第12話 腐蝕の盗賊団
「闇の勢力にずいぶんといいようにされたみたいね、オランジーナ?」
聖女エレンシアはうずたかく書類が積まれた執務机の上で、依頼書の陰になるようにうまく身を隠しながら、報告してくる巫女見習いに嫌味を一つ。
オランジーナは「うはっ」と舌を出してさらに聖女の視線から逃げるように身を縮めこめた。
「いや、でも――なんでもありません。まさか、第二王子のホテルまで襲撃をかけるとは……近衛騎士の役立たずども」
「その場にあなたが同行していたら防げたのかしら?」
「どう――でしょう。でも、このオランジーナには聖剣がありますから。死を防ぐことはできたはずです」
「確かに、有望な展開だったでしょうね。でもいなかった者がいた者を揶揄することはならない。それは侮蔑に当たります」
「承りました。それでは、このオランジーナはどのように動けば聖女様の御心にかなうのでございましょうか?」
そうねえ、とエレンシアは首をひねる。
第2王子アーガイムの再生については、女神神殿の総力を上げて現在進行中である。
あと2、3日もすれば彼は完全に回復し、元通りの傲岸不遜な男として蘇ることだろう。
死神と魂の交渉をするために必要な物品はすでに揃っている。
本来ならば愛した者の魂とか、代替品として生贄となる犠牲者、もしくは高度な魔力を内包する魔石などを用意しなくてはならない。
蘇生魔法は神は精霊など上位の存在から力を借りるために、何かしらの代償が必要となるのである。
女神の奇跡を用いて行う神聖魔法を使えば物品としての代償は必要ない。
その代わりに、聖女エレンシアの魔力。
もしくは寿命に相当するなにかを祈りとともに女神に捧げることで、奇跡は履行される。
「疲れるのよね、神聖魔法を使うと体中の疲労感がたまらないの。一気に10歳ぐらい老けたような気になってしまうわ。その点――」
と、エレンシアはオランジーナの左耳をじっと凝視する。
そこには小さくハンマーを模した金色の耳飾りが揺れていた。
「これですか」
「そう、それよ。誰かさんがしくじったせいで、聖剣は聖なる槌へと姿を変えてしまったわけだけど」
「‥‥‥ぐっ」
見えない刃で胸を差し突かれたみたいに、巫女見習いは大げさに胸元を抑えてうつむいてしまう。
オランジーナの左耳にある装飾品は、彼女が命じれば大きくなったり小さくなったり質量を増やしたり下げたりと伸縮自在の、聖剣……になるはずのものだった。
「まあいいわ。これからどうするのか大神官はどう言っているの? どうせお前たちのことだから、わたくしに話を持ってくる前に抜かりなく打ち合わせをしているのでしょう?」
「いえ、まあ……ははは」
オランジーナはそう言うと、左耳に手をやりイヤリングを解くと、軽くひと撫でする。
するとそれはオランジーナの背丈ほどもある巨大な金色の槌になった。
槌とはハンマーのことであり、金槌を巨大化したものである。
戦槌と称される武具には、片方が平たくもう片方は先端がとがっていて敵を串刺しにするような形状のものもある。
オランジーナの聖鎚は見た目がいかつく、片方が四角い金槌、もう片方は鋭利な刃先のように尖っていて、そちらだけ剣の名残を残していた。
「まったく……神符を貼れるだけで聖剣になるのに、どうやったら大槌に貼り付けるなんてミスを犯せるのかしら」
ちくり、と嫌味を一つ。
エレンシアはこれから待っている大仕事を想像するだけで、憂鬱になってしまう。
違法霊薬に犯された可能性のある王立学院の生徒全員の検査を、女神神殿が丸請けしたまではよかった。
しかし、学院側から無関係な生徒の授業の進行を妨げることは困る、とクレームが入ってしまったのだ。
おまけに、犯罪組織スカーレットハンズによる関与も見え隠れしていて、検査のために部外者が学院内に出入りすることに教師たちは危機感を覚えて始めている。
このままでは、一週間と予定していた検査機関が数週間、もしくは数ヶ月に及ぶ可能性すらあった。
「はい。学院の運営そのものを停止させ生徒たちを寮などに一時的に避難させるなどの措置を取らないと、一週間という期間をこなすのは難しいということがわかりました」
