月曜日
日差しの強さで目を覚ました
スマホで時刻を確認すれば8:45と表示されている
あわてて身支度を整えようとして「はっ」とした
今日から1週間だけの自由を僕は手に入れていた
理由は簡単で会社が倒産するらしいのだ
そこそこの中小企業で恵まれた待遇はなけれどもそこそこの待遇は与えられていた
(僕自身が旅行とか観光に関心が薄いことも幸いして休みをまとめて取得して遠くに出かけたいなどと考えなかったこともあるのかもしれないが)
2か月前に会社側が説明をするための個別の面談を行うことになった時にもどこか実感がないままだった
簡単な打ち合わせに使う部屋へ一人一人が呼ばれた
青ざめた顔をして戻ってくる奴もいればどこか嬉しそうな顔をして戻ってくる奴もいた
僕も呼ばれた
「突然で悪いんだけど会社を倒産させることにしたんだ」と言われた
「そうですか」とだけ答えた気がする
「君ならば紹介できるグループ会社があるけどどうする?」
「ありがとうございます」と答えて少しだけ間をとった
「そこではどのような仕事をすればいいのでしょうか?」と次には言っていた気がする
「そうだねA社かB社になるとは思うけどおそらく今の仕事と変わり映えはしないと思うよ」とあいまいな答えが返ってきた
「わかりましたが今後はどのように進めていけばよろしいですか」と続ける
「こちらでどれだけの人がグループ会社へ再就職を希望するのかも調査しているからしばらくは内密に待っていてくれたらいい」とだけ言うとそれとなく話は終わった
部署へ戻った時の僕はどのような表情をしていたのだろうか
「青ざめるでも嬉しそうでもなかった」とは言われたのだが……
その日は定時で打ち切るように皆が帰宅する雰囲気を出していて実際に定時でほとんどが帰宅するようだった
僕も定時になり帰り支度を始めた時だった
数少なくなった同期に「帰りがけに軽くどう」と尋ねられた
僕も彼も酒は好きだが対して強くはないことを思いだし明日には響かないだろうと判断してから
「行くけど今日面談したの」と尋ねた
「あぁ」という答えが誘われた理由のようにしか思えなかった
2人して玄関を出ると女性が2人待っていた
どうやら彼が誘っていたらしい
合流してしばらくは無言のまま通いなれた道を歩きそのまま駅を通り過ぎチェーンの居酒屋へ入る
久々に入るチェーンの居酒屋はどことなく落ち着いた雰囲気になっていてもう昔みたいにバカ騒ぎするような空間ではないことに驚く
席に着きハイボールを2つとお洒落な名前のカクテルを2つ注文する
食事類は「適当でいいから」と一緒に誘っていた女性2人にメニューを渡していた
選んでほしい料理が肉類から魚類になり揚げ物からサラダになっていることに気づきそれで年を重ねたことを実感する
しばらくの間を繋ぐかのように彼はポケットからセブンスターを取り出すと「カチッ」と大げさな音を立てるライターで火を点けた
沈黙が流れる中では彼の吐き出す煙も天井の方に流れゆくだけだった
5分と過ぎてはいないだろう早さで4人分の飲み物が運ばれてきた
「ついでに注文できますか」と柔らかい感じで料理を注文する
適当に選んでいるはずなのにアボガドとかを選ぶあたり女性特有のセンスを感じる
(男だけならばサラダ一つにしてもわかりやすい品を選ぶ気がする)
「今日はいきなりで悪いね」と彼が告げ僕らは静かにグラスを合わせる
「乾杯」と元気よく言われたらきっと彼に対して「どれだけ会社に恨みがあるのだろう」とか「そこまで嫌ならば転職でもすればよかったのに」とか思っていただろうから静かに始めたことに安心感を覚えていた
「いきなり切り出すのもあれだけどもう皆は面談終わってるよね」とやはり彼は静かに切り出した
「終わったよ」「私も」と女性たちが答える
「今日終えてきた」と改めて僕も答えた
「よかった」と彼はためらいながらも答える
