(2)
適当にあいさつが終わったところで、ゴス教頭が部屋を出ていった。
しばらくすると扉が開かれ、先ほどとは別の人物がって……
現れたのは、パリッとしたスーツ姿の男性。なのだが……
短く整えられた髪の下には、“目”と“鼻”らしきものがどこにもない!
「彼が君の担任となる、
1年C組の『茶太良 』先生だ。君もあいさつしてくれ」
おれの耳に校長の声は届かず、デスクに後ろ向きのまましがみついた。
目と鼻がなく、ついでに口から歯がむき出しになっている男がこちらに近寄ってくると、おもむろに片手をあげた。
「君が転入生の結城新介君だな? 今日から君の担任になる茶太良だ。よろしく」
おれが固まったまま動かなくなっていると、後ろから「結城くんっ!」と叫ばれた。
「ひ、ひいぃっっ!」と情けない叫びをあげて、あわてて手を差し出す。
するとそれをしっかり握った茶太良はそれを軽くゆすった。
正直、このまま思い切り握りつぶされた上にゆすぶられまくって腕ごと引きちぎられるのではないかと心配したが、さすがにそれはなかった。
おとなしく校長室を出ると、半のっぺらぼうは階段へとおれを案内する。
相変わらずそこらじゅうに赤い液体と肉片が散乱している。
上の階はギャアギャアうるさいが、中には悲鳴や金切り音のようなものまで聞こえる。
ますます露骨にいやな予感がした。
廊下を上がっていくと、まずは数人の人影が現れた。
こちらに気づくやいなや振り返るが、どれも青白い顔をしている。
中央の学ランの頭部は包帯だらけで、開いた場所から変な液体がしみ出している。
うぉぉい、どうか、どうかこれがただの特殊メイクでありますように……
すると、突然となりの扉が開かれた。
「ギャハハハハハッ!」というけたたましい笑い声とともに、何者かが飛び出してきた。
それを見た瞬間、おれの全身の血液が止まった。
やたら太ったそいつの腹は、
切り裂かれて中からグネグネとした管のようなものが飛び出している。
小汚い床にはポタポタと、赤い液体が落ちる。
それを見た瞬間、おれの足が少しずつ後ろに下がり始めた。
「おいこらっ! 教室に戻れ! もうすぐ授業が始まるぞ!」
のっぺらぼうが平然とはらわたが飛び出したデブに向かって告げている。
本当なら死にかけている状態のはずなのに……
「なんなんだ……なんなんだよ、これ……」
おれが数歩下がっていると、のっぺらぼうがそれに気付いて、本来眉間があるはずの場所を指で挟んだ。
「ったく、これだから人間をわが校に迎えるのは反対だったんだ。
ひと目見れば我々が人間じゃないことは、一目瞭然だろうに……」
「わ、わ……わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~っっっ!」
おれは急旋回し、その場を逃げ出した。
後ろからのっぺらぼうが「おい! 待てっ!」と呼びかけるが、もちろん言うことは聞かない。
しかしあまりに頭が動転していた。
すぐ目の前に血だまり(もうそう確信する)があることに気づかず、おれは足が滑ってその場に転がりこんだ。
身体を思い切りぶつけた痛みをこらえ、おれは泣き叫ぶような声をあげる。
「う、うぅぅ……もうイヤだ……もうカンベンしてくれぇぇぇぇぇ~~~~~~っっ!」
その時、横から何かが現れ、おれの右腕に絡まった。
見ると細い鎖のようなものである。
グルグルにまかれたそれがグイッと引かれると、おれの身体もものすごい勢いで引っ張られていく。
目の前にあったのは男子トイレ……
「わ、わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」
暗がりに引きずり込まれると、そこに3つの人影があった。
うち2つの影が動くと、すぐに青白い顔が2つ現れた。
「ようこそ、オレたちの楽園へ。新入生を歓迎するぜ!」「ひ、ひいぃぃぃっっ!」
青白い男たちがおれの身体を引きずっていく。
ふたたび廊下に出されると、そいつら3人とも異様な姿をしていた。
右が裸の上半身に呪文かお経のようなものが書かれていて、左は身体じゅうに白い大蛇のようなものを巻きつけている。
正面の奴は制服らしきものを全く着ておらず、インドの修行僧が来ていそうな袈裟がけに顔には黒地にドクロのようなフェイスペイントをしている。さらに額には黒い丸がついている。
「たっ、助けてくれえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!」
おれは叫びをあげた。
期待はしていなかったがのっぺらぼうが「お前らっ! なにをしようとしている!?」と呼びかけるが、その正面にドクロ修行僧が立った。
なにか話し込んでいるようだが、その声は別の声にかき消される。
「叫んだところで誰も助けに来やしねえよっ!
