日曜日
光が見えた気がした
具体的ではないけど懐かしい場所に僕はいて
目の前には気が付けばいつも僕を安心させてくれていた君がいる
僕らは見つめ合う
なんだか澄んだ水の中にいるような感覚だけど苦しくはない
何かに包まれているようだけど身動きは自由にとれる
君は懐かしい声を出しながら笑っている
いつも僕を安心させてくれた声
僕もつられて笑う
この世界で生きていくために必要なものはそこまで多くはないはずなのに……
どうしてか僕は気が付けば多くを求めてしまっていた……
そして気が付けば大事なものを全て失っていたのかもしれない
目の前で君が笑っている
顔ぼんやりとしているけど思い出すことができる
自然と僕らはキスをする
あの頃よりは自然にそしてうまくできるようになっただろうか
しばらくはそのままでいる
やわらかい感触が僕の中に入ってくる
唇を離すと僕らは抱きしめあう
やわらかい感触が僕にふれてくる
僕は幸せで包み込まれる
君はいま幸せなのだろうか?
再び僕らは見つめ合う
君は声を出さずに微笑んでいる
僕も微笑み返す
しばらくはそのままでいる
「どうして?」と僕は尋ねる
君を忘れていたのに君が怒っていないから
君は何も言わずに微笑んでいる
しばらくそのままの状態で時間が過ぎていく
次第に意識がぼんやりとしてくる
「また会えるの?」と僕は聞く
彼女は「ダメ」といたずらっぽい笑みを浮かべながら言う
「どうして?」と僕は返す
「今まで通りでいいのよ」と少し困った顔をして言う
「モモちゃんは来たけど君にはまだ再会したくないから」と君が言う
その表情は普段と同じで少しだけ困った時に見せた表情だった
目を覚ます
シャワーを浴びていないせいか少しだけ体が気持ち悪い
昼過ぎに新しい部屋へ荷物が届いてしまうから午前中には移動を始めてしまいたい
そんなことを思いながらスマホで時刻を確認すると7:43と表示されていた
そのまま起き上り寝袋をたたむ
リュックの下の方へそのまましまい込む
電気のブレーカーを落としてガスの元栓を閉めておく
水道は確かそのままだったはずだから何もしない
残った日用品をまとめたごみ袋を持ち部屋を見渡す
忘れ物がないことを確認するとカギを閉めた
日用品が入ったごみ袋はそのままゴミ置き場へ捨てた
一度深呼吸するとそのまま駅へ歩き出した
路地裏であくびをしている猫がいる
花壇の近くでさえずっているスズメがいる
今まで僕が見てきたものでこれからは僕が見ることのない日常になっていくもの
景色の一部だった多すぎる信号機の数
昔ながらの個人経営店
そんなものを眺めながら歩き続ける
何度か入ったカフェもオープンはしているが通り過ぎる
改札を抜けホームへ向かう
階段を上りホームに出れば目の前には幾度となく見てきたロータリーがあって
やっぱり誘導員の笛にしたがってバスがバックしている
「もう少しだけ」なんて思っているときに限って列車はホームに到着してしまう
名残惜しくもあるが全て僕が決めたことだと空いている席に座る
見慣れた景色が僕を辛くさせそうだと思ったから小説を読むことにする
上下をさかさまにしていたことにしばらくして気付くあたりいくらかの動揺はあるのだろう
引っ越し先の最寄駅へは何事もなく到着した
スマホで時刻を確認すれば9:03と表示されている
目の前にはファミレスがある
ブランチだと少し早いが今日はばたばたするからしっかり食べておこうと店に入る
新しい町で見慣れたメニューを眺めながらも食べなれたものを注文する
しばらく待ち運ばれてきた料理を今まで通りに黙々と平らげる
これからも住む場所は変われど生活スタイルはそこまで変わっていくことはないのだろうと思う
精算を済ませ店の外に出る
日は昇り始め涼しい風が僕を通り抜けた
やはり駅前にあるコンビニに入りタオルを2枚とトラベル用のシャンプーセットを購入する
