第30話 光と闇の巫女
「危機感はちゃんと持って行動していますよ、イゼッタ」
「そうでしょうか? イゼッタにはのほほんと……失礼、のんびりと余暇を楽しんでいるようにしか見えませんが」
「あなた、いつからそんな毒を吐くようになったの? まるで聖女様みたいですよ」
「姉さまこそ――」
光と闇の巫女は互いに棘のある言葉の応酬をかわして意地悪く微笑む。
オランジーナはエレンシアの文句をここぞとばかりに吐き出すし、イゼッタはそんな恐れ知らずの姉と慕う女性に気を抜くな、と釘を刺す。
しかし、オランジーナはどこ吹く風と知らん顔を決めていた。
「太陽神の神殿。はるか数百年前にこの世界を去った聖者サユキが従えた二柱の神の一柱。太陽神アギトと暗黒神ゲフェトはもうここには存在しない。神がいない神殿なのに、世界最大の宗教団体だわ。現実と中身がそぐわってないと思いませんか?」
「はあ? うーん……? どういう意味ですか?」
「エレンシア様への皮肉です」
「あの、姉さま。意味が深すぎてよくわかりません」
黒い法衣の武装巫女は、隣の席との間に立てかけた自分の武器を撫でながら、降参する。
オランジーナが使う聖鎚は巨大な銀色のハンマーだが、イゼッタは身長ほどもある長剣の使い手だ。
普段、背中に背負っている武器は柄から鞘まで真っ黒に染められていて、どこかしら不気味さを醸し出していた。
この剣を使うことにならなければいいのですけど、とイゼッタは意味深に呟く。
「……あなた、もう既に指令を受けてきましたね?」
「なんのことでしょうか?」
指令とはノスタニータ男爵令息セバスチャンの暗殺指示のことだ。
「武装巫女でも指折りの使い手、「黒剣のイゼッタ」。そしてあたしともっとも縁が深くて仲が良いあなたに、エレンシア様が命令を下すことくらい、先刻承知です」
「ふう……さすが姉さま。ダテにエレンシア様の懐刀とはいわれていませんことね。でも――」
と、イゼッタは片手でテーブルに肘をつき、その上に顎を乗せて唇をむうっと突き出した。
任務に関してよからぬことがあったのだろう、とオランジーナは推測する。
「なかなか強固な結界だったでしょう? 聖鎚の能力ありき、ですけどね」
「ええ、とても酷い結界でしたわ。だって、この黒剣の一撃でほころびすらしないのですから。イゼッタは結構、本気出したのですよ、姉さま」
「あなたの能力でも破れなかったのだから、まあ良しとしましょう。あれを維持するのもかなり魔力を消費するんですよ」
「あーなるほど。だったら今、攻撃したら防ぎきれます?」
ふっ、と武装巫女の双眸が怪しな光を放つ。
オランジーナは左耳の聖鎚に手を添えながら「やってみてもいいけれど、大目玉くらいますよ」と軽く受け流した。
早朝、通信魔導具でイゼッタを起こした後、オランジーナはセバスチャンが住むマンションに行き、兄妹に面会を求めたのだった。
どこから……とは告げなかったが、神殿から二人の護衛を任を受け、派遣されてきたと告げると、セバスチャンは蒼白になり、助けを求めた。
オランジーナはこの部屋から出ないことを条件に、部屋全体に加護の結界をほどこしてイゼッタに会いにきたのだった。
「ちぇっ。久しぶりに姉さまと本気で殺りあえると思ったのに」
「物騒なこと言うもんじゃありません! あたしは事務職専門の巫女姫なのに――どうしてこうなったのかしら」
オランジーナが悲しみに暮れた表情をして見せると、イゼッタはからからと笑って、カヌレを一口頬張った。
「そんな泣き真似してもダメですよ、姉さま。暗部と表。両方に籍を置きながら、それぞれの実力者たちに劣ることなく任務をこなしてきたことは、イゼッタが一番良く知っております」
「褒めるようなことじゃないわ。あたしはリンドネル様が大変そうだったから、聖女様とのつなぎ役をしていただけです」
「いまじゃ、黒騎士団長になられましたね、リンドネル様。姉さまがいなくなったって聞いて、たいそう心配されていましたよ」
「えっ――……ほんとうにっ!?」
「嘘です」
「くうっ――!」
オランジーナはリンドネルに密やかな想いを寄せている。
それは前の騒動で一緒に任務を遂行したナウシカも同じくで、一緒の男性を好きだからこそ二人は仲が悪い。
就いている職務の性質上、肉体的に男性を陥れる任務が多いイゼッタは、まだ男性を知らないオランジーナよりも成熟していて、年齢は年下だが経験値は上だ。
姉と慕う女性をからかうと面白いので、イゼッタはときどき、こうして意地悪なことを言ってはオランジーナを困らせるのだった。
「まあまあ、それよりもあの結界、常時、姉さまの魔力を提供して維持しているとしたら、かなりの容量を圧迫しているのではないのですか?」
「うーん。そんなことはありませんよ。せいぜい、一ヶ月維持して全体の三割が減る、というイメージでしょうか?」
「相変わらず、底が見えないですね、姉さまの魔力は。まあ、だからこそそんなお化け武器、聖鎚なんて扱えるんでしょうけれども」
いいなあ、自分もそれほどの魔力容量が欲しいなあとイゼッタは嘆息する。
