(3)
おれは狛田村に引き連れられ、保健室を出た。
彼女の黒髪はとてもつややかで、いったいどんなコンディショナーを使えばこんな感じになるのだろうと思えるほどまっすぐ伸びている。
ただ1つ気になるのは、彼女の黒髪が異様に長いことだ。
長すぎて短めのスカートさえ後ろが隠れて見えなくなっている。
まあ真っ白なオミアシはちゃんと見えるからまだいいのだが。
にしても、ホントにきれいな足だなぁ。
正直女子高生のミニスカートなんぞまったく興味なかったのだが、こうして見るとホントにきれいなもんですなぁ。気をつけないとずっと見とれてしまいそうだ。
……いかんいかん! なにさっきからおれは援助交際が好きそうな変態オヤジみたいな発想してるんだ!
その視線をどけろ! 今すぐどけろ!
「ええと、お名前はなんて言ったのかしら?」「ひゃっ、ひゃいぃっっ!」
なにおれはすっとんきょうな声をあげてるんだ!
そんなおれの動揺にかまわず、狛田村は歩みを遅くしておれの横に並び立つ。
あまり感情を感じさせない表情がおれを横目で見る。
「ほら、先生にいろいろ言われてるから。ちゃんと名前を覚えておかないと」
まるで人形みたいだな、と思いながらおれは頭の後ろをカリカリした。
「ああ、おれ、結城新介。ええっと、狛田村、だっけ?」
顔のあたりが熱い。こんなきれいな顔立ちに見つめられていると冷静でいられない。
彼女は間違いなくいままでであったなかで一番の女子だ。
「よろしく、新介くん。わたしのことは沙耶って呼んで。
こっちの世界では下の名前で呼ぶのが普通だから」
……おどろいた。さすがに満面とはいかないが、彼女はおだやかな笑みを浮かべたのだ。
ドキリとした。死霊族と言うからてっきり気味の悪い笑い方するのかと思いきや、この子って、こんな顔ができるんだ。
そう思う一方で、こりゃやられたな、と思った。
あのゴス野郎、しっかりおぜん立てしやがったな?
学年いちの美少女をくっつけりゃこっちもその気になると思いやがって。
まあしっかりその策に乗せられちゃいるがな!
「ほら、ついたわよ。ここ」
突然言われて振り向くと、更衣室が目の前にあった。
そう言えば着てきたシャツが破られたままだったな。顔の暑さがぶり返した。前が大きくはだけた状態で本当にお恥ずかしい。
「本当は朝のあいさつのあと、学生寮に荷物を置いてってもらうんだけど、気絶してたから……」
と言いながら、なぜか更衣室のドアを開けて中に入っていく沙耶。
おれがおもむろに手を向けるのもかまわず、彼女は部屋の奥でこちらに振り返った。
「はやく入って」
仕方なく中に入り、扉を閉めると、そこには朝校長室に置いたままになっていた2つのトランクがあった。きっと気絶したあとに回収されたんだろう。
あとで中身が盗まれていないかチェックしないと。
すると沙耶はおもむろに立てかけてあった2つの服のハンガーを両手に持った。
「うちには学生服が2種類あって、好きに選べるわ。
学ランとブレザー。どっちにするの?」
1つはどこにでもありそうなわりと普通の学ラン。ただ左胸には取ってつけたような校章がほどこされている。
もう1つはブレザーなのだが、こちらの方は多少こったデザインになっている。全体的にスマートでパリッとしている。
着たら絵になりそうなので、迷うことなくそちらを選んだ。ただ上下真っ黒なのが気になるが。
ふと胸のエンブレムに目がいった。
中にはオカルト関連でよく目にする六芒星の中に、もう1つ「Ж」と書かれたマークがある。おれは沙耶に向かってそれを指差した。
「そのマーク? 世間的にはロシア文字の『ジェー』って意味があるんだけど、わたしたち死霊族のトレードマークでもあるの。
ロシア文化とわたしたち死霊族と類似の種族とのなんらかのつながりがあるんじゃないかと言われているわ」
「ふうん」とおれが言うと、沙耶はそのままそこに立ち続けている。
「どうしたの? まだなんかあんの?」
「そっちこそまだあるのかしら。用がないのなら早く着替えて」
「うん、着替えるから早く部屋を出てよ」
するとなぜか、彼女は首をかしげた。
「……なんで部屋を出てかなきゃいけないの?」
「え、だって、着替えるから……」「なんで?」
おれ、固まる。
まさか、死霊族の世界には異性の前で着替えをするのが恥ずかしいという文化がないのかぁ!?
