(4)
「そいじゃ授業終了だ。
新介、お前は他の教科も遅れてるから、寮でしっかり予習しておくんだぞ」
おれが「わかりました」と言うと、茶太良はその横を向いた。「沙耶、号令」
彼女が「起立」と言うと、全員がのろのろ立ち上がった。
「礼」「「「あざーしたー」」」
茶太良が少し頭を下げたあと、「それじゃ解散」と言って部屋を出ていった。
この学校こういうところはしっかりしてるんだなぁ。
「沙耶ちゃんって、学級委員もしてるのか。なんとなくわかる気がするな」
おれがニヤリとして言うと、彼女は少しこちらを向いて「そうね」と言っただけですぐに顔を戻してしまい、リュックの中をあさる。
「ったくつれないなぁ。
イインチョ~、新介クンの面倒みてあげてってんのにそんな態度、ちょっと見ずごせないゾ?」
振り返るとタタミちゃんが片手をあげて袋で包んだ弁当箱を見せつける。
「新介クン、弁当箱持ってきた?」
「ああ、今日から寮生活なんで、オフクロが最後の弁当を用意してくれた。
ずいぶん気合いを入れてきたみたいだけど」
「よかったぁ~。ここの学食、人間相手じゃ食えたもんじゃないからなぁ~」
「やっぱりそうなんだ……」
「オイオイなんだよ。せっかく食堂案内してやろうと思ってたのに、つれねえな」
横からキースがあきれた顔で口を挟んできた。
タタミちゃんは信じられないと言わんばかりの顔をする。
「あったり前でしょっ!?
あんな血なまぐさくて、ハエがすぐにたかってくるようなメシを新介クンに食べさせようとすんなよ! ったく、ゴメンねぇ~」
おれはイヤな想像を広げつつ、口では「いや、大丈夫」と言ってみせた。
たぶん顔には出てると思うけど。
そんな中、後ろでは沙耶が1人で机の上で弁当箱を広げようとしている。
タタミちゃんがそれを見てあっと口を広げた。
「ああちょっとっ! 沙耶ちゃんなんで1人で弁当食べようとしてんのっ!?」
「なんでって。これくらい普通でしょ?」
「普通かどうかは知らないけど、沙耶ちゃん新介クンのお目付け役でしょ!?
なんで一緒に食べようとしないの!?」
「普通にとなりで食べればいいじゃない。新介君も早く弁当箱広げたら?」
「い、いや。横に並んで弁当を食べるのはあまり普通じゃないような気が……」
おれが引きぎみに言うと、タタミちゃんも「そうそう!」とうなずいた。
「弁当はみんなでワイワイ食べるもんでしょっ! 沙耶ちゃん、弁当をしまって!」
「弁当をしまう? タタミちゃん、どっか居場所でも知ってんの?」
問いかけると、タタミちゃんはドヤ顔で腰に手を当てた。
「フフン、決まってるでしょ? 弁当を食べるのに最適の場所と言えば……」
そして人差し指を立てた腕をまっすぐ上に向けた。「屋上じゃんっっ!」
というわけで、おれは沙耶、タタミちゃんと一緒に屋上で弁当を食べていた。
正直「両手に花」状態で少し恥ずかしい。
さすが人間マニアらしく、タタミちゃんはいたって普通ののり弁当である。
からあげがほどよく上がっていて普通にうまそうだ。
一方沙耶のほうは……
「な、生肉……」
ドン引きしているおれをしり目に、沙耶は細かく切ったピンク色の肉片を行儀よく口に持っていく。
「んもう! 沙耶ちゃん言ったでしょ!?
将来人間世界で暮らすのならそれに合わせた食事をしなくちゃいけないって!」
「もう少し待って。わたし、まだ料理の勉強中だから。
煮たり焼いたりする作業に少してこずってて……」
「ていうか、弁当は自炊なんだな。おれもちゃんと勉強した方がいいのかな」
「そおだよぉ! 新介クンもきちんと自分の食事は自分で用意しないと、キースたちに無理やり学食に連れてかれちゃうよ?」
おれは「女に食事に連れてかれるなんて、うらやましい限りだな」と言いながらヒャッパを連れていくイジワルイケメンの顔を思い出し、げんなりした。
「まあ、よかったらしばらくの間はアタシが用意してあげてもいいんだけどね!」
「もぐもぐ……いいのか? 2人分用意するのもめんどくさくないか?」
「いいっていいって!
