120話 辻斬りの気持ちがわかる自分が怖い
まだ機嫌が悪いスプライトをよそに、スプライトの食育計画を進めていく腹積もりでいる。
人は最初に口にした食べ物や料理で、その後の好き嫌いが決定付けられてしまうことが多いものだから。
なにかの拍子に初めて口にしたものが上等なものであれば、それだけで一生それが好きになることもある。
逆に運が悪く、状態の悪いものに当たってしまったりすると、それを一生引きずって、食べられなくなるほど嫌いになってしまうことさえある。
一度身についてしまった偏食を改善しようとしても、なかなか上手くいかないことばかりだ。
最初が肝心なんだと、しみじみ実感している。
なんせ俺自身が子どもの頃には好き嫌いが多くて、食べられるものがほとんどないくらいだったから。
高校の終盤も終盤、卒業する間際くらいになって、なぜか突然、野菜が美味しく感じられるようになったんだ。
それまでずっと、相当な食わず嫌いだったもの。
野菜嫌いを克服できたのは、あのとき親父が農家を手伝っていた頃の経験を活かして作ってくれた、有機無農薬栽培の野菜──その美味しさに衝撃を受けたからだ。
まあ、それからというもの、どんなものでも、とりあえずは口にしてみようと考えを改めたわけさ。
今では、余程のゲテモノでもない限りは、なんでも好きになってしまったけどね。
ということで、スプライトが食事に抱く印象──それは、彼女が最初に口にする、俺が用意した料理次第というわけ……うん、責任重大だ。
妖精としての長い経験から、俺よりもずっと大人なところもあるだろうけど……肉体を得てから初めて体験することに関しては、俺の双肩にかかっていると言っても過言ではない。
肉体を得てしまい、妖精の寿命からしたら瞬く間にも等しい、短い一生になってしまったわけだからな……。
せめて、これからの食事を単なるエネルギー補給みたいに感じさせないためにも、俺がしっかりしなければならない。
それゆえに、今回は上質のものをできるだけ多く用意してきたわけだし……いや……その……決して肉屋の押しに負けたからでは……ないんだ。うん。
さてと、それでは、気を取り直して、晩御飯の準備を始めよう。
【エルフの郷】で用意してもらった作業用ナイフは、当然と言えば当然だが、やはり料理には向いていなかった。
昨日はそのナイフに代わる包丁を、土魔法を使って即席で作ってみたものの、どうにもうちの家で使っていた包丁には遠く及ばなかった……まあ、当然なんだが、なにせ俺が以前使っていたのは、水心○銘の包丁だったから。
幼いときに亡くしたお袋が愛用していたものだ。
見よう見真似の独学だったが、俺も親父と交代で小学生の時分から料理を始めている。
お袋はどういうわけか、なにを切るにも、その菜切り包丁を使っていた。
三徳包丁やら、出刃包丁やら、他にもいっぱい持っていたにもかかわらずだ。
それを見て育ったせいか、俺も他の種類の包丁がどうにも使いにくく感じるようになってしまっていた。
この世界に転移する直前まで使い続けていた薄手の包丁……。
あまりにも使いやすいので、あるとき包丁の銘を調べ、そこで取り扱っている包丁だったら、別の種類でも使いやすいかもしれないと思って、探したことがある。
確か、江戸時代に活躍していた刀鍛冶の流派で、廃刀令によって、包丁や鋏鍛冶へと転職していったのがその一派とのことだった。
変な刃の立て方をしない限り、余程硬いものであっても、ほとんど刃こぼれすることがない。
それに、一度研ぐと、切れ味もえらく長く続いてくれる。
俺はとんでもない名包丁を手にしているのではないかと密かに思ったものだ。
三十年以上、自分で研いで使っているが、まだまだ現役ばりばりの状態……微塵も衰えなど感じさせられたことはない。
他の包丁なら、すぐに錆が浮いてくるのに、この包丁は野菜の灰汁すらもほとんど付かない。