「それで、どうするの? 神殿騎士や巫女、巫女見習い、神官を総出しても足りないと?」
「1人の患者につき、数人がかりで検査の工程を踏まないと安全の確認はできませんから。そこで、大神官様と王宮が手を組み――結託してともいいますが。他の神殿の助力を仰ぐべきだと」
ああ、これだ。
嫌な結論が出てしまった。
愛の女神メジェト神殿の総力を挙げたらこなせないことはないと思っていたのに。
エレンシアは自分の目算が甘かったことを知る。
ただでさえ机の上を占拠している書類の束を片付けることが難しいのに、そんな大仕事をこなせるはずがなかったのだ。
でも、とエレンシアは思う。
目の前にいる巫女見習いオランジーナは聖鎚を持っているのだ。
それで患者を全て叩いて回れば、あらゆる怪我や病気、呪いなどから解放され完治させることができる。
「お前の聖鎚は活躍してないじゃないの」
「‥‥‥それが、貴族連盟からの待った、が入りまして」
「どういうこと?」
「女神メジェトの奇跡を信じていないわけではないが、この聖鎚でもし殴られて後遺症が遺ったり――いや、そんな疑いはないとしても、すべての生徒が女神メジェト教に帰依しているわけではない、と横槍が」
「ああ――宗教問題! いいじゃないの、どんな神様が奇跡を起こしたって! 最終的にたどり着く治癒のレベルは同じなのだから!」
「そこを気にする方々も、熱心な信仰をお持ちなので否定はできないのです。そこで、国内四大神殿に協力を仰ぎました」
「事後報告!? 決裁権を持つのはわたくしなのに! お前たち勝手しすぎでしょう!」
「まあまあ、聖女様には神殿に殺到している恋愛問題を捌いていただきます、ということで。戦女神ラフィネ、炎の女神サティナ、腐蝕の女神ルーディア、そして、我が愛の女神メジェト、となっております」
「‥‥‥どうしてルーディア?」
腐蝕の女神ルーディアは闇に属する女神で、その昔、天空に昇る三連の月の1つ、赤い月の支配権を巡り浄化の女神リシェスと争ったという神話まである、戦女神ラフィネと同列に並ぶことも多い戦いの女神の1柱だ。
なぜ、リシェスではないのか、というエレンシアの質問にオランジーナはううむ、と眉根を寄せる。
「今回の騒動、裏にあるのはスカーレットハンズの悪行ですが、世の中には腐蝕の盗賊団という闇の勢力がありまして」
「南の大陸アズワルドの活躍しているという、あいつらね。でもここは西の大陸エゼア。距離がありすぎるわ」
「その腐蝕の盗賊団とスカーレットハンズは、このドロスディア王国で勢力争いをしているようなのです。物品を盗むか他人から魔力を違法霊薬を飲ませることで間接的に盗むか、という点で彼らにとってはそれぞれの生業が薄汚いと目に映るらしく」
「だからなに?」
「うちのメジェト神殿だって、裏につながる影があるわけでして」
自分がそこに所属しているように、とオランジーナは半ば自虐的に笑って見せた。
エレンシアはメジェト神殿が請け負う愛についても問題には、時として表には出せない裏世界でしか処理できない物事がることを知っている。
それに、スカーレットハンズは魔窟にアジトを持っていて、魔窟は地下ダンジョンに通じているからそこの扉を閉じないと、王都は常に魔獣が湧きだす危険に晒されている。
オランジーナが二次的に所属する影の神殿騎士団、通称「黒騎士団」はそんな魔獣を討伐したり犯罪者を消したりと薄暗い仕事も行っているのだ。
「黒騎士団と腐蝕の盗賊団が連携してスカーレットハンズが手を出せないようにする、と。そういうこと?」
「さようでございます。当日からしばらくオランジーナは現場にて張り込みすることになりますね。また夜勤かあ……お肌が荒れちゃう」
「うるさいっ! お前などよりわたくしのほうが疲労で倒れそうです! 神聖魔法による奇跡の回復なんて違法霊薬よりたちが悪い麻薬のような物なのよ?」
「ああ……聖女様の隠れた顔は魔素に犯された憐れな女性でしたか……」
「殴るわよ!?」
可哀想に、とローブの裾で涙をふく仕草をする巫女見習いに向かって、警告とともにエレンシアは書類の束を投げつける。
オランジーナはあっさりと受け取ると、恋人と言えば、と話を続けた。