ちょうどちゃんとした人間にアタシの料理味見してほしかったところだし、ちょうどよかったって!」
「タタミちゃん、ホントしっかりものだよな。
まじめに勉強してるみたいだし、料理もきちんと作れるみたいだからな」
「まあね~、アタシ、将来はしっかり人間社会で生きていこうと思ってるから~」
しかし、自慢げに笑うタタミちゃんの顔がいきなりしかめっ面になった。
「それに比べて沙耶ちゃん。
アンタも将来は人間社会で暮らしていきたいっつってるくせに、それどころかこの学校にも全然なじめてないみたいじゃん」
するどい指摘にもかまうことなく、沙耶はもくもくと口を動かし、のどをごっくんさせた。
「……わたしとしては、普通のつもりだけど。
もともと性格がこうだから、すぐに変えるっていうのも難しいと思うけど?
まだ入学して少ししか経ってないし」
「ったくもぉ! つれないなぁ!
いつまでもそんなのんきな態度でいたら、この先ずっと変われないよ!?」
「落ち着けよタタミちゃん。死霊族なんだろ?
人間世界のルールとかすぐに理解できるわけがないって」
「甘い甘い。こんな調子じゃいつまでたっても変われないって。
それとも新介クン、沙耶ちゃんがカワイイからって甘やかしてるぅ?」
「うっっ、そんなこと、そんなことないぞ?」
「顔に出てる。新介クンこそ、気をつけないと社会の荒波にもまれちゃうぞぉ?」
タタミちゃんははしを持った手で人差し指を突きつける。はい、気をつけます。
ふとおれはまわりの光景を見回した。タタミちゃんもつられて顔を左右させる。
「屋上っつっても、けっこう人いるよね。
やっぱりドラマやアニメみたいにほとんど無人にはならないみたい」
「ああ、それもそうだけど。おれがむしろ気になるのは、やけに霧が濃いなって思って」
「あ、そっか。アタシたちが普段住んでる魔界って基本的にガスがかかってるからね。
ほとんど晴れないんだよ。ここの環境も少しそれにあわせてる。それにしてもいくらなんでも濃すぎだな~」
「そうでもないわ。少し霧が晴れてきた」
沙耶の言うとおり、少しずつではあるが霧が少し開けてきた。
それと同時におれはその場を立ち上がった。
「……なんじゃこりゃぁっ!?」
叫んでしまっても無理はないだろう。
いままで見えなかった霧の向こうには、おびただしい数の怪しい建物があちこちにあったのだ。
校舎の向こうには、
なぜか五重の塔が建っていたり、
ヨーロッパ風の城がそびえていたり、
巨大な電波塔がまっすぐ伸びていたりする。
「おいおいおいおいっ!
変わった学校だとはわかりきってたけど、こんなどっかのテーマパークみたいな場所だとは思ってなかったぞっ!?」
「にゃはは、変でしょ? アタシもなんでこんな建物ばっかりなのかわかんね」
タタミちゃんが後ろ頭をナデナデしていると、沙耶が目も向けずに口を開いた。
「資料によると、西洋の城を模した建物が学生寮。つまりあなたが今日から寝泊まりするところよ?」
「ははぁっ!? あれが学生寮っ!? 寮長は絶対ガチの西洋マニアだろっ!」
「そういうことね。あと電波塔は科学研究部やコンピューター関連の部活が使ってるものね。
あそこでは物理や生物学の授業も行うわ」
「マジかよ……あそこの先生は絶対マッドサイエンティストだろ……」
「たぶんそうね。で、あなたがさっきからずっと目にしてる五重塔と言うのが……」
おれが目にしていたのは五重塔ではなく、
そのとなりにあった出入口からやってきた、やたらと背の高い大男だった。
背だけでなく筋骨も隆々(りゅうりゅう)としている。
目を引くのはそれだけでなく、服装も奇妙だった。
ヒザ下まで伸びた学ランはともかく、それこそ漫画で見たような番長しか身につけていないであろう学生帽に、ゲタをはいている。しかもみんなくたびれている。
胸は大きくはだけ、盛りあがった胸板に腹筋。腹筋にはご丁寧にさらしまで巻かれている。
いったいどこのバンカラだよ。と思いつつおれがそれをながめていると、よりによって奴はこちらに目を向け、ポケットに手を突っ込んで肩をゆらしながらこちらにやってきた。
おれ、全身がちぢみあがった。
「げ、応援団長がやって来やがった……」
「そう、あの五重塔の中には応援団の本部があるわ」
タタミちゃんと沙耶の声を耳にしているうちに、応援団長が目の前までやってきた。
かなり顔を上にあげないといけない。天をつくかのような大男、とはまさにこのことだ。
「おうおうおうっっ! おめえさんが人間界からやってきた新入生かいっっ!」
ついでに声もものすごく低い。まるで腹の底にひびいてくるかのようだ。
番長はこちらに向かって太い人差し指を向けてくる。これだけでものすごい威圧感がある。
「ったくっ! お師匠様から言いつかって来てみりゃ、やってきたのはこんなチンケなヤワいガキかよっ!」
「ひぃっ!」
思わずおれは小さな悲鳴をあげた。そりゃあんたから見れば人間は誰でもチンケでしょうよ。
まるで岩のようなコツイ顔からのぞく目が血走っている。
わかりやすいほどビビり倒しているであろうおれを見て、タタミちゃんが立ちあがった。
「ちょっとぉ! 会っていきなりいきりたってどうすんの!
