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一週間  作者: α
3/10

水曜日

気持ち悪さで目が覚めた

胃がむかむかする

久しぶりに二日酔いになったようだ

「それにしてもいつも以上に部屋が暗いのはなぜだろう?」と思えば僕が押入れで寝ていただけの話だ

ふすまを明けると部屋には日差しが入り込んでいた

どうやらカーテンも閉めることなく寝てしまったようだ

スマホで時刻を確認すると5:43と表示されている

いつもより早すぎる目覚めだが眠りなおす気にはなれない

思い出したように粗大ごみを捨てに部屋を出る

色々な本を詰め込んでいたはずの本棚は今は加工された木の塊でしかなく持ちづらいだけの物体でしかなくなった

確か一人暮らしを始めてやっと部屋に置けた本棚も――時の流れなのか――今の僕には不要なものでしかないと感じてしまう

別に電子書籍が優れているとか紙の本が遅れているとかそんな話ではなく僕にとって気が付けば本が必要ないと感じるようになっていた――もう少し正確なことを言うならば必要ないと感じることもなく離れてしまっただけのこと

指定場所に置くと部屋へ戻るために引き返す

この流れがあと2回あるわけだ

購入した物を捨てる時が一番記憶を呼び起こすのはなぜだろう?

この本棚も購入した時にはものすごくうれしかった

夢を忘れ見えない何かに抗い続ける日々に貪るように答えばかりを本に求めていた日々

小説の面白さを忘れていないはずなのに「早く読み切れない」という違和感を覚えてしまった日々

途中で同じ階に住む人とすれ違う

「おはようございます」と言うと会釈をしてそそくさと出かけてしまった

思い出すまでもないがここは東京の――昔の僕が憧れた冷たさを持つ街の――はずなのにそれを体現してくれたどの部屋なのかわからない住人に少しばかりそれを思い知る

それでいいのかもしれない――向こうもどの部屋の住人かわからない僕がこの部屋をそしてこの町を出ていくことなどどうでもいいことでしかないだろうから

そしてそれは東京の冷たさにつながるならばそれの正体は単なる無関心でしかなかったのかもしれない

そんなことを思いながら棚だった木の塊を手に持ちもう一度粗大ごみを捨てる指定場所へ向かう

何も考えなくていいのかもしれない

僕の人生からすれば引っ越しなど単なる出来事の一部になりそしていつかは色あせるだけの記憶にしかならないのだろうから


全ての粗大ごみを指定場所へ捨て終え部屋へ戻る

改めて見渡せば少しばかり広く感じるようになった

水道をひねり薬のにおいが残る水をコップに注ぎ飲む

気持ち悪さがいくらか和らいだ気もする

スマホで時刻を確認すれば6:17と表示されている

シャワーを浴びることにした


それにしても気持ちが悪い

特に急ぐ用事もないのだからと押入れを開けたままもう一度眠ることにした

横たわると同時に意識が遠のいていく感覚がする

気が向いた時に起きればいいんだという安心感もあってかすぐに眠りについていた


久々にスマホが鳴り出した

聞き覚えのない音楽

(僕自身は電車での移動とかが多く常にマナーモードに設定する癖があり着信音などの設定を行うことがなかったのでそもそも着信音がわからなかった)

なんだろうと画面を覗き込むと「母 着信中」と電話番号が表示されていた

「もしもし?どうしたの?」と聞く

そういえばいつからだろう「お母さん」「お父さん」という言葉を使わなくなったのは……

「朝からごめんね」と少しトーンの低い声が聞こえる

「仕事は離れてるだけだし問題ないよ」と返す

この一週間がずっと続くわけではない――ただどこかで体調を整えたほうが良いように少しだけ人生を整えたいと自らが調整した時間でしかない―ことを思い出しそして同時に世間体や一般常識という幻想を振りかざしてきた友人たちをなぜか思い出しながらも母の言葉を待った

