死の匂い
「アント」
近づいていったオレがそっと声をかけると、アントはオレをゆっくりと見上げた。
「こんなとこで、一匹で何やってんだよ」
「……たまには、一匹もいいかなぁって……」
アントは頭を掻きながらそう言うが、そんなの嘘に決まってる。
なぜって、アントは『みんなと一緒』が好きだからだ。いつも誰かと一緒にいるのが好きで、そうすることによって安心感を得て――。それがアントだからだ。
前に、アントが一匹で散歩に行ったって聞いて、オレは驚いてただろ?
あの時も言ったかもしれないが、それほどアントが孤独を好むという行為が珍しいということだ。
「嘘つくなよ」
だからオレはそう言って、かる~くアントの頭をはたいてやった。アントが「いたっ」と声をあげる。
「うぅ……いきなり何するの?」
目に涙を少しだけ浮かべながら、アントはオレを上目遣いに見つめてくる。オレはその可愛らしい視線にドキドキしてしまい、アントの目を見返してやることができなかった。
それでも、伝えたいことはちゃんと伝える。
「アントお前……いつもみんなと一緒にいたがってるだろ? そんな奴が、急に『一匹もいいかな』なんて……おかしいじゃんかよ」
「ぼ、ボクはただ……」
何かを言いかけたアントの口の前に、オレは人差し指を立てた。押しつけるように、ぶっきらぼうに。
アントはすぐ目の前に立つオレの指を、寄り目になりながら凝視していた。
「そんなに怯えるなよ、『ちょっと黙ってろ』って言いたいだけだぜ?」
「それって……『きょうはく』?」
「ちげぇ!」
何でそうなる! それじゃあまるで、オレがアントを誘拐しようとしている変態みたいじゃねぇか! 誰が好き好んでそんなことやるかよ!
きょとんとしているアントに、オレは若干キツイ口調で言い放つ。
「オレはそんな変態じゃねぇ! それに、お前なんか脅迫して、オレになんの利益があるんだ? オレは昔っから、無駄なことに時間をかけたりしねぇよ!」
「あっ……うん、そ、そうだよね……ごめんね……」
案の定アントは弱気になりながら俯いてしまい、
「あ~、小さい子を泣かせてる男がいまぁ~す。ケーサツ呼んじゃおっかなぁ~?」
その様子を見ていたモースが、ケタケタ笑いながら茶化してきた。
なっ、泣かせてなんかねぇし! よく見ろこの夜行性が! お前は昼間は目が悪くなるのか?
事を大げさに言うモースのせいで、バターちゃんまでもがアントのことを心配し出し、
「ビィくん……少しは手加減してあげた方が、いいと思いますよ……?」
オレに残念そうな眼差しを向けてきた。
「違うんだバターちゃん! オレは別に、コイツを泣かせたりは……」
「ジャストは違くても、ラストタイムは泣かせてましたよぉ? あの、鷹さんと闘った後の~!」
モースお前、何言ってんのか分からんぞ……! 英語の使い方、間違ってる気がするんだが。
するとフライルがオレの意図を読み取ったかのように、宇宙虫――もといモースの、日本語として変な文章を翻訳してくれた。
「つまり、今はソイツを泣かせてないとしても、この前は泣かせただろ? ……ってことだろ?」
「おおうっ、せぇ~かぁ~い! さっすが番長、頭いいっスね!」
大げさに驚き、四本の手を全て使って拍手をするモース(バカ)。
なんでもいいけど、フライルのこと『番長』って呼ぶのやめろよな……いい加減。
「あっ……あれはオレが悪いんじゃなくて、アントが勝手に……!」
反論しようとしたオレが、声を荒げながらそこまで言った時だった。
「おい、こっちに虫がいっぱいいるぞ!」
背後から人間の声がし、続いてバタバタと騒々しい足音が近づいてくる。何やら、数人の人間達がこちらへ向かって走ってきているらしい。
そこでオレは、今さっき聞こえた人間の言葉を思い出した。
――『こっちに虫がいっぱいいるぞ』……? オレ達を見つけて、駆け寄って来たみたいだが……。一体、なんのためにそんな行動をとってるんだ?
オレが考え付くよりも早く、何かを感じ取ったらしいフライルが、
「飛べ!」
短く叫んだ。
一瞬、なぜそんなことをするのかと戸惑う。しかし、すぐにその答えは分かった。
モースにもそれが伝わったようで、ソイツも勢いよく空へと飛び立つ。続いてオレも飛び、不思議そうな表情を浮かべるバターちゃんも、とにかくフワリと宙に浮き――、
「アント!」
アントだけが、地上に残された。くっそぉ……アントは蟻だから、飛べっつっても飛べないのか……。
オレは急いでアントへと手を伸ばす。しかし、
シュ―――――――――――――――――。
その手の先を白い煙が包み、オレは驚いた拍子に手を引っ込めてしまった。
こ、この煙は……。オレにはこの煙に見覚えがあった。というか最近、コイツのせいで死ぬかと思ったという体験をしたことがある。そんな危険なヤツを、オレが忘れるはずがない。
そうだ、コイツは……殺虫剤だ! しかもかなり強烈なブツだな……。
この臭いは、虫が死んだ時に出るイヤ~な匂いだ。ほとんどの虫が、この匂いを不吉だと感じ嫌うらしい。もちろんオレだって、こんな匂い大嫌いだ!
煙は瞬く間に上空へと舞い上がってくる。アントの姿は、煙に紛れて完全に見えなくなっていた。
「あ、アント……!」
「ビィ! とにかく逃げるぞ!」
アントのことが心配だったが、この状況ではアントを救出することはおろか、近づくこともできない。
それに……ここでオレまでやられたら、誰がアントを助けるんだ……!
「かならず、助けに行くからなーっ!」
心を鬼にして、オレは『逃げる』という手段を選んだ。
それを確認