大して手入れもしていないのに、いつまでも輝きを失わないのが、今思うと、不思議と言えば、不思議だ。
実のことを言えば、その包丁を調べるに当たって、そうした薄手の包丁が菜切り用、つまり、野菜を切る用途で作られていることを初めて知った。
ネットでは、どうしても同じ銘の鋏以外を見つけることができず、仕方なしに余所のブランドで、別の種類の包丁を何度か買ってはみたものの、結局のところ、いつの間にやらその菜切り包丁に戻ってきてしまうのだ。
そのときになって初めて、お袋の気持ちがわかった気がした。
「でしょっ! それ、使いやすいんだってぇ!! ふふふ、やっとタカシにもそれがわかるようになったかぁ」って、今でも言い出してきそうなお袋の顔が浮かぶもの。
ああ、そうだった! そうじゃない……いや、まあ、そうなんだけど、つまりがだな……俺が土魔法で作ったナマクラと、本物の包丁というものはそれほど違う、別物だと言いたかっただけなんだ。
こうやって、保冷庫から取り出してきた肉をナマクラで切ってみると、その感触がまるで違う。
刃のようなものを拵えて、鋭く研いではあるのだけど、なにかが……しっくりこないんだ。
なんて思いながら、自棄を起こして、余計に切りすぎたかな? と思った瞬間──するすると切れ味が改善した……あれっ!? なにこれ?! 凄くない?
今までの肉の抵抗が、嘘のようなほど……無くなった……ん!? あぁ、そういうことか!
包丁に目を凝らすと、刃先の周囲を黄緑色した細かい風が止めどなく流れていた。まるで風のチェーンソーのようでもある。
ははは、無意識に包丁へ風魔法を纏わせてしまっていたようだ。
日本の鍛冶屋からしたら、ずるいとしか言いようのない所業だな。だけど、これこそが異世界の醍醐味だ。許してくれたまえ、ふふふ。
お袋が聞いたら、「ずっるぅ~い。あたしも使ってみたいっ! それにいつも言ってるでしょ。そこは『お袋』じゃなくて、『おかあさん』もしくは『かあ様』って呼んでって。もぉぅ、そんな小さい頃からお父さんみたいに格好つけなくてもいいのに」とか、絶対言いそうだ。いや、もう俺もいい年なんだぞ。
はあ、お袋のことは思い出として、こうやって普通に思い浮かべられるのになぁ……。
ふぅ、止め止め……料理だ、料理に集中しなければ……スプライトのためにも。
やっぱり、切れ味の良い包丁で物を切るのは楽しいなぁ。
辻斬りの気持ちがわかる。そんな気がしてしまう自分が怖い……。
俺の大学時代、一般教養課程で単位補充のため、偶々取った心理学の授業、そこでやらされた心理テストの結果がずっと気になっている。
心理テストの質問にいくつか答え、その回答結果を座標上に落としていく性格診断の類だ。
犯罪者や嘘吐きだと、その回答がある特定の領域に収まるらしい。
講師の先生が生徒たち自身に自分の回答を集計させた後、締めに「ところで、この中に犯罪者はいませんね?」と言うのが、オチとなっているような授業だった。
ただ集計した結果を目にした俺は、気が気ではなくなったのだ。
だって、犯罪者が集まる領域の、更に外側となる座標に俺を示す点があったから……。
おいおい、ちょっと待ってよ。えっ!? これで授業終わり? 俺のこの結果はどう解釈すればいいんだよ? えっと、これって、異常者より更に異常ってことなの? それとも普通ってことでいいの?! ありきたりなんだよね? そうですよね? と、心の中でかなり戸惑い、狼狽えたのを今でも鮮明に覚えている。
それでいて、本当のことを自分で知るのが怖くて、ついつい調べられずじまい。そして、今現在に至るっていうのが、また情けない。
なんだかんだ言って、ヘタレだから……。
『ああ、もう永遠に、調べようがないことなんだなぁ』って、まさかこんなことで、異世界に来てしまったことを実感しようとは思いもしなかったよ。