「あ、あの、ご存じないかもしれないですけど、人間の世界では男性が女性の前で着替えをするのはよくないという風習がありまして……」
「あ、ごめんなさい。着替えをするとなると裸になるのよね。すっかり忘れてたわ」
そう言うと沙耶は部屋の扉に向かい、扉を開けると振り返った。
「外で待ってるから。そしたら教室に行きましょ」
出るなり扉を閉める沙耶……
うっかりしとっただけかい!
新しい制服の着なれない感覚に四苦八苦しつつ、おれは再び沙耶のあとに続いた。
「ちょっと聞くけどさ、いま何時限目? おれどんぐらい気絶してた?」
「今は4時限目の途中。もうすぐお昼になっちゃうと思うわ」
相手はこちらの方を見ずにこたえる。少しバツの悪い思いにかられた。
「そうか、だったらゴメンな」
「気にしないで。少しだけならすぐに取り返せるから」
彼女は少しこちらに振り返った。見返り美人。
と、ようやくおれはまわりの光景に気づいた。
廊下は相変わらず血と肉片にまみれている。こんなろくでもない廊下でも、美人と歩くと少し印象が変わる。
なんだろう、一種のヤンデレ的感覚?
「新介くんこそ大丈夫なの?
こっちは入学式からもう4日経ってるけど、ちゃんと授業についてこれる?
ここ、偏差値けっこう高いから」
「授業中でも結構室内がざわついてる状態で、偏差値が高いと申しますか……」
さっきから教室の中がさわがしい。すりガラス越しに人影が動いているのが見える。
実際はっちゃけた生徒も大勢いるんだろう。ましてや死霊族である。苦労しそうだ。
沙耶が立ち止まると、そこは例の「1年C組」の扉の前だった。
標識を見上げつつ、心なしか緊張感を覚える。
ここから、おれの高校生活が始まるのだ。
若干、いやかなり、いや非常に(強調)思っていたのとは違ったものではあるが。そう思うとなんだか悲しくなってきた。
沙耶が扉をノックすると、中から「沙耶君か?」と聞こえる。茶太良の声だ。
「新介君を連れてきました」「よし、入れ」
沙耶がこちらに振り返るのに合わせ、おれもうなずく。
さあ、緊張の一瞬だ。
中に入ると、案の定覚悟はしていても、やはりあっけにとられてしまった。
ズラリと並ぶ机の中、後ろのあたりの席は誰もまともに座っていない。
ほとんどが立ったままこちらに目を向けているなか、中にはこちらの方に目もくれず、変な踊りを繰り広げている生徒すらいる。
……ていうかなんですか? 教室の一番すみで背中を向けたまま立っている奴は。いったいあれは何をしているんです? じっとしたまままったく動かないんですけど……
「おい新介君。早くこっちに来たまえ」
目と鼻がない歯がむき出しのゾンビが、黒板の中央を消しながらこちらに向かって手招きする。
少しおじけつつ、おれは彼の横まで移動する。
「ほら、自分の名前書け」
茶太良がとりだした白チョークをおっかなびっくり取り上げつつ、おれは緑色のボードに自分の名前を書きあげた。
思ったより大きな文字になってしまった。
おれは振り返り、若干緊張ぎみに声をあげる。
「ゆ、結城新介ですっ! ただの人間ですので、接する時はお手柔らかにお願いしますっっ!」
「ああっっ! やっと来たっ! キミがウワサの新入生クンっ!?」
おれは声のした方にふりむく。
今日だけで様々な種類の死霊族を目にするハメになったが、それでもギョッとする。
別の意味でビックリした。
こちらにやってきたのはかなり派手に着飾った、カーディガン姿の女子だったからだ。
「よかったぁ~~~~~っ! ひょっとして逃げ出すんじゃないかと思って、心配してたんだよぉ~!