「ニーシャ様を転移魔法で連れ去った侍女がアイネと申すのですが。どうも第二王子アーガイム様の侍従と恋仲にあったようでして」
「へえ‥‥‥互いの主人が婚約者同士であったなら、出会う機会も多かったでしょうね」
思わぬ恋の話が芽生えて、エレンシアはげっそりとした顔をした。
自分の恋すらまともにできない状況で、他人の幸せを祝う愛の女神の聖女とは、なんて業の深い仕事なのだろうと思ってしまう。
その恋人である侍従は今頃、愛している女性を気にかけているに違いない。
彼はどんなふうに彼女を思案しているのか。
ちょっと知りたくなり、侍従の男性に興味が湧いた。
「そうなのです。既に婚約を侍従の男性――まだ17歳ですから少年というべきでしょうか。彼はアイネに行っていたようなのです」
「その侍女アイネって確か、侯爵家に縁があるのではなかったかしら。彼は貴族の家系なの?」
「いえいえ、平民の商家の息子です。ですが、騎士に引き立ててもらう予定だったとのこと」
「王子の側近になるのだから、近衛騎士よね?」
いいえ、とオランジーナは首を振った。
それから「神殿騎士でもなく、王国騎士なのです」と告げる。
王国騎士。
簡単にいえば、このドロスディア王国に所属する国家公務員になるということだ。
騎士と名がついても、爵位がもらえるわけではない。
それに騎士団に所属することから、軍属のイメージが強く、魔獣討伐か他国との戦争かのどちらかに大きく分けて配属先が決まる。
「身分違いの恋、を実らせようと必死だったようです」
「‥‥‥アイネに全てを捨ててくれと言っているようなものね。男してはどうなのかしら、そのやり方は感心できないわ」
「実は――そのテッドなのですが、アーガイム様が襲撃された時は既に側についていなかったのです」
「所属する場所を変えた?」
「解雇された――と言ったほうが正確かもしれません。しかし、彼ならばニーシャ様の行方やアーガイム様がこれまで成してきた違法霊薬に関することを知っている可能性があります」
ああ、とエレンシアは理解する。
つまりテッドは秘密を過ぎたのだ。
どっぷりと抜け出せなくなるようなくらいにまで、闇に浸かり過ぎて自力ではどうにもならなくなってしまった。
だから、誰かの手助けを必要としている。
そういうことなのだ、と。
「いいわ、優先的に保護しなさい。でも、ニーシャ様の行方を突き止めることを優先して。そうリンドネルにも伝えて頂戴」
「かしこまりました。では、オランジーナは影の方にすこし行ってまいります」
「でも待って。今更、ニーシャ様の生死が重要なの? 学院にはびこる販売網を一網打尽にするならスカーレットハンズを目標にするべきではなくて?」
「そちらの刺客も向かっておりますよ、たぶん。オランジーナで防げるか不安ではありますが」
「まあ……」
と言って、エレンシアは言葉を区切った。
オランジーナが背中に背負った巨大な聖鎚に目が行く。
彼女なら、どんな瀕死の重傷を負っても、死ぬことなく生還するだろうしもし、テッドが敵の手によって殺されていても、簡単に蘇生させて連れ帰るはずだ。
「なにか?」
「いえ、別に。お前なら死んでも別にいいわ」
「エレンシア様? それは酷いっ! これから死地に赴くというのにかけるべき言葉がそれですか? それでも聖女様ですか! 女神メジェト様が泣いておられますよ!?」
「はいはい。無事に戻ってらっしゃい。はい、終わり」
「そんなあっ!」
さっさと行け、と手でしっしっと払う仕草をするとオランジーナはぶつくさと漏らしながら部屋を退出する。
エレンシアは聖女らしくない、女神が悲しむ、と言われてもなんにも感じなかった。
心が痛むなんてこともない。
なぜならば、女神メジェトは――。
「恋人を探しに行くから、わたしのすべてをエレンシア、お前に授けます。後はよろしく――」
とだけ言って、どこか別の異世界にいるらしい男神を追いかけてこの世界からいなくなってしまったからだ。
女神なき神殿を維持することがどれほどの労力か。
聖女になって十数年。
エレンシアの心から女神に対する配慮なんてものは、とうの昔に消え去ってしまっていた。




