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夏の帳  作者: 鮎みちる
2/5

真璃子と篠田

朝日が眩しい―――。

真璃子が無人駅から出ると、白く鋭い日光が全身を突き刺した。

ここ数年、こんな時間に起き出したことがまったくと言っていいほどなかったので、そんな体には少々この光は厳しい。

眩んだ目で周囲を見渡せば、一面に広がる田畑と、ぽつぽつ建ち並ぶ家。そしてその遥か向こうに見える山々が、真璃子を出迎える。

人影は、確認する限り見当たらない。あれ、と思って、手に持っていたスマートフォンを覗いてみた。

数時間前、ちょうど夜行列車に乗る前に来たラインの内容では、確かにあの子からこの時間には駅に迎えに来ているとの連絡が入っていた筈だ。どうしたのだろう、もしかしたら降りる駅を間違えたのかもしれない、と焦って画面を開こうとすると、真横から―――本当にすぐ横から、低く不愛想な声がした。


「あなた、スドウマリコさん?」


聞き覚えのない声が、自分の名前をしっかりと呼んでいる。

驚いて隣を見やると、そこにはブルーグレーのスーツに身を包んだ―――およそこの町の風景には溶け込めていない―――長身の若い男が、真璃子を見下ろすようにして立っていた。

両の手をポケットに突っ込み、短くざんばらに揃えられた前髪の間からは、深く刻まれた眉間の皺が見える。

―――怖い、

途端に身体が強張った。

こういう、威圧的な若い男は苦手なのだ。威圧的じゃなくても苦手だが、こういう類の男は特に嫌いだ。


「この時間にこの駅を利用するような地元の人間はめったにいない。須藤真璃子さんでしょ?狭山柚月のオトモダチの」

「…そう、ですけど…」

「初めまして。俺はユヅキの馴染みで篠田といいます。あいつが急用でマリコさんを迎えに行けないことになったんで、代わりに俺が」


微妙なところで言葉を切って、「荷物はこれ?」と、さっさと真璃子のトランクを引いて歩き出してしまった。

最初こそ呆気にとられていた真璃子だったが、慌てて篠田と名乗る男の後を追い、小走りになりながらも彼に訊ねる。


「あの…、シノダ、さん。あなた、柚ちゃんの…」

「昔馴染みです。高校までクラスが一緒で。車はあっちね。ちょっと歩くんで」


こちらを振り向きもせず答える篠田に、真璃子はむっとした。

大体、歩幅を合わせるという配慮も見せないとは、男として何ごとだ。それよりも、ろくに会話を交わそうともしないで、一方的に真璃子をここから連れ出そうとしている。

本当にあの子、柚月の友人かどうかも怪しい。

真璃子が抗議の声を上げようとしたそのとき、唐突に篠田が立ち止まった。いつの間にか、砂利敷きの簡素な駐車場に来ていた。

篠田が、無言で錆びれた濃紺のミニクーパーのトランクを開け、真璃子の荷物をそこに詰め込む。

どうぞ、と助手席に促されたので、渋々と乗り込むことにした。

車の扉を閉め、手に持ったままだったスマートフォンを見てみると、柚月からラインが届いていた。

“用事ができて迎えに行けなくなっちゃった。友達に代わりに行ってもらうね。ごめんね。”

絵文字も顔文字も、愛想もそっけもないように見えてその実なぜか温かく感じるその文面に、少しだけ涙が滲んだ。

もうすぐ、会えるんだ。

指先で目じりを拭っていると、ふと視線を感じて運転席を見た。

篠田が、真璃子のことをじっと見つめていた。


「……変わった格好ですね」


あまりの不躾な言葉に、衝撃が走った。

確かに、今の真璃子の服装―――ツーピースのシルクワンピースにコンバースというスタイルは、いささか不自然に見えるだろう。

それにしたって、普通そんなことをはっきりと口に出す奴がいる!?

