第25話 勇敢な令嬢
ノスタニータ男爵家は、王都によくある旧王国時代から続く由緒正しい家柄の家系だ。
家格の重さでいえば、現代王国の伯爵家程度なら足元にも及ばない。
しかし、身分と家柄が経済的に比例しているという現象は当てはまらず、当初こそ裕福だった家計も代を重ねるごとに目減りしてしまい、現在では没落貴族の一員となっていた。
「なるほど、典型的な累代貴族の末裔ですね」
累代貴族とはいろいろな意味があるが、この場合は数百年の系譜を持ちそれでいて、収入が足らず王都に持つ先祖代々の土地屋敷を売り払い、家賃のやすいアパートやマンションに移住してしまった貴族達のことだ。
オランジーナたちが住むドロスディア王国は西の大陸イゼアにあり、その北東部には北の魔王の都グレースケーフがある。
グレースケーフは世界最先端の魔導科学が集結していて、その余波を受けてか近隣諸国は魔都に追いつけ追い越せと国を挙げての近代国家入りを目指していた。
一番活気があるのが王都の再開発だ。
広い土地を持ちながら大して税金を納めることもなく、王国におんぶにだっこ状態の貴族達から家屋敷を取り上げ、代わりに新築の高層マンションを与えて入居させる。
空いた土地には工場や商業施設、大学や神殿などの入る高層建築がばんばんと建設されていく。
累代貴族は金のために名誉も歴史も手放した負け犬だといっても過言ではない。
オランジーナは活気にあふれる王都が大好きだけど、こういったある意味、被害者がいるのだと考えるとどこか心がいたたまれない。
「どちらに御用事でしょうか、巫女姫様」
「16階のノスタニータ男爵様に、メジェト神殿より参りました」
「少々、お待ちくださいませ」
マンションの入口に立つ警備員にノスタニータ男爵家への客だ、と告げると彼は手にした魔導具を口元に当てる。
魔素を発して端末同士をリンクすることで短距離なら通話ができる優れものだ。
数年前には軍で秘匿とされていたものが、いまは一般レベルで利用されている。
技術の発展ってすごいなあ、と感じながらオランジーナはマンションを見上げた。
25階で外壁にはガラスが嵌め込まれ、真っ黒な断崖を想起させる造りは、研修で派遣された東の大陸エベルングにある神聖ムゲール帝国の帝城を思い出す。
太陽神を祀っているあの帝国では、陽光を取り込んでエネルギーに変換する技術が進んでいるため、多くの家屋や建築物などは取り込みのためのパネルが埋め込まれていた。
パネルは青黒く、時として闇よりも暗くうごめく。
先日まで大掃除をしていた魔窟の昏さと相まって、オランジーナは心がなぜか重たくなったので、考えるのを辞めることにした。
「巫女姫様、お待たせしました。こちらのエレベーターでどうぞ。直通となっております」
「えっと……出た後は?」
「左にお進みください。男爵家の家人が出迎えに参ります」
「ありがとうございます」
警備員は慇懃な仕草でオランジーナをエレベーターへと送り出してくれた。
巫女見習いから巫女姫になってまだ間もないオランジーナは、姫、と呼ばれるとなんだかむず痒いものを感じてしまう。
呼ばれることに慣れていない、というか。気恥ずかしさが先に立つ。
「いえいえ、あたしが一番なんだから」
オランジーナは、他人がいない密室だと確認した上で胸を張った。
6歳で聖女に仕えて既に10年近く経過している中で、いつしか聖女の身の回りのことを行う巫女姫や巫女姫見習いたちは昇進したり結婚したりで消えていき、仕事の歴だけでいえば彼女が一番の古株になっていた。
年数の長いオランジーナが一番、不遇かつ低い身分のために他の巫女姫たちは不満を言えないという聖女の思惑もある。
しかし、エレンシアはとうとう自分を巫女姫にしてくれたではないか。
オランジーナは最愛の主人からかけられた期待に応えるべく、開いたエレベーターの扉を潜った。
「メジェト神殿の巫女姫様……でよろしいでしょうか?」
「そうですけれど……そちら様は?」
扉を出ると不意に左側に立っていた人物が声をかけてきた。
流れるような美しい黒髪を細かく編み込み、好奇心と緊張感を孕む瞳の色は黒。
旧王国時代の貴族から続く家系に多い、髪と目の色だった。
「アクアと申します。ノスタニータ男爵家の次女でございます。巫女姫様」
「あなたがそうでしたか。オランジーナと申します。何卒、お見知りおきを――御令嬢、自ら出迎えに?」
と聞くと、アクアはどこか恥じらいの表情を見せた。
貴族なのに使用人がいないことを悟られたくないのだろう、とオランジーナは思った。
……没落しても体面を整えることには命を懸けるって本当なのね、と考えてしまう。
よくよく見れば、春先に人気の淡いブルーのワンピースを見に纏っているが、服のデザインが古い。
流行の最先端であるくるぶしよりも裾が上、という流れに逆らうようにワンピースの裾は足を覆いかくさんばかりに長くて野暮ったい。
ほんの少し裾上げをするだけで印象が変わるのだが、そこにかけるお金も惜しい、という事なのだろう。
「ノスタニータは伏せておりまして。私が代わりにご案内いたします」
「男爵様が……そうですか。ではよろしくお願いいたします」
男爵の容態はどの程度のものだろう。
先に立って歩くアクアの後ろに続きながら、オランジーナはふと考えてた。
家の主人は症状が酷く意識不明だとしたら。
次女といったから、長女や長男がいるはずで婚約破棄の申し立てには必ず家長の決裁が必要となる。
アクアは15歳を超えて成人しているように見えるが、自分勝手に婚約破棄はできない。
するとすれば、家を出て一人暮らしをしていなければ、話がおかしい。
どうにも現状がよく読めず、案内された応接間で待っていた人物を見て、オランジーナは「へ?」と思わず声を出しそうになった。
「兄のセバスチャンです」
「ようこそ我が家へ、巫女姫様。この度は妹のわがままに御足労願い、申し訳ない」
「へ? あ、いいえ……メジェト神殿のオランジーナです……」
あったのは見知った顔だった。
いや、違う。死んだ人間の顔だ。
彼は――セバスチャンは先の王家の婚約破棄騒動で死んだはずの元王子アーガイムにそっくりだった。黒髪、黒目という部分を除いては。
彼はオランジーナの驚きの正体を見抜いてしまう。
「よく間違われるのです。アーガイム元殿下に」
「御血縁……ですか?」
「四代前の当主が、当時の王弟殿下の第四子でして。遠い血縁ですよ」
「王族の血筋の方とは存じませず、失礼を――失礼ついでに質問ですが、継承権などは?」
恭しく頭を下げ王族に対する礼儀を行う。
法衣の裾を抑え、作法で厳しい神殿仕込みの美しい礼をして見せた。
所作の正しさに男爵家兄妹は目を見張り、オランジーナを上客として遇してくれる。
「遠すぎてありませんよ。確認していただいても結構」
「そうですか。いや、これは失礼いたしました。継承権がある方は王族の一員と見做されてしまうので、神殿では聖女様が扱うことになりますので」
「ご心配には及びません。アーガイム元殿下の一件で、王室は厳しい制限を受けました。そのことは存じてります。神殿を欺こうなどと大それたことは考えておりません」
ふっ、とセバスチャンは酷薄な笑みを浮かべて見せる。
彼の笑顔は女性を道具としてでしか認識していなかったアーガイムを思い起こさせて、オランジーナは素直に喜べなかった。
ソファーに腰掛けるように勧められ、アクアが茶器を用意して部屋に戻ってくる。
紅茶のカップに注がれた茶葉は気を遣ったのだろうけれど、神殿で最上級のものを飲んでいるオランジーナにしてみたら、質が落ちるものだった。
……やっぱり、この男爵家は裕福ではない。
王位継承権があれば、もうすこしましな生活を送っている事だろう。
でもそうなると示談金は支払えるのか?
ちょっとした不安が湧いてくるので、オランジーナはそれを解決することに全力を注ぐ。
差し出されたお茶を嗜みながら、幾つかさりげなく質問をしてみる。
「この場に来るまではどちらに?」
「王都の西部地区におりました。知っての通り、政策がいろいろと変わりまして。この土地に」
「そうですか。では保証金なども受け取られた、と」
「まあ、そうですね」
斬れるような視線を放つセバスチャンは、言葉に怒気を孕んでいた。土地を手放したことで金銭を受け取ったことに対する罪悪感というか。
その行為自体が貴族らしからぬものとして恥だと考える者たちも多く、累代貴族は恥を凌ぎ、そうでない土地を譲らなかった者たちは彼等を蔑み、自分の体面を守る。
誇りを第一として生きる貴族にしてみれば、蔑まれることは死ぬよりも悔しいことだろう。
「でもだからこそ、妹様を自由にしてあげられる手段を選ばれた、と」
「金で自由が買えるなら安いもの。あんな無作法な男に名誉あるノスタニータ男爵家の者を与えるなど、できるものか」
「王族に関係していないなら、与える与えないなど、家に縛られる貴族社会の考えは、いまや上位貴族ですらも古いものとして見られているようですが、彼女の幸福を兄として祈る、などの言葉には置き換えられないですか、セバスチャン様」
「巫女姫様、それは――。兄は私のことを案じていっております」
「もちろん、存じあげております。ただ、その後、ということがございます」
「‥‥‥後? あなた様が成すべきは婚約破棄を認めること。それ以外のことは当家に一任していただきたい」
セバスチャンの言葉は丁寧だ。
その裏には時代錯誤な身分差別の選民思想が刷り込まれているのがよく分かる。
長居はしたくないな、ここは居心地が悪い。
さっさと依頼を片付けて退散することにしよう。
それから次々とセバスチャンの口から飛び出す政権批判になるような愚痴を聞き流しつつ、オランジーナは持参した書類をテーブルに並べた。




