10通目3 裏の裏は。
イリオスお兄さま視点。
魔王の膝で涎を垂らして眠った妹を抱き上げる。背中をトントンと軽く叩けば「ふにゃぁ」と猫みたいな鳴き声をした。下の弟が同じ年の頃に比べてずっと小さく軽いが、それでもこの質量は、温かさは、抱き着いてくる力は、無事に育ってきた証。
黄色のスライムが頂戴というように触手を伸ばすので預ければ、ぽよんと抱き込み、ゆりかごのように揺れている。
「さて。お客様方、大変お待たせしました。」
魔族、妖精族と続き、二度あることは三度ある。人族界では珍しい客たちが我が家に揃った。
◆◆◆
応接室に案内しソファに落ち着けば、夜の気配も相まって、随分と部屋が狭く感じた。
燭台が生む影は、普段見慣れない大きさで揺らめき、幼いシャルが読んで泣いていた絵本の一ページのよう。
「改めて。この度は突然の訪問にて、受け入れ感謝いたします。アタシは獣人族白虎のスイコ。今代メグルモノの任を承っている者です。」
「同じく龍人族のサハリ。大樹の森の主より、彼の令嬢と接触を持ったのなら、一度ご家族に挨拶した方がいいとアドバイスを受けた。」
「アシュリー家を代表して、長兄のイリオスです。あと…」
「あぁ、結構ですぞ。弟君らのこともギルド内で伝わってるのでな。」
人族としては巨漢に入るヴァルクと長身の魔王に、更に頭一つ分大きい龍人がいて、魔族妖精族と全員合わせれば十名以上がここにいる。
とは言っても、アストを始め魔族連中は然程興味があるわけでもなく、ノームは魔王が気になってソファの後ろに隠れ、唯一妖精族のリリィだけが「みんな仕方ないなぁ…」と苦笑しつつ聞いている。自由だよなぁ。
「結論から言いましょう。シャルちゃんに対して獣人族・龍人族から何か起こす予定はありません。観察程度と思ってください。」
スイコと名乗った獣人の答えに、結論があっさりすぎて逆に肩透かしを食らった気分だ。
メグルモノ、或いは彼らの特徴を聞いたヴァルクが用心深く相手を注視する者なら、相応の事件でも起きたかと備えて来た。
いざ、蓋を開けたら、箱の中は空っぽ。
兄弟全員が思わず妹の顔を見る。むにゃむにゃ幸せそうな寝顔が『安定のシャルクオリティ』を物語った。
「…一応、答えに至った理由をお聞きしても?」
「勿論。我々の種族は魔族や妖精族程、魔法に関して重きがない。全属性だろうが一属性だろうが、暴発が起きても対処は変わらぬ。魔力より腕力のタチなのでな。」
「今日の様子を見てても、防御力はあっても攻撃力は僅か。これでこちらが構えれば、何かの拍子に過剰防衛で傷つけかねません。そのため、白蛇様がシャルちゃんのニオイ問題で印をつけられたようですし。」
「ニオイ問題?白蛇様…祝福のことですか?」
シャルが私の結婚式で白蛇様と呼ばれる大樹の森の民に関わったことは、ヴァルク達から話を聞いていた。実際、それが何なのかはシャルもわからず、印がついているらしい手にも痕跡がない。
一体、あれはどういった類のモノかと問えば、「魔族妖精族のニオイがべったりついた人族に、ハナの利く種族がつっかからないための標識」だった。
「白蛇様の印は彼女を守るモノでも抑えるモノでもなく、これはチェック済み、品質保証といった我々種族に対する注意マーク。」
「あぁでも、狼獣人から「お前ちょっと臭うな面貸せよ」と絡まれることはあり得ます。ケルベロスのニオイなんて、同族からしたらやっぱり気になりますから。」
「獣や魔力臭から邪推し、どれだけの実力者かと接触したら、撫でただけで壊れてしまったでは困る。強すぎるではなく、弱すぎる故に『取扱注意』といったところか。」
「だから何もしないんです。しようがない。」
あっけらかんと話す二人に、やっぱり興味がない魔族たちに、唯一「あ、そうなんだ」と真面目に聞いてる妖精族。
てっきり重大事項かと、波乱万丈おいでませかと。
裏の裏を読もうとしたら、ただの『表』だった。
◆
虚をつかれた。恥ずかしながら、自分は随分と凝り固まった視方をしてたみたいだ。