隣であんぐりと呆気にとられている真璃子をよそに、篠田は涼しい顔でエンジンを回した。

結構な不穏な音をあげて、ミニクーパーが揺れる。

シートベルトを着けて下さい、と呟くように言う篠田に、腹をたてた真璃子は、やや乱暴な所作でベルトをかけた。

真璃子がストッパーに思い切りベルトを差し込むのと、がこん、と大きく揺れたミニクーパーが発車したのは、ほぼ同時だった。









無人駅から、30分は走っただろうか。

のどかな田園風景が徐々に鬱蒼とした林に変わり、その内急こう配を車は蛇行して通った。

山道をしばらく行き、大きな橋を渡り終え、その先にある小高い丘の上に、狭山家はあると篠田は言った。

篠田が言ったとおり、橋の向こうに綺麗な丘が見えた。深い木々がそこだけ途切れて、青空の中に浮いているように、大きな屋敷がその頂上に建っている。

凄いところに住んでいるのだな、あの子は。

窓の外に広がる雄大な景色を見て、真璃子は思った。


「あそこが、柚ちゃんの家?」

「そうです。厳密に言うと、違うけど」

「それって、どういうこと?」


相変わらず愛想のない返事をしながら前を見つめる篠田が、まるで独り言のように語った。


「ユヅキは、あの屋敷では生活していない。あそこで暮らしてるのはユヅキのお祖父さんとお祖母さんです。ユヅキ自身は、離れの小屋で暮らしてる。そこで、焼き物を作ってる」

「焼き物?」

「陶器を焼いている。ユヅキの父親が、職人だったから」


初耳だった。

真璃子といるとき、柚月は自分のことをあまり話さなかったが、時折語るその口ぶりから、かなり大きな家の出だということは何となく予想していた。

だが、そこで陶器を作っているとは聞いたことがない。真璃子に話す理由がなかったのかもしれないが、なぜ柚月が真璃子に黙っていたのかは分からなかった。

なぜなら、きっとそのことが原因で、柚月は真璃子のそばから離れてしまったから。


「柚ちゃんのお父様が…?」

「一ヶ月前、ユヅキの父親が亡くなったんで、お祖父さんに呼び戻されたんです。あいつの父親が死ねば、跡取りはユヅキしかいなくなるから」

「…そうだったの。じゃあ、柚ちゃんはおじい様の跡を継ぐために、ここに戻って来たの?」

「そうとは言えない」


また、微妙なところで篠田は言葉を止めてしまった。

気が急いた真璃子が言い募ろうと口を開くと、狭い山道の中で大きなトラックが反対車線から迫って来た。

篠田は路肩にそれてそれを避け、トラックが通り過ぎるのを待ってから、運転を再開した。


「…あいつのお祖父さんは地元じゃ有名な建築会社の会長さんで、この町一番の有志です。祖父さんは息子であるユヅキの父親に跡を継がせたかったみたいだけど、親父さんはそうはならずに、陶器の職人になった。そんなものだから、親父さん、一度は勘当されたみたいです。ユヅキが生まれたとき、形だけ一応許されて戻って来たみたいだけど、屋敷の敷居を跨ぐことは許されず、離れに窯を造ってずっと死ぬまで焼き物を焼いていたらしい」


淡々と話す篠田に、「詳しいのね」と真璃子は言った。

篠田はそれには答えずに、ここで久しぶりに真璃子のことを横目で一瞥した。


「柚ちゃんも、昔から焼き物を焼いていたの?」

「いや、この間ここに帰って来て初めて。ノウハウは、生前親父さんから教わっていたみたいだけど」


と、いうことは、柚月は祖父の求める通り家督の跡継ぎになることよりも、父親の意志を継ぎに戻って来たということだろうか。

篠田から聞く柚月の話は何だか真璃子の知る彼女の話ではないようで、少しだけ不安になる。

そんなことなど、あの子から聞いたこともなかった。

真璃子の知る柚月から、そんな様子など微塵も感じたことがなかった。


「…マリコさんは、あいつの家がそういう家だって知ってた?」


真璃子が黙って首を横に振ると、篠田は嘆息した。ように、見えた。


「そんなことも知らなかった私は、柚ちゃんのオトモダチとは言えないって言いたいの?」

「いえ」


篠田が、微かに笑った。

車はちょうど、丘に続く橋にさしかかるところだった。


「ユヅキに女性のオトモダチができたのは、マリコさんが初めてです。あいつ、口じゃ何にも言わないけど、きっとあっちで楽しかったんだろうなって」


そう思って、と、篠田は肩を揺らして笑い声まで漏らした。

ずっと仏頂面だった彼の笑顔に、真璃子は驚いて見入ってしまった。

篠田のその表情は、無表情の時よりずっと幼く見えた。

車は橋を通り抜け、とうとう丘の道に入っていく。

柚月のいるところまで、あともう少しだった。


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