アティ、騎士団の隊舎に入る
そうして馬に揺られて少し経った後、2棟並んでいる大きな建物の門前に着いた。ウィルは守衛についている騎士に挨拶したあと、門を抜けて右に進んだ。
その綺麗な建物は、赤レンガ造りで5階建てだった。
ウィルは厩舎の前に馬をとめると、まず自分が降りた。そしてアティの腰を掴み、彼女を下ろした。厩舎の中にいた馬番が急ぎ足でやって来て、ウィルと挨拶したあと、馬を連れて行く。
「ここが第2騎士団の隊舎だ。歩けるか?」
やっとウィルと離れられたことで、高鳴っていた心臓が落ち着き始めていたアティは、彼の言葉を不思議に思いながら足を動かそうとした。
しかし、力を込めていた体は疲れており、ふらついてしまった。
「おい、大丈夫か?」
「……ちょっと体がふらつくけど、大丈夫です」
アティが気丈に言う。そんな彼女に、ウィルは顔をしかめた。
「……そうか」
そしてウィルは、またアティを横抱きにした。
「きゃあ! 何するんですか!?」
アティは目を白黒させて抗議した。あまりに突然なことだったため、アティはとても驚いたのだ。
そんなアティの気持ちに気づいていないのか、ウィルは少し満足したような表情をしていた。
「もし転んで、その可愛い顔に傷がついたら大変だろ。いいから大人しくしてろ」
ウィルの優しいのか優しくないのか、どちらか分からない発言に、アティは悩みながらも落とされたくなかったため大人しくすることにした。
ウィルはそのまま歩き、建物の扉に向かう。そして足で扉を開け、奥に進んだ。
「あの、どこに行くんですか?」
「応接室だ。団長が帰ってきたら、あんたは事情聴取をされる。その間に、少しでも休んでいろ」
前だけを見つめて歩くウィルを、アティは見上げた。彼の顔を間近で見ると、その端正さがより強調されて見えた。薄い唇はキュッと結ばれ、朝焼け色の瞳の中では炎が燃えているようだった。
そして、彼の固く閉じられていた唇が動き出す。
「困ったことがあれば、おれを頼るんじゃなかったのか」
その声には、不機嫌さが混じっていた。
「え?」
アティは薄緑色の瞳をパチクリとさせた。そんな彼女に、ウィルは言葉を重ねた。
「何か困ったことがあったんだろう? だから、あんなところにいた。違うか?」
「違いません……」
アティはウィルの言葉に戸惑った。なぜ彼に怒られているのか、全く分からなかったのだ。
ウィルは困り顔のアティを見下ろした。朝焼け色の瞳にある炎が揺らめいている。彼女は、その炎を感じ取ると、悪いことをした気分になり始めた。
「一度しか会ったことがない男を、頼りたくないことは分かる。だが、おれは頼ってほしかった」
アティが何と言おうと悩んでいると、廊下の反対側から1人分の足音が聞こえた。アティとウィルの視線が、そちらへ向かう。
「え!? なにその可愛い子は!」
彼はアティの姿を見ると、ウィルの元に駆け寄った。
ウィルと比べると細身だが彼より長身だった。そして褐色の肌をしている彼は、紫がかった紺色の瞳を驚きに見開いている。
彼は驚きをやり過ごしたあと、烏の濡れ羽色の中にいく筋かある白いメッシュの髪を、困った顔をしながら、かきあげた。
「ついに、堅物ウィルが女の子を連れ込んだと思ったら、こんなに可愛い子だなんて……ねえ、きみ。そんな男やめといて、オレにしとかない?」
そして長い睫毛に縁取られたタレ目の瞳でウインクした。彼は、とても端正なウィルに負けず劣らずの端正な顔立ちをしており、まるで異国の貴公子のようだった。
アティは目を白黒させて彼を見上げた。ウィルは不機嫌そうに顔をしかめる。
「うるさいぞ、ディーン。それに彼女は、れっきとしたレディだ。口の利き方に気をつけろ」
男はそんなウィルにきょとんとしたあと、すぐに背筋を正し、優雅にお辞儀した。
「申し訳ございません、レディ。突然の無礼をお許しください」
すると、その隙をついてウィルは彼を無視するように歩き出した。アティは驚いながら、通りすぎていく男を見た。彼は驚いたようにウィルを見ている。