アシュリー家は間諜の一族。常に表面にある情報から、状況と背景と関係と時間の流れを読み取り、裏側を掴み、次の一手を指す。
そういった生に身を置く中で、先祖代々集めてきた知識と記録、今日世間に存在する常識、自身が歩んできた経験、そして知恵。これらが命綱であり重要な武器でもある。
ところがどっこい、今、それらが邪魔をした。
ボークレイグ家の白蛇様に対する敬意が、またはメグルモノという特務を担う者の登場が、若しくは妖精界に連れていかれた過去の出来事が、無意識のうちに『警戒すべき何か』という強大な幻を作り上げていた。
この幻が持つ最大の問題点は思い込みで、それを是とし、疑問を持つ機会を失うこと。これが常態化し気づけなくなれば、チャンスを逃すだけでなく、自身や周囲を危険に晒す。我が家は、私の立ち位置は、そういうものだ。
…本当にこの妹には振り回される。
特殊で手間がかかって、危なっかしい。リスクの割にリターンは少なく、ヒヤヒヤハラハラさせられる。それなのに、今回のような小さなリターンの一撃が、時にはっとさせられ、面白いとさえ感じさせる。
私たちが平面と把握してたモノを立体に読み解き、予想外の所へ着地させる。
以前、ワイングラスを一生懸命に覗き込んでいたことがあった。
『シャル、ワイングラスがどうかした?』
『イリオスお兄様。このグラスってどんな役なんでしょうね?』
グラスを持ち上げたり、上から見たり、下から見たり、水を入れたり。どうやら飲み物を容れる器だから食器というのはシャルの答えではないようだ。
『シャルは何だと思う?』
『えーっと、ヴァルクお兄様な答えなら武器?鈍器か刃物。』
『…私なら?』
『んー…花器や小物入れ?仕込みが入ってそう。』
『意外と可愛い答えが出たな。エルンストだと?』
『エルンストお兄様…円が描ける道具、上下逆さまに見える不思議アイテム?』
『成程、ベスやリリィなら?』
『ベスさんなら水を張って、鏡。キラキラや虹を生まれるから…リリィさんなら光や透明という色を認識できるものかなぁ?』
『ふーん。じゃぁ、アストは?』
『食器、お菓子を入れたら喜んでくれそう!あと楽器!』
キンキンと爪で弾きながら打楽器かと問えば、『それもありますけど、これって何楽器…?』と指を濡らして水の入ったワイングラスの縁をなぞりはじめた。すると高い音色の中にノイズが入った、ぼわぁぁんとなんとも言えない音が響く。
『水の量で音階作って演奏する天使と悪魔の楽器。グラスハープって奴です。』
『天使と悪魔の楽器…相反しそうだけど面白いね。ところでどこでそれ覚えてきたの?』
『…生演奏は見たことないです…』
『どーがさいとで多重ろくおんの鬼がげーむ音楽やってた』から始まり『楽団ぼっちだとアカペラの髭も顎も凄かった』を通って『某国の大学生たちは鼠王国でどんな夢を見てきたの…』と謎な呪文を呟いていた。
本題からはかなり外れたのに、小耳に入れたエルンストが、魔道具における二重三重同時発動の親和性作用アイデアになったらしい。どこに行きつくかわからない。
『規則とか固定観念とか、教本通りじゃつまんない。』
ひとつのモノをどう置いて、見るか。その切り方、捉え方、まとめ方。
常に情報を疑い、常識を疑い、経験を疑う。
絶対的な『正解』はない。
『知らないって、もったいないですよね。』
にへらと笑うシャルにとって、世界はどれだけ広く輝いてるのだろう。
◆◆◆
決めた。
「シャルをギルドに入れる。散歩させよう。」
「イリオス兄さん?」
家族の中でもとりわけシャルを可愛がっているエルンストがいきり立つ。ヴァルクが静かに窘めつつ、訝し気に伺ってる。今後の展望、自身らの動き、配下への指示、周囲への演出、人心の誘導、それらを構築せねばならない。
「これまで通りアシュリー家から出してやれない。追々平民待遇になるにしてもリードは付ける。ルートや範囲を絞った状態で、稼業の準備運動を始めよう。」
「シャルの体質では時期尚早なのでは…」
「確かにな。でも私はあの子に『知らない世界を見る』チャンスをあげたい。」
