魔女の決闘、受けて立つわ!
荘厳な謁見室を、異様な空気が取り巻いた。
皇太子ケイネスが座る玉座の横では、傾国の魔女ドロテが忌々しそうに顔を歪め、その視線の先では首なし魔女ネリーが首の先から細く雲の文字をけぶらせて。
「ネリー。忍び込むなんて舐めたマネしてくれるじゃないか。せっかく命までは取らないでおいてあげたのにさ。一生あのばばあたちのところで引きこもってればよかったじゃん」
【やっぱり! わたしの首を持っていったのはお姉さんなのね!】
「うざい。あたしはあんたの姉なんかじゃないって何回も言ってんだろうが!」
ドロテは怒鳴るように叫ぶと、ガンッ! と細いヒールで大理石の床へとヒビをいれた。
その膂力に、皇太子の副官が怯えたような表情を見せる。でもネリーは、こんなこと日常茶飯事で。
【お姉さんったら! 物を壊しちゃいけないでしょう!】
「滑稽。ほんと滑稽! 首がないのに生きてるとか! しかもエルネスト! あんた、この女を婚約者に選んだの? 見る目なさすぎ! どうやって魔女の婚礼あげるのさ! 本末転倒でしょ!?」
ドロテはネリーの文字を読む気なんてさらさらないらしい。
ネリーのささやかな主張を黙殺されて、ドロテは高笑いをあげた。
ケラケラと笑うドロテに、ネリーはむっとする。むっとした雲が、ネリーの首からもわんと生まれた。
そんなネリーの後ろにいたエルネストが、鎧をがしゃりと鳴らして前に出る。
エルネストは静かに、ドロテへと逆らった。
「滑稽なんかじゃありません。ネリーさんと私は、同じ目的の元に手を組んだ、同志です。その志を笑う権利、貴女に差し上げた覚えはありませんが」
ネリーの雲の文字が嬉しそうにけぶる。
エルネストが怒っている。ネリーを侮辱したドロテに対して怒ってくれている。そのことがとても嬉しい。
ネリーの絶対の味方だと、そう言ってもらえてるみたい。
でも、ネリーが嬉しければ、当然ドロテは面白くないわけで。
「へぇ……言うじゃない。下劣な下等種のくせに」
ドロテは鼻を鳴らすと、無感動な目でネリーとエルネストを見下ろしている皇太子の頬の輪郭をなぞる。
「人間って本当に下衆よ。色に溺れて欲にまみれて、本当に汚い……。そんなんだから、お母さんを裏切った……!」
ドロテは激情家だ。
ネリーが喜楽に富んでいるのとは正反対で、ドロテは怒りや憎しみの感情が人の何倍も強い。
そのドロテの怒りの矛先は、ネリーでも、エルネストでもなくて。
【お師匠様を裏切った……?】
「そうよ! あんたは知らないでしょうけどね! お母さんは二度も裏切られたの! あのクソ親父に!」
もしネリーに顔があれば、大きく目を見開いていたかもしれない。あんまりにもびっくりしたネリーの首からは、ほんの一瞬だけ、くゆる雲が途切れた。
ドロテは忌々しげに皇太子の頬を掴む。爪が食い込んだのか、皇太子が苦しそうな表情をする。エルネストががしゃりと鎧を鳴らして身構えた。
「一度目は三百年前! この国の騎士だったアイツが連れてきた皇国軍にたくさんの魔女の同朋を殺されて! 二度目は魔女の婚礼までして寿命を捧げたのにもかかわらず、アイツはお母さんを捨てた! あんたのせいでね!」
ネリーはドロテの言うことが分からなかった。
どうしてここで、ネリーにつながるのか。
ネリーとカイニスのつながりなんて、肉親であるドロテに比べたらよっぽど薄いはずなのに。
【わたし、何かをしてしまったの? そりゃ旦那さんに命を救われたけれども、わたしだって会ったことないわ!】
「すっとぼけないでよ! あの男は魔女の婚礼で業がほどけて、自分が三百年前、お母さんを裏切った騎士だった記憶を取り戻していた! ひと目で気づいたんでしょうね、あんたのこの髪が特別なものだって! だから魔女への、母さんへの贖罪のために、あんたの両親を探しに行ったって聞いたわ!」
ドロテはパッと身体を起こすと、ぐいっと自分の髪を引っ張った。
ゆるくウェーブがかった、腰まである紫色の髪。
亡国の民の象徴と言われるくらい珍しい髪色なのだとネリーは教えてもらったけれど、どうしてそれをドロテが怒るのかが、ネリーには理解できなくて。
だってカイニスに三百年前の記憶があったなんて初耳だ。誰もそんなことを教えてくれなかった。姿を消したのも、ネリーの両親を探すためなんて、誰も言わなかった。
ネリーの困惑が雲となって、千切れていく。ぽつぽつと形になれなかった言葉たちが、空気に溶けていく。
ドロテの号哭は止まらない。
呪詛よりも痛々しい感情を、吐き捨てる。
「だけどそれは体のいい嘘だったんでしょうね! そのあと一度だって帰ってきやしないもの! だからあたしは自分であのクソ親父をぶん殴ってやろうと集落を出たのよ! なのに……!」
ドロテがもう一度、ヒールを床に叩きつけた。
大理石のヒビがさらに大きくなる。皇太子の副官はもう可哀想なくらいに、恐怖に顔を歪めさせている。
皇太子の金糸雀色の瞳が、ネリーとエルネストから外れてドロテを見た。ネリーとエルネストはそのことに気がついたけれど、ドロテは自分の感情しか見えていないから。
「あいつはあたしの知らないところで死んでいたわよ! 魔女差別が未だに根強い地域で、あんたが生まれた場所で! あんたの両親に殺されて! 馬鹿みたい!」
ネリーの雲がけぶる。
けぶるのに、文字にならない。
酸素を奪われてしまったかのように、ネリーは息苦しい気持ちになって、きゅっと胸の前で手を組んだ。
ドロテの言葉は、ネリーの知らないことばかり。
ドロテの父親であるカイニスは、ネリーの両親を探しに行って、魔女差別の強い地域で殺された?