契約時に渡されていた地図を片手に歩き出す
難しい道ではなく部屋の特徴も覚えていたから問題なくたどり着く
水道屋と電気屋へ連絡して開通は難なく終わる
昨日までを洗い流すようにシャワーを浴びる
さっぱりした気分で体を拭きリュックに入れておいた替えの洋服に着替える
スマホで時刻を確認すれば10:40と表示されている
部屋には何もない――その広さを確かめながら予定外ではあるがベッドを置ける場所を探す
しばらくしてスマホがなった
引っ越し業者が予定が多くなったから早めに荷受けできないかと相談してきたのだ
「もう部屋にいるからそちらの都合で大丈夫ですよ」と告げる
少しだけ手持無沙汰になり窓を明け空気を入れ替える
風が部屋へ入ってきた――すごく心地よい風だった
リュックから読みかけの小説を取り出す
何をするでもなく小説を楽しめたらいい
しばらくすると玄関のチャイムが鳴り引っ越し業者が来た
「無理言ってすみません」と言われたので「早い分には助かりますから」とだけ答えておいた
荷ほどきもすぐに終わるだろうから洗濯機だけは設置個所においてもらいそれ以外は適当で大丈夫とだけ告げるとてきぱきとおいて行ってくれた
荷受けが完了した後にサインをするとお礼の言葉を言ってすぐに言ってしまった
本当に予定が多いのだろう
部屋を出て町へ歩き出す
日用品があれば何とかなるだろうとスーパーへ入る
まだなじまない店内では当たり前だが誰かの日常があって僕はなじめてないからこそ品ぞろえを確認するために店内を1周してから日用品を買い揃えた
部屋へ戻りそれらを置くと部屋の寸法を測ることにした
これから家具の量販店へ行きちょうどいいベッドがあれば買ってしまいたいと思ったのだ
部屋をスマホで撮りながら寸法を測りメモしていく――彼は奥さんと一緒に測ったのだろうか?
当面僕は1人でいるだろうけどいつか一緒に測る人はまた現れるのだろうか?
スマホで家具量販店のウェブページにアクセスして店舗を検索すると三駅先にあることが分かった
カギを閉めなれない町の景色を眺めながら歩き出す
猫が塀の上であくびをしている
穏やかな陽気を感じながら駅に着く
しばらくしてやってきた列車はどこか新しく感じるような車両だった
今までの路線が少しばかり古い車両をメインにしていたのか車内のモニタに天気予報が映っていたことには驚いた――さすがに天気が変わるような場所までは移動していないだろう
列車はひたすらに住宅街を走り抜ける
端を渡ると駅に着き少し離れた場所に家具量販店の看板が見えた
改札を抜けるとやはり知らない景色が広がっている
全てを捨ててきたはずなのだからと――その感覚を楽しむように――歩き出した
ほどなくして家具量販店にたどり着く
住宅街にふさわしく家族連れが目立つが皆楽しそうにしている
シンプルなシングルベッドを見つけ寸法が問題ないことを確認すると寝具セットとそれを購入した
組立品ではあるが「電車で持ちかえるのはつらいから」と当日配送にしてもらう
工具は帰りに100円ショップで購入すれば間に合うようなものしか使わないようだ
駅へ戻りホームで列車を待つ
僕を通り抜けた風はまだ――当たり前かもしれないが――どこかよその風に思えた
少しして列車がホームに入ってくる
あいている席に座ると見慣れない景色を楽しむことにした
ほどなくして最寄駅へ戻ってくる
駅前にはロータリーがあって見慣れない色のバスがやはり誘導員の笛でバックしている
スーパーの中に100円ショップがあることを内見の時に見つけていたからそこへ向かう
衣類をかけるためのハンガーとベッドを組み立てるための工具を見繕いレジへ向かう
女子高生のアルバイトだろうか?支払いを終え品物を受け取ると「またのご利用お待ちしております」と元気よく言われた