なんせここには人間なんて誰もいやしねえんだからなっっ!」
白いマッシュルームカットの大蛇男が狂った笑い顔を向ける。
おれはもう一度叫び声をあげた。
次第に意識が戻ってくると、がっくりとうなだれていたせいか首の後ろが痛かった。
重いまぶたを開けてあたりを見ると、まわりが妙に暗い。
いや、真っ暗というわけではなく、目の前にぼうっと赤い光が照らしていることに気づいた。
妙な光だと思いきや、なんだか地割れの下から差し込んできているような気がする。
空気が異様だ。おれは完全に目を開けた。
すると目の前には、なぜかおれの方に向かって祈りを捧げている謎の集団がいる。
ひざまずいて両腕をひたすら上下させている彼らの前には、なぜか地面が大きくひび割れて下から赤い光を放っている。
なんだこりゃ、おれに祈りを捧げても意味ないだろうに……
身体に違和感があり、おれは周囲を見回した。
妙に腕が痛いと思ったら、なんとおれの身体は十字型の木の板にくくりつけられ、鎖で縛られてるではないか!
おれはどっかで見たことのあるような手枷を引っ張るが、案の定頑丈で、びくともしない。
目の前の集団は変なうめき声のような歌をくちずさんでいる。
その後ろではどんどんと太鼓のようなものをゆったりとしたリズムで叩く集団もいる。
もう一度周囲を見回す。
非常に怪しい雰囲気だが、建物自体はボロいが比較的近代建築っぽい。
しかし真後ろに違和感があったので、無理をして体をひねると、魔後ろには巨大な何かが鎮座していた。
タコのような頭を持った巨大な石像。
間違いない。これは間違いなく、いけにえの儀式。
ぼう然と顔を前に戻すと、左右からぞろぞろと人影が現れた。
トイレで出会った3人に加え、やたら小柄で髪を前に垂らしたモヒカン、ロン毛になぜか目隠ししている青い学ラン、ホッケーマスクをかぶったやたらガタイのいい大男が加わっている。
ドクロフェイスが前に進み出た。
スキンヘッドかと思いきや、頭頂部から後ろはちゃんと毛が生えており、肩から黒い三つ編みの髪をかけている。ドクロフェイスはゆっくりと上に顔をあげ、片手を高くかかげた。
「いよいよ、待ち望んでいたこの日がやってきた……
偉大なる破壊の神クトゥルーよ。このいけにえと引き換えに、我らの悲願を成就させたまえ……」
小柄モヒカンが横から進み出ると、
そいつはありえない速さで首を前後左右にゆすった。
まったく何なんだよこいつらは……
「お言葉ですが『ひどうまる』さん、クトゥルー神はアメリカのH・P・ラブクラフトという作家が想像した架空の神でして、これにいけにえをささげたとしても決して悲願がかなうわけでは……
グボエッッ!」
横から目隠しをしたロン毛がエルボーをくらわす。
モヒカンはフラつきながらまた激しく首をゆすっている。
目隠しがいやらしい笑みを浮かべた。
「そんなことはどうだっていいんだよ。とっととギシキ始めちまおうぜ」
「ちょっ! ちょちょちょっっ! ちょっと待てよっっ!