「どうしたの」と僕がこの空気に耐えられなくなりつつあり先を促す
「実はね次の会社も紹介できそうとは言われたんだけどさ」と彼が答える
どうやら当たり前だが伝手の再就職を告げられたのは僕だけではないようだ
「私も言われたよ」と女性が言うと「私も」と続けざまに女性2人が答えていく
「僕もだよ会社には内密にしておいてほしいと言われたからこれ以上は控えるけどね」と答える
「真面目なんですね」と女性の一人がぽかんとした顔で答えた
「彼はそういう一面があるんだよ普段はへらへらしてるのに意外と冗談が通じないようなやつでね」と僕をいじる
「へぇー」と女性2人が僕を見てくる
そういえばこの女性2人の名前さえ僕は知らないことに今気づく
同期ではないはずだ
「それに対してどう答えた」と彼は聞いてくる
どうやら社内政治的なところに関心があるのだろうか――そういえば彼は出世にも関心が強かった気がする
「私はお願いしますとだけ」と答えれば「私も同じ」と続く
3人の視線が僕に向けられる
「次の会社での業務内容と自分がするべきことを確認しただけだよ」と答える
「そっか」と彼は少しがっかりしたような声を出した――どうやら社内政治ではないようだ
「実は俺その話を断るつもりでいるんだ」と意外なことを打ち明けた
「どうしてですか」と女性2人は驚きながらも好奇心に勝てないという目で先を促している
「これを機に自分でビジネスを始めようと思うんだ」と彼は静かに強い眼差しでそれに答えた
その後は彼の話を聞く時間になった
不況や大災害のたびに苦しむことが多かったという
そしてそのたびに感じていた矛盾が決定打となったようだ
その矛盾とは今の仕事は楽しいけれど「他に優先すべきことが発生した時にすぐにそちらに取り掛かれないこと」だそうで例えば大災害の時にボランティアで現地に駆け付けることは一度もかなえられなかったそうだ
そういえば彼は休日出勤等もしていたしそれこそ休日は仕事の為の勉強に時間を費やすようなタイプの人間であったことを思いだす
結局彼は地位や名誉よりも自分らしさを選択するという決断をしたということだ
いったいそれを僕に打ち明けてどうするつもりなのかと思っていたのだが
「もちろん会社には再就職の方向でお願いしますと言ってあるからここだけの話にしておいてほしい」と彼は話をしめた
もともと強くはなかったがさらに弱くなったお酒でふらふらしながらも昔の自分を思いだしそしていまだに果たせていない企業とか独立などが頭をかすめていた
そこまで派手に飲むメンバーではなかったようで彼は「支払いはいいよ」と言ってくれたが「お前の話格好良すぎたこれは勉強代」と彼の言うへらへらした男を演じながら半分より少し少ない額を彼に渡した
(半分でもいいのだが彼の気持ちを汲んで彼に格好つけさせる形にしたかっただけだ)
その時彼は僕に
「お前が再就職を迷いなく決めるようならば俺らももう決して若くはなくなったんだな」とだけ言った
僕は本当にその通りだと痛感していた
駅に着き彼の家だけが反対方向だと知り女性2人と同じ方向に帰宅することになった
少し遅い時刻の混雑が緩和した列車に僕らは乗り込む
空調を使っていないのかお酒で火照った体には少しだけ暑く感じる車内で彼の話を思い出していた
「彼とは同期なんですか?」と女性から聞いてきた
「そうですねところでそちらは」と質問すると
「経理部にいます」と答えてから彼との関係を教えてくれた
入社は僕らの2年後だそうで彼とは社内イベントで知り合ったそうだ
そういえば僕はそういったものには専ら行かずじまいなタイプなのと会社だけの人間関係に終始したくないという理由でずっと断り続けていたのだが彼は積極的ではないにしても参加はしていただろうし他部署との交流も図ることくらいは考えればやっていないはずがないと思えるような人物だった――要するに僕とは真逆な人間なのだ