そんなデカい図体でズカズカ迫られたら誰でもビビるっつうの!」
恐ろしい風貌の相手にもかかわらず、タタミちゃんは怖気づかない。
いくら死霊族でもすごい度胸だ。
「うるせぇっ! とにかくこいつは気に入らねえなっ!
いっぺんしめあげて、このガッコのルールってのを身体にたたき込んでやるぜ!」
「しめあげてどうすんのよっ!
相手はただの人間なんだからあんたみたいなでかい拳で殴ったらすぐに死んじゃうでしょ!?」
「だまれ小娘っ! おい、ちょっとこっちに来いやっ!」
いきなり胸倉をつかまれたと思いきや、おれの身体は簡単に宙に浮いてしまう。
「わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
生命の危機! このままではおれは簡単にいたぶり殺されてしまう。
それどころかこのままどっかに叩きつけられただけでおれは昇天だ!
「……待ちなさい。
あなた、応援団長の『荒木笹勝馬 』よね。
たしかあなたの師匠、噂の達人よね。その人の言いつけを破ってしまって大丈夫なのかしら」
宙づりのおれを持ったままどこかに向かおうとする番長が、動きを止める。
振り返ると、沙耶が顔も向けずに弁当を床に置いた。
「彼を連れていくのなら、わたしを相手にしてからにしなさい」
おれはビックリして宙づりのまま大声をあげた。
「……ちょっ、沙耶ちゃんっ!?
いくらアンタが死霊族だからって、こんな化け物……ごめんなさいっ!
こんなすごくガタイのいい大男を相手にしたら身がもたないってっ!」
途中にらみつけられながらも、おれはなんとか警告を発せた。
しかし番長がまったく動ずるはずがない。
「なんだと小娘。おれに女を殴る趣味はねえ。
かかってきてもムダなこった。そこでおとなしくしてな」
はしをしまい、弁当箱を風呂敷に包んだ沙耶が立ち上がる。
そして顔だけをこちらへと向けた。
「でも、相手が狛田村家の息女だったらどう? 少しは興味がわいてこないかしら」
これまで見たことがないような冷たい眼光。
何か神秘的な感じすら漂わせる、そんな視線だった。
突然胸倉のしめつけが収まった。
そう思いきや、おれの身体が自由落下して尻が思い切りかたい床にたたきつけられる。
「ひぎっ! あっ、いたたたたた……!」
必死に尻をさすりながら視線をあげると、おおよそ2メートルは越すであろう大男と、歳相応の背丈しかない美少女が向かい合う。
「ほう、てめえ狛田村の家のもんか。つぅことは、あれを使うんだよな」
「無論」沙耶はそう言うと、突然長い後ろ髪が動いた。
するとなぜかそこから日本刀のようなものが現れ、彼女はそれを手に取った。
両手に持ち、すらりと刀身を抜く。きらりと光る長い刃に、一瞬おれの目がくらんだ。
「……おいおいおいおいっっ!
日本刀っ!? いやいや! いくら治外法権でも武器携帯はいけないでしょっ!
校則に書いてないのっ!?」
「あ、それなら大丈夫。
沙耶ちゃんの家は死霊族の中でも有数の名家だから、特例として認められてんの。だからダイジョブダイジョブ」
「タタミちゃぁん!? そんなのんきな顔して大丈夫なのっ!?
