イザーク、戦う
イザークはきゅうりとツナペーストのサンドイッチをかじりながら、完熟林檎の大きな瞳で大切な宝物を見つめるように、幸せそうにミルフィーユを食べるアティを見つめた。
「本当に美味しそうに食べるっすね。おれも気持ちが良くなるっす」
その声は蜂蜜のように甘く、喜びに満ちていた。
「はい、本当に美味しいですから!」
キラキラと薄緑の瞳を輝かせているアティは、大きく頷く。
周囲で可憐な花が舞っているような雰囲気から、彼女は幸せの絶頂にいるのだと分かった。
そして、アティは食べ終わることを惜しみながら最後の一口を口に入れる。
ああ、食べ終わってしまうわ……でも、最後の一口も美味しい……。アティはうっとりとした表情で、ミルフィーユを最後まで味わった。
「おかわりいるっすか? 別のケーキも美味しいっすよ」
「えっ、いいんですか!?」
アティが余韻を味わっていると、イザークがそんな提案をした。
「ブラウニーとミルクの組み合わせもオススメっすよ。どうっすか?」
「ブラウニー?」
「チョコレートケーキのことっすね。ここのはホットで、アイスクリームが上にのってるっす」
「アイスクリーム!」
アイスクリームは、アティがいた学校では感謝祭や建国祭などの特別な日にしか食べられなかった。それにチョコレートケーキだなんて、とても幸せな味がするに違いないわ。
瞳を輝かせて背筋をピンと伸ばしたアティに、イザークは優しく微笑んだ。
「最高っすよね。おれも食べたくなったっす」
そして、イザークは2人分のブラウニーとミルクを頼んだ。
そんな中、アティはカウンターの方を向きソワソワと待っていた。
店員がブラウニーをテーブルにのせる。アイスクリームが乗ったブラウニーに、アティは待てをされた犬のように瞳を輝かせた。彼女に尻尾があったなら、ブンブンと横に大きく振られていただろう。
アイスクリームはブラウニーの熱で溶かされ始めていて、下のブラウニーに染み込もうとしている。チョコレートの色とアイスクリームの色は、対照的だがお互いを引き立たせている。
「さあ、どうぞっす、アティさん」
「はい、イザーク先輩! いただきます!」
アティは優雅に見えるよう気をつけながら、アイスクリームがのったブラウニーをフォークで切った。それは柔らかく簡単に切れ、その切れ目から溶けたチョコレートがトロッと皿にこぼれる。
「あああ、絶対に美味しいですよね。チョコレートのいい匂いがします……!」
「ウィル先輩のお墨付きっすからね。めちゃくちゃに美味しいっすよ」
アティは震える手で、ブラウニーを口に運んだ。
「んんっ!」
アイスクリームとチョコレートの甘い衝撃、口の中に広がる大きな感動。アティは衝撃に耐えたあと、体を震わせる。
そんなアティに、イザークは遠くを見つめながらボソッと呟いた。
「幸せそうな可愛い女の子とテラス席でお茶、もう完璧にデートでおれも幸せなんすけど……」
「どうしたんですか、イザーク先輩?」
アティは食べる手を止めそうになる。しかし、しょんぼりとした気分が顔に出ていたため、イザークは気にしないでと手を横に振った。
「これは副団長から命令された任務なんだなーって思うと、尻尾がボワってするって話っす。だから気にしないでくださいっす」
耳をピンと立てたイザークは照れたように笑った。アティはなんだか分からなかったが、とりあえず笑い返すことにする。
そのとき、テラス席の手すりを掴みながら通り側にいる男が嘲笑を顔に張りつけて揶揄してきた。
「そこの獣人くん、可愛い女の子連れてんじゃん? でも、獣人が街にいたら、街が獣臭くなるんだよね。君も獣臭くなる前に、おれと一緒に来た方がいいよ。可愛いから、いっぱい遊んであげる」
ルピス王国の南端にある都市に住む獣人は、王都にはめったに現れない。それは流浪の民だった獣人たちの王とルピス王国の王との間で、土地と守護の契約が結ばれた今でも差別が横行しているからだ。
それは獣人たちがルピス王国に移住した300年前から大きな問題になっており、差別反対が訴えられているが、いまだに差別意識の芽を除くことはできていないことが現状だった。
学校で獣人がいること、王同士の契約のことを教えられても、令嬢が関わるべきでないとされている差別については教えられていないアティは、その男の言い様に目を白黒させた。