「もしかして」と思い出したようにもう1人の方が聞いてきた
「昔に起業とかの話をしてた方ですか」と
思い出した――僕が思い出した昔の僕は彼とそういった話をよくする仲だった
「何人いるかは知りませんがその1人かもしれないですね」と今度は僕が彼について話始めた
彼とは会社の同期であり通っていた大学も違えば学生時代は全く違う生活をしていたこと
(僕自身は学校よりもアルバイトをする方が好きだったが彼は成績優秀で確かサークルに所属していたとも聞いた)
当初はあまり仲良くなかったが同じ部署になりいざ仕事を始めた時に彼は僕を見て驚いたと言っていた
(アルバイト先でもそうだが言われたことよりも改善することに興味が強かったことやどういうわけだか昔から時間にこだわりが強く進捗は絶対だと感じていたこともありそれが仕事にうまくフィットしただけの話でしかないのだが彼にはなかった視点のようだ)
「何それ面白い」と2人が笑顔になる
「そういえば」ともう一つ思い出したことを続ける
彼も僕も他人を助ける方だと思うがまったくもってやり方が違うのだ
彼は困っている人を見たらまずは助け次回に向けた改善方法を一緒に考えてあげるようなやつだった
僕は助けはするが改善方法などは自分で見出してくれとアドバイスは何もしなかった
そこが僕らの分かれ道だった気がする
彼は評判を上げていったが僕の方はどこか気難しい人に思われていたようだ
「あるある」と共感のうなずきを2人がする
「それでも仲良くなった理由は意外だったよ」と続けると
「気になる」と2人とも興味津々だった
「本屋で偶然会ったことがあるんだ」とその時の話を続けた
仕事の山場を越え一段落した時の事だった
休日出勤が続いていたこともあり交代で有休を取得することになった
僕自身は予定がなかったので「どこでもいいですよ」と日程の希望も言わないような時だった
突然にもらえた2日間の休みを読書に充てたいと思っていた
趣味と言えば読書ぐらいしかなかったのだ
有休の前日に本屋へ寄った時の事僕は少しだけ浮かれていた――久々に何もない2日間が来るだけなのに
小説からビジネス書からと回っていくうちに経営書のコーナーに見覚えのある男がいた
それが彼だった――気づかぬふりをしてあげようと思っていたが彼の方が僕に気づいた
「今帰り」と彼は聞いてきた――そういえば彼は分け隔てなく人と接する男だと思い知る
本屋で本を探しているときに気を使って気づかぬふりをするよりも一言二言会話して「じゃあな」の一言で別れる――彼はそういうタイプの人だった
予想とは違い「そうだよ」と返したところ「悪いんだけど助けてくれないかな」と切り出された
話を聞くと本を探しているのだが見当たらないらしい
僕はタイトルと著者を聞くと検索機に向かい在庫を調べ彼が探しているコーナーが間違っていないことはわかったことそして刊行が最近だったことから並べられていないと判断し検索結果をプリントして店員さんに尋ねた
予想通りに平積みの下にある引き出しから彼の探していた本が出てきた
「ありがとうこれを読みたいと思っていたんだよ」と彼は嬉しそうに言う
「それは良かったこっちはもう少し時間かかるから先に帰りなね」と言うと「悪いけど今回はそうさせてもらうよ見つけてくれてありがとう」と嬉しそうにレジへ向かった
それが彼と僕が仲良くなったきっかけだった
気が付けば乗換駅に着く直前だった
「僕はこのまま1本ですがどちらまで」と話題を変える
「次で乗り換えます」と2人とも笑顔で答えてくれた
やや強めのブレーキで列車がホームに止まる
つんのめりそうになりながらなんとか耐えるとドアが開いた
「今日はありがとうございましたお気をつけて」となれない言葉を言うと
「おやすみなさい」と答え2人はホームに降りて行った
翌日は対して酒が残ることもなくいつも通りに出社した
ふと思い有休の残日数を確認すると24日ほど残っていた