マニュアルでしかないことはわかっているが「末永く使うほどにこの町を好きになっていかなくては」と思えた
部屋へ戻り荷ほどきを始める
本棚もついでに買えばよかったと思ったがキャリーケースはそのまま本棚代わりにしておくことにして
ダンボールを開けていく
買ってきたハンガーもすでに広げているからどんどんクローゼットへ入れていく
黙々とした作業を楽しみながら進めていく――余計なことはもう考えないことにすればいい
しまい終えるとダンボールを崩してごみ箱を置く予定の場所へ寄せておく
再びがらりとした部屋を見渡す
キッチンは少しだけこだわりを出して広くあることとガスコンロであることを物件探しの条件にしておいた
冷蔵庫もガスコンロも新調することにはなったがこだわるならばそれくらいは仕方ない
在庫の都合により明日の夕方に届くことになっているからガスの開通もその時にお願いしてある
バス・トイレは相変わらず別々にできたし今度は脱衣所もある
そういえばと洗濯機を確認すると取り付けまでやってくれていた
ありがたく思いながらも新しい場所で自分はそんな気配りができるのだろうかと不安にもなる
やはり前夜というものは不安になるのだろう
夕方になりベッドと寝具セットが届いた
寝具セットはそのままにして先ほど崩したダンボールを床に並べその
上に部品を並べていき説明書で必要な部品があるかを確認する
特に難しい部分もなく15分くらいで組み立てることができた
その上に布団を敷いていくほどなくして完成した
その上に座り壁にもたれてみる――もしかしたら一番連絡したい人はもういない人なのかもしれないと思いながら……
一息つけば想像以上に汗をかいていたようでシャツが汗だくになっている
シャツを脱ぎ洗濯機に放り込むとタオルを取り出して浴槽へ入る
シャワーを出してお湯になるのを待つ
場所は変われどもまた日常が戻ってきただけの話だろう
明日のことを考える
明日はB社へ出勤して今後の流れを確認する
オリエンテーションみたいなものだから定時までかからないかもしれないとも言われた
その時にはB社の指示に従えばいいとも言われている
きっと夜に届く冷蔵庫とガスコンロを受け取ることは難しくないだろう
新しい生活が始まっていく――それは同時に今までが過去になっていくだけのこと
何かを知るたびに何かを忘れていく――仕方のないこと
きっとそう多くはない新しい事にこれからも僕は出会っていく
それは同時に今までを忘れ行くことにもなるのだろう
シャワーの温度を確かめる
頭からシャワーを浴びる
何も考えるでもなく頭を洗い体を洗っていく
さっぱりしてバスタオルで水気を拭きとっていく
こういう時に風が吹くことはなく少しばかり蒸し暑い
シャツを片手に脱衣所を出る
目の前に君がいた
「久しぶりだね」と微笑み「昨日は雨の中ありがとう」と言ってきた
「どうしてここが?」と尋ねる
思い出せばいつもこんな感じで彼女の言動を整理することが始まりだった気がする
「ずっと見てたもの」という
右下には懐かしい犬が一緒にいる
「一緒になれたの?」
「私たち悪いことは何一つしないもの」といたずらっぽい笑みを浮かべる
「そうだろうけどそれならばしばらく面倒を見てやってくれ」
「君よりも遊んであげてるよ」と笑いながら言う
とにかく笑うことが多かった――思い出したよ僕はその笑顔に惹かれていったことを
「どうして思いだしたの?」
「君の夢を見たからだよ」
「夢?」
「どうしてなのかはわからないけど君の夢を見たんだ」
「それまではどういうわけだか記憶を失ったように君を思い出すことは一度もなかった……」
「思い出さなければよかったのにね」と少し困った表情を浮かべる
「どうして?」と聞く声が震えているのが自分でもわかる
忘れることを望む人間がいるのだろうか?
