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神無き異世界の神殿では婚約破棄を承っております!  作者: 秋津冴
第一部 王家の婚約破棄騒動

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第15話 裏切りの密約



 アウザット第二倉庫に足を踏み入れたとき、黒猫姿のバッカニアは居場所にしていたアイネの肩からコンクリートで固められた床へと音もなくひらりと舞い降りる。

 闇夜をものともしない彼の目が捕えたのは、倉庫の片隅におかれた小さな小屋だった。


「あんなところに王家の人間を寝かせているのか?」

「‥‥‥生憎と、他に行き場がなかったのよ。スカーレットハンズの、特にあなたの追跡をかわそうと思ったら、ここしか残されていなかった」

「だが、最後の逃げ場所も特定された。俺様は優秀だな」

「‥‥‥」


 一瞬、悔しそうな顔をしアイネは床でくつろぐ黒猫の尻尾を踏みつけた。

 しかし、バッカニアはさっと避けると、アイネの足にまとわりついてしまう。

 侍女はぐるぐると自分の足元をうろつく猫を再度、蹴りつけようとする。


「やめろよ、もう仲間だろうアイネ」

「仲間だというなら、ニーシャ様の回復を願うことくらいしたらどうですか」

「おいおい、俺が手土産もなしにくると思っているのか?」

「なっ――。冷酷な人殺しがどんな朗報を持ってくるというのですが。人を利用するしか能がないくせに」

 

 痛烈な皮肉を聞いても、バッカニアは特に表情を変えなかった。

 猫に表情というものがあるのなら、どんな顔をするのだろう。

 アイネは足元から先に立ち小屋に向かう黒猫の後を、足早に追う。

 扉にたどり着くと、かけておいた施錠の魔法を解除するかどうか、判断がつかなかった。


「どうした? 早く開けろよ。時間があまりない」

「‥‥‥あなたをどこまで信用していいか、迷っているのです。わたしの愚かな判断でもし、お命を失うことになったら、もう取り返しがつかない……」

「目を覚まさないと、俺たちの計画も台無しだ。俺が今度は組織から狙われる羽目になる。安心して鍵を開けろ」

「首輪をつけていいなら、承諾するわ」

「随分とわがままな注文をつけるんだな、お前。このこの状況でそこまで言えるなんてある意味、見直してしまうな」

「それはどうも……。で、どうするの? 首輪をつけさせる? させない?」


 黒猫はすんっと鼻を鳴らして目を細めた。

 無理だな、と一言で提案は却下される。

 アイネは心のなかでなにかが折れた音がした。

 自分を支えていた大事な、なにか。それはニーシャを守りたいという純粋な気持ちだ。

 バッカニアが「まあ、わからんこともない」とフォローを入れてくる。

 思いやりの感情が含まれていないその励ましは、アイネにはちょっともうれしくなかった。


「俺は組織の為に利用する。女神に誓ってもいい。まあ……信じてるわけじゃないがな」

「女神だってたくさんいるわ。どの女神様?」

「‥‥‥腐蝕の女神ルーディア」

「なんで、腐蝕……あなた、まさか魂の楔状を交わしたとしている?」


 魂の楔状。

 腐蝕の女神ルーディアに互いの誓いを立て、約定を違えた際には肉体が腐蝕していく。

 肉が崩れ落ちて魂まで消滅してしまう、というものだ。

 だが、黒猫はまさか、と一蹴した。


「お前と俺の魂では価値が違う。天秤は俺の方に重く傾くだろうな。それくらいやる意味がない」

「つまり口約束……やっぱり信頼できない」

「誓いを立てることはできる。互いに肉体のなにかを賭けることで、盟約は果たせるだろう。俺は左目を賭けよう。お前は何を賭ける?」

「‥‥‥」


 アイネは人間の姿をしたバッカニアにこれまで何度か会ったことがある。

 彼はいつも右目を瞑っていた。

 隻眼、という噂を聞いたこともある。

 盲目になれば組織で生き抜くことは難しいだろう。

 自分にはニーシャの世話をするという役目がある。

 ならば、無くなっても困らにものとはなんだろう。

 しばらく押し黙ってから、アイネは小さく頷いた。

 自分が賭けられるものはこれしかない――意を決して言葉を発する。


「わっ、わたしは――女であることを賭ける。その――子宮を……失ってもいい」


 侍女の決意が固まるまでの間、じっと待っていた黒猫は決意を聞いて吹き出した。


「ぷはっ、なんだよそれ? 女としての最大の尊厳を捨てる気か? いいのか? もし愛した男がいたとしても、子供を産めなくなるんだぞ? その覚悟はできているのか?」

「ああ……それで、いい。どうせ、ニーシャ様をお守りできなかった時点で、わたしは死人も同然だ。与えられた任務も全うできない出来損ないなど、なんの価値がある」


 アイネはぷいっとそっぽを向く。

 言ってみて、自分のセリフに後悔した顔をしていた。

 互いに肉体の一部を賭けて、信頼を誓い合う。

 これから国を相手取って悪行を成そうというのに、片方では世間を裏切り、片方では仲間を求めている。

 なんとも皮肉なものだと感じた。


「いいだろ。契約だ。俺に続いて宣言を挙げろ、いいか?」

「ああ」

「俺はアイネを裏切らない。ニーシャの命を組織の本部に戻るまでは保証する。腐蝕の女神ルーディア、この誓いを約束を破ったときには、貴女に我が左目を捧げる。審議を」

「わたしはニーシャ様の安全が保障される限り、バッカニアを裏切らない。この誓いを破った時には子宮を捧げる。腐蝕の女神ルーディア、審議を」


 倉庫の窓から注ぎ込む赤い光が鈍く二人を包み込む。

 三連の月の一つ、赤の月は腐蝕の女神ルーディアが支配する世界だ。

 そこからもたらされた光は、審議をおこない不正をすればただちに罰が下される密約を結ぶことを許していた。

 赤光が紫色に変化する。

 他の月の女神たち、青い月の女神フォンティーヌと銀の月の女神カイネが見届け人となって、ここに盟約が結ばれた。

 もし、裏切れば生涯、子供を産むことができなくなる。


(テッド、ごめんなさい……)


 アイネは脳裏に浮かんだ愛しい恋人を想い、涙を流す。

 決して裏切ってはならない人を、裏切ってしまった。

 その想いは強く、契約が果たされた後、部屋の扉を開けてからニーシャを外に運び出すまで、アイネはずっと暗い顔つきをしていた。 


 


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