「久々だしこんな電話悪いんだけど」と母

もったいぶらずに言ってほしいがそれができないのが母でそれを理解できないのが息子なのかもしれない

「昨夜にモモがなくなったよ」と言われた

モモとは実家で飼っていた犬の名前

どうしても飼いたいと思い続けわがままを言い続けやっとの思いでペットショップではなく知人づてにいくらかの謝礼で譲っていただいた柴犬だ

17歳で亡くなったことになる

「寿命だよね?」と聞き返す

「そうだね」と弱気に聞こえる母の声

「最近元気なくなってきてそしたらあっという間だったのかな」と続く

いつだって死は嫌なものでしかないと痛感する

「そっか……今日帰ろうか?」と聞く

実家と言っても電車で二時間見れば帰れる距離だから今から出れば午前中には充分に間に合う計算だ

「それがね今水回りを色々と修理してたりして家の中がぐちゃぐちゃなのよ」と笑うように言う

どうやら悲しいとか死を受け止めきれていないというよりは離れた僕に「モモが死んだ」という事実を伝えにくいと感じていただけのようだ――天寿を全うしたならば案外にそんなところかもしれない

「わかったよ……」とあっけにとられるも真意を見いだせずに帰省をあきらめることにする

「しっかり供養はしてもらいなね」と返すと

「午前中には焼いてもらえるみたいだから」と言うとそれとなく通話が終了した


切り替わった画面には7:45と表示されている

少し気持ち悪いがもう眠りなおす気にはなれずに布団をたたむ

気晴らしになるかもしれないと近くの牛丼チェーン店で朝食をとることにした

服を着替えスマホとお財布をズボンのポケットに突っ込む

身軽なまま歩き出す


モモが死んだ――不意にいろいろなことを思い出す

僕が中学生の時にやってきた

おとなしくてすぐに懐いてきた犬だった

父親はどこか嬉しそうで普段は帰宅後にテレビを見ているだけのような人だったのが休みになるとホームセンターへ出かけてベニヤを買ってきた

書斎を持たない父はリビングに置かれたダイニングテーブルに黙々と向かうようになった

学校帰りに鉛筆を買ってきてほしいと頼まれた

「シャーペンじゃだめなの?」と余ったシャーペンを見せながら聞くと

「鉛筆がいいんだ」とどこか楽しそうに話す父が少し気持ち悪かった

久々に入る文房具屋で鉛筆をみて驚いた――濃さが何種類もあることを忘れていた自分に

あの時は無難にHBを買って帰った気がする

実は僕の学生時代はちょうどパソコンが普及し始めたころだった

インターネットが身近になったことで良くも悪くも色々なものの境界線がなくなっていく兆しを見せていた

当時の僕はあまり学校になじんではいなかった

僕はただ朝になると起こされて身支度を整えると学校へ向かう

学校では数人の友人たちと話したり意味を見いだせぬ授業を聞いてるふりをしていた

帰り道に寄り道する古本屋だけが当時唯一の楽しみだった

そんな僕にできた楽しみがモモだった

父は僕が鉛筆を渡すと嬉しそうに笑いながらすぐに鉛筆を削り紙に何かを書き始めた

そして「今度の土曜は学校休みだろ?」と聞いてきた

「休みだけど」と答えると「手伝え」と嬉しそうに言ってきた

今思えば父との会話がなくなっていた時期でありそもそも家族とうまくいかない時間が長くなっていくだけの時期だった気もする

その土曜日にすべてが分かった

父は犬小屋を作ろうとしていたのだ

今どき犬小屋くらい既製品としてありそうな気もするが作ることにも楽しさを見出したかったのかもしれない

僕も久々の工作は嫌ではなく父がダイニングテーブルで書き続けていた縮尺がめちゃくちゃな図面を頼りに犬小屋を作る手伝いをしていた

