50話 吸血昆虫には効かんらしい
【エルフの郷】を出発してから丸二日ほど経ったが、依然として、人が住んでいる気配のあるような地域には未だ出ていない。
【妖精の森】を抜けるまでは道程が渓谷沿いだったので、つい山の中を移動している気になっていたのだが、どうやらすぐ近くに海があるようだ。
風に流され、時折、潮風のような香りが漂ってくるようになった。
森が深いせいもあってか、全くもって、今の今まで気が付きもしなかったのだが……。
当初、おおむね北西に向かっている渓谷沿いに妖精の森を抜けた後は、更に北にも広がっている妖精の森を右手に見ながら、ほぼ北に進路を取り続けている。
それも、いつの間にやら終わりを告げたようだ……明らかに肌で違いを感じるほど、そこはごく普通の森の雰囲気へと変わっていた。
あぁ、そうか。潮風を感じるようになったのは、結界が途切れたせいか!
これまで北東方向に細長く続いていた妖精の森があったせいで、結界が壁のように作用していたようだ。
妖精の森の結界には幻影の効果の他にも、大気をコントロールするような効果もあったのかもしれないな。
今、改めて思い返してみると、結界の中では風の流れが穏やかだった気もする……まあ、今となっては確認しようもないけど。
アリエルの話だと、この先、どうやら北から北東にかけて大きな湿地帯が広がっているそうだ。
これからの進路としては、そこを西へ迂回するように、北西方向の小高い丘陵の方へいったん出てから、北へ進むことになる。
その丘の道からは、湿地帯を挟んで海岸線がよく見えるらしい。
しばらくの間、疎林の中を進む。緩やかな上り坂を経て、なかなか見晴らしの良いところに出た。
あぁ、なんか眩しい! 光が強い。
これまでずっと緑と土と蔭の世界を進んできただけに、まばゆいばかりに青く輝いている世界に、少しばかり頭痛を覚える……。
額に手を翳し、しばらく経って目が慣れてくると、そこには──光に満ち溢れた楽園のような雰囲気を漂わせた、見るからに南の海が広がっていた。
心まで吸い込まれそうな美しいコバルトブルーに輝く遠浅の海──その周辺部だけがちょっとだけターコイズカラーに縁取られており、更に遠く背後には鮮やかな藍色に染まった深そうな海を配しているところも、なかなか素敵だ。
うん、思っていた以上に暖かい地域のようだな。
何気なく、今まで辿ってきた経路の方向を振り返ってみると……。
これほどまでに距離があるにもかかわらず、まだまだこの位置からでもどっかりと偉容を誇る世界樹が聳えていた。
しかし、いったいどれ程の高さがあるのだろうか?
スカイツリーを遙かに超えている高さに加えて、その幅の広さも圧巻だ。
遠くに離れるほど、その巨大さが際だってくる感じすらある。
実は今、水魔法の練習がてら、目の前に水のレンズを作って、宙に浮かべ、望遠鏡代わりにし、世界樹を眺めているところだ。
いや、本当にどんなんなってるんだろうと思ってね……う~ん……あれ!? なんだろう? ……おいおい、って! あ……まさか……。
「なにしてんだよ? 置いてくぞっ!」
「ん?! あぁ……ちょっと、ちょっと待っておくれよ! おまえさん」
「次の野営地はまだ先だぞ。のんびりしてっと、また虫に集られるから、早くここを抜けたいんだよ! さっさとしろ」
こっちの小芝居もそっちのけ……なんでもアリエルの話だと、この湿地帯周辺にはブヨの大群が湧くそうだ。
それも普通のブヨと違って、夜も活発に活動するような吸血鬼みたいなやつが。
そんなとこで寝たら、朝には大変な思いをする──というか、したらしい……エルフの郷へ向かう往路の際に、アリエル自身が。
ご愁傷様。
無駄に神聖魔術を使って治療する羽目になったと、怒り心頭のご様子でした。
あれだけ凄い破魔のネックレスも、吸血昆虫には効かんらしい。
俺も都会育ちだけに、分かるよ、その気持ち。昆虫苦手なんだよね……。
子どもの頃は、昆虫なんてへっちゃらというか、積極的に昆虫採集までして、むしろ格好いいとすら思っていたはずなのに……どうして大人になったら、こうも生理的に受け付けなくなってしまうのか?
大学の講義で、昆虫の体液循環とか、外骨格とか、地球上に発生した経緯的な話を聴いてから、昆虫をどうしても地球外生命体としか見れなくなった節がある。
あれがきっかけかも……うぅっ、想像しただけでも、気持ち悪っ!
それとも、人間以上にすぐ増えるところに同族嫌悪的なものを感じているのだろうか?!
「えっ!? ちょっとぉ~アリエル、待てって!!」──はやいよ! 早すぎるよ~!! ス○ッガーさん。
おいおい、本当にどんだけ速いんだよ、あいつ。
やっとのこと追いついて、問い質してみれば、まさかの瞬動アイテムの使用とは……。
身体に相当負担がかかるのか、すぐに息も絶え絶えで、へばってたけど……。
あの体力バカにしか見えないアリエルですら、これだ。
それって、普通の人には絶対に使えないだろう。欠陥アイテムなんじゃねえの? 普通の人なら死ぬべさ。
それはともかく、そんなこんなでやってきました最後の野営地へ。