しかし、イザークは気分を切り替えるように首を横に振った。先程までの笑顔は姿を消し、無表情で男の方へ力強く歩いた。
そして、数歩前で止まると、恐ろしいほど冷めた瞳で男を見下ろし、感情が押し殺されている声を出す。
「彼女はお前みたいなゲス野郎が話しかけていい人じゃない。さっさっと失せろ」
男はイザークから放たれる強く重たい圧にたじろぎ、後ずさる。
「じ、獣人のくせして、な、生意気じゃねえか……お前、な、何様のつもりだよ」
「レディに失礼なことを言う男には絶対なりたくないと思ってる獣人だよ、分かったならどっか行け」
ギシ、という木の悲鳴がアティの背後から聞こえた。
イザークが振り向くと、アティの肩を掴もうと汚い格好をした男が立っていた。彼は片手に小銃を持っている。
店の奥では、店員たちは抵抗しているが他の男たちに制圧されそうになっていた。
「おい、この子が可愛いけりゃ動くなよ。黙って殴らせろや」
「……格好つけたのに残念だったなぁ。泣いて謝ったら、ちょっとは優しくしてやるぞ?」
アティが指示を仰ぐようにイザークを見ると、彼は動かないで、と唇を動かした。
「まず、その腰にさげてる剣を床に置け。やけに短いし、2本だなんて、お前本当に騎士か? まあ、獣人の騎士なんていらないけどな」
汚い格好の男が命令する。イザークはそれに従うように、片手をあげながらもう片方の手で鞘に入った剣をベルトから外そうとする。
男が勝ち誇ったように笑い、アティから離れてイザークに近寄る。
それは一瞬だった。
彼の踏み込みに音はなく、何の予備動作なしに動き出したのだ。
一瞬で男の元へ移動したイザークは、汚い格好の男の腹に一発の蹴りを入れる。
防御の体勢すらとれなかった男は、くの字に折れて店の中に吹き飛び、店の中にいる仲間にぶつかった。
店内にいる男たちの動きをとめたことを確認するとイザークはアティの足元の床にしゃがみ、アティと目線を合わせる。そして、まるで己が悪いと言わんばかりの表情を彼女に見せた。
「怖い思いをさせたっすね。もう大丈夫っすよ」
「い、いいえ、イザーク先輩が助けてくれたらから大丈夫です」
あまりの急な出来事に混乱しているアティは、自分も手伝えることはないかと立ち上がろうとする。
しかし、その混乱はすぐに落ち着いた。イザークに手を握られ、この場に似つかわしくない柔らかな微笑みのおかげだった。
「大丈夫っすよ、アティさん。ちょっと待っててほしいっす」
そして、イザークは立ち上がると、テラス席の外にいる男に向かって指さした。
「お前はそこを動くなよ。逃げても絶対に捕まえるからな」
先程のイザークのタックルにおののいていた男は、ブンブンと何度も首を縦に振る。
そんな男にイザークは鼻をフンと鳴らすと、彼は店員を助けるために店内に向かった。
仲間たちに助け起こされた汚い男が、イザークに小銃の狙いを定める。
「てめぇ、ふざけやがって……!」
しかし、イザークは動揺の1つも見せなかった。むしろ、普段からは想像できない冷静沈着という言葉が似合うほどだ。
「そんなちゃちな銃でおれを撃てるって思ってるのか? どんな冗談だよ」
イザークは大股で歩き、前に進む。彼は鋭利な雰囲気と低い声で、男たちを威圧していた。
汚い格好の男は、ジリジリと後ろに下がっている。イザークの圧に耐えられいのだ。
「お、おい、早く撃てよ! もうそばに来ちまうぞ!」
「う、うわああああ!」
周りに急かされた男は震える指先で引き金を引いた。
「イザーク先輩!」
外からそれを見ていたアティは悲痛な声を上げる。
しかし、その凶弾がイザークに当たることはなかった。
彼は横にサッと避け、足を大きくあげて右足の踵で弾を蹴落としたのだ。
「に、人間じゃねぇ!」
男の驚愕と恐怖が混じった声に、イザークは大きく口を開けて、わざと犬歯を見せるように笑った。
「当たり前だろ! おれは獣人なんだからよ!」
そこからは、圧巻、その一言だった、
イザークは小さな体を大胆に使い、男たち全員を怪我1つさせることなく縛り上げた。
そして、騒ぎを聞きつけてやって来た、街の警備の任についていた第2騎士団の団員たちに男たちの身柄を引き渡した。
男たちは何度も抵抗したのだが、イザークの前では全くの無力だった。彼は剣を抜くどころか拳を握ることなく制圧した。それは実力の差が天地の差だったということを表していた。