昼が過ぎ夕方になる手前の日が傾き始めたときに犬小屋は完成した

水漏れを確認するため屋根の上からバケツに汲んだ水をかける

問題はなかったはずなのに――肝心のモモはそこに入るのがどこか嫌そうだった


気が付けば店の前にいた

慌てて我にかえり店に入ると食券を買い席に着く

お茶を持ってきてくれた店員さんに食券を渡す

「しばらくお待ちください」と告げ店員さんが厨房へ入っていく


一人暮らしのいいところと悪いところをそれぞれあげたとして僕はどちらも「一人でいること」という答えにたどり着いてしまう気がする

あの頃は家族と同じ家にいてモモがいた

時にはそれがストレスで一人暮らしにあこがれていたけどいざ実現するとそのストレスに感じていた物が懐かしくなってしまうから不思議だ

僕だけなら「それも個性ですから」と笑ってごまかすが案外に人間とはそういう生き物なのかもしれない


「お待たせしました」と定食が運ばれてくる

ご飯に味噌汁という当たり前だった組み合わせも一人暮らしになってからは作らなくなった

そんなことを思いながらもやはり得意ではない外食だから黙々と平らげていく

食事を終えると速やかに店を出た

隣にはいつの間にかコンビニができていた

喉が渇いていたわけではないが缶コーヒーを購入する

店を出るとポールにつながれた犬がいる

そういえば犬種はよくわからないが犬は全体的に人に懐くのだろうか?

嬉しそうに僕に寄ってくる犬に――そして一番寄ってきてほしい犬がもう寄ってこないことに――戸惑いながらも頭を数回撫でてから歩き出した


缶コーヒーを飲みながら歩く

間違えて微糖を買ってしまったらしい

苦みと甘さが入り混じるような味が舌に残る

今日はエイプリルフールではないからやはり母からの電話は事実なのだろう

そんなぼんやりしたことを思いながら帰宅した


部屋に戻るとそこには明日の回収日に合わせてまとめ始めたごみ袋がたまっていた

夢とか地位とか名誉とか――僕にだって欲しかった時期はある

ただそんなことを考えるたびに違和感を覚えたのも事実で――僕は自分自身の声を忘れていたのかもしれない

そういえば昨日にまとめたノートの中にはやたらと犬が出ていた

やはり犬のいる生活は楽しかったしそれを小説に取り込むのは自然な話であっただろう


モモのことを思い出す

モモは3月にやってきたからモモになった

安直すぎる気もするが4月にやってきてサクラとかにしたらもっと早く亡くなっていそうだ

そういう意味では悪い名前ではないのだろう

二人でいる時には懐くのに両親がいると僕はそっちのけになっていた

だけどちゃんと僕の隣にいてくれた

もう少し大きな犬小屋だったら一緒に寝れたかもしれない――そんな期待は雪の日に家にモモを入れてそのまま一晩過ごした時に誰とも寝ないことが分かって崩れ去った

時は流れる

僕は高校生になった

相変わらずつまらない授業に気の合わない友人たち

気が付けば学外の人と多少の付き合いを持つようになった

何をするでもなくただ公園で話していただけの日々

モモとは散歩するくらいになっていたし少しだけ面倒くさくもなっていた

時は止まらずに流れる

僕は高校を卒業し大学生になった

学校は適当に行くだけになった

モモとは一緒に昼寝をよくしていた

このころになると勝手に家に入ってきては涼しい場所で寝ていたりもした

朝はとにかく起きなかった

午後に目覚めそこから夜中まで活動する

眠る時間と起きる時間が少しだけずれていた

朝になるとモモと一緒に寝ていてよく母に二人して怒られた

別に後悔はしていないはずなのに……

あの時にはそれが一番いいと思っていたのに……

どうしてもっと遊んであげなかったんだろう?


