9通目6 うつつの夢
ゴボゴボゴボ…ポコ…ポコ…
くるしいくるしい
眠っている間、私は海の中にいました。
現世では海の中を泳いだことがありません。なので、この感覚は昔の私の記憶がもたらすモノなのでしょう。
嵐のような、時化のような、荒い波に、きっと洗濯機の中はこうなんじゃないかと、ぐるぐる振り回され酔った感覚に翻弄され。
呼吸が締め付けられて、熱が出てるのか、体全体がとても怠く、重く、上手く体が動かない。
きっと唸ったり、吐いたり、周りの人を困らせてたでしょう。
シャルロットになってから、程度も原因も異なれど、こうやって寝込むことが度々あったし、自分も何度か繰り返してるうちに、あぁ、毎度のことだと理解してます。
ただただ、この苦しくて、辛くて、叫びたい程の淋しいという気持ちと、時折襲う深く深く先の見えない大きな不安に、正面から向いて、上手く付き合っていかなければならないだけです。
全属性の弊害がわかってからは尚更。
自分のことです。
こういった状態に陥った時、最早どうにもこうにもならないといことは、経験上、よくわかってます。
だから、凄く凄くしんどいけど。
ゆっくりゆっくり、受け入れて、抑え込むしかありません。
辛くて心細くて。
その途中で、どうしても、壊れそうで縋り付きたい小さな『私』が、涙となって現れたとしても。
◆◆◆
閉じた瞼の端の水滴が吸い取られる音がして、ふわっと意識が浮き、心が軽くなりました。
もしかしたら、ケロちゃんが何か助けてくれてるのかも。ティターニア様や白へびさんの祝福が発動してるのかも。
でも全然力は入らないし、やっぱり体も動かせません。抱き着きたいのに腕は動かなくて、むぅっとしてたら、ぎゅっと大きなモノが体を包んでくれました。
この優しさを知ってる。この温もりは安心できる。
時に、足りなくて飢えて慟哭したり、多すぎて溢れて心を掻き毟る力が、ゆるく、体の中を廻ってます。
くるり、くるぅり
ふわふわと漂う感覚に、意識が浮上したり、奥底に沈没したり。
次第に、ゆりかごのように右にゆられ、左に揺られ。
熱が暴れるおでこに、温度の低い大きな手が触れて、意識の海から現実に引き上げられました。
「…ちべたぃ…」
「そうか。」
「…きもちぃ…」
「そうか。」
「…おっきぃ…」
「やめた方がいいか?」
「やだ。」
金色の挿す赤い眼が、ふっと笑う気配がします。
むーっと頑張って瞼を上げれば、細やかな光源の薄暗い部屋と、隣にケロちゃんを連れた予想通りの顔が私を眺めてました。頭がぽやぽやする。
相変わらずこの世のものとは思えない美しさを垂れ流しつつ、相変わらず表情が薄くて顔の筋肉は殆ど動かず、相変わらず絵画か彫像のような涼感のある完璧な芸術的造形をしてます。
視界限界のため確認できませんが、たぶん、相変わらず長い脚を組んだだけでも様になってるし、服の下だって相変わらず引き締まったけしからん筋肉がご健在でしょう。
ただ、今は、涼やかな目の下が少し黒くて、形の良い眉と眉の間が少し寄ってます。
「……アストさん?」
「なんだ?」
「おしごと おつかれさまです」
「そうだな。疲れた。」
ベッドサイドに腰かけるアストさんが、ふぅっと息をつく顔をぼんやり眺めて、こんな美のサービスタイムな姿を見たら、きっと人族の女性方はたちまち骨抜きになってぐにゃぐにゃになって、ばったばったと倒れるんじゃないかと思います。あ、男性も倒れるかも。
魔王の強大な魔力や腕力ではなくても、立ってる座って時々寝そべった姿で、ちらりと流し目でもすれば、人類を制してしまいそう。できる。きっとできるよ。
