10通目裏1 ハイパー執事
時系列は、厨房で魔王様がバーゲンやった直後。
シエラさん、大変ですよ。
不甲斐なくも、アスト様…いえ、魔王様の威圧により、踏ん張っていた体が崩れました。
「シエラ?」
厨房内は空気が冷え込み、溢れ出た魔力と圧力が渦巻いてます。お嬢様はケロちゃんとお守りのおかげかご無事ですが、臨戦態勢に入った龍人と獣人からしても、今の状況はよろしくありません。
一触即発の原因が仕事のストレスで、解消方法が食べ物(たぶんやけ食い兆候)…しかもお嬢様の漬物を所望してますが、味噌漬けは先ほど仕込んだばかり。出来上がりまで時間がかかります。
幸い、お嬢様が臨時策で釣り上げてくださったので解放されましたが、直後に襲う背筋を駆け巡る悪寒と脱力症状に体が震え上がります。
かはっと息を吐けば、お嬢様の声が聞こえました。
「シエラ!」
凭れて立て直そうとしましたが、足腰に力が入らず、ずるりと倒れこむ体を支えてくださったのは悪魔の長でした。
◆◆◆
屋敷内の異変に気付いて駆けつけたヴァルク様も、魔王様の圧を体験できなかったことを嘆きつつ(この辺りはアシュリー家恒例行事ですよね)、失神したり泡を噴いてるシェフ達や私の状態をチェックし、各々に指示を出します。
「ううう…シエラ、大丈夫?スライム達探してくる…!」
「待っ て だ、いじょーぶ です よぉ?」
「シエラ、今日はもう休め。」
「でも、おじょぉ さま の 傍、離れる わけに は…」
「お前は大きな戦力だ。シャルの突飛な要望に柔軟に応えられることを高く評価してる。だからこそ明日以降のために今は回復優先だ。」
正常な判断ができない。力も本来の状態ではない。頭では理解しても、心と体が上手く連動せず、痺れるような体を制することができない。
何かがズレてる感じがして、明らかに普段と違う状態で、しかもまだ戻らないことに慄きます。
でも、それをお嬢様に知られたくない。お嬢様の前では『頼りになる一番の侍女』でいたい、私のプライド。
「…シエラ。にゃんポケも着けてるし、みんなと同じ部屋にいる。移動する時はケロちゃんといる。一人になることはしない。約束する。」
「でも…」
「明日も起こしにきてよ?かわいい髪型もお願いね?お客様が増えて忙しくなるし、シエラにもいっぱい動いてもらうことになるし、いないと困るの。だから今は休んでちょうだい。ね?」
「……はい… おじょうさま 一人で ホスト がんばれますか?」
「もう9歳のおねーさんだもん。」
「シエラ…あの、俺もアシュリー家の人間だからな?おもてなしくらいできるぞ?」
「ヴァルクさまは きんにくでしか 対応 できないじゃ ない ですかぁ~」
「うぐ!」
冗談が言える程度に口は回復してきたものの、やはり精神的にも重く体の怠さが目立つので、お言葉に甘えて休ませてもらうことにしました。
アスト様は自身の圧の垂れ流しを抑える方に集中しているようで、「むぅ…シエラ、すまん。」と言いながら、また漏れ出ると慌てて引っ込めるの繰り返し。人族界だとコントロールが難しいようです?
◆
スライムを呼んでこようとするお嬢様を引き留め、先にアスト様の胃袋を制圧してもらうべく見送ります。こればかりはお嬢様の魔力ごはんでないと満足してもらえそうにありませんし。
他の使用人達がヘルプで入れるとはいえ、シェフ達を強制起動させるにも時間がかかるでしょう。
魔王様の圧が遠ざかり、再び動き出した邸内。
ぼんやりする頭で、まずは使用人の休憩室に移動するべく体に力を入れれば、ふわりと体が浮きました。ケロちゃんからよく施されてる風魔法の駕籠?輿?ワゴン?です。
「失礼。長い時間人族に触れると、うっかり生気を吸ってしまうので。許してくださいね?」
「セバスさん…」
「悪魔族も死霊族もやらかしがちなのです。スカルに倣って簡易コーティングをしてますが、完全には防ぎきれないですねぇ。」
「ベスに何か良いモノがないか考えてもらわないと」と微笑みながら私を運ぶセバスさん。その隣に小さな青い炎が現れ、何か囁くと、フッと息を吹きかけ炎が消えました。
「お嬢様のスライムたちを呼びました。だいぶ仲良くなったようですね?みんな喜んで来てくれるようです。」
「ありがとうございます…」
「礼には及ばず。あの方の気合が足りないのが原因ですから。あれでも我慢強い方ですが、細かい作業はどうも気を抜きがちです。戻ったらどうしてやりましょう。」
「ふふ…ほどほどに してあげて ください。おじょうさまが 心配されます。」
「ほっほっほ。さようですか。」
隣国では山羊角付き人面であったセバスさんは、お化け屋敷や街のお忍びの時同様、今日はロマンスグレーなオジサマに完全人化されてます。瞳孔だけが山羊の形跡を残しているくらい。
お嬢様が「ケロちゃんの風魔法で浮かされると空気のベッドみたいで気持ちいい」と仰ってましたが、初めて浮かされてる私は逆に心許ないです。勿論、魔法は安定してて落ちる心配もありません。しかし、どうにも自身の魔力が火属性を主としているためか、燃えすぎて熱暴走しそう。
今はそれだけではない気もしますが。
◆
使用人用休憩室に着き扉を開ければ、ソファの上にスライムたちが待っていました。暖炉の炎が燃え盛り、待ってましたと言わんばかりにスライムたちが場所を空けると、そこに降ろされます。
でも、温かいはずの部屋に、音が、温度が、ない?