そして少し経ってから、アティたちを追いかけてきた。
「ちょ、ちょっと、オレ謝ったよね、ウィルくん? 紹介してくれるのが普通じゃない?」
男に言われても、ウィルは無視して大股で歩いた。
「誠意を感じなかった」
「ひどっ!」
「うるさい、黙れ」
アティは何とも言えない顔で、困っていた。素っ気ないウィルに彼はめげず話し続けている。
「ねえ、ウィルくん。ほんと、その子、誰なの?」
「客だ」
「そっかー、お客様かー。って、それじゃ、分からないよね!?」
「何、騒いでんすか? うるさいっすよ」
そこに、耳と尻尾がついているだけの人間に近いタイプの狼獣人のアティと同じ年齢ぐらいの少年が現れた。彼は煩わしそうに、顔をしかめている。
頭には、鋼のような銀色の髪と同色の狼耳が生えており、腰にも同色の尻尾が生えている。熟した林檎のように赤い瞳はアーモンド型で、愛らしさがあった。
そして少年らしい丸みを帯びた頬に、男性にしては小柄な体は、彼がまだ成長途中にあることを示している。その顔立ちは、あどけなさを残していたが、男性らしい格好良さがった。
「って、うわ! ウィル先輩が、女の子連れてる! しかも超可愛い子!」
顔をしかめていた彼はアティと目が合うと、彼の顔は驚きの表情に一変し、興奮したように大声を上げた。
ウィルはもうダメだと言わんばかりに、大きなため息をついた。
「彼女はアティ・フラメル。今日の違法組合所の摘発現場にいた被害者だ。分かったら、どっか行け。近寄るな、喋るな、視界に入るな」
アティは過激な発言に驚いていたが、彼らはうげっと嫌な物を見たような顔をした。
「なんすか、それ! ほんと、ウィル先輩って嫌な奴っすねー」
「ほんと、それ。ウィルくんって嫌な奴だよねー」
彼らは顔を見合わせて、ねーと言い合った。そして、心配そうな顔でアティの方を見た。
「アティちゃん、ウィル先輩に酷いこと言われてないっすか?」
「というか、なんでお姫様抱っこされてるの? そういうプレイ?」
アティは困ったように眉を下げ、助けを求めるようにウィルを見上げた。
レディとしては紹介されていない男性と話すべきではない。だから、ウィルに彼らを紹介してほしかったのだ。
アティは淑女教育を主とする学校にずっと通っていたため、社交のルールを破っていいのか分からなかった。
そんなアティの視線に気づくと、ウィルは嫌そうに口角を下げた。それでも、真剣に訴えてくる彼女の瞳に、彼は仕方ないとため息をついた。
「黒い方は、ディーン・グレディ。犬の方は、イザーク・ロサノだ。別に仲良くしないでいい」
「黒い方と犬の方って言い方!」
「しかも仲良くしないでいいって!」
ディーンとイザークは抗議の声を上げる。そしてアティは、彼らに自分からもキチンとした挨拶しようと思った。
そして、いつものようにお辞儀しようと思ったが、抱き上げられていたらそれはできないと気づいた。
「……ウィルさん、私も挨拶がしたいです。あの、下ろしてくださいますか?」
眉を下げ、困ったような笑顔をしたアティは、ウィルにそう頼んだ。
「……この体勢でも、挨拶はできるだろ。あんたが怪我したら、困る」
「もう休ませていただいたので、大丈夫です。だいぶ楽になりました。ありがとうございます」
アティがそう言うと、ウィルは眉間に皺を寄せて悩んだ。しかし、彼はアティの頼みを断ることができなかった。
「……またふらついたら、すぐに抱き上げるからな」
そして、ウィルは彼女を下ろした。
アティはウィルが少し離れたあと、彼女たちを興味津々で見つめる2人に、優雅にお辞儀をした。このお辞儀の仕方は、何度も練習して体に染み付いていた。
「アティ・フラメルです。よろしくお願いします」
すると、イザークは耳と尻尾を小さく震わせて、アティを見た。どうやら彼は、感動しているようだった。
「本当のお嬢様だ……!」
ディーンは思い出したと、手を叩いた。
「フラメル家って言ったら、一度没落しかけたけど奇跡の復活を遂げた家だよね?」