なんだこりゃっ!? 一体全体なんだこりゃぁぁぁぁぁぁっっ!」
いままでは気が動転していてなにも口にできなかったが、とうとうこらえきれずに叫びをあげた。
全員の顔がこちらに向く。怖い。
「クククク、ようやく口をきいたか。おい、だまらせてやれ」
ドクロフェイスがアゴで指し示すと、全身呪文がこちらに腕を伸ばした。
口の両側が指で挟みこまれる。痛い。
全身呪文は血走った目をこちらに向ける。
「おとなしくしていろよ。すぐに終わるからな……」
ぐいぐいと顔を押し上げてくると、ドクロフェイスがかかげた腕をおれの顔に向けてきた。
そしてさらに下に持っていく。
なにが起こるのか戦々恐々としていると、突然来ていたシャツの前が破られた。
きっと胸をはだけさせられているのだろう。
そして次の瞬間、胸に鋭い痛みを覚えた。
「んン~~~っっ! んンンン~~~~~~~~~~~~~~~っっっっ!」
なんだろう、この感覚。
身体の中が、なにかにまさぐられているような、こんな感覚なんて味わったことないはずなのに……
ていうかなんだよこれ! この状況どっかで見たことあるぞ!?
たしか昔見た映画の……ていうかあり得ないだろ!?
白目をむきそうになりながらも必死に目をこらしていると、
引き抜いたドクロフェイスの手の中から、案の定血まみれの物体が現れた。
そいつは血をしたたらせながら、ドクドクと小刻みに動いている。
間違いなく、おれの心臓だろう。
……ああ、なんだか意識が薄れてきた。
そりゃそうだ。こんなことになったら、普通死ぬって。
ああ、昔の記憶が走馬灯のように……
ガバリと身を起こすと、そこは白いベッドの上だった。よかった、夢か。
念のため胸のあたりを探ると、あるはずの感覚がない。
何度も何度も探ったが、まったく鼓動がひびかない。
胸のあたりを見ると、破けたシャツが血まみれになっている。
「……夢じゃなかったのかよぉぉぉ~~~~~~」
おれは片手で頭をかかえる。これが現実かどうかを確かめるのはもうあきらめた。
それを考える前に、おれはすでにいろんなものを見すぎてしまったのだ。
ふと正面を見ると、白衣を着た女性が回転チェアに座っている。
普通と違うのは、その女性には片腕がなく白いそでがだらりと下がっていることだ。
女性が振り返ると、部屋の壁や内装とほとんど変わらないくらい真っ白な顔をしている。
「目が覚めたようね。
どう? やっぱりショックだったかしら? ここじゃ人間の世界の知識は役に立たないからね」
女性は白い顔でよけいに目立っている赤い唇をにやりとさせた。
おれはぼう然とうなずく。
「……ってそれどころじゃないでしょっ! どうなってんのおれっ!
心臓引き抜かれて生きてるわけないでしょっ!? おれもあんたらと同じくゾンビになっちゃったわけっ!?」
「ゾンビ?
ああ違うわよ。たしかにあなたの心臓は抜かれてしまったけれど、死んでしまったわけじゃないわ」
白衣は立ち上がり、おれのベッドのそばにあった椅子に腰かけようとする。
念のためおれは一応警戒する。
「そんな怖がらなくてもいいわよ。
ってムリな話か。それもそうよね。この学校にいるのはほとんど人間じゃなくて、
『死霊族』と呼ばれる異世界の生物なのよ」
「しりょう……ぞく……」
おれのつぶやきにあわせ、白衣はうなずいた。
「あの世って信じる? と言ってもここまで見たら信じざるを得ないわよね。
で当然天国と地獄があるわけだけど、わたしたちが本来暮らしているのは現世と地獄の境目にある魔界なのよ。
わたしたちはそこにいる数多くの種類がある妖怪のうちのひとつなわけ」
「は、はあ……それにしてもなんでこっちの世界へ?」
「信じられない話かもしれないけど、わたしたちの一部はこの世界にひっそりまぎれて暮らしているの。
で、実は日本政府もそのことを把握してる。
政府は我々の存在を極秘にして、手厚く保護しているの」
「なにを当てにそのようなことを?