「君が次に進めなくなるからだよ」と彼女は少しだけ困った表情で思い出されたことを喜ぶべきなのか戸惑っている様子だった
モモが後ろ脚だけで立ち上がり顔を近づける
「もう少しだけ待ってて」とたしなめると僕に向き直った
「本当に忘れて」と君の声が震えだす
「そんなこと言われたら余計に忘れられない」
「やっぱり君はそういう人だよね」と声が震えて小さくなっていく
しばらくの間沈黙が流れる
モモも僕を見てくる――もう決して触れることのできない距離を感じる
「まぁいいや」と落ち着きを取り戻すと
「それでも元気にするんだよ」と続いた
風が僕を通り抜ける
目の前には誰もおらず床がぬれていることもなかった……
ベッドの上に座り込み壁にもたれかかる
あの頃の出来事を僕は鮮明に思い出していた
共通の友人から土曜日に遊ぼうとメールが来た
OKと返信して当日の待ち合わせ場所と時間はまた後で連絡すると言われた
その時の僕は詩集に対して関心が強くどういうわけだか外国の詩集を読んでいた気がする
しばらくして待ち合わせ場所と時間のメールが来たからわかったとだけ返した
今思えば数少ない気を使わない友人の一人だった
当日になりジーンズにパーカーという格好で出かけた
(今でもそうだが服装には無頓着なところがあった)
待ち合わせ場所に着いた僕は時間が少し早かったのか誰も見つけられず近くのベンチに腰掛けた
ここなら見つかるだろうと詩集を読み始めた――確かランボオだった気がする
「もういたの」と約束の10分前に共通の友人が来た
「早く着いただけだよ」と返そうとしたら僕の2つ隣を見ていた
「えっ」という声が出た気がする
「お前もか」といつも通りのおどけた感じで共通の友人が答える
「初めてだよね?クラスメイトなんだけど彼はね読書が好きなんだよ」
「それすごくないですか」と君は言った
「そうですか」と答えると
「今は何を読んでたんですか?私なんて教科書も読めないですよ」と笑いながら言った
その笑顔に惹かれた
「僕も国語以外の教科書は読めないですから」と言うと
「国語は読めるんだ」と何故だかうけていた
共通の友人は確かバスケをやっていたからなのか学外の友人も多くいたはずだ
それでもバスケ仲間よりは僕らのようなクラスメイトと遊ぶことの方が彼にはよかったみたいだ
(真相は知らないがバスケ仲間と遊んでもばか騒ぎをして終わることが多いとうんざりしていたという話を聞いたことがある)
その日は君の希望でボウリングに言った気がする
スコアは覚えていないが要所要所でガターを出していたはずで――僕はボウリングを含め運動は得意ではなかった
何故だかいつもよりも自然に笑えなくていつもより頬が熱くなっていた気がする
そのまま夕飯を食べて解散しようという話になりファミレスへ入った
僕はすぐに食べきれそうなプレート一枚に盛り付けられているメニューを注文した
共通の友人と君が何を注文したのかは覚えていない
「本日は混んでおりまして提供までに少しお時間をいただけますか」というウェイターのお願いに
「全然大丈夫ですよ」と君は明るく答えていた
「連絡先交換しようよ」と君は自然と言ってきてくれたね
(今でもそうだが連絡先の交換は相手がだれであれ僕が気軽に言えないことの一つだ)
共通の友人もよかったねといった表情でその流れを見ていた
注文したメニューは何度も食べたことがあるのにその日だけは味がわからなかったからきっと動揺していたんだと思う
1人目とは自然と付き合う形になっていたからどうやって付き合いうようになったのかも覚えておらずそもそも君に彼氏がいるのかどうかさえもわからなかったしもしかして共通の友人と付き合っているのではなどと勘繰ったことも事実だ
