第24話 甘いお裁き
「オランジーナ。あなたも巫女姫になったのだから、自分だけで一件の問題を裁いてみなさい」
「は、はい。聖女様!」
一週間前。
早朝から一番乗りでエレンシアの執務室に入ったオランジーナは、いつものように部屋の掃除をして仕事を始める準備を整えていた。
聖女は朝八時過ぎに出仕してきて、仕事を部下に告げる。
後ろには護衛役である神殿騎士数名と、オランジーナと同じ巫女姫数名が控えており、そこにはリンドネルの姿がない。
彼も騎士長から、騎士団長へと昇格し、神殿内の別の職場に移籍してしまった。
すこしばかりの寂しさを感じながら、オランジーナはエレンシアに「おはようございます。聖女様」と挨拶する。
普段なら七時には執務室にいるはずのエレンシアが、のんびりと出勤してきたのはこれが理由かと、オランジーナは頬を引きつらせる。
睡眠不足が慢性化している聖女は、オランジーナが巫女姫になったことを口実に、これまでよりもこきつかうことにしたのだろう。
神殿におけるこれから先の人生の過酷さを想うと、オランジーナは目の前が暗くなった。
「なんて顔しているの、おまえ」
「はっ……っ。いえ、ちょっと自分のブラックな体験を考え――」
「‥‥‥? なにいってるのかわからないわ。それよりも、任せたい案件はこれです」
「拝見します」
簡単な離婚調停申請書だった。
愛の女神メジェト神殿では、結婚や離婚・恋にまつろう問題がたくさん持ち込まれてくる。
王国の若者たちはここ数年というもの、結婚ブームで神殿にある10個の式場や披露宴会場は常に予約でいっぱいだ。
聖女が結婚式で仲人のような真似をすることはまずなく、王族や高位貴族だけの場合に限られている。
ならば、普段は暇だろうというと、そうでもない。
結婚する貴族の男女の平均年齢は16~18歳。
馬車だの、新聞が開発された近代ならばともかく、現代は魔導列車あるし、魔導鉱石を用いたラジオや映画、転送魔法の一般層への普及に伴い、個人主義が目立つようになってからは、貴族社会も変わった。
女は家の道具であり、そのために生きている。
なんて価値観はもう古い。
庶民層、市民の間では女性だって好きな男性を選べる。気に入らなければ離婚だってすぐにできるのだ。
しかし、貴族は違う。
まだ古い因習にとらわれていて、家の道具として女性たちは自由がない生活を強いられている。一方で、男性優位の王国では、王族関係者のみに一夫多妻制が採用されていることもあり、男性の浮気問題が後を絶たない。
庶民と貴族の接点である王立学院では、つい先月末に裁かれたアーガイム元王子が数人の貴族令嬢を愛人代わりにしていて、本命である公爵令嬢に婚約破棄を突きつけるという、珍事に発展した。
これに対して王国では安易な婚約破棄などを認めないという方針を国王が打ち出したが、反国王派の議員たちから「身分制度を盾に取った個人の権利の侵害だ」として、却下されてしまった。
「それだけで済めば良かったのだけれども」
と、エレンシアは書類を上から下まで一文字一句逃さないようにしっかりと読み込んでいるオランジーナに向かい、ぼやく。
オランジーナは目と耳を別々にして反応することができるから、そうですねえ、と返した。
「王室の横暴を許さないために、王権の制限が必要だという案が採決され、王族の結婚は国王陛下のみ第二夫人、第三婦人を認めるという形になりそうでし……あ、これ婚約破棄したんですね。事件現場はまた学院ですか。なんて軽はずみな」
「いまの王家には跡継ぎが少ない。もし、第一王子殿下や第三王子殿下が複数の女性を妻にできないと、継承権争いを名目に、血縁関係にある諸外国に攻め込まれてしまう」
「オランジーナは政治には興味がありませんが、ようやく手にした平和です。永く続いて欲しいものですね」
「帝国との戦争が終わったの、つい半世紀ほどだしね。それよりも、おまえ、できそうなの?」