それが多いのか少ないのかはわからないが使いたいときには使わせてもらえたからまぁ多い少ないではないのだろう
主任が「有休?」と聞いてくる
「いえただ取れるならば1週間くらいとりたいなと思いまして」とだけ答えておいた
その日の昼前に課長から「昼過ぎに少しいい?」と聞かれた
「はい」とだけ答えると課長は忙しそうに「じゃあまたあとでね」と他に行ってしまった
「伝手がうまくいかなかったのだろうか?」と思うがそれくらいで人生が終わるわけではないとどこか楽観的になっていた
昼休みはコンビニの味気ない弁当で済ませた
何を話すのかがわからない以上は考えるだけ不安になるからスマホで普段はしないゲームをずっとやっていた
昼休みが終わるとすぐに数人を引き連れた課長が僕を呼んだ
ノートを手に持ち課長のもとへ行く
やはり簡単な打ち合わせに使われる部屋へ連れて行かれた
「悪い話ではないから安心してほしい」と課長は穏やかに話し始めた
僕を含め呼ばれた3人は出向という扱いでB社へ行く段取りができていること
そのまま会社が倒産した時には僕らはB社の社員として働くことになるということ
もちろんこちらとの合意があってということ
手短に告げられると
「今日は帰りたければ帰ってもいい」と言われた
「最後くらいは半休も取らなくていいから」と加えられるとやっと会社の倒産がリアルに感じられた
部署に戻ると主任が待っていたかのように「課長から聞いているよ」と穏やかに切り出し「今日は帰りなね」とも言ってくれた
僕はありがたく帰宅することにした
昼過ぎの空いた電車の中で昨夜の彼の話を思い出した――彼がビジネスを始め僕は会社員を続ける
どちらがいいとか悪いではなく考え方や好奇心の差が大きなひらきにつながった気がして――どうしてか僕は少しだけ負けた気がしていた
その日も帰宅後は何をするでもなく本を読んでいた
そして思い出したことがある――今ならばそれを実行できる機会かもしれないと僕は明日課長に伝える答えを決めた
翌日になる
さすがに会社の空気が浮つき始めていた
僕は課長の席へ向かうと途中で課長が僕に気づいてくれた
「昨日の件ですがお話したいことがありますのでお時間ある時にお声掛けいただけますか」と言うと
「今でもいい?」と課長は席を立った
やはり簡単な打ち合わせに使う部屋に向かいそこで話すことになった
「聞かせてほしい」と課長は言った
「まずは昨日の件ですが出向から承りたいと考えております」と言う
それにしても退職の意思を告げる時もそうだがどうして改まった話というのはこんなにも緊張するのだろう
「ありがとう」と課長は答える
「時期はいつからになりますか」と僕は続ける
「引き継ぎはあまり考えておりませんが一つだけ最後のわがままがあります」と続けざまに言う
「わがまま?」と課長が訝しげに僕を見る
「余った有休で1週間お休みをいただきたいのです」と切り出す
「というのはB社ですと少し通いづらいので引越しをしたいのです」と打ち明ける
「わかったB社との打ち合わせも最終段階に入ったからそれで出向の日付も決まるからさかのぼって1週間でいいか」と課長が応じてくれた「ありがとうございます」と僕は静かに答えた
そこから数日間は残った仕事をこなしていた
(意外にも倒産前でも暇することはあまりなかった)
そして定時後の時間で新しい物件を探しそれとなく見つけると休日に内見に向かい実際に確認を済ませると契約を行い引っ越し業者を手配するところまでは済ませておいた
幸いにして土曜日にきて日曜日に運ぶこともしてくれるそうでことが順調に進んだ
それと課長は約束通りに1週間の有休をとらせてくれた
急ぐ理由もないならばとのんびりコーヒーを淹れながらこれから先1週間のことを考えていくことにした
同期の話に変わり映えしない僕の日常
色々なことを考えては少しだけ取り組んではきたがやはり貫けず結果を言えば何となくで生きてきた