この違和感が何で、どこから来ているのか、どうしたらいいのかわかりません。
先ほどの魔王様圧力漏れ事件で、現在、屋敷の防御機能が落ちてる可能性があり、どこかの鼠に侵入されてる可能性もあります。私の感覚も上手く機能せず、やはり気にならずにはいられません。
パンパン。
セバスさんが手を叩いた瞬間、膜を通り抜けたような感覚があり、部屋の中?が別空間になったような気がします。防護か結界魔法でしょうか。
スライム達が横一列に並び、ぽよんぽよんと何かを伝え、セバスさんの指示を待ちます。
「はい。まず、緩やかに行いますので白からです。体温の回復が遅ければ赤も加わりなさい。黄と青は邸内の巡回を。緑と黒は…えぇ、いましたか。捕獲許可します。何かあれば私が出ましょう。」
『ぷるるん』
「では、透明はこちらへ。ちょっと借りますよ?」
『ぷるん』
スライム達がアシュリー家の間諜よりも上手に夜の空気に溶けるのを眺めてたら、物腰柔らかで親切で穏やかなセバスさんが、にこにこしながら近くに寄った透明スライムに勢いよく手刀を突き刺しました。
えええええ??!
「ふむ。無属性ならうっかり生気吸収をシャットアウトできそうですね。」
「な…? スラ…」
「あぁ、驚かせてしまいましたね。大丈夫ですよ?スライムの核は無傷ですからご安心を。」
『ぷるりん!』
セバスさんの手には手袋のようにコーティングされたスライム液。あれでしょうか、お嬢様が雷魔法を練習する際に仰ってた「放電先に触るのは危険。ゴム手袋がほしい」といったものなのでしょうか。
にっこり笑顔ですが、隣国でオイタをした魔族さん達を教育してるときも、爽やか笑顔でしたね。そういえば、アスト様はいつも無表情ですが、セバスさんは笑顔でない時はありませんね。
「ベタつか ないん ですか?」
「割とさらさらしてます。ほら。」
頭から頬へと撫でる質感が絹のような肌理細やかさに、ほっとしてしまいそう。気持ちよさそうにしてたのでしょう。白スライムがうずうずして、ぴょんぴょん抗議しはじめました。なんで?
「白、落ち着きなさい。あなたの持ち分は減りませんよ。先に調整するだけです。」
すぅっと右手が伸び、人差し指と中指が下唇を押さえました。
そのまま、つぅ…と指先が唇を撫でます。
『シエラ、リラックスなさい。』
魔力の乗った言葉が耳に届いた瞬間、一気に力が抜けて、自分の体と心が離れた気がします。自分の体が前にあって、その後ろに佇んでいる気分と言いましょうか。
正面で身を低くし、私と視線を合わせるセバスさんの瞳孔に暖炉の炎が映ります。
音のない世界で赤々と踊る光の揺らぎが、不安が渦巻く心を、こちらへこちらへと惑わす。
『悪魔族に見られるのは嫌でしょうが、今は我慢なさい。』
脳に直接響くお嬢様曰く渋系ダンディのエロボイス。力を入れろと言われても、これは無理です。
『そのまま委ねて…えぇ、上手ですよ。』
魂を撫でられるような痺れる甘い囁きに、脳内はもうトロトロに溶かされ、ぐにゃぐにゃになった気分です。
『魔王様の圧をあれだけ近くでそれなりの時間受け続ければ、生身の人族は精神と肉体がズレます。よく失神もせず、正気を保ったものですよ。頑張りましたねぇ。
今、私が強制的に切り離しました。これから、もう一度正しい位置へ整えます。』
スゥ…ッと、セバスさんの指が動き、触れるか触れないかの距離で体の表皮を、ゆっくりとなぞります。
直接触れずとも魔力に刺激された体は、奥底が熱を持ち、骨を伝い、血を伝い、神経の届かない先まで体を巡る。心の内側から胸、二の腕、手、爪を通り、肘、背中、お尻、太腿、足先、皮膚、膝、腹、胸、首、頭、毛先、目、鼻、口…
最後に、はくっと漏れた息で体の外に放出される。
魔族ってすごい…ただ只管感心する他に私ができることは、うっとりすることでした。
悪魔族に魅了されるってこういうことを言うんですかぁ…?