動物である以上はいつかは死と直面することが分かっているようで気が付けばいつも忘れてしまう

死から遠ざかったこの世界でも完全に抗うことができない事実にふたをして都合よく忘れているだけなんだろうな……

不意に視界が曇っていることに気付く――どうやらまだ涙を失ってはいないようだ


気付けば電車で2時間の距離にもかかわらず実家には帰らなくなっていた

帰ることへ特に嫌な理由があるわけではなかったが――どこかで一人でいることを選び続けていた

仕事を口実にすれば仕方ないねと納得してくれる

一人でいると意外と家事などはそつなくこなせるようになってくるし生活だって乱れることは少ない

一人でいると意外と家族や友人に会うことが面倒くさくなる――そして感情や人付き合いを忘れていく

そのバランスを気にすることなく僕は一人でいることを選んだ

実家に帰れば家族がいてモモがいた

「モモに会いたいから」という理由で帰省すればよかった

同級生の「連休は空いてるならば久々に集まろうよ」の誘いを断らなければよかった

どうして好きでもないこの町で一人過ごし日常を消費するような生活になっていたのだろう……

色々な思いが後悔に変わっていく――久々に感じる後悔が痛い

しばらくの間動けないままでいた


昼すぎになり朝に聞いた聞きなれない音楽がスマホから鳴り出す

もう誰なのかもどんな話なのかも予想が付く

画面にはやはり「母 着信中」と電話番号が表示されている

迷うことなく応答ボタンを押す

「もしもし焼いてもらえたの」と聞く

「そうだねすぐに終わったよ」と安心した声が聞こえる

離れた息子に飼い犬が死んだことを伝えたことそしてその亡骸を空へ還し終えた安心感がにじみ出るような声だった

どうやらそのまま共同墓地に納めていただけたようだ

新しい仕事が落ち着いたら顔出すからと告げると

「そういっていつまでも落ち着かないじゃない」と皮肉とも冗談ともとれる一言で通話は終了した


気分がいくらか落ち着いた僕は広くなった部屋にいる気にもなれずに外へ出ることにした

本屋に行くくらいしか思い浮かばないが新しい部屋で必要になりそうな家電を見に行くことにした


駅に着き時計を確認すると11:45を表示していた

昼前の駅は閑散としていて少し待って到着した列車はもっと閑散としていた

少し遠い距離だが一本で行けるからと大型家電量販店へ向かうことにした

がらりとした車内で色々なことが頭の中を交錯する

新しい生活への“期待”に“不安”

離れていくだけの過去に対する“戸惑い”と“取り返したい衝動”

“このままでいいのかという自問”と“前向きに変わりたいという願望”に“あの頃の感覚を戻したいという懐古の思い”

どうしていつだって“どこかに行こう”とするたびに“どこにも行けなくなる”ような感覚に支配されてしまうのだろう……

この列車のように行先を決めてたとえ敷かれたレールの上であっても前にそして目的地にたどり着ける方が結果的にはいいはずなのに……とさえ思う

そしていつだって考えることや悩むことを止めようと決めたその瞬間にはいつだって考えたり悩んだりしてしまう

スマホを取り出すとニュースを読み始めた

遠い国の戦争も政治家たちの不祥事も強豪チームが軒並み苦戦しているサッカーも今の僕にはどうでもよくて柄にもなく占いを見れば何故だか1位と出ていて……僕はスマホを閉じる

出来事に対して意味を見いだせるほど強くはない

出来事に対しての全てを受け入れる器もなければ出来事に対してへの棲み分けができるほど器用でもない

シンプルに言えば今日の僕はモモの死に引きずられるだろうしそれはずっと離れることを無意識にせよ選択していた僕への罪ならば受け入れるしかないと思い僕は目を閉じた


駅に直結しているような場所にある家電量販店に着いた

「必要になりそうなものは冷蔵庫くらいだろうか」とか「洗濯機も一応見ておいて少し大きいものを買っても悪くないかもしれない」とか「シェーバーが壊れたままだから一応見ておこう」とか案内板をみて次から次へと思い浮かぶ

