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夏の帳  作者: 鮎みちる
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ロッジの中で②

 朝食代わりのパンケーキを食べながら真璃子は、主に甲斐から、彼と柚月と篠田の三人の話を、色々と聞くことができた。

元々、柚月の祖父が経営している建築会社の請負先が、篠田の生家である篠田土建だという。その縁あって、柚月と篠田は幼馴染みであるらしい。

自分たちの世代から、大分この町の過疎化が進んでいたため、二人は高校を卒業するまでずっと、一クラスしかない学年で共に成長してきた。

甲斐は、高校入学と同時にこの町に役場の職員の息子として引っ越してきて、それ以来ずっと、何となくうまが合った柚月たちとつるむようになった。

今では、他の同級生たちはほとんどが町を出て方々に散らばっていってしまい、大人になって生まれ故郷に残り生活しているのは、この篠田と甲斐の、たった二人だけらしい。


子どものように紅茶に息を吹きかけて冷ましながら甲斐は、「でもまさか、ユヅキまでこの町を出るとは思わなかったよなぁ」と、のんびりとした口ぶりで、感慨深げに言った。

真璃子と出会った都会の街で、身の上をあまり悟らせなかった柚月しか知らない真璃子には、その言葉は少し、意外に聞こえた。

柚月は黙って甲斐の話に聞き入っていたが、そのとき篠田が、「もうこんな時間か、」と言って、頃合いを見計らったように立ち上がった。

どうやら彼ら二人はそれぞれ仕事を抜け出してきていたらしく、篠田の姿を見て壁に掛けてある陶器製の時計を見た甲斐も、慌てて帰っていってしまった。

「またね、マリコさん」

彼は、どんなときでも気遣いを忘れないタイプのようだ。


二人が帰ってしまった後、片付けを始めた柚月の手伝いをしながら、真璃子は「これからどうしようか」と考えていた。

ほとんど勢いでここまで押しかけてきてしまったが、本当は迷惑だったのではなかろうかと、今更不安になる。

私は、いつもこうだ。真璃子は後悔した。

いつも、そのとき感情が膨れ上がると後先のことが考えられなくなって、こうやって遮二無二行動に出てしまう。

今の仕事についたときだってそうだった。

衝動の赴くまま、どうにかしてこの気持ちを鎮めたいという一心のまま、後のことなどまったく意識せずに、気がついたらあんなことをしてしまっていた。

そのせいで家族まで失い、色々なものを手放してしまったのだ。

だが何より、どんなときより後悔したのは、柚月を好きになったときだった。

こんな私は、ゆずちゃんのそばにいる資格などない。まして、好きになっただなんて、とてもじゃないが言えるわけがない。

そう悩む真璃子を、柚月はすべてを知った上で、受け入れてくれた。

「わたしもマリさんが好きだよ」と言って、手をそっと握り締めてくれたのだ。

そのとき、どんなに嬉しかったか。あのときの気持ちを、どう伝えればいいのか今でも分からない。とても言葉で言い表すことなどできない。それくらい、嬉しかった。

だから、柚月が自分から離れて行ってしまったと分かったとき、いてもたってもいられなかった。

人手が足らないとは分かっていたが、そんなことに構っていられないと、渋る店長を説き伏せて長期休暇をもぎとってきた。


「実家に戻ります。しばらくの間、会えません。ごめんなさい」


そうとだけ真璃子に告げて去って行った、柚月の気持ちが知りたかった。

もしかしたら、愛想を尽かされたのではないのか、とか、

柚月はもう、自分のことなんて好きではないのかもしれない、真璃子を受け入れたことを、後悔したのかもしれない、などという悪い考えが、じっとしているとぐるぐると脳裏に渦巻き、じっとしていられなかったのだ。


「ゆずちゃん」


布巾でティーカップを拭く真璃子の背後で、テーブルの上を片付けている柚月に呼びかける。

動揺を悟らせたくはなかったが、自分でも驚くほど静かな抑揚で声が出た。


柚月が、こちらを振り向いたのが気配で分かる。

真璃子も柚月に向き直ると、少しだけ項垂れたようなその姿と、向かい合う姿勢になった。


「まずは、謝らせて。突然訪ねてきたりなんかして、ごめんなさい。びっくりしたわよね」


柚月は、黙ったまま小さく首を横に振る。

肩辺りまで伸ばされた髪が、さらさらと揺れた。


「でも、理由が知りたかったの。どうしても、ゆずちゃんに会いたかったの。どうして、私に何も言わずに、急にここへ帰ってきたりなんかしたの?」

「………」

「借りてたアパート、解約しちゃってたわよね?もう二度と、あそこへは戻らないつもりだったんじゃない?」


柚月が一度、何かを言いたそうに真璃子を見た。

しかし結局また俯いてしまい、何も聞けずに終わる。


沈黙は、肯定と同義である。

アパートを解約してしまったということは、通っていた大学も、もしかしたら退学してしまったのかもしれない。

篠田の言うとおり、亡くなった父親の代わりに祖父の跡を継ぐためではないのだとしたら、いったい何をそこまで急くことがあったのだろうか。


「…お父さんのこと、残念だったわね」

「ソウジから聞いたの?」

「そうよ。まさかそんな大変なことになっているとは思っていなかったから、びっくりした」

「…ごめんなさい」


心から申し訳ないと思っているような表情で、消え入りそうな声で柚月は言った。

責めているつもりは真璃子にはまったくなかったが、結果的にそうなってしまっている自覚はあった。

とても辛い心境であろう今の柚月にそんな兆しを感付かせたくはなかったが、どうしても気持ちがおさまらず、そういった雰囲気を醸し出していることは否めない。

同じように、柚月を支えたいという思いも、確かにあるのだが。


「お母さんは?」

「わたしが小さい頃には、もういなかったから。写真も残ってないし、あまりよく知らないんだ。お父さんは、死んだって言ってたけど、それも本当かどうか分からないし」


お父さんも、だいぶ病気がちだったんだけどね、と、柚月は微笑んで言った。

その目には隈が浮かんでいて、少し水っぽく見える。


「いつものように、外の窯で焼き物を焼いていたら、倒れたみたいだって。脳出血だって。組合の人がたまたま来て病院に連れていってくれたんだけど、多分倒れて数時間は経ってたから、もう助からなかっただろうって」


きっと辛いだろうに、柚月は顔を俯けながらも、気丈に真璃子にそう説明する。

離れに住んでいたとはいえ、息子が倒れ伏していることにすら気付かなかったらしい柚月の祖父母のことは訝しく思えたが、そんなことなど今はとにかくどうでもよくて、ただただ、柚月の小さな頼りない手を、ぎゅうっと握り締めてあげたくなった。

拭いている途中だった食器を置き、柚月との距離をつめてその通りにすると、柚月は目を丸くして驚いていたが、すぐに真璃子の手を握り返し、微笑った。


「…マリさんには、黙って帰ってきちゃって、ほんとに悪いと思ってる」


ごめんなさい、と言う柚月の額に、唇を落とした。


「迷惑、かけたくなくて」

「迷惑なんて、」

「きっとかけちゃうと、思ったから」

「バカね、ゆずちゃんのことで、迷惑だなんて思わないわよ」

「…来てくれて、驚いたけど、嬉しかった」


真璃子に向かって、少しだけ照れくさそうに礼を言う柚月に、握っていた手を離して抱き締めようとした。


した、ところで、リビングの扉が開いた。

てっきり帰ったとばかり思っていた篠田が、そこに立っていた。

驚くでもなく、戸惑うでもなく、ただ冷めた目でじっと、抱き合う真璃子と柚月を見ていた。








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