不思議なもので何となくの日々でも気づきというものは多く「人生は自分次第なんだな」と思ったりもした
時々は「このままでよかったのかもしれない」と思ってもいた
振り返れば学生時代もずば抜けて優秀だったわけでもなく社会人としても会社員としてもずば抜けた何かを成し遂げたわけでもない僕だから案外に流れ着いた場所に根をおろしそのまま休日を楽しみに一週間を過ごすような人間でもなんら問題はなかったはずだった
もしこの世界に神様がいて僕に何か一つでも才能を与えたのだとすればそれは「あきらめの悪さ」というものになるのだろうと思う
気が付くと「このままの生活でいいのだろうか?」なんて男ならば人生で3回以上は直面するであろう葛藤に僕は年間330日くらい直面していた
しかしながら神様が僕に与えた「あきらめの悪さ」という才能はどうやら素晴らしいものだったようで気が付けば色々なイベントに参加したり(時代の後押しとでもいえばいいのだろうか?SNSを使えば色々なイベント情報を入手宇すること自体は難しくもなく参加することへの抵抗も案外に少なかった)本を読んだりして過ごす日々が長く続いた
それでも彼との考えには差がついていたという事実が頭をかすめる
そんなことを思い出しながらコーヒーを淹れ終えるとパンと目玉焼きを朝食にする
それを平らげてから少しして今借りている部屋の管理会社へ電話する
定型文通りのような名乗り方を向こうがしたところで「引越しをしたいのでこの部屋の解約をしたいのです」と手短に伝えた
向こうも慣れているのか住所と名前の確認をすると連絡先を改めて聞かれる
一通り答え終えた後で「それでは退去の日はいつになさいますか」と聞かれたときにこれからのことを少しだけ憂いた気がした
退去の日付を今日から計算して最短の土曜日にしてもらう
どうしてもB社へ勤務する時期になってしまうため引越しは済ませていても立ち会いの時に戻ってこなければならないからだ
そのタイミングで引っ越しをすることも考えたがせっかくならばと新生活のタイミングで引っ越しをすることに決めた
そして新しい部屋を契約した時に連絡を忘れていたことを少しだけ悔やんだ
気が付けば「予定のない日」が久々であることに気付くがそれは僕自身が久々にやりたいと思えたことができたからだ
やりたいこと――それは友人には絶対に口にしない言葉になりそうだが「夢を少しだけ追いかける」ことだ
現実問題として叶えられる時間とは言えないが追いかけなければ近づいてくることもない
そんなことを思う僕は
「夢って案外に面倒くさいものなのかもしれない」と彼のいうへらへらした男になっていたのだろうかそれとも「冗談の通じない男」になっていたのだろうか?
部屋の掃除をするでもなく僕は図書館へ向かった
一週間だけ追いかける僕の夢それは「小説家」だった
遠い昔に夢見ていたことで「俺でも小説は書けるしきっと売れる」と訳の分からないことを思っていた時があったし「そのために就職なんてしてはいけない」とか「フリーターこそが最高なんだ」と周りに言っていたこともある
どういうわけでその夢をあきらめたのかはわからないが気が付けば小説を書くことに興味をなくしていき同時に読むことへの興味も薄れていった
代わりに目覚めたのは自己啓発本やらビジネス書やらでどちらかというと必要なものを引っ張り出すような読み方をするようになり読んだ冊数に反比例するように僕は感情をなくしていった
久々に入る図書館の独特なにおいに懐かしさを感じつつ小説コーナーへと足を運ぶ
色々な小説家の本を眺めることで「どのような構成にするのか」とか「テーマや内容をどうするのか」とかを考える時間にあてたかった
それにしても昼間の図書館には年配の方が多くいて皆黙々と本や新聞を眺めている
僕のような20代後半の風貌で図書館にいるのは多少の違和感を与えてしまうのだろうか?
