01 痛くない
「クビですか」
40歳契約社員をこんな不景気で放り出すのか! と言い返す気もないほど人事担当が疲れ切った顔をしていたので、いろいろ話を聞いていた俺はなにも言わず契約終了を受け入れた。
この人もまた、気力をなくして生きている。
会社を出て、そのまま歩きだした。思いついて、歩けるだけ歩ける方向へと、まっすぐ進んでみた。
昨日は泥棒に入られた。財布だけ持ってコンビニに出かけたせいで、パソコンに、スマホまで盗まれてしまっていた。
それでも、パソコンも中古だし、どうせ財産と呼べるものはほとんどない。働いていれば、と考え直したのに。
俺はふらふらと、歩いていた。
最近は、嫌なことがあっても忘れられる道具としてスマホゲームがあった。あれをやっているとゲームのこと以外なにも考えなくてよくなって、すごく楽になる。
でもスマホもない。警察を呼ぶのもひと苦労だった。
Twitterで同期できるデータは残っているだろうけど、漫画喫茶に行く金もない。同期先もない。それにもしかしたら、いまごろアカウントは売られてしまったかもしれない。
俺は歩く。
もう疲れてしまった。
信号無視をしてトラックにひかれようかと思ったけれど、トラック運転手の人生を悪くしてしまうかもしれない。
赤信号で止まり、青信号で進んだ。
もう、なんだか、どうでもいい。
どうでもいいなあ……。
「おい」
「あ、すいません」
ぼうっとしていたら、なにかにぶつかった。
顔を上げるとそれは、銀色の鎧?
肩パーツなんかはなくて、胸と胴だけ守る、剣道の防具にちょっと似た形をしていた。
大きな男が俺を見下ろしていた。
三人。
コスプレの人たちだろうか。
剣も提げていたが、髪型はおとなしい。
頭を下げて通り抜けようとしたら、腕をつかまれた。
そして、殴られた。
たぶんそうだ。左のほほが、じんじん、熱っぽくなっている。
考えてみれば、人生で初めて殴られた。土の味を感じながらそう思った。
上から笑い声が聞こえた。
「おいおっさん、傷がついちまったからよ、払うもん払えよ」
そちらを見ると、男は自分の鎧を指していた。
あんなぶつかりかたで傷がつくとも思えないが、繊細な自作のコスプレパーツなのかもしれない。
「すいません、俺、いま、金なくて……」
「はあ?」
と言うと、男は、俺の胸ぐらをつかむと片手でひっぱりあげた。すごい力だ。
「金がねえなら体で払え!」
と、今度は腹を突き上げるように殴ってきた。
ぐふ、と声を出して倒れると、また上から笑い声がした。
武闘派コスプレイヤーらしい。
ついに、俺の人生に肉体的なダメージまで入ってきてしまった。
もう、この人生、長くは耐えられないかもしれない……。
ただ。
なにか変だ。
俺はほほをさわった。
これは。
痛い、のか?
まだ、左ほほには、熱いものが残っている。
腹には、重いものが残っている。
痛くない?
痛くないというのは、痛いよりも深刻な状態、ということもある。それをおそれる気持ちもある。
だが。
なにかちがう。
たとえば、腹を触ってみる。
すると、その重み、が動くのだ。脇腹を往復させてみたり、胸や、脚にも動かせる。
不快なので、重みも熱さも、左手に移してみた。するとかなり不快感が軽減された。
もう、腹もほほも、なんともない。
「寝てんじゃねえぞ!」
武闘派コスプレイヤーは、また胸ぐらをつかんで引き上げる。
「ちょっと待ってください」
「ああ? 金出す気になったかあ!?」
「いや、なんか変なんです」
と左手で彼の手首を持ったときだった。
重みと、熱さが、彼に移った。
「あああ!!」
彼はいきなり、手首をおさえてうずくまった。
他の二人はその男を見てから、こっちをにらんでくる。
「てめえ、やんのか」
やらない。
振り返って、とにかく走り出したが、まわりこまれた。
違和感に気づく。
さっきまであったコンクリートの建物や、アスファルトの道路がなくなっていた。
かわりに、石造りの家や、レンガ造りの建物がならんでいた。
ちらっと見えた、遠巻きに見ている人も、やはりコスプレイヤーのようだ。
いつの間にかUSJ的なところに入り込んでしまったのか?