帰宅してすぐに「今日はありがとう また機会があれば遊びましょう」といった妙に砕けた文章体でメールを送った気がする
すぐに「こちらこそありがとう!!絶対にまた遊ぶからね!!」と性格をそのまま反映したようなメールが返信されてきた
続けるのも気が引けたのでそのままメールを送り返すことはなかった
週が明け学校で共通の友人と顔を合わせた
「土曜日はありがとう」と言うと「どうした?」と驚かれたことを覚えている
相変わらず学校のけだるい空気を好きになることはなかった
共通の友人は相変わらずクラスメイトともバスケ仲間ともうまくやっているようだった
そのまま時間が流れ期末試験の時期になった
共通の友人から「試験終わったら遊ばない」とメールが来た
「この前の子がいるならいく」なんて返信できるわけもなく「OK!日付とか決まったらまた連絡ちょうだい」とだけ返信した
期末試験最終日の科目は国語だった
現代文は2004年に自殺した女性作家の作品だった
ガソリンスタンドを舞台にした3人の男女の物語
どこか今の自分を重ねてしまいそうになっていた
それとなく問題を解き終えるとあと20分ほど残っていた
成績も平均より上くらいでいいとしか考えていなかったから勉強にもあまり力を入れることはなかった
チャイムが鳴り答案が回収される
試験監督でやってきた普段は見かけるだけの先生が枚数の確認を終えると教室を出ていく
どっと皆が盛り上がる
少しして担任がやってきて「これからは午前授業になるけどあまり悪さするなよ」の一言でHRが終わる
僕は共通の友人のところへ行く
「もう少し待っててね今調整してるから」といつにもましてへらへらした表情でこの前の約束についてを教えてくれた
「わかった」と僕はいい「待ってるよ」と言うと教室を出た
その日の夜に共通の友人からメールが来た
「来月になっても大丈夫かな?それだとみんなこれそうなんだ」という内容だった
「みんな」がどれくらいの人数になるのか?
その中にはいるのか?
気になるが聞けるはずもなく「大丈夫だよ」とだけ返信した
今思えば何の根拠もない話なのだが当日は君がいると確信していた
ただ信じたかっただけの話だろう
前回よりはしっかりとした服装を意識して出かけた
もちろんボウリングになっても問題ないように動きやすい格好でもあった
前回と同じ場所が待ち合わせの場所だった
やはり僕は少しばかり早く着いてしまいベンチに腰掛けその時は小説を読んでいた気がする
何故だかスタンダールを読んでいたような気がする
(気が付けば意味も分からない洋楽を聞き出すように作者が外国人であることだけに拘っていたのかもしれない)
「本当に本が好きなんだね」という声で我に返る
視線を上げれば君がいた
「ね?また遊ぶことになったでしょ」と嬉しそうに言うその笑顔を僕は直視できなかった
やはり約束の10分前になって共通の友人がやってきた
「2人とも早いね」と期末試験からの解放感なのかそれとも今まで通りなのかはわからないが彼はやはりへらへらしていた
その日もボウリングをやることになった
そういえば「みんな」と言っていたが気が付けば共通の友人と君と君の友人と僕の4人しかいない
「これだけ?」と聞いてみたくなったが何も言わずに会えたことを楽しむことにした
前回と同じような流れで夕飯を食べて解散することになった
やはり連絡先を交換しようという流れになり僕は君の友人とだけ交換した
帰宅してからもやはり「今日はありがとう また機会があれば遊びましょう」と2人にメールを送った気がする
すぐに「こちらこそありがとうございました」とだけ君の友人から返信が来た
君からはしばらくして「映画とかは好きですか?」と返信が来た
「最近は見に行ってないからあまり詳しくはないですけど好きですよ」と返し
