第7話 王太子妃と第二王子
「ふふふっ。オランジーナは多くのことを把握しております。特にこの王都における貴人たちの恋愛にまつわることであれば――」
「はいはい、諜報がお前の主な使命だから、当然でしょ。偉そうにするんじゃないの」
ふっとオランジーナは自慢げに胸を張って見せる。
年齢からすれば24歳のエレンシアと16歳のオランジーナ。
二人には8年もの差があるが、聖女は成長が遅い。
見た目にはオランジーナとほぼ同年齢に見えるのが、エレンシアの悩みの種だ。
そして、枯れそうな腰つきの聖女と比較して、普段から諜報部員として神殿の陰日向となり暗躍するオランジーナの方が、体格的にも均整がとれていてふくよかである。
エレンシアは自分と同世代の王太子妃がオランジーナとよく似た身体つきだったのを思い出し、手にしていた髪をくしゃくしゃっと丸めて、巫女見習いの額にぶつけてやる。
「あ、痛っ! なにするんですか!」
「うるさいっ。ナミアのやつ、義理の弟となにやらかしてるのよ」
硬質の紙を聖女が魔力をこめて握りつぶしたものだから、紙くずはかなりの硬さを持っていた。
名前と同じく、オレンジ色の髪と見分けがつかないほどに赤くなったおでこをさすりながら、オランジーナは八つ当たりだ……とぼやく。
「聖女様、自分が独身で恋をする暇もないからって、王太子妃様に嫉妬してますね?」
「そっ――そんなこと、ない……わよっ!」
「あー図星ですかー、ふんふん、なるほどー。恋はいいけれど、聖女はキスもできないですもんねぇ。能力が無くなるって噂ですし」
「くっ……あくまで噂でしょ!? 結婚して子を成しても聖女だった先例だって、歴史にはあるの!」
「ま、エレンシア様は年下より、年上が好みの渋い恋愛したそうですし」
「殴るわよ?」
エレンシアが怒りを込めて震える拳を振り上げた。
オランジーナはおおコワっ、と慌てて首を縮める。
機嫌を悪くするとエレンシアが言葉よりも拳で語りにくるから、距離を取ることを自然に覚えてしまうオランジーナだった。
「お、オランジーナを殴るよりも、ナミア王太子妃をおしかりになってはいかがですか! 不貞をなしているわけですしっ」
「不貞のれっきとした証拠を出しなさい、オランジーナ!」
「‥‥‥妊娠されているのです。これは国民全員が知っていることですが」
「公開された王室の情報じゃないの。なんの根拠にもならないわ」
「では――アーガイム様の元にナミア妃が通っていた時期に、イルマイズ王太子殿下が国外に外遊されていた時期が重なるのはどう思われますか」
「それは――まだ妊娠何ヶ月ともされていないわけだし」
「王太子殿下が外遊されていたのは、今年の一月まで。しかし、王宮が正式なご懐妊を発表したのは二月! ですが、そのお腹はもう見た目にも分かるほどに膨らんでいると方向にはあります。そして、今は四月ですよ」
「時期的には合ってるでしょ?」
「妊婦のお腹が目立ち始めるのは一般的に五ヶ月からとされています。三ヶ月では時期的にも二ヶ月の差があるのに、おかしいではないですか」
「ふうん?」
王太子ナミアは良く食べて良く寝る健康的なオランジーナとよく似ている。
ちょっとふくよかになったところで、身体つきはゆったりとしたドレスを着ても誤魔化せるはずだ、とエレンシアは思った。
そう考えると、この食事大好きな満腹巫女見習いの言葉は的外れとは言えないのかもしれない。
「その恋愛事情に詳しいオランジーナはいつもお菓子を手放さないけれど、お前が妊娠して五ヶ月経ったらそうなるのかしら?」
「嫌味ですかっ? オランジーナは肥えておりません! ふくよかなだけです! 相手が……恋仲を認めない巫女見習いという職が憎いっ」
「はいはい、どうでもいいから。先に進めて」