その、おれたち人間からすれば、みなさんって、その、『バケモノ』でしょう? 失礼な言い方ですけど」
それを聞いた白衣はため息まじりに行った。
「遠慮して言うのはいいけど、他のみんなの前でむやみに口外するのはやめてね? 気にする子もきっといるはずだから。
で、なにを当てにしてるかって? まずこちら側からすると、我々は生命力、身体能力ともに人間をはるかに上回っているけれど、種族全体としてはゆるやかな危機を迎えているの。
見たらわかると思うけど、わたしたちは切っても叩いてもなかなか死なない生き物だからね」
「内臓が腹から飛び出しても生きているくらいですからね……」
「んふふふ。そう、だから人生に余裕があるのよ。だから種族全体の未来も甘く考えてしまう。
そのことが非常に少しずつだけど、悪い影響を与えているの。
そこで考えたのが、わたしたち死霊族よりはるかに生態的にもろい、あなたたち人間なの。
わたしたちは積極的にあなたたちとかかわることで、近いうちに滅びることになるかもしれない同族たちに対する刺激になればいいと考えているわけ」
「政府のほうは?」
「わたしたちのことを受け入れてくれる代わりに、人間の身体では安全に行えない危険な医学実験に協力しているわ。
いわば多少の危険をなんとも思わない超頑丈なモルモット、って言うわけね。
もっとも、わたしたちがやろうとしていることはそれだけではないけれど」
「どういうことです?」
なぜか白衣は胸のところからボールペンを取り出し、ノックの部分を上に向けた。
「わたしたちの能力があれば、もっと大きなことができるはずなの。
危険な作業に従事したり、それこそ政府の重要任務に従事したりね。
実際ヨーロッパにいるわたしたちに似た種族は軍のもとで様々な裏の仕事についているわ。
そうやってお互い利用し合うことで、死霊族と人間は共存することができる、と考えているの。
もっともそれがうまくいってないのが現状なわけだけど」
「うまくいっていない? どういうことです?」
気がつけばおれは普通にしゃべっている。あきらかに現実的な会話じゃないのに。
「死霊族のほうに、あまり緊迫感がないの。
生命力に余裕があるゆえののんきさもあるし、普段は魔界に住んでいるから文化も思想もあなたたちとはまるで違う。
人間世界に溶け込むためにはあなたたちのことを深く学ぶ必要がある。
この安国学園はそのために設立されたわけだけれど、わたしたち教師側の意図を深く理解している生徒は、残念ながらごく少数だわ」
そして白衣は背もたれに身体を預け、左右にゆさぶった。
「おかしな話だけれど、こちらの世界にも学歴が重要な部分があるの。
死霊族の世界ではこの学校は非常に偏差値が高い。
あ、もちろんあなたにとっても十分なものよ? その辺は期待してちょうだい。
でもそれゆえに、在校生のほとんどが偏差値目当ての入学で、こちらの世界に順応しようという考えはあまりないの。
つまり設立目的とはまったく異なる状況におちいっているわけね」
「……で、それってひょっとしておれの入学と関係あります?」
思い切りジト目を向けてみた。
白衣は赤い唇の下にボールペンを押し当て、あさってのほうを見上げる。
「さあ~。それに関しては、わたしなんかより教頭先生のほうにうかがったほうがいいわよね~。
なんつったってあの人こそ、あなたをこの学校に迎え入れようとした……」
「……『ミカ』せんせ~~~~~いっ! 転入生クンのごきげんいかがぁ~~~~~!?」
突然扉が乱暴に開かれ、そこからゴス教頭のニッコリ顔が現れた。
「……てんめぇ~~~~~!
