を、洗った小さな容器の中に一つ一つ充填した後、漏れないようにしっかりと蓋をしておく。
おじさんの俺が精魂込めて作った特濃の魔水──富士の天然水ならぬ、富士山水でもない、【おじさん水】だ。
自分で言っててなんだけど、どうにも嫌な響きだなぁ。
いや、精霊さんが作った水と、効能は変わらないはずだからね。誤解しないでね、アリエル。
何も余計なものは入れてないし、出してないし、出てもいないはずなんで。
これをアリエルが傷ついたとき、弱ったときに飲んでもらう。
……うっ、やっぱり、なんか卑猥な感じがするな。
はは、冗談はさておき、これなら、大概の怪我ぐらいなら、あっという間に完治してくれそうだもんな。
軽くて小さめなプラスチック製容器が手に入って助かった。旅で持ち運ぶのに、嵩張ったり、割れたりしたら、かえって邪魔になるだろうからな。
リュタンちゃん、ありがとう!
……いや、仕入れたのはおやじの方か? 今度会ったら礼の一つでも言っとくか。
この容器をパステルカラーのかわいい袋に入れたら、出来上がりだ。
うん、こういう魔力的な餞別なら、おそらくアリエルでも受け取ってくれるだろう。
あれ!? やっぱり「気持ちわりーよ。おっさん」とか言われるやつか? これって。
まあ、要らないって言われたら、言われたで仕方ないか……後で泣きますけど、なんならその場で泣きますけど。