案外に「最近の人は働き方が多様化しているから平日にいても不思議はない」なんて理解されているのかもしれない
数冊の本を手に空いている椅子を見つけ本を読み始める
思いのほか小説への感覚というものを失ってはいなかったことに驚きつつ昔楽しんだ小説家の文章やそのリズムを楽しむうちに時間が過ぎていた
気が付けばお昼を過ぎていた
僕は図書館を出ると駅へ向かう
電車に乗り大きい本屋がある街に行くためだ
昼間の電車はすいていてその間隔さえも懐かしく感じた
遠い昔に東京にあこがれていた
あの頃は東京タワーがすべてだった気がする
夜にライトアップさえた東京タワーは小説のタイトルとしても使われるくらいに男女仲を思わせるし昼間の東京タワーでもそれは東京の象徴であることに変わりはなく人間関係は希薄なくらいがちょうどいい僕には夜の東京タワーを見るたびに「ちゃんと誰かを愛せるのだろうか?」という事を考えたりもしていた
今はその東京タワーを超えるタワーを好きになった
東京タワーのようなイメージを持つことはなくむしろそのフォルムがいつみても安心感をくれることや立地場所が東京でありながら下町の風情を残すような場所にあるからかもしれない
そんなことを考えているうちに電車は目的の駅についていた
少し遅い昼食とこの街を出ていくことになるからか比較的すいている普段は入らないようなレストランに入る
そうはいっても外食も苦手な僕は無難なランチセットを注文し出されるまでの時間を持て余しだされると黙々と平らげ店を出た
小説家は「自販機へコーヒーを買いに行く5分間で原稿用紙何枚分は書ける」とか「普段行かない場所に行った時に小説のヒントを見つける」なんて僕の先入観か誰かに言われたことを思い出したがどちらも難しく感じた――それだけ僕の感性が鈍くなった証拠でもあるのだろう
そんなことを思いながら本屋に入る
よくよく考えれば引っ越しをするのだから本を買うことは荷物を増やすことになるのだが色々と探し回るも結局は昔から尊敬している小説家の文庫本を一冊だけ購入するにとどまった
大きい本屋がある街には必ずカフェがあるのは気のせいだろうか?
或いはカフェは乱立状態にあるため大きい本屋が少し限定的な場所になったとしてもカフェがそこにもあるというだけの話なのだろうか?
本屋からの帰宅時にカフェが目に入り急ぐ理由もない僕はアイスコーヒーを大きいサイズで注文していた
昼下がりと言えどもカフェは少しだけ混んでいて空いている席を見つけると周りを見渡した
スーツ姿が以外にも目立つがパソコンを使っていたりスマホを使っていたりして会話は少ない
デジタルガジェットに疎くはあるがやはりそういったものの恩恵を受ける時代ではあるのだろう
もしかしたら仕事ではなく遊んでいるのかもしれないがそれを確かめる必要もない
そんな忙しそうな人を横目に僕は購入した本を読み始める
この小説家の好きなところは小説として起承転結を考えたり180度の場所に帰結させたりすることはなく「物語はその登場人物の時間の流れを一瞬切り取ったものでしかない」という考えのもとに作品を作られる方でその独特な時間の流れや一発逆転が起こらないリアリティが独特なところだ
今回は僕の知らない時代を描いているが僕の知らない世界ではない
むしろいまだに残っている世界の昔を描いたものとして楽しむことにした
気が付けば2時間くらいたっていた
久々に読む小説の面白さや時間に追われないことが早くも僕を鈍くさせているのかもしれない
氷が溶けて最初よりも量の増えたアイスコーヒーを飲み終え帰宅することにした
帰りの電車の中で小説のテーマを決めることができた
作品はSFを使うでもなく未来を悲観した話でもなく「今」にフォーカスした作品にすること
それはある意味では僕がおざなりにしてきた「今」という時間に向き合うことを意味していた
構成を考えるうちにやはり時間はどれくらい切り取るのかとかを考えるあたり影響というものを感じる
決して悪いことではないのはもちろんの話だ