急ぐ理由もないのだからと一番上のフロアから順繰りに回ることにした

昔は新商品ばかりに目移りしていたが今は昔から変わらないような商品に安心感を覚える

冷蔵庫は少し大きいものにしたいけど僕が果たしたいことの一つに「結婚相手と冷蔵庫を買いに行く」というものがある

妻になった人はいつもみたいに少しだけのおしゃれも必要なくて軽く化粧してパーカーにジーンズだけの格好で出かける

恋人から夫婦になった時には着飾ることなく隣にいてほしいという思い

夫婦になるからにはお互いに家族を大切にする気持ちを持っていたい

そんなことを思いながらも「それならばまずは冷蔵庫を買いに行くのがいいなっ」てそんな妄想を繰り広げたことがきっかけだ

少し大きめの冷蔵庫を選んで欲しい

そして「家族が増えたら中身も増やせるから少し大きめにしておこう」ってそんなことを言われたい

昔にそんな妄想を小説に取り入れようとした時期もあった

「冷蔵庫をお考えですか」という店員さんの一言で我に返る

「まだ新しい部屋の採寸が終わってないので今日は大丈夫です」とやんわり答える

「パンフレットのご用意もできますので何かございましたらお声掛けください」と笑顔で離れてくれた

しばらくの間色々なサイズの冷蔵庫を眺めて洗濯機売り場へ移動する

ここでも容量の大きさばかりに気をとられてしまう

「まぁいいや」とシェーバー売場へ移動する

新卒のころに身だしなみを意識するようになった

若かった僕は髭をNGとする風潮に少しげんなりしながらも少しだけ髭を伸ばした時期もあった

今は剃っておこうと――「間違いを起こさないためにも」といういくらか落ち着いた考えや髭に対するこだわりがなくなったこともあってか――素直に思う


一通り眺め終えたところで店を出る

準備のために店を訪れるのは今となっては古いやり方かもしれない

最安値も寸法も評判も一瞬にしてわかる時代に自分の第一印象を頼りにするのはいささか滑稽な話になっただけの話だろう

すぐに帰宅する気にもなれずに少し離れたチェーンの古本屋へ向かう

町にあった個人経営の古本屋とは違い扱う商品は多いが個性もぬくもりも感じないようなつくりだが価値の分かっていないような値付けにありがたみを感じるようなときもあった

今日は本を読みたくない――気分が完全に晴れないだろうから――とDVDコーナーに足を運ぶ

洋画は派手なイメージしかなく僕自身が明るくない分野なので自然と邦画コーナーに向かっていた

いくらか眺めていくうちに昔映画館で見た映画のDVDを見つけた

面白い映画だったからと手に取ると値段も手ごろだったからそれを購入することにする

命についてをポップに描いた作品というのが僕の印象で何よりも好きな作家の一人が原作を書いたことも大きかったのだろう

帰宅ラッシュがあと少しで始まる日が傾き始めた時間に僕は帰宅することにした


ホームで列車を待つ

何気ない日常がそこにはあった

もう少しでこの特別な1週間も終わりを迎える――それでいいのかもしれないという思いとそれでいいのだろうかという迷いが入り混じる

近くでおしゃべりしている学生がいるが昔と違い騒ぎ立てるような感じではなくすこし話が盛り上がったような感じだ

少し離れた場所にはスマホで通話をしているスーツ姿の男性がいる

笑顔がこぼれているところを見ると商談がうまくまとまったのだろうか或いは何か抱えていたような問題がやっとのことで解決したのかもしれない

後ろにいるのは女性二人だろうかやけに話が盛り上がっているようだ

列車が来るというアナウンスが流れる

音が聞こえ列車がホームに入ってきた

繰り返される日常

そこから一時的に離れた僕

今日という日はどこかで誰かが生まれた日だろう

その今日という日は誰かにとっては命日になってしまう日だろう

そんなことを不意に思う


ドアが開く

どっと人が降りる

揺れる車両に僕は乗り込む

空いてる席を見つけるが座る気にはなれずにつり革をつかむ

チャイムが鳴りドアが閉まる

列車が走りだす

何も考えたくないから目を閉じる

しばらく列車は走り続ける

当たり前のように最寄駅についていた


帰りにスーパーにより弁当とカップスープを購入して帰宅する

気が付けば洗濯物がたまっていた

仕方ないと洗濯機を回す

急ぐ理由はないから夜にでもコインランドリーへ行けばいい

スマホで時刻を確認すると18:23と表示されている

弁当を温めお湯を沸かしカップスープの陽気に注ぐ

