第16話 警告
「ま、運ぶなら俺に任せておけ。防御結界も同時に発動させておく」
黒猫バッカニアはさすがスカーレットハンズの幹部だけあってさまざまな魔法に優れていた。
彼はアイネがニーシャをベッドから起こし、春先だというのにまだ寒いこの時期に、凍えることのないよう上着や外套、靴下などを履かせるまで、容赦のない目つきで倉庫の見張り番を務めていた。
やがて、ニーシャが眠り姫と呼ばれても違和感がないほどに、貴族令嬢として寝姿のまま着飾られたのを確認すると、先程の魔法を発動させてニーシャを宙に浮かべたのだ。
「落としたら……容赦しないわよ?」
「まさかまさか、我らスカーレットハンズの支配者の片われとなる御方を、粗雑に扱うはずがないだろう? ま、従者は別だが?」
「この命を賭して、無事な場所まで主をお守りするわ」
「まあ、そう気負うなよ。簡単なことだ」
いざとなったら、盾になって死んでくれたらいい。
望むのはそれだけだ、と黒猫は残酷な顔をしていった。
いや、宙にニーシャを浮かべたまま、先を行くの彼の表情は分からない。
アイネがなんとなく、そう感じたのだった。
「転移魔法は使わないの?」
「あれは、痕跡がすぐにでてしまう。なるべく、馬車や飛行船などがいいんだ。こんな辺鄙な場所じゃ、飛行船の離着陸はできないがな」
「馬車なんて、包囲されていたら逃げ出せないじゃない!」
「考えがある。扉を開けてくれ」
請われ、倉庫の扉を開ける。
そとはもうすっかり夜で闇のとばりが世界を包み込んでいた。
暗がりの道が1本あり、その両端を古びた大きな倉庫が立ち並んでいる。
道の先には大きな門が1つあり、両際には木材でできた高い壁が続いているのが見える。
「誰もいないじゃない……どうやって逃げるつもりなのですか!」
「騒ぐな、耳が痛い。俺の仲間たちはその辺りの闇に潜んでいる。気配を探ってみるといい」
「気配?」
アイネは探知魔法を使い、周囲に魔法の波を放つ。
物体や霊体などの障害物に当たると跳ね返ってくる仕組みだ。
戻ってきた波の変化から、周囲になにがあるのかを探ることができる。
王都では敵探知だけでなくこの技術が応用され、生まれつき目や耳が不自由な人間でも健常者と同程度に生活が出来るようになっていた。
「感知できない。あるのは建物、木々、道路、壁。そういったものばかりだ。本当に仲間がいるのか?」
「いるとも!」
小さく叫ぶと、黒猫はにゃあと鳴いた。
それに呼応するかのように、あちこちの建物の陰や、しげみのなかからきらっ、きらっと何かが煌めく。
剣や槍、魔銃などが月明かりを反射したのだと、アイネには理解できた。
その数、40を下らない。
彼らはアイネに探知されなかったのではなく、隠ぺいしていたのだ。
魔法の膜で自らを覆うことによって、探知の波をうまくかわしていたのだった。
「隠密スキル? 違う、遮蔽スキル? まだ実用化はされていないはず!」
「相手の認知を歪ませる隠密スキルはそれなりに対抗策がでているが、魔法によって探知をさせない遮蔽スキルはあたかもそこに何もないことを演じることが可能だ。ま、何もないだが。これで信用したか?」
黒猫が尾を立てると、辺りで煌いていたものたちがさっと姿を隠した。
アイネは国王軍や冒険者ギルドの特殊部隊並みの実力に、嫌な予感が隠せない。
これを見たからには、うまく隙をついてニーシャごと逃げる、という切り札は使えなくなってしまった。
「大したものだ。スカーレットハンズの精鋭部隊」
「俺の部下たちだ。精鋭はもっと腕がいい。さ、行くぞ。馬車は無いが、地下ならいける」
「‥‥‥地下?」
「来ればわかるさ」
そう言われて半信半疑のまま、黒猫に続くアイネ。
彼が歩き出すと、前衛と後衛にどこから加わったのか、黒ずくめの男たちが列をなす。
中には丸みを帯びた服装から女性らしき人物や、獣人などもちらほらと見かけた。