部屋に戻ると先ほど購入した文庫本の続きを読み始める
今日はこの本を読み終えることに集中しようと決めた
それにしてもこれだけ集中できるのはやはり久しぶりなのかもしれないと思いつつ本を楽しむ
仕事をしていた時には時間のやりくりを考えるためどこか要領を得るようなことばかりしてきた気がする
小説や映画のいいところはその作品に時間や自分をゆだねるところにあるのかもしれない
小説を読み終えスマホで時刻を確認すると19:45と表示されていた
スーパーへ出かけ半額のシールが貼られた弁当とアルコールをカゴへ入れる
明日も早く起きなくていい予定はないが小説を書くことと引っ越しに向けた準備をしなくてはならない
そんなことを思った時に一番大きいごみ袋をカゴの中に入れていた
帰宅して半額になっていた弁当を温める
アルコールはとりあえず冷蔵庫に入れておく
引っ越しの準備は全く何もしていなかったわけではなくもっていかないものを処分するために粗大ごみの回収依頼を出していた
「冷蔵庫の中身を空にするためには何か一品作るよりないな」と簡単な炒め物を作り弁当と一緒に食べた
先ほどからスマホで時刻ばかり確認しているのだが21時を超えてからは久々に時間を持て余していた
アルコールが効いてきたのか飲みに行こうかとも考えたが今まで月曜日から飲みに行くことはなく客層もわかりにくいためそれはやめてこうと部屋の掃除の段取りをすることにした
少し酔いが回ったからだが全体的に火照り視界も定まらない状態で部屋を見渡す
この部屋へも――過ごした時間の割には――思入れは案外に少ない
3月に急遽引っ越すことを決め無理やりな条件を不動産屋へ伝えるとその条件を満たす部屋は3部屋しかないと言われすべて内見したが一番駅から遠くその代わりに一番治安のいい場所だという理由で決めた
駅からの遠さは自転車で解決したし住み始めれば周りにスーパーが多いことや飲み屋が少ないことで治安の良さを感じた
唯一の問題だった本屋が頼りないことも通勤経路に大きい本屋があることでなんら問題にならなかった
(僕にとって唯一のこだわりが大きい本屋が近くにあることくらいだった)
そんなことを思いだしながら体が火照りを感じ窓を開ける
住宅街の静けさが夜の町に広がっている
この町を出ていくことにも――悲しくなるくらいに――何も感じない
とりあえず棚はすべて捨てるしその中になる本は必要なものを残して処分することに決めている
幸いにして近くに古本屋があるからそこへ持っていけば引っ越した時に必要になる消耗品代くらいにはなるだろう
引っ越しと言っても「夢見て上京」とか「東京に疲れたから地方へ」なんて期待にあふれた話ではない
新しい職場への利便性が悪いことと賃貸の更新が重なったからの出来事でしかない
洋服は今までもあまり持たないようにしていたからくたびれたものだけを処分すれば少し足りなくなるくらいかもしれない
家電や家具はあまり持たなかった
パソコンもノートパソコンだしよく驚かれるがテレビは持っていない
照明とエアコンはもともとの取り付けだからそのままでよくてカーテンは捨ててしまえばいい
そんなことを思いながら意外と残るものは少ないことに気付く
そういえば最近になってミニマリストが流行りだしているなんて一時期話題になっていた気もする
僕自身はそうなれたらいいなと思いつつ彼らの実態をつかむことができないままで結局近づくことはなかった
家具に関しては一切持ち出すものがない
クローゼットは備え付けで住んでいたしベッドは昔から苦手だった
他に欲しい家具はなく結局買うこともなかった
思いのほかすんなりと終わりそうだなと思う
同時にいざ引っ越しの準備を始めれば色々と問題が起きてくるだろうとも思う
それくらいでいい
今を楽しむのに問題なく終わるのは物足りない気がしてならないから
久々に追いかける夢に楽しみを描けたからなのかそんなことを思っていた
そしてきっとへらへらしていただろう
僕はシャワーを浴びて寝ることにした