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文章を書く難しさ

 

 小林秀雄に「ゴルフの名人」というエッセイがある。


 ある日、小林秀雄の元に、親戚の招待状を持って老紳士がやってくる。彼は「ゴルフの名人」なのだと言う。(プロゴルファーではない) 彼は分厚い原稿を持ってきていて、批評家の小林秀雄に原稿を見てもらいにきたのだ。原稿は老紳士が心血注いだもので、ゴルフ理論と、そこから来る人生哲学だ。小林は原稿を読む前にしばし、老紳士と話し合う。


 老紳士は年齢七十四。彼は貿易に関する商売をずっとやって来たのだが、それと平行してゴルフもずっとやってきた。この年になり、自分の人生を振り返り、「人生夢の如し」という感慨を持った。だから彼は自らが最も知悉しているゴルフに関する本を書こうと思った。それで、できた原稿を小林秀雄の元に持ってきた。


 小林秀雄は直に対面して、話してみて、老紳士が実に魅力に飛んだ人物だという事を感じた。彼の言っている事、「人生夢の如し」という彼の感慨も嘘ではないと感じた。老紳士が帰った後、小林秀雄は原稿を読んでみる。しかし、そこには老紳士の姿はなかった。原稿の上には、作者の魅力は全く刻印されていなかった。つまり、その原稿はダメなものだったのだ。


 老紳士は再び小林秀雄の元を訪れる。小林秀雄は窮して、「文章がいけない」と言う。老紳士はどこがいけないのか、と尋ねる。小林はその時、念頭にある言葉を思い浮かべた。それは原稿に書いてあった言葉で、「フィーリング」という単語だ。ゴルフには、その人にしかない「フィーリング」がなければ駄目だと、原稿には繰り返し書かれてあった。小林秀雄は「あなたの文章にはフィーリングがないのです」とずばり言った。老紳士はその言葉に感嘆し、納得して帰っていった。老紳士は原稿を持って帰った。


 数カ月後、小林は老紳士が死んだという事を、親戚から聞いた。「ゴルフの名人」というエッセイにはそれだけの事が書かれている。


                             ※


 僕が小林のエッセイを最初に説明したのは、ここに、文章を書く事の本質的な難しさが刻印されていると思ったからだ。


 世の中には魅力のある人物、才能のある人物は意外に沢山存在する。才能の塊のような人物だって、世の中には意外に多くいる。周囲の人は、そういう人の魅力を直に感じているだろう。しかし、そういう人が自分の中にあるものを外側に、目に見える形でアウトプットできるかどうかというのは、また別の話だ。

 

 「ゴルフの名人」は魅力的な人物だったのだろう。それは小林秀雄の文章から察せられる。「ゴルフの名人」の周りの人も、彼の魅力を知っていたのかもしれない。しかし、彼が「人生夢の如し」と考え、心血を注いだ原稿に彼はいなかった。ここに文章を書く事の難しさがある。また、ここに文章を書く事の切なさ、あるいはその素晴らしさが同時にある。


 「ゴルフの名人」の文章がいかにまずいものだったとしても、彼本人が魅力的であればそれでいいではないか、と僕達は考える事ができる。通例、僕達はそういう生き方をしている。しかし、そういう僕達もまたその内、「人生夢の如し」という感慨に行き着かないとも限らない。その時、僕達はペンを取るかもしれない。しかし、その時にはもはや、彼の中の大切なもの、彼が世に残そうとするものを外側にアウトプットする技術を習得する時間は残されていない。彼は原稿を書き終えた時、自分の熱情を、自分の存在を原稿に表し仰せたような気がする。しかし、それは気のせいである。彼が知らなかった事は、「書く」という事もまたゴルフと同じように、独特の修練が必要な特殊な分野だという事だ。彼はこの事を知らなかった。そしてそれを知った時には、彼は原稿を持って我が家に帰るしかなかったのだ。


 我々は生きていて、他人の中に独特の魅力を感じたり、強烈な悪意や、神々しい精神を見つけたりする事ができる。その時、抽象的な哲学や文学など必要ないように感じられるかもしれない。他人や自分はこのような生き生きとした実在なのに、何故それを今更、言葉という砂漠の海に帰さなければならないのか。例えば、毎日飲み歩いている大学生が、毎日図書館通いをしている同級生を見て「あいつはなんと馬鹿な奴だ」と考える事もあるかもしれない。そういう時、その大学生は自分が常に人間という生き生きした存在と毎日向かい合っている事を感じている。それに比べれば、活字の不毛さなど何であろう。しかし、にも関わらず、大学生が老年になって「人生夢の如し」と考える可能性もあるわけだ。そうするとまた問題は元に戻される。


 毎日を生きていく事、その事が終わった所から書く事が始まるのかもしれない。しかし、生き生きとした現実の世界を快く感じている人間に書物の世界が灰色に見えてもそれは仕方ないだろう。だが、時間はこの答えを逆転させてしまう。生き生きとした実在の世界が、死という断崖に近づくにつれて灰色に見えてくる。すると逆に、今まで灰色に見えていた書物の世界が黄金に光り輝いて見える。その時にはもう、彼の存在自体が断崖から落下しようとしている。


 文章を書く事の難しさというのは、そうした点にあると思う。「ゴルフの名人」の魅力は、たった二度しか会わなかった小林秀雄という男のエッセイに僅かに刻印された。しかし彼が心血注いだ原稿に、彼の魅力は刻印されなかった。では、何故、彼はそれを刻印しなければならないのか?という問いの中に本質的な書く事の難しさがある。自分はそんな風に思う。「ゴルフの名人」は死を前にして何かを書く必要を感じた。ただ、彼にはそれを成熟させる時間がなかっただけだ。では、彼の魅力はどこに消えたのか? この疑問に「書く」事は答えてくれるかもしれない。しかし、この問いにこうして答える事ができるのは一度人生を廃業した人だけなのだろう。その時、その人には世界が反転して見えるだろう。そして反転して見えた世界を彼はもはや語る事はできない。彼は『ただ』、書くだろう。


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[一言] ヒトが石をもって自らを岩壁に刻んだ時から、人間は自らを残さずにはいられない。『ただ』書く(あるいは描く)だけであっても。 こちらの文章を拝見し、そう感じました。 自らを刻み、形に成すこと…
[良い点] 内容が端的で分かりやすい文章だと思いました。大まかに筋が通っていて、共感しやすいです。段落分けもしっかりしていて読みやすかったです。 [気になる点] 論理性が欠けている様な気がしました。自…
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