味気ない夕飯を黙々と平らげる

食べ終えると容器をごみ袋に入れる

そのままたまったごみ袋をごみ置き場へ運ぶことにした

そういえばこの部屋を借りる時に不動産屋は「指定場所に捨てる分にはあまりうるさいことは言われないこともこの物件のおすすめポイントですね」と教えてくれた

いまいちしっくりこなかったがこれだけの量のごみを出すならば少しばかり大目に見てもらって早めに出しておけるのは確かにありがたい話だ

網目状のドアもついておりカラスがいたずらできないようにもなっているし今思えば快適に過ごせたポイントではあったのだろう

同じような思いなのか少なくはない数のごみ袋がすでに置かれていた

僕もまとめてそこに捨てるとどこかすがすがしい気分になり部屋へ戻った


洗濯機の残り時間がデジタルで9と表示されている

悪くはない段取りだ

そのままビニール袋に洗濯物を放り込みコインランドリーで乾燥させればいい

30分くらいはかかるだろうからと残した本から読んでいない文庫本を一冊取り出し用意した

洗濯機が機械音をたてて洗濯の終了を教えてくれる

僕は蓋をあけると絡まった洗濯物を一つ一つ外しながらビニール袋に入れていく

入れ終えるとズボンの後ろポケットに財布と文庫本を入れジャケットのポケットにスマホを入れ部屋を出る

コインランドリーへは歩いて5分くらいだ

通り道にはスーパーがある

丁度夕飯時なのか人気が多くなっていた

スーパーを通り過ぎ少しして信号を渡る

するとと少しばかりの住宅が広がりそこには明かりが灯っている

そこから少し歩けばコインランドリーに到着した


コインランドリーには誰もおらず回っている機械もない

乾燥機に洗濯物を入れるといくらか均等になるようにならしてドアを閉める

100円玉を入れるとデジタルの10が表示され勢いよく回りだした

文庫本をポケットから取り出すと備え付けられている椅子に腰掛ける

映画化を計画していると帯に書かれた文庫本

面白いのかどうかよりも読者が共感するかどうかが問題になっている気がする昨今の小説

それもまた面白いと軽い気持ちで手に取った一冊

読み始めようとした時にポケットのスマホが震えた

確認すると妹からだった

モモの写真と「母から聞いたと思うけど昨夜なくなりました」の一言

「たまには帰ってきてね」と続けて届いた

「ありがとう落ち着いたら帰るからまたその時にね」と返す

懐かしく感じる実家の犬に色々な思いをはせる

「悲しいの?」と問われたら「悲しいよ」と答えるだろう

それでも家族をつなぎ続けてくれたことを考えると「ありがとう」で送り出さなければいけないのかもしれない

やり切れぬ思いが僕を支配する

よりによってこんな時に持ってきた本も命について向き合うような内容の小説だった

今日の僕はどこまでもついていないのかもしれない

それはどこまでも悩みぬきなさいとも受け止められる出来事だった

或いは単に僕への罰のようにも感じられた


結局読書に集中できないままに30分ほど乾燥機を回し乾いた洗濯物をビニール袋に入れて帰宅した

洗濯物を床にぶちまける一人暮らしをしていた時の楽しみの一つ

乾いた洗濯物を床にぶちまける

それをどんどん畳んでいき種類ごとにまとめてしまっていく

そんなことが好きだった

今回はたまっていたとはいえそもそもの量が減っていたこともありすぐに終わってしまった

文庫本をもとに戻すと先ほど購入したDVDを見ることにした

久々に起動させるパソコンはOSが3つくらい前の物ではあるがそこまで使い込んでいなかったからか今でも順調に動く

映画が始まる

タイムリーで見たときにはこれから映画を見に行く時間を作れるのかが分からないとか今となっては杞憂でしかなかったことを真剣に悩んでいた

どこかで仕事を考えながらも映画や読書を失うことを恐れていたのかもしれない

失っても何とかなったというのが半分で残りの半分はやっぱり必要だったという事

誰かに評価されるからとかそんなことではなく自分が好きかどうか大事に思うかどうかが重要だと感じたのもいい経験だ

そういえば昔妹に「読書って女の人にもてるとか思ってるの?」と的外れなことを聞かれたことがある

本当にもてたければ「読書が好きな口下手な男であることを改める何かをしていただろう」とそんな他愛もない会話をふと思い出した


映画を見終えるとスマホの時刻は22:16と表示していた

なんだか今日は疲れた気もするが特別に何かをしていたわけではない