ぽややんな私のおでこに載っていたひんやりとして少し荒れてるけど繊細で優しい手が、髪をするすると撫でていきます。触れた所から伝わる温かくて安心できる存在。
「まりょく ぼーそーしてた?」
「いや、初めての従魔法で体が驚いただけだ。暴走でも病気でもない。安心しろ。」
「そっかぁ…」
「うっかり涎が出ても何でも食う奴等がいる。安心しろ。」
「それ、おとめてきにはだいもんだいですぅ…!」
ぷくぅと膨れれば、アストさんの目尻が下がり、穏やかな空気が流れます。
アストさんが軽く顎でしゃくれば、その先にはベッドの周りを囲むスライム達がいました。あれ?さっきまでいた?と驚いてれば「かくれんぼが得意」とのこと。かくれんぼというか、隠密ばりの隠れ方をするなぁ。
「ぷふふ、スライムありがとぉです。」
「隣国で来てたスライム達は羨ましがってたぞ?先輩スライムとして指導に参加してた。」
「えへへ。なかよくしてね?」
嬉しそうにぽよんぽよんする姿ににへらっと笑うと、スン…と空気に溶けるように消えました。ほんと、アシュリー家にぴったりな間諜スライムが来た気がします。
「イリオスが、試作の味噌ができたとくれた。」
「シェフたちが がんばってくれましたよぉ」
「味見させてもらったが、あまり美味しくなかった。」
「え…?」
私が妖精界から戻って、アシュリー家のシェフは味噌・醤油作りに勤しみ、先日、ボークレイグ家から安定した麦や米が取引され、試作もうまくいったと聞いてます。
私も食べたけど、そんなに変な味ではなかったような?あ、熟成が足りなかったのかも?エルフ達が配合や時間等研究に取り組んでるし、ノーム達が発酵や熟成のお手伝いをしてくれてるはず。
「シャルが作った漬物じゃなかった。」
「そぉですよ?」
「シャルが漬けたのが食べたい。」
「シェフのほぉが、じょーずですよ?」
「いやだ。」
珍しくアストさんが我儘モードな口調で話してます。ストレスが酷そうだったとスカルさんが言ってたし、仕事でだいぶお疲れなのでしょう。
「シャルが漬けると、魔力が移る。」
「そなの?」
「うむ。おまじないしてあると更に美味だな。」
お月見泥棒であの歪で焦げ焦げな悲劇のりんごタルトをどうして食べたのか、アストさんに聞いところ「おまじないが美味しかった」と。
原因は作ってるときに「おいしくなーれ」と私が呟いたためで、ちちんぷいぷいじゃないけど、おまじないって現世でもあるんだぁと思いました。
「シャルが漬けたやつがいい。」
「おまじないしながら?」
「そう。ほっこりした味がする。私はそれが気に入っている。」
ゆるゆると髪を撫でていたアストさんが、長い金髪を一房持ってます。体調と直結してるのかしら?前に比べてドリルが弱ってる気がしなくもない。
お疲れで気怠い様子で、少々の隙と我儘モードながらも涼し気な美貌を眺めてたら、持っていた一房が口元に。
「シャル、私は早く食べたい。」
獣を彷彿させる鋭い赤い瞳の中で、金色がギラリと輝き、何かに射抜かれた感覚。
…世のお嬢様、お気づきでしょうか。
夜の寝室、ベッドサイドに座り、超ド級のビジュアルテロリストが、自分の髪に食み、間近で久々の射抜く視線ブチかましてくるのです。例の、機関銃のような、ショットガンのような、レーザービームのような眼光です。
ぼふんという効果音が似合うくらい私の顔が茹蛸になっても、思わず顔を手で隠したくなってもおかしくないのです。体に力入らなくて、手は動かせなかったけど。ほにゅぁぁ!