その全員が、服の上からみてとれるほどがっしりとした防御に身を包んで、隊列を組んでいる。
逃げれる可能性は、さらに低くなってしまった。
バッカニアはニーシャを椅子に座っているかのような姿勢で、中空に浮かべていた。
おとぎ話の妖精のお姫様が、月明かりの下で家臣を引きつれて散歩しているような光景。
幻想的なはずなのに、破滅への音しか聞こえてこない。
「そこだ」
「‥‥‥何もないじゃないか」
倉庫の面した大通りを渡り、3つ向こうの倉庫に人々は入っていく。
黒猫が尾の先で示したのは、薄暗い倉庫の左手にある巨大な装置だった。
馬車一台が入っても余裕で収納できる鉄の箱は、昇降機のようだ。
こんなものが設置されていていまだに現役で稼働しているなんて、アイネには信じがたかった。
「地下にも倉庫がある。一般に知られていないだけで、王都の下には幾重にも魔導列車が走っているのさ。軍用だけでなく、王家の誰かが移動する際や、鉱石の運搬にも使われている。ま、お前が知らなくても無理はない」
「だけど、王家が管理しているのなら、軍が利用しているなら、どうしてスカーレットハンズが使えるんだ!? 闇の組織と政治が裏でつながっているとでも?」
「そこまで俺たちは表と密接じゃない。ただ、地下の魔窟を運用しようとしたら、はるかな過去に使われなくなったこんなものが、捨てられていたから再利用しているだけだ」
「そうか――。前の帝国との大戦で……」
1世紀以上も前に行われたエルムド帝国との戦争で、ドロスディア王国は壊滅の危機に瀕した。
人々は地下ダンジョンへと非難し、地上を包囲した帝国軍をゲリラ戦で迎え撃ったのだという。
この時に地下資源の有用性が見出され、地下十数階まで国を挙げて踏破した結果、生息していた魔獣たちは棲み処を追われてしまい、ダンジョンの秘境へと潜った。
その秘境は地上世界に近い場所にも通じていて、魔窟と呼ばれる場所となりスカーレットハンズがいくつかを支配するようになったのである。
「先人の知恵は賢く再利用するべきだ。ほら、乗れ。地下に降りるぞ」
「何十年も使われていなかったように見えるんだが……」
一行の半数が最初のエレベーターに乗り込んだ。
ニーシャを真ん中にして、黒ずくめたちが周囲をぐるりと囲む。
地下にたどり着くまでにはたっぷり1分はかかり、慣れない昇降の感覚にアイネは吐きそうになってしまった。
エレベーターから出たものの、気分が優れない彼女を黒ずくめの一人が支えてくれる。
黒猫は「やれやれ、手間がかかる。これだからお貴族様は」とぼやいて先に歩いて行った。
※
オランジーナ、ナウシカ、騎士長リンドネルの三人は点々と続く足跡。
黒猫バッカニアのものと思しきそれを追いかけ、慎重に夜闇を歩く。
人よりも背が低いナウシカはリンドネルよりも高く宙に浮かび、上から周囲への探索に余念がない。
どこに敵が潜んでいるかもしれないからだ。
「どうだ?」
「うーん――魔力探知には反応がありませんね。でも、ここから先はなんとなく嫌な気配が漂っています」
「オランジーナもそう思います。聖鎚がリスクを警告しているので」
ほう、と騎士長は銀の大槌をななめにすがみ見る。
ハンマーと柄が接合する部分には、聖具として威厳を保たせるために金色と蒼穹に染め抜かれた頑丈な飾り布が巻かれていて、ときおり吹く春のかぜに揺らめていた。
「感じるのか? 持ち主だと」
「そうですよ。手にしているだけで周りに危険がせまっていることを教えてくれます」
「で、どの程度の人数なの、オランジーナ姉様」
「ざっと――20。……といったところでしょうか?」
「距離は?」
「あの倉庫を曲がってすぐ――なに? あれ……」
リンドネルが剣を抜き、ナウシカが近くへと降りてくる。
三人が見たのは、玉座に座ったまま宙に浮かび漆黒の鬼たちを引きつれて夜を徘徊する、闇の精霊女王ともみまごうべき、ニーシャとその足元をうろつく黒猫、そして侍女アイネの姿だった。