そしてその場所は、ネリーの生まれた場所? 殺したのは、ネリーの両親?
ネリーが思考を必死にまとめている間にも、ドロテはその激情を、鋭いナイフのように砥いでいく。
「気に食わない、気に食わない! 全部気に食わない! この腹立たしさ、虚しさ、あんたを殺せば、晴れるの? 首のすり替えなんて甘いことしないで、やっぱりあんたをさっさと殺せばよかった!」
ドロテがもう一度、手のひらを掲げた。
先程よりもおどろおどろしい呪詛の塊が、溶岩がぐつぐつと煮えたぎるように練り上げられていく。
ネリーは後ろを振り向いた。
ネリーの後ろには、エルネストがいる。
そのエルネストは、その腰に佩いている剣へと手を添えていて。
ドロテが嗤う。
「呪詛の魔女は業が深いのを知ってるわよね? 人を呪えば呪うほど、強い呪詛が使えるようになる……今のあたしなら、一番強い呪詛が使えるわ! 首なしネリー、お前なんかいらないのよ!」
呪詛の塊がネリーに向かって飛んでくる。
ネリーの首から、今まで堪えていたものが爆発するかのように、雲の文字が噴火した。
【なんてこと、なんてこと! 悲しいわ! わたし、お姉さんのこと好きよ! どんな嫌なことされたって、わたし、お姉さんのことを嫌いになれないわ! そんなこと言わないでよ!】
エルネストが踏み出そうとするのを、両手を広げてネリーは阻止をする。
全身で呪詛を受けるネリーの魔女盛装が本領を発揮して、ネリーに降りかかる呪詛を片端から弾いていくけれど。
「そういうのが気に食わないんだ! あんたがいなければ、お母さんはあいつに二度も捨てられて悲しい思いをしなくて済んだんだ! いいから、死んでよ……!!」
ドロテが放つ呪詛の塊は底を知らないように、無数に飛んでくる。
ネリーは動かない。
だって。
【エルネストさん、わたしの後ろから出ないでね! エルネストさんにあたったら大変なことになっちゃう!】
この呪詛一つで、おそらく普通の人は即死しかねない。
それほどに禍々しくて、恐ろしいドロテの念が籠められている。
魔女盛装はどんな合金の鎧にだって負けやしない。むしろ魔女の呪詛相手なら、合金の鎧の方が弱いくらいなんだから。
だからネリーが体を張って、エルネストを守るけれど。
「ネリーさん!?」
【大丈夫なんだから! 魔女ネリーが一番得意なのは裁縫のおまじないなんだから……!】
ドロテから呪詛を受けたのは、これが初めてじゃない。
文字通りに寝首をかかれてしまって首をなくしたときは油断していたけれど、いつだってドロテは新しい呪詛の試し打ちだと言って、何度もネリーに向けて呪詛を放った。
そのたびにネリーを守ってくれたのが、自分で作ったこの魔女盛装。
だからネリーは自分の力を信じていたけれど。
ドロテの苛烈な呪詛に摩耗していく、ネリーの魔女盛装。
絶対の信頼を寄せていた魔女盛装が、引き裂かれる。
スカート、脇、袖。
呪詛の負荷に耐えきれなくなったドレスの繊維が引きちぎれ、あちこちに切れ込みが入って。
さらには、一番、良くないところに。
「そのカメオをあんたの首にしたのは、あたしよ。あたしの情け。あたしのなけなしの良心。それももう、さようなら」
ライラックのチョーカーが千切れる。
呪詛の魔圧に吹き飛ばされたカメオに、ネリーが手を伸ばしたけれど。
「死んでよ、ネリー」
パキン、と。
呪詛に飲み込まれたカメオは砕け散り、ネリーの世界は闇に覆われた。