いくら名家だからって普段から日本刀持ち歩いちゃダメでしょっ!?」
「うるせぇだまってろ新入生!っ!」「ひっ」
威圧的な声をかける番長が、両手を合わせてポキポキと指を鳴らす。
「『狛田村鬼神流』か。女とはいえ手合わせとなりゃ、オレも腕がなるぜ」
そして番長は身体を斜めにして拳を胸の位置に構えた。
「来なっ! 師匠直伝の『天魔龍神拳』の威力、思い知らせてやるぜ!」
一方の沙耶も「お願い」と言って鞘(さや、ってこれじゃダジャレみたいじゃないか)を投げると、タタミちゃんはそれを「ほいっ!」スマートに受け取った。なにげにすごいな。
普通なら、少女とはいえ日本刀を手にしている沙耶のほうが有利だ。
だけど番長は屈強な身体を抜きにしてもまったく怖気づくことがない。
いったいどれほどの動きをするのか。沙耶のほうはどうなのか。気になってしょうが……
「ぬぐえっっ!」
……あれ? 沙耶の奴、いつの間に奴の後ろに移動してんの?
そして番長はなんで足から血を噴き出してんの?
「そ、そんな……はやい……!」
番長の言ってることがよくわからない。
振り返ろうとした番長に、沙耶はまたたく間に斬りつけていく。
剣を動かす両手がよく見えない。
両腕、腰、もう1つの足を斬りつけられるたび、番長の身体から力が抜けていく。
等々がっくりヒザをつくと、おれはタタミちゃんと顔を見合わせた。
彼女もまた信じられない者を見る顔になっている。
沙耶が剣を振り払うと、おれの顔に暖かい液体が飛んだ。それを手でぬぐい、思わず確認してしまう。
「ひ、ひぃぃぃぃっっ!」
おれが完全に怖気づいているあいだに、沙耶が「鞘!」声をあげる。タタミちゃんは「は、はいっ!」と言いながら両手に持っていた剣の鞘を投げた。
受け取った彼女は素早い動きで剣を鞘におさめ、背中に持っていくと長い髪の中に完全に隠した。
「じゃあ、食事の続きにしましょ」
そう言って元の場所に戻っていく彼女。
おれは血まみれになり痛そうにうずくまる番長を見ながら、もう一度彼女に視線を戻した。
「……ムリでしょっっっ!」
昼休憩が終わり、おれたちは再び教室に戻った。
5時限目の数学の授業はごく普通の先生で(顔は青白いが)、話が少しわかりにくい。
それをいいことに、オレはペンをとりつつ先ほどのことを考えていた。
天をつくような大男を相手に、目にもとまらぬ速さで剣をふるう黒髪美少女の姿。
おれは視線を横に向けた。
あり得ないくらいきれいなラインを描くその横顔は、先ほどの印象も重なってより神秘的な雰囲気を感じさせた。
それにしても、まさか剣の達人とは。もうなにを見てもおどろかないだろうと思っていたが、刀を目の前にしても自信満々の番長を相手に、あそこまで手出しさせないとは。
一体彼女は何者なんだろう。そこでふと考えた。
彼女がおれのとなりに座るのは、実は何かにつけておれをつけ狙おうとする連中からの護衛のためなんじゃないだろうか。
だとしたらぎこちない態度でもおれと接せざるを得ないのも納得がいく。
ふと反対側を見た。沙耶ほどではないにしろ、タタミちゃんもなかなかの肝の据わりようだ。
彼女のほうは人間社会に詳しいので、むしろおれと死霊族のパイプ役としての役割を担っているのだろう。
そう思っていると、どこからかハエが飛んできた。
きっと例の暗黒食堂に行った奴が連れて来ちまったんだろう。まったくメイワクな話だ。
するとハエはタタミちゃんの机の上にとまった。そのうちウザがって追い払うんだろうな。
やっぱりタタミちゃんの腕が動いた。
ところがその動き、
彼女は“目も向けず”にシャーペンのノックで相当小さいはずのハエをたたきつぶした。
がく然とするおれをよそに、タタミちゃんはつぶれたハエを机の外に投げつける。
するとその顔がふとこちらに向いた。目が合うと、さすがに彼女の顔は引きつっていた。
……タタミちゃんもひょっとしたら別の目的で引き合わされたのかもしれない。