入場料も払わず?
「オラ!」
背中をけられて、俺は道に転がった。
背中には、重い感触が残っている。
それをまた手に移して立ち上がり、追撃しようとしてきた男のパンチを、受け止める。
「ぐああ!」
すると、男のパンチの力は俺の左手に残り、俺の手にあった力は男の拳に移ったようだ。
指が、変な角度に曲がっている。
「こいつ……」
男たちがちょっと、俺を見定めるような目になったのがわかったので、今度こそ、俺は走って逃げ出した。
「……ここはどこなんだ?」
追いかけてこないのを確認してから、足を止めた。
どこもかしこも、海外の建物みたいなものばかりだった。
テレビで見た、ヨーロッパの文化財っぽい感じとでもいえばいいんだろうか。
やはりコンセプトのあるUSJ的な場所、としか考えられない。
と思って歩いていたら、町の端まで来てしまった。
俺の身長よりすこし高いくらいの壁があって、門の向こうには草原がどこまでも広がっているみたいだった。
「あの。ここって、どこですか?」
俺は、門番のコスプレをしている人にきいてみた。
「どこ? アンバーの町だが」
「アンバー? それは、何県ですか?」
「はあ?」
「東京ですか?」
なおもきくが、門番は、意味がわからない、ということを表情でありありと見せていた。
俺は礼を言って、離れた。
それから思いついて、壁に沿って歩いてみた。
一時間以上は歩いただろう。二時間くらいかもしれない。感覚がわからなかった。
わかったのは、町は壁に沿って一周すると、ほとんど正方形をしているようだということだ。
壁が一周していて、二つの門には門番がいる。抜け道はない。
どちらの門の外にも、草原が見えた。ということは、俺は、草原を抜けてここにやってきたことになる。
さらに、逆の門番に問いかけても、似たような反応をされた。
つまり。
ここは。
どこだ?
広い草原の中にある町で、住人たちはみんなコスプレみたいな格好をしている。
言葉は通じるけれど、土地も、人も、まるで知らない。
いくら、呆然と歩いていたとしても、そんなことってあるのだろうか。
気づくと、俺は繁華街から離れたところでぼうっとしていた。
近くの建物の影から、ぞろぞろと男が現れた。
「さがしたぜ」
さっきの男だ。
手に包帯を巻いている。
他に、十人くらいの男たちが裏道の前後をおさえていた。
「もう逃げ道はないぜ。変な技を使いやがって。しっかり、わからせてやる」
近くの男たちが、にやにやしながら歩いてきた。
急に殴りかかってきた。
誰かの拳が俺の顔面に命中した。熱いものが顔にはりついている。
俺はその力を動かして、右手に持ってきた。
横から殴ってくる男。
その拳を、俺は右手で防ぐ。
「ぐああ!」
返した力に、男はもんぜつした。
でも、今度はまだやる気だ。
「一気にいけ!」
他の男たちは、いっせいに殴りかかってきた。
「す、すいませんでした!」
男たちはぐるりと俺を囲みながら土下座していた。
それぞれ、顔がはれていたり、腕をおさえていたり、目をはらしていたりした。
同時に殴られても、俺にダメージはなかった。
だから困るということはなく、むしろ力がたまるスピードが上がるので好都合だった。
ただ、全員が殴ってきたものを、ひとりに与えると大けがをさせるかもしれない。そう思って、適当に調整するのが難しかった。
「大ケガしてる人、いない? 骨が折れてるとか」
「平気です! な?」
リーダーらしい大男が言うと、他のメンバーがうんうんとうなずく。
「そう。もう用はない?」
「は、はい!」
「二度と攻撃してこない?」
「約束します!」
「……じゃあ、こっちからひとつ、頼みがあるんだけど」
「な、なんでしょうか!」
ごくり、と大男ののどが動いた。
「ここがどういうところなのか、教えてほしいんだ」