「みたい映画があるんですけど行きませんか」と誘われた
「いいですよ」と返信するのが精いっぱいだった
どんな映画を見たのかは覚えていないが推理小説を原作にした作品だったはずだ
僕と見たかったわけではなく作品を理解できなかったら困るからと僕を誘ってくれただけのこと
君はさっぱりした性格で共通の友人を誘うでもなく平気で僕と映画館へ行った
僕が勝手な想像ばかりしていただけなのかもしれない
それでもそこからはメールの回数が増えていった
お互いに都合を合わせるでもなくやり取りができるからこそ続いたのかもしれない
そして自然と付き合うようになっていた
体が冷えてきたからシャツを着る
今日は外食で済ませようとそのまま着替える
窓を閉めカーテンを閉める
広い部屋はこのまま広くしておきたいと思いながら部屋を出る
カギを閉めると駅に向かって歩き出した
駅前に飲食店が数店舗あることは把握していたしその中に君と初めてであたっ時に行ったファミレスがあることもわかっていたから……
日が傾き始める
ベランダで洗濯物を取り込んでいる主婦たち
「楽しかったね」って笑顔で歩いている親子
あくびをしている猫
遠くへ飛んでいくカラスたち
僕の日常は今日からここになる
君は部活をやっているわけではなかった
アルバイトを適当にしている方が好きだからと言っていた
僕と会う時間とアルバイトの時間とどちらが楽しかったのだろう?
買い物袋を提げた主婦たちが立ち話をしている
その横を通り過ぎる
列車の音が聞こえる
もう1つ曲がれば駅前にでる
あの頃には――決して戻りたくはない
共通の友人とへらへらしていた教室
放課後によく寄り道した本屋
君とのメールでのやり取り
遊びに行く前日のどこかそわそわした間隔
失ったとは思わないがいつまでも抱えておくべきものではないことくらいはさすがにわかる
わかるからこそ――思い出している今のこの感情をどうおさめていけばいいのかが分からなくなる
駅前のファミレスに入りあの時と同じメニューがなくなっていることを知り適当な料理を注文する
明日からのは「転職」と言う形であれ僕は新しい生活を始めることになる
あの頃のように言うならば制服を脱ぎ捨てて今までとは反対方向の列車に乗り始めたときの違和感のような誰にも何も言われない世界で“自分らしさ”を求められた戸惑いのような
そんなフニャフニャした物を僕は抱えている
注文した料理が運ばれてくる
やはり僕はそれを黙々と平らげると伝票を手に取りレジへ向かう
「またお待ちしています」の言葉に「この町と新生活を好きになれますように」という願いを重ねてしまう
過ぎ去ったことがどうにもならないならば前に進むしかないのに――簡単に見える答えだからこそ取り組むことが難しいのかもしれない
部屋へ戻りテーブルを広げその上にパソコンを置く
この1週間の出来事をまとめたメモ用紙を見ながらそれを文章に落とし込んでいく
思いのほかあらぬ方向に進んだり思わぬところで行きづまりを感じたりしながらもそれを楽しんでいる自分に気づく
君は言った
「おとなしいけど結構自分とか持ってる人だよね」と
あの時はわからなかった
今に「そうかもしれない」と思う
抗い続けた日々もモヤモヤした感情も自分を抑え込んでいるからこそ生まれたものかもしれない
ひたすらにパソコンに入力しては消してまた入力してと繰り返していく
この1週間の出来事も……
僕の今までの過去も……
そこにある君への思いも……
全てを書きだしてしまいたい
そしてすべてを忘れてしまいたい
違う忘れるのではなく昇華させるだけの話だ……
例えば3年後くらいに僕の隣に君の知らない女性がいて
今度はちゃんと事前に準備して天気のいい日に君の前に2人で訪れて……
その時に君は空の上からちゃんと笑ってくれるのかな?