やはりやりきれない思いが体中を巡り巡ってくる

仕方ないとジャケットを羽織りコンビニへ向かう

控えてはいるのだが今日だけはタバコを吸いお酒を飲んでしまおうという衝動に駆られた

そういえば一人暮らしになって「意外だねと」言われるのがコンビニを使わなくなったこと

スーパーの方が安いし必要なものをそろえやすいからなのだがどうやら男の一人暮らしにそのようなイメージは持たれないらしい

それでもコンビニに入ればライターもお酒もつまみも場所がわかるのが不思議だ

つまみも適当に見繕いレジへ向かう

必要最小限の会話と会計を済ませると店を出る

意外なことかもしれないが僕の住んでいる地域では今でもコンビニに灰皿が置かれている

タバコを開封し久しぶりに火を点ける

煙が体内に入ってくると途端にめまいがするし気持ちも悪くなる

煙を吐き出すと余計に気持ち悪くなった

それでもまた煙を体内に送り外に吐き出す

そんなことを続けていた

1本を吸い終えると気持ち悪さを覚えながら部屋に引き返すために歩き出す

途中で歩いていた猫に出会うと不思議そうな顔をしてこちらを見てきた

「猫は懐かないよ」と母がぼやいていたのを思い出す

そう思えば犬を飼うのは母も嫌ではなかったのかもしれない

猫はこちらを気にしながらもどこかへ行ってしまった


部屋に戻りジャケットを脱ぎ捨てる

袋から缶を取り出しつまみを机に並べる

缶を明け一口飲むと意外と強いお酒を選んでいたことに気付く――無意識にそうしていたのかもしれないけど

構わないとつまみも適当に飲み続ける

あっという間に一缶を空にする

あまりよくないと思いながらも3本ほど買っていたから続けざまに缶を開ける

もはやあおるような飲み方にはなっているが今日という日はそれでいいのかもしれない

二本目も空にすると換気扇の下に行きタバコに火を点ける

ここまで酔うともはやどうにでもなれと思う

色々なことを思い出した

モモが死んだ――仕方ないとわかっていてもどこかでやりきれなくなってくる

飼い犬の死がここまで苦しくなるとは思わなかった

タバコを吸い終えると空き缶に少し水を入れそこに捨てる

「じゅっ」という音を立ててタバコの火が消えた


「落ち着いたらしっかり実家に帰ろうそしてちゃんと線香をあげてこよう」とふらふらした決断をする

気持ちが悪くなる

水道をひねりコップに水を注ぐ

薬のにおいが分からなくなっているが普段は薬のにおいがするそれを飲む

冷たい感覚が体中に広がる


ふらふらしながらも布団を敷き僕は倒れこむ

机の上は明日に片付ければいい

今日はこのまま眠ってしまおう

そう思った

そしてもう会えないことを思うと自然と涙があふれてきた

悲しみを忘れないためにそしてモモを忘れないためにも僕は涙を流したまま目を閉じた


眠れない

当たり前かもしれない

前に進むために後ろを向くのは一時的には有効かもしれない

例えば矢を飛ばすために弓をひくように

ただ今日はおかしいくらいに過去と未来が入り乱れるような日だった

取り返しのつかない過去と何一つ確信できない未来

そんなものに振り回されるくらいならば今をしっかり生きればいいのにと思いながらそれができないままに生きてきたことを思い出す


どうやら今日の夜は長くなりそうだと思いながらあきらめて電気のスイッチを押す

周りが暗くなる

電気を消したことに驚くももう一度スイッチを押し部屋を明るくした

それにしても2日間ともに酒を飲むのは久しぶりでやはりどこかでバランスを崩しているのかもしれない

無意識の中にも少しばかり乱れるような何かがあるのだろう

それが日常生活でもなくストレスを感じやすい仕事でもないならばいったい何なのかはわからない

少し空気を入れ替えようと窓を開けると風が冷たかった

空を見上げれば黒い

「明日は雨なのだろうか?」そんなことを思う

もう一度台所で蛇口をひねり水を飲んだ

いくらか気分が和らぐ

机の上に置きっぱなしの空き缶とつまみの袋を片付ける


だいぶアルコールが回ってきたのだろう

それを何も感じずに黙々と終わらせていく

ようやく眠ることができそうだと思いながら片づけを終える

冷たく感じる風を浴びながら静かに窓を閉める

電気を消す

布団に横になる

気持ち悪さも鼓動の速さも気にならなくなっている


そのまま目を閉じると静かに眠りについていた

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