無事教室までやってきてくれて、ホント安心したよぉ~!」
涙目になって両手を合わせた彼女の姿を、おれは上からなめまわすように見つめる。
頭はブリーチしたかのような金髪で、比較的短いそれをワサワサのパーマでまとめている。
ブレザーははおっておらず、白い袖なしカーディガンに色とりどりのバッジをつけている。
あわせた両手にはやたらとシルバーリングをつけている。中指のドクロが印象的。
かなり短めのプリーツスカートからのぞく白いヒザから下は、たけの異なるソックスをはいている。
ニーソックスのほうは白と黒のシマ模様で、もう片方は紺のハイソックスだ。
かなり風変りなファッションの中でも、特に目につくのは顔だ。
もちろんブ○イクと言うわけではない。
むしろ沙耶に匹敵するくらいカワイイ。でもすごく目立つ。
なんと言っても、片目には眼帯をかけて、もう片目には大げさなくらいのアイメイクをほどこしているからだ。
アイシャドウが濃いうえ、わざとペンで太くまつ毛を描いている。
そんなド派手なファッションをした女子高生は、胸の位置から黒い付け爪をつけた白い手を取り出した。
「アタシ、『巌屋蛇々美 』! タタミって呼んで!」
おれはぼう然としつつ「は、はい……」と言ってその手を握り返した。
すると相手はニッコリして「よろしくね!」と告げた。
「お前の席は開けといた。沙耶とタタミのあいだに座れ」
おれはうなずくと、ふたたび席に着いたタタミちゃん(「ちゃんを」つけた方がいいだろう、なんとなく)とすでに座っていた沙耶のあいだにある空いた席に向かった。
この学校では男女がバラバラに座るタイプらしいが、おれの周囲はきっちり男女比が均等になっている。
おれの席の前後にはなぜか首に円盤をつけているイケメンと、顔の幅が横に長い小柄な男子が座っている。
前のイケメンがおれを見るなりどっかりと背もたれにのしかかる。
「おう、来たか新入生。
俺は『キース虚堀 』。外国の同種族のハーフだ。困ったことがあればなんでも聞けよ」
おれは差し出された手にこころよく握手した。それにしてもここではよく握手する……
「いでででででででででででででっっっっっ!」
思い切り手を握られてしまい、おれは叫び声をあげてしまった。
思わずうずくまっていると、すぐにタタミちゃんが立ち上がる。
「ちょっとぉっ! キース思いっきり手なんか握んなよ! 相手は人間なんだから!」
「ああゴメン、ちょっとこいつがどんぐらい弱っちいのか確かめたかったんだ。
ちょっと加減したからカンベンしてくれよ」
「……つ~~~~~~~~っっっ! ふざけんなよバカッ!
そっちは手加減したつもりでもこっちは危うく手がつぶれるところだったんだぞっ!?」
「本当に人間なんだ……」「沙耶ちゃんは感心した顔しないでっ!」
そのやり取りを見ていた茶太良が顔を片手でおおう。
「まったく。信用できるからお前らに任せたんだぞ。キースもイジってないでしっかり面倒みてやれ」
当のキースは「ほーい」と言いながら頭の後ろで手を組む。
まったくもって信用できない。そんな奴をいぶかしむ目でそいつを見ていると、
「よう新入生」「ぬおあぁぁぁぁぁっっ!」
ビックリして振り返った。
顔が横に伸びた男子がいつの間にか後ろに立っていた。音もなく忍び寄るのはカンベンしてくれ!
「オレは『鬼形百八郎 』。
みんなは『ヒャッパ』と呼んでる。よろしく」
奴は手を出してきたが、ヒザをぴったり合わせて手をちょこんと突き出すような格好になっている。
ちょっと変わってるなとは思いつつ、おれは相手の手を握った。冷たい。
「お前、ゲームが好きらしいな」
「えっ!? なんで知ってるの!?」
「お前のことはなんでもお見通しさ。顔を見ればなんとなくわかる」
「そっかなぁ。ゲームにはまりだしたのは部活をやめた中1の秋からなんだけどな。
ひょっとして特殊能力とか使ってる?」
「さてね。フフフフフフフ……」
うぅ、気味悪い。こいつは典型的な死霊族のようだ。
「オレの趣味は主にパソコン関係だが、ゲームもやる。
ただしホラーゲームにしか興味がないから、そのつもりでな……」
「え、なんでそんなこと言うの?」
おじけづきながら問いかけると、うしろからタタミちゃんが声をかけてきた。
「あっ、言っとくけどキースとそいつ、キミと同じ部屋だから。