「やっぱり忘れたほうが良かったでしょ?」って
そんなことを思いながらもその3年後が急にリアルな数字として迫ってくる
君を忘れたから誰かを好きになれるのか
君を覚えているからこそ好きになれるのか
そんなことも3年後のイメージも明確にできない
どうやら考える前にイメージがしっかりできないようだ
当然考え抜くことなどできるわけもなかった
ひたすらに入力しては消してまた入力してと繰り返していく
かちゃかちゃという音だけが部屋に響き渡る
思い返せばふとしたきっかけで始まったこの1週間
色々な出来事があった
僕にとって大切な全てを思い出させてくれた気がする
それを僕はこれからは抱えていかないことにした
入力しては消してまた入力してと繰り返していく
時間が分からなくなってくる
この1週間を思い出しながらメモを読み返していく
それを文章にしていく
相変わらず言葉というものは肝心なことを何一つ伝えられないようだ
ボキャブラリーがないせいなのかもしれないがそんなことを思う
入力しては消してまた入力してと繰り返していく
どんどん苦しくなってくる
共通の友人は言ってくれた
「無理することはないよ」と
担任が言ってくれた
「ぶっちゃけた話だが教科書の内容も学校生活も一生に関わるような話ではないよ」と
「つらいならばしっかり悲しんでくればいい」と
僕は3週間学校を休んだ
今まで読んできた小説では一度も読んだことのない悲しみが僕を支配していた
悲しみという言葉でさせ僕には浅く感じていた
窓の外から猫を見かけるたびに泣いた
共通の友人は言ってくれた
「本当に遠慮しないでね」と
担任が言ってくれた
「苦しくなったら逃げろ」と
「向き合えないくらいの悲しさや苦しさに対峙しても打ち負けるだけだ」と
「だけどその時はちゃんと泣いてやれ」と
少し変わった担任だった
僕は逃げ続けた
苦しくなるたびに忘れたふりをした
猫を見かけるたびに気付かぬふりをしていた
夜になって部屋で1人泣き続けた……
入力しては消してまた入力してと繰り返していく
いよいよ最終段階に入る
“終わらせたい”と“終わらせたくない”が交錯する
同時に“終わらせるんだ”という感覚が僕にも迫ってくる
全てが昇華していく
映画のラストシーンのような音楽で高揚感を高めていくときのあの感覚を思い出しながらも入力を続ける
時間は否応なしに流れてしまう
いつしか僕らは離れていった
僕は誰もいない場所に行くことになった
そこですべてを忘れるはずだった……
どうしてか離れることはそんなにも簡単ではなかった
時間は流れ続ける
時々会う友人とはあの頃のような話を繰り広げることもあったがだんだんと会話がかみ合わなくなっていった
「いつまでも同じ場所には入れない」なんてありきたりな名言を思い出していた
「それならばどうして僕らは完全に流されることもないのだろう」と思っていた時期もあった
入力しては消して言葉が見つからない状態が続く
あれから15年以上が流れていることが不思議に感じるしその期間忘れていたことも不思議に思う
ふとしたことから始まったこの1週間
僕にはすべてに感じる出来事が起こったように思えた
それをひたすらにまとめてきた
最後は投げ捨てるような形になるのかもしれない
それでも昇華というには充分な出来事だった
もう君が言った言葉も出てこなくなった
メモ用紙を見てもこれ以上に広げることはなさそうだ
区切りをつけないように句読点さえも使わずにひたすらに入力してきた
最後の一文を入力し終えて手を止める
眼が痛い
体中が空っぽになった感じがする
目の前にはただひたすらに入力してきた1週間の出来事とそれを控えたメモ用紙
少しだけ机の上が散らかった
明日からはどういう形であれ空っぽの体に何かが入り込んでくる日々になるのだろう
そしてきっとここに記したこともやはり忘れ行くかもしれない
それでいい――素直にそう思った
ここまで苦しくなるとは思わなかったがどこかでこれを望んでいたのかもしれない
これで夢の一つも昇華させたことになる
1週間だけ追いかけた小説家という夢――きっとどこかで活きてくるだろうと根拠なき期待を残したまま僕はその夢を終える
そしてこれが僕の最後の小説だ