人の弱みに付け込んでよくもこんなところに連れてきやがったなぁ~~~~~~~っっ!」
気がつけばベッドから立ち上がっていた。
相手はそれこそあ然とした表情を見せている。
おれはすぐにつかみかかろうとしたが、「ミカ」という名前だと判明した白衣にあきらかに人間ではない力でベッドに押し返される。
「ほら、怒りだした。
だから言ったじゃない。もっとも、事前に説明したところで信じるはずもないけれど」
あきれて額に手を当てるみか先生だが、思いなおしたようにこちらを向いた。
「あ、ごめん忘れてた。
わたしは保健医の『干支倭ミカ』。よろしく」
そう言って片手を差し出したミカ先生だが、すぐに申し訳なさげな顔になる。
「あ、握手するのはやめとこっか」「いえ、大丈夫です」
おれはうなずいてその手を握った。意外と暖かい。
握手が終わり、おれはあらためてゴス教頭をにらみつけた。
「ひょっとしておれをここにぶちこんだのって、ここの生徒が人間とうまくやっていけるかをモニターするためですよね?」
「そうだけど、それが何か?」
あまりにあっけない返事をしながら、教頭は反対側のベッドに腰かける。
「な、なんなんですかあれはっ!? おれ、心臓とられちゃったんですよ!?
ていうかなに!? おれまだ生きてるのっ!? なんで!? おれも死霊族になっちゃったっ!?」
「ああ、カン違いしないでほしいんだけど、あなたは別に死霊族になったわけじゃないわよ?
ただ心臓を抜き取られただけ」
おれはそれを言ったミカ先生までにらみつけてしまう。
「じゃあなんでおれはまだ生きてるんですか!?
こんなの明らかに物理の範疇じゃないでしょう!?」
その質問にはゴス教頭が腕を組んで答える。
「それなら言っとくよ?
ボクたち死霊族は人間の倍以上の体力、それをもはるかに上回る生命力、そしてこちらの世界には存在しない特別な力を操る不思議な能力を持ってるんだ。
彼らはそれを使ったにすぎないんだよ」
「すぎないって。じゃあおれの心臓はどうなったんです?」
「いまは彼らが厳重に保管してる。
彼らの儀式は完全に終わったわけじゃない。
この上さらにキミの首をはねて、崇拝する神にささげることで儀式は完了する。
さすがにそれはまずいから止めたけどね」
「クトゥルー神って、実在する神じゃないんですよねぇ」「さぁ?」
「さぁってなんなんですかそれっ!? 取り返してくださいよっ!