歩く道は困難を伴うだろう。痛みもあるだろう。ぶっ倒れて熱を出すだろう。へっぽこで、貧弱で、世間の厳しさという壁もぶつかるし、設置された罠にも穴にも全部嵌りまくるタイプだ。
泣いて、喚いて、嘆いて、最後にへらっと笑える子。
無知と無邪気は爆弾の起爆ボタンのようだ。扱い方次第で危険性を伴う。そういう要素を持つあの子を外に出すことは博打的な選択だが、領内で終生囲うには、鈍い輝きはあまりにも惜しい。
「エルンスト。明日から使えそうな道具の選定を始めよう。」
「ヴァルク兄さん…」
「お前にしかできない事がある。俺にしかできない事もある。シャルにしか見つけられない事もあるだろう? なぁに、アイツがいきなり難攻不落の大要塞へ行く訳じゃない。範囲を少し広げて、可愛い妹に大冒険させてやろう。」
「…いつか言ってた夢の旅行ですね。」
「そうさ。第一歩だ。」
ヴァルクに力いっぱい髪を掻きまわされて、エルンストが久しぶりに弟らしい拗ねて照れた顔をした。心配性なのはお前だけじゃないさ。
「だいたい、順調に行く訳がない。うっかり遠くの国や界に足突っ込んでコケる可能性が高いんだから、見知らぬ環境に遭遇した場面に慣れさせないと。」
「普段のやらかし度から否定できない。」
スン…とあれこれ光景が脳内を走り、噴き出したのは兄弟だけではなかった。
◆
その後、魔族や妖精族も含めて一通り話をし、父上への報告内容をまとめる。
魔力制御訓練は基礎課程が修了し、魔族妖精族の指導もひと段落ついたようだ。聞けば、各々スライム達も指導を受けたので、そろそろマンツーマンから脱しても問題なさそうだ。
「兄上。シャルの病弱設定だけどさ。家に偵察に来る鼠対策はどうするんだ?」
「あれはチューチューしつこいね。代わりの人形に迎えさせて、理想的な夢を見てもらおう。」
ポケットから取り出した複数の魔石が嵌った物体に魔力を込め起動させれば、シャルにそっくりの色白な人形ができあがる。にぱっとした笑顔では薄幸さが足りないので、静かに顔を綻ばせた、感情の薄い表情のソレ。すぐにエルンストが調べ始めた。
「イリオス兄さん、質材はスライムだけど…これはゴーレム?」
「理論上はね。絡繰り人形になるかな?幻覚作用を付けてもよかったが、魔力耐性のある者だと気づくからね。スカルのスライムコーティングを真似て試作した。表情や質感再現までは順調だったけど、声はなかなか難しいね。エルンストはできるかい?」
『ふにゅぅ~』
「…魔石節約回路に、発熱状態発生装置、危機対応機能…文字通り『病弱令嬢』らしい匙加減の魔道具人形…くぅ…なんて綺麗な魔術展開図。絶対超えてやる…」
「兄上、いつの間にそんな細かい魔術を会得して…あー、くそ。元々憎らしいくらい手先が器用で要領が良い奴だった…」
「君たちの報告書は実に有効に使わせてもらったさ。ありがとう。」
領地で妖精族達に肉体強化や精神干渉等の細かい魔力操作を学び、自身も身に着けてきたのだろう。飛び級で学院はとっくに卒業してるのに、博士課程が終わっても魔道具研究室に残り、熱心に技術を磨いてきたのだろう。二人とも、習得レベルのスピードからしても、私や父の予想を裏切りたいと考えていたのだろう。
残念だったな。兄は弟の考えてることなど、手に取るようにわかるのだよ。離れていてもずーっと気にかけてるからね。
その一歩も二歩も先をスキップしながら飛び越えた姿を見せつける。
同レベル、否、それ以上の繊細な魔力の流れを見て、それを付与し運用できる魔道具を見て、悔しがる弟たちの頬をつついてやる。
「おにーちゃんは、いつでもカワイイ弟たちから憧れてほしいんだよ。」
優雅で余裕でスマートに叩きのめすカッコイイ兄は、地団駄を踏み負けん気の強い弟たちを焚きつけるのも忘れない。
→つづく
イリオス 「とりあえずシャルには事故に遭ってもらおう。」
ヴァルク 「ダイナミックなのがいい!派手なのがいい!」
エルンスト「演出班招集と…シエラはどこに配置する?」
イリオス 「人形付きにしよう。シャルの勇姿が見たい。」
→おにーちゃんたちの結論。悪戦苦闘する妹にニヤニヤしたい。