『…いい子ですねぇ…』
ニタリと嗤う目が思考を貫きます。
先ほどまで崩れていた体が解され。
あちこち彷徨っていた心が、道筋を立てて誘導されていく。
細胞が一つ一つ、丸くなって。
『ご褒美、ですよ』
撫でられ、宥められ、擽られ、弄られる。
◇
「はい、おしまい。」
パチンと目の前で指を鳴らす音が聞こえて、はっとすれば、先ほどと同じ使用人休憩室で、同じソファに、同じ姿勢で座ってる私に戻ってきました。
暖炉ではパチパチと爆ぜる炎の音と熱が、薄暗い室内を温め、ほのかに照らし、揺れる灯につられる影。厚いカーテンの向こう側では、ビュゥビュゥと冬の風が窓ガラスを叩き、寒気が今か今かと部屋へ侵入を試みる。
目や首を動かしたり、にぎにぎと掌を握ったり開いたり。違和感が去り、体と心が綺麗に動きます。
耳をすませば屋敷の遠い所で、ズン…と何か重い音が聞こえました。誰かの奇声でしょうか。
小さくお嬢様の声が聞こえた気がして慌てて立ち上がろうとすれば、セバスさんに軽くおでこを押されてソファに逆戻り。
「大丈夫、異常はありませんよ。オックスが遊んでるようなので回収してきます。
白、赤。出番ですよ。」
相変わらずにこにこ笑うセバスさんが声をかけた瞬間、待ってました!とばかりに、ぱくりと白スライムに飲み込まれました。
湖に落ちたような浮遊する感覚から、次第に微温湯のような心地よさに目を細めれば、水中のように膜の向こう側から手がつぷりと入ります。
『魔に付け込まれないように。気をつけなさい。』
中指と人差し指が私の首筋をなぞり上げ、耳の付け根で遊ばれれば、僅かに熱を帯びた体がふるりと震えます。反射的に閉じた瞼を軽く撫でられ、そのままころりと背後に倒れ、とろんと意識が沈みました。
『貴女の…』
遠くなる声は艶っぽく、静かで穏やかな深淵へと落ちていきます。
◇◇◇
次に目が覚めたのは、翌朝の自室。
日光がカーテンから滑り込み、チチチ…と鳥たちが朝の訪れを教えてくれます。
あれは夢だったのでしょうか?
震える感覚がして目をやれば、枕の下に白がいて、布団の中に赤がいて温めてくれてたようです。二匹ともひと撫ですれば、ぷるんと隙間にもぐりこみ消えました。お嬢様の元へ戻ったのでしょう。
体はいつもより軽く、心の重みもありません。すっかり回復して、絶好調とも言えます。
ふと、首筋に手を当てれば、昨夜の感覚が、声が、リフレインしました。
『貴女の魔力は馨しい』
……お嬢様がローリングしたいと言った気持ちがわかった気がします…
心の衝撃をなんとかしたいと、ベッドの上で枕に顔を突っ込み、ぐりぐりします。
落ち着きなさい、私!
相手は悪魔族の長。流石悪魔族の長。
しかし、申し上げるならば。
「えろぃぃぃ…」
突っ伏してる私の後頭部へ、ぺしゃりと乗っかかってきたのは透明スライム。様子を見に来てくれたのかな?ありがとう。正気に戻りましたよ。
頭頂部へ移動したスライムを乗せたまま、パチパチと両頬を軽く刺激します。お嬢様の傍に居られるのもあと少し。
「さて、今日も気合入れて、御髪を整えに行きますかぁ~!」
『ぷるん』
いつも通りの朝が再び訪れたアシュリー邸。ただし、昨夜、寝落ちしたようで整えられなかったと思われるお嬢様のドリルヘアは、多方面に荒ぶって爆発現場でした。いつもよりも多く渦巻いております。
→つづく
シエラ「9歳のおねーさんは身支度もできませんとねぇ~?」
シャル「ドリルの独立精神が強すぎる!」
シエラ「9歳のおねーさんはツインテも作れませんとねぇ~?」
シャル「せめておさげから練習させて!」