これじゃ実家に帰れなくなっちゃうじゃないですかっ!?」
するとゴス教頭が人差し指を突き立てた。
「じゃあ聞くけど、とり返したらキミ、すぐに家に帰るつもりなんでしょ?」
そう言われ、おれは「うぅっ」と困った顔になってしまった。思わずミカ先生にも目を向ける。
「あたしのことは気にしなくていいわよ。怒んないから」
おれはうなずくと、がっくりとうなだれた。
「……ムリっすよ。みなさんの考えていることはわかりますけど、こんな人間世界とかけ離れたところで、ずっとやっていける自信があるはずないわけないじゃないですか。
そりゃ、おれ高校浪人するくらいなら、多少は変な所でもかまわないと思ってましたけど……」
そしておれは片手で額をおおった。
「でも、ここはいくらなんでもケタ違いすぎる。
こんなところにずっといたら、おれ、普通の生活に戻れなくなっちまう……
あ! いやいやそもそも生命の危険が及んでんだけどっ!?」
「じゃあキミはもっと別のコなら向いてるとでも思ってる?」
「そんなことわかんないっすよ。だいたい誰が来てもムリだと思うし……」
「いたとしても、普通とあまりにかけ離れたコじゃモニターとしてはムリよ。意味がない」
おれはミカ先生の顔を見ずに手を払った。
「そういうことです。なんとか心臓を取り戻してください。おれは実家に帰ります」
それを聞いたゴス教頭が深いため息をつく。
「簡単じゃないんだよ。
連中は教え子とはいえ、あれだけの大集団となれば力づくで取り戻すのは非常に難しい。
特に筆頭の6人は、言った通り特殊能力もあるから一筋縄にはいかないしね」
ここでなぜか教頭は両手を横に広げた。おれは思わず相手を見た。
「ま、ここまではただの言い訳。ボクの意図は別のところにあるけどね」
「意図……意図ってなんですか?」
「実はね。ボクたちはこの学校に迎える生徒を、慎重に審査したんだよ。それこそ政府と連携してね。
経歴審査と素行調査しかやってないけれど、それでも適切な子を選んだ自信があるよ?」
「で、おれ? はっきり言っておれがそれに向いてるとは思えないですけれど?」
教頭は両ひじをヒザの上にもたれ、首をかしげながら言った。
「だけど、キミは待ってるんでしょ?
『もう一度、立ち上がれる機会』ってのを」
おれは思わず立ち上がった。立ったまま、なかなか言葉が言えなかった。
「……な、なんでそんなことがわかるんですか!
人間じゃないのに! 今日初めて会ったのに!」
「そりゃわかるよ、教師だもん。キミの経歴を見てれば、なんとなくそのことがわかるよ」
おれはなにも言えずにいた。
核心をつかれて、それ以上反論することができなかった。
「いろいろ言いたいこともあるけど、ひとまずこれくらいにしておこう。
とりあえず、キミの心臓はすぐに返すことはできない。交渉はするけど、難航するだろうね。
だからいくら君が出たい出たいと言っても、すぐにはムリだよ。あきらめてしばらくここで学ぶことだね」
すると突然保健室の扉がコンコン、と叩かれた。
「……先生、よろしいでしょうか?」
透き通るような声。おれの視線が思わずすりガラス越しの女の子らしき姿に向かった。
「あ、ちょうどよかった。『サヤ』クン、入ってきて~」
いつの間にかシリアスになっていた教頭の声が、元のおどけたものに直った。
振り返った教頭にあわせ、扉がガラガラと開かれる。
おれの目がその先にくぎ付けになった。
死人のような真っ白な肌が、場合によってはこんなにも映えるものなのか。
現れた女の子は、それはそれはきれいな顔をしていた。
大きく切れ長な瞳の上には、キリッとした眉毛が並んでいる。
鼻筋は通っていて、くちびるはミカ先生ほどではないが赤く光っている。
昔ながらのセーラー服からは、それこそ人形かと思うほどの柔らかそうな形の手と、すらりと伸びた太ももが伸びる。どちらも顔と同じく透き通るように白い。
そう、顔も透き通るように白い。
いままで見た死霊族の不気味さを払しょくするくらいに、白くてきれいだ。
こんなきれいな子は初めて見た。いい意味で人間離れしている。
じっと見とれていると、その子は扉をそっと閉めてスタスタと歩いて来て、おれの目の前で止まった。
「はじめまして。『狛田村沙耶 』よ。あなたのクラスメイト。よろしく」
彼女がおもむろに手を差し出した。おれはそのなめらかな手を見ながら、ぼう然とそれを握り返した。
「ここにいればいろいろ面倒ごともあるだろうから、なにかあれば彼女を頼ればいい。
他にも何人かに声をかけてる。きっとキミの力になってくれるはずだよ?」
教頭の声はほとんど耳に入らず、おれはぽかんとしたままうなずいた。