「が、がんばりまふゅぅ…」
「『がんばるじゃない。やるんだよ。』と、イリオスが言ってたぞ?」
「はあぅ~…」
うーうー赤くなって悶える私に、喉の奥をくっくっと鳴らすアストさんの口角が少し上がって、表情の薄い魔王様が柔らかく笑ってます。たぶん。相変わらず表情筋は役目を忘れがちだけど。
「うまく肩の力が抜けたな。それでいい。
シャル。弱音を吐いたって、泣いたって、魔族は咎めることはしない。」
「アストさん…」
「せいぜい舐められるくらいだ。」
「アストさん!もぉ!」
悶えたり、赤くなったり、膨れたりと忙しい私と、微笑まし気に眺めてる余裕綽々なアストさん。うぬぅ。
「きゃぅん!」
「ケロちゃん?」
「わぅわぅ」
何かに気づいたケロちゃんがアストさんに呼びかけ、アストさんの隣に拳大の青い炎がぶわっと現れました。
炎が何かささやくように揺れると、ぼわっと広がり消えました。アストさんの眉間がまたきゅっと締まり、先程の余裕綽々が消え去ると、ふぅぅっと長く長く深い地獄のようなため息。
あぁ、歪ませても凄んでも冷たくても美貌のカーニバル。
語彙力なくてごめんなさい。敢えて言うなら氷の花のような麗しさ?冷徹な優麗さ?…普段を壮麗と位置付けるなら、この人に婀娜っぽさが加わったら、やっぱり失神者が出るんじゃないのでしょうか。おじいちゃんおばあちゃんは一発昇天しちゃうかも。
「セバスからだ。」
「ぬけられてきたんですか?だいじょぶ?」
「あぁ。だが、そろそろ戻らないといけないな。」
「たいへんでしょぉけど、むりしないでくださいね。」
くすりと笑ったアストさんが、乱れた髪も掛けたシーツも整え、ぽんぽんと頭を撫でました。
「早く治せ。周りの人族も妖精族も魔族も落ち着かない。漫ろになる。」
「アストさんも?」
「そうだな。気になる。」
大きな手が瞼の上に載せられ、ぽわっと手が温かくなってきたなぁと思ったら、またゆらゆらと意識の海に引っ張られました。むにゃ…
「おやすみ。いい夢を。」
ふわりと瑞々しい爽やかさの後に透明感のある甘い香りに包まれ、次に頬に何か柔らかい感触がしたと思った瞬間、凪いで緩やかな波が海の中へ引き込んでいきました。
ゆらり、ゆらり
くるぅり、くるぅり
いつの間にか、苦しさも、辛さも、叫びたい程の寂しさも、深い深い大きな不安も、壊れそうで縋り付きたい程の衝動も、どこかに消えて。
残るは穏やかさのみ。
◇◇◇
次に目が覚めると、領地に来てから慣れた天井が目に入り、視線を横にずらせば、隣でくぅくぅと丸くなってるケロちゃん。その向こう側で光沢のある透明な物体が震えて、ぷひょと少し間抜けな息遣いが聞こえました。
……もしかして、スライムのねごと?
私が顔を動かした拍子に、ぴくっと耳が動いたケロちゃんが目を開け立ち上がり、ふんふんと嗅いできます。つられてスライムもぷるんと動きだしました。起きたみたい。
まだ怠い体を動かそうとすれば、背中に潜った透明スライムが助けてくれます。ゆっくり力を入れて半身を起し、ぼんやりした頭で部屋を眺めれば、カーテンの隙間から日が差し込み、ソファや机にいる六色のスライムが彩を輝かせてます。
「…アストさん?」
あれは夢だったのかな?
苦しくて、辛くて、しんどい中、無意識に望んでた救いなのかも。
鼻を瑞々しい爽やかな薫りが擽って、目に入ったのは、机の上に飾られた小さな鉢植え。
「…すずらん?」
もう季節が過ぎて久しい可憐な花は、夜になって、某光る薔薇のようにふんわりと輝きはじめ、ようやくその時になって「やっぱり来てた!」と確信できました。
「…ってことは?」
最後の頬の感触を思いだし、再び茹蛸になって「はぅぅ~!」とへたり込んでしまったのはお約束です。
余談ですが、8回目のマイバースデーは意識が落ちたまま通り過ぎ、部屋から出られるようになる頃には、完全にタイミングが外れていて、「どうしよう?今から誕生祝いすべき?病み上がりだけど祝うべき?」という何とも言えない生温い周囲の気遣いを味あわせていただきました。
もう快気祝いでいいよぉ…?
→続く




