鳩が出ますよ、の段
歳は7つかそこらだっただろうか、父の故郷である福島に家族総出で出かけた時の話。
親戚の結婚式だったという記憶があるのだが、式の様子はまるで覚えがない。
ひとつだけ、覚えていたこと――
宴がおひらきになった後、皆で庭園のような場所で集合写真を撮った時。
すでに酔っぱらった大人も多く、花嫁花婿を囲んで居並ぶまでにやや時間がかかったような気がする。
数は多くなかったが、私みたいな子どもはすっかり飽きてしまっていた。
特に、私の隣にいた同い年のいとこの少年は、服が窮屈なのかもぞもぞと身体を動かしたり、列から外れて親に呼びもどされたりしていた。
私も、赤い革の靴がまるくて変な形なのがどうにも足に合わず早く脱ぎ捨てたかったし、母や周囲の着物が微妙に樟脳臭いのも頭痛を起こしそうだった。
大仰な仕掛けのカメラを構えたスタジオのおじさんは、だれそれはもう少し右へ、花嫁さんの隣のお母さん、身体を斜めに、眼鏡の後ろの人顔が見えない、と細かい指示を繰り返し、いつになったらこの苦行が終わるのだろうといった気持ちに陥った時、ようやくおじさんがシャッターを切ろうと身構えた。
だが、隣の従弟がどうにも落ちつかない。どこかで赤ん坊が泣き出した。
急に誰かがカメラを指さしてこう言った。
「ほら、◎◎、鳩が出るよー」
他のおとなも口々にカメラを指さして
「んだ、鳩出るぞ」
「あれ、鳩だ、鳩」
近頃、たまたま「車が出ます、注意!」という看板を見た時急に思い出して近くにいた若者に
「そう言えば、カメラから鳩が出る、ってよく言われたなー昔」
と話したのですが、そのワカモノは「は?」と首をかしげて
「聞いたことない」と。
そして真顔で「なぜカメラから鳩が出る?」と尋ねてきたのでした。
カメラから鳩が出ると信じて疑わなかった顔が、当時の集合写真にはけっこう多いのかも知れませんね。
キラキラと期待に満ちた目で、あるいは、騙されないぞと疑いつつもとりあえずひたむきな目で、とか。
子どもだけでなく、つい大人も何人か、鳩を思いながらそこを見つめていたのかも、と思うと何だか集合写真そのものが愛おしくなりますね。
この頃、連写という技術が発達していたら、続く数枚には、明らかに落胆した顔が映るのであろうか? とか。
「……結局出て来ないじゃん?」みたいな、ね。
そうして撮られた写真は、今ではどこのアルバムに残されているのだろうか。
セルフィーが流行る昨今では、まるでピンとこないかも知れませんが、昔は写真撮影というものは、一大行事のひとつであったのでしょう。
技術の進化が良い悪い、ということではなく、鳩がこんなところで役に立っていたのだな、という単なる覚え書きとして。
老母の時代ですと、まだ平気で『魂取られちゃうよー』と撮影拒否がフツーにあったらしいですね。
自意識の変遷についても、何かと思いをはべらせてしまう今宵でした。