クセもんだから気をつけてね」
おれは「えぇ~!?」と言いながら振り返る。
ペンを持った手でアゴをつくタタミちゃんも同感らしく、しらけた顔をしている。
「くわしい自己紹介はあとにしろ。いまは授業の途中なんだ。新介はおとなしく席につけ」
茶太良に言われてあきらめてイスに座ると、机の上に小さな肉片が落ちていることに気づいた。
うんざりした顔を上にあげていると、横からタタミちゃんが派手な柄のハンカチを出してくれた。
「ゴメンね。ここの連中、ホント行儀悪いんだから」
「ありがと。ところでこのやたら目にする肉片ってなんなの?」
ハンカチをとり上げ、顔をしかめながら肉片をどける。タタミちゃんが「聞きたい?」と意味ありげに問いかけるので、「やっぱいいです」と返した。
「教科書は机の中に入れてある。ノートや筆記具は持ってるか?」
茶太良に問いかけられるとおれは首を振った。
「いえ、筆記具は持ってきましたけどノートはまだです」
「いちおう1冊だけ用意したからそいつを開け。
ついでに俺の担当は日本史と世界史の両方だ。歴史の教科書の中に説明用のプリントをはさんであるからそいつを参考にしろ。
お前は若干遅れてるから気になったら何でも聞けよ?」
この教師、抜け目ない。歯がむき出しののっぺらぼうのくせに(偏見)。
「よし、ようやく授業再開か。じゃあ話はどこまでだっけか」
「邪馬台国の魏志倭人伝までです」
沙耶が問いに答え、茶太良がうんうんうなずいた。
「そうそう、魏志倭人伝からだな。
ついでに新介、お前これに出てくる魏は誰が築いたか知ってるか」
「三国志に出てくる曹操です」
「お、よく知ってるじゃないか。でもおしいな。正確には息子の曹丕だ。これがまた父に負けず劣らず大した人物なんだが、詳しいことは世界史の授業で話すことにしよう。魏志倭人伝に関する妙な記述に関してはプリントを参考にするように。じゃあここからが続きだ。続いては考古学調査による最新の研究なんだが、どうやら邪馬台国は九州にあったという説が有力になってきた……」
う~ん、なかなか高度だぞ。さすが偏差値高め。
しっかり聞いておかないとすぐについて行けなくなってしまうだろう。
それにしても。おれは後ろを振り向いた。
何なんだこれは。
授業が再開すると同時に、後ろのふざけた連中が騒ぎ始めたぞ。おら、変な踊りを披露するんじゃない。本気でお前らここで勉強する気あんのか。
「ゴメンね。後ろの連中いつもこんな感じだから」
タタミちゃんがこちらに顔を近づけてくる。おれは横目でうなずいた。
「死霊族ってピンキリはげしくて、ひどい奴だといつもあんな調子なの。
アタシたちは慣れっこだけど、新介クン、苦労すると思うから気をつけて」
「おう、それにしてもタタミちゃん、見た目と違って優等生みたいだな」
「ひっどぉーい、これはただのファッションだって。アタシはただの人間界マニアぁ」
言いながら彼女はデコレートしまくりのカーディガンを引っ張る。
「冗談だって。人間の生態に詳しいんだったらこれ以上心強いことはないって。
よろしくたのむぞ」
タタミちゃんは強調された片目をさらに大きくする。
「うぉっ、新介クンって素直にそう言うことが言えるタイプ? ちょっとびっくり……」
「キエェェェェェェェェェェェェェェェェェッッッ!」
突然の金切り声をあげる上半身裸の生徒。おれを含めた前列全員が頭をかかえる。
「おらぁっ! 誰かそいつをつまみだせっっ!」
茶太良のどなり声に、そいつと仲がいいらしい男子が、グフグフと変な笑い声をあげながら一緒に教室を抜けだした。
「はぁ、まあこんなことが日常茶飯事だ。新介、苦労するかもしれんけど、慣れろよ?」
おれもため息をつきつつ「はぁ」と答えた。
それにしてもなんであいつはこの学校に入学したんだ。ヤンキーっぽいのもいるし。偏差値高いんだろ?
気を取り直し、おれは茶太良の話に耳をかたむけた。
熱弁をふるうのっぺらぼうの声を聞きつつ、まわりを見ると前列方面の生徒は皆まじめに相手の話を聞いている。
ふと、左どなりの沙耶の横顔に目が向いた。
彼女は茶太良のほうにちらりと視線を向けつつ、静かにプリントやノートにすらすらと文字を並べている。
それを横目にしつつ、彼女は見た目にたがわない優等生なんだろうな、と考えていた。