「うーん……。アーガイム元王子とニーシャ様の婚約破棄を真似た愉快犯、という可能性もあります」
愉快犯、という言葉にエレンシアはちょっと首を傾げる。
王立学院の生徒たちの間では、アーガイムとニーシャ様はある意味、英雄的な存在だ。
真実の愛のために婚約破棄をして他の女性を選ぼうとしたアーガイムは、悪辣で身勝手な男だが女子からしてみればそこまでして愛してくれる男性に会ってみたいという欲求がある。
男子からしてみれば、いまいる婚約者にすこしでも不満を感じていたり、他に好きな女子がいればそれを口実に自由恋愛ができる。
学院の敷地内では婚約破棄を公言することは禁じられたが、婚約破棄そのものを申請することは禁じられていない。
そして、婚約破棄の申請を受理する公的機関として王都では、愛の女神メジェト神殿がもっとも多かった。
「王立学院のなかで起こったということ?」
「聖女様、詳細を読まれていないので?」
「わたくしは他の仕事で忙しいの」
「はあ、さようで」
オランジーナは声に出して、書類の詳細を告げる。
エレンシアは席に座り別の書類を手にしながら、それを聞き流していた。
「学院内で行われていないなら、別に違法性はないのではなくて?」
「学院の敷地内ぎりぎりの場所で、婚約破棄をしたようですよ。外壁の外に待機していた馬車の中から、通りすがりの相手に婚約破棄を突き付けた、というところでしょうか?」
「それはどちらから?」
「‥‥‥男性の方からです。そして、この婚約破棄申請書は、御令嬢から提出されています」
「あら、それは勇敢なこと。でもどちらも下級貴族同士。した方もされた方も、身分を弁えるべきだわ」
「身分を弁えても色恋沙汰は収まりませんよ、聖女様」
役場などは24時間空いていないが、神殿は24時間ずっと休まずに機能している。
王国では恋人二人、もしくは代理人が婚約届を提出するということになっており、平日の昼間しか空いていない役場に仕事柄、揃っていけない人々も多い。
代理人は国から認められた公証人が担く経費も高い。
それなら女神メジェト神殿で申請をするほうが得、ということで持ち込まれる婚姻届けや、婚約破棄・離婚届は多く、一日で二十数件を超える。
「そうね。だから面倒くさいの。意地や名誉がある上級貴族相手なら金銭と権力でどうにでもなるわ。庶民や下級貴族は時に感情のみで突っ走るもの。そうなると双方の調停をしなくといけなくて時間ばかりがかかってしまう」
「結局はお金が全て、ですか」
「そうかもね。お金があれば、この神殿だってもっと運営が楽になるわ。女神メジェトの威光が知れ渡れば信者だって増える。規模が拡大されたら王族にだって影響力を及ぼせる」
「手間暇と苦労を減らして――目指すは……」
慢性化している睡眠不足の解消を望むのですね、とオランジーナは聖女の胸内を見透かした。
この聖女は真面目で誠実な人間にはそれなりの対応をするが、自分や神殿を利用しようとする連中には手厳しく対応する。
今回のケースは男性側も女性側も婚約という契約が面倒くさいから神殿を利用して、さっさと別れようとしている――と、エレンシアは考えたのだろう。
「さっさと解決してきなさい。婚約破棄させて、男には罰則を適用すればいいわ」
「まあ、そうですね」
婚約破棄の理由は、男性が好きな女性を他に見つけたから。その女性と結婚したいから、いまいる婚約者を捨てたいと願っている。
早く終わらせた方が、互いに幸せになれるだろう。
男性は罪を得て。
女性は金を払う。
婚約破棄は訴えた方が金を払うのが王国の法律だ。
男性は子爵令息カール。
女性は男爵令嬢アクア。
果たして莫大な金額になる可能性のある示談金を、男爵家に払う余裕があるのか。
うまく回収してこようと、オランジーナは書類を手に神殿を後にして、依頼主であるアクアの男爵邸へと向かった。