「オランジーナが言いたいのは、昨年からすでに妊娠されていたのではないか、ということです」
「半年……」
「エレンシア様が最後にお会いされたのはいつですか?」
約八ヶ月前、とエレンシアは思った。
まだ夏の陽射しが強かったころだ。
王立学院を卒業し、神殿大学に進学した王太子妃ナミアは歴史学に明るい才女だった。
幼いころから神殿にずっと住んでいたエレンシアにとって、ナミアは同じ年の気楽に付き合える数少ない同性の友人の一人だ。
どうしよう、とエレンシアは考える。
愛の女神メジェトは一夫多妻、一妻多夫を許可している。
結婚も自由だし、離婚も自由。相手とだけ付き合うという契約をしていなければ、複数人との恋愛だって浮気にはならないし、不貞には相当しない。
「となると、メジェトの神殿に王宮から婚約破棄を申し出てくるのは、自由恋愛に持ち込みたいから――?」
「でも、王室法典では厳しい戒律が敷かれていますし、破れば厳しい罰則が適法されます。王太子妃と義弟との恋愛で子供ができたなんてバレたら、それこそ絞首刑モノですよ?」
オランジーナは両手で自らの首を絞める真似をして見せる。
どこかリアルな仕草に、エレンシアは顔をしかめ前髪をかきあげた。
「わかったわよ……御使者に会うと伝えなさい」
「ありがとうございます! 直ぐに手配いたします」
「騎士長リンドネルはもう隣にいるのかしら」
「御使者様の相手をしていますよ」
エレンアシアが椅子から立ち上がると、他の巫女見習いたちがくたびれた髪型や化粧を直していく。
その傍で控えながらオランジーナは静かにエレンアシアの部屋から出て行こうとする。
「待ちなさい、お前はどこにいくの?」
「オランジーナは街の見回りに行くのです」
「ちょっと、誰かあの大ぐらいを止めなさい! どうせ屋台で食べ歩き――私の分!」
エレンシアは鳥の肝を塩で焼いた串焼きが大好きだ。
ときどき、オランジーナは二人きりで神殿を抜け出して、買い歩きをすることもある。
はいはい、わかっていますよ。と巫女見習いは扉の隙間から手だけ戻して左右に振って消えてしまう。
第三会議室で待っていた使者は、王家の執事の一人で五十代の銀髪の紳士、トーテム男爵だった。
「あら、男爵閣下なの」
「聖女様、お忙しいところ恐縮ですが、折り入ってお願いがありまして」
「お願いというよりも、命令にちかいんじゃないかと思うのだけれども」
「いや、愛の女神メジェトの地上における代理人、聖女エレンシア様に命じるなどとてもとても」
トーテム男爵は恭しげに首を振る。
エレンシアは心がちくり、と痛んだ。
他の神殿の聖女たちはみんな女神の神託によってえらばれ、魂でつうじることにより託宣を下し、さまざまな奇跡を起こして地位を保っている。
しかし――。
「婚約破棄の神託とか、下せないからね」
「おや、これは話をする前から手厳しい」
トーテム男爵はにやりと顔を歪めた。
意地悪な微笑だ。
王室の願いは既に伝えてある、そういう雰囲気を醸し出していた。
「どうして婚約破棄をしたいのかしら。ニーシャ殿下とアーガイム殿下の連名による破棄願いがあるなら、受理しますけど?」
「殿下同士は傷心でいらしまして。特にニーシャ殿下がお悩みの様子」
「一方的に学院でアーガイム様が婚約破棄を申し付けたという噂は、有名ですね。こんな神殿の奥にまで伝わっているってすごいと思わない?」
「ニーシャ殿下の身の上を安全なものにするために、婚約破棄を神託で出していただきたいものですな」
「‥‥‥そんな個人のことで神託を下されるほど、我が女神は暇ではないわ」
ニーシャは侍女とともに消えたはず。
王宮はその侍女にすべての罪を擦り付けてこの問題を解決しようとしているのかな、とエレンシアは思った。