魔法よりも武器による攻撃を得意としている彼女にしてみたら、オランジーナは脅威的な存在だ。
もし、暗殺する側と守る側になったとしたら――結果は火を見るよりも明らかだった。
「あまりいいものではありませんよ、本当に」
「本当ですかー? あの部屋に二人を閉じ込めたまま数ヶ月、軟禁状態にしておけば神殿から引き上げの命令がくると思いますけど」
「魔力がいくらあっても、術の精度には比例しません。あの結界は、聖女様経由で女神メジェトの加護上がって始めて、効力があるものなの」
「そういうものですかー。つまり、この黒剣と同じってことですね」
「神殿が与える武器はどれも同じ構造ですよ。だからこそ、長期戦はまずいのです」
「あー! それでここに呼ばれた、と」
「そういうこと。あなた、襲うようにみせかけて二人を護衛しなさい」
「えっ……それは無茶ですわ、姉さま」
イゼッタは単刀直入にものを言う性格だ。
直情的で深慮が足らない部分もあるが、我慢強く一度、標的を見定めたら仕留めるまで手を抜かない。
その一徹な部分が武装巫女の任務において成果を挙げ、彼女を五指に入る存在たらしめている。
任務において手を抜けといわれたも等しい発現に、イゼッタは拒絶するしかなかった。
「無茶ではありません。毎日、定期的にやってきては結界を攻撃して、帰っていく。あの二人が部屋の外に出ない限り、それで方便は立ちます」
「でも、そんなことをしたら永遠に任務が完了できないじゃないですか!」
「短期決戦が得意なあなたなだからこそ、いいんじゃないですか!」
「むう……。イゼッタは負けを認めることは大嫌いです……認めたくありません」
またむいっと、唇を尖らせてイゼッタは上目遣いにオランジーナを見やる。
それはエサをおあずけされていつまでたっても食事にありつけないが我慢するしかない、忠犬のようだった。
イゼッタはオランジーナの頼みを基本的に拒絶しない。
でも、今回ばかりはそうはいなかにようだった。
オランジーナは幼子に言い聞かすように優しく諭してやる。
「負けを認めろとは言っていないですよ、イゼッタ。初週はさきほどの内容でいいでしょう。しかし、二週目、三週目ともなれば――」
「標的がマンションから出ていく、と言いたいのですか?」
「その通りです。あの二人はなんといっても、貴族。しかも、妹のアクア様と兄のセバスチャン様は……どうなるか知っていますか?」
「どうなる? 神殿の体面を守るために暗殺される?」
「違います! 兄は――妹と姦通していたの」
「えっ」
オランジーナの告白に、イゼッタはまた器用に片眉をあげて首を傾げた。
姦通。さてどういう意味か、とひとしきり考えた様子だ。
もしかして、と口を開く彼女に、オランジーナは重苦しく頷いてみせた。
「そう。あの二人は、兄妹でありながら肉体関係を――」
「うえっ‥‥‥。むかしの貴族社会では父親が娘と結婚して家を継承していった、なんて話を聞いたことがありますけれど。それを地でいくなんて……まともじゃないですね」
「まあ、巫女姫と武装巫女なんて役職のある神殿も、まともじゃないと思うけど。でも、あの二人はそんな感じなの。だから、出て行かないといけない、家を継ぐために」
「つまり……どこかしらの神殿か役場にて婚姻届けを提出する必要がある、と? でも、代理人に頼めばいいのでは?」
「代理人の元締めはどこですか」
「我が、愛の女神メジェト神殿ですね」
「そう。聖女様が代理人を派遣したとしても、そんな書類、片手で握りつぶしに決まってます」
「それこそ、権力の私的濫用ですわ、姉さま。メジェト様はお許しになるのかしら?」
「さあ……? 女神メジェトとお話ができるのは、エレンシア様だけだから、わかりません」
うーん、と二人は思い思いに頭を巡らせこれからの話を始めた。
最初、渋っていたイゼッタは、第二週、第三週辺りに予想される、巫女姫対武装巫女という暴力を行使する実戦が期待できると知り、がぜんやる気を起こしたようだ。
だが、自分で持ちかけておきながらオランジーナは暗部の精鋭であるイゼッタが放つ攻撃を防ぎながら、あの二人を守れるのか、いまひとつ不安になるのだった。
「そうね、姉さまと実地訓練ができる、と考えたらこれこそ好機! 姉さまを動けない状態に持ち込んで、手足の一、二本斬り落とせば、あとはイゼッタが生涯面倒を……ぐふふ」
「とんでもない妄想を垂れ流すんじゃありません! まったく、なんていう妹なのかしら」
「血がつながっておりませんが、それでも、実の姉以上には慕っているつもりです」
「あなたの忠誠心を疑ってなんかいません。それどころか、こんな暗部に不義理をさせるようなことを押し付けてしまい、申し訳ないと思っているわ」
「でも――そこまでして守る価値がどこにあるんです、あの二人。兄妹で夫婦になろうとしている変態貴族ですよ? 婚約破棄までされたって聞きましたけど。姉さまがこだわる理由はどこに?」
イゼッタはいまひとつ要領を得ない、という顔をする。
オランジーナは敬愛する聖女の言動が行き過ぎているのをたしなめるために……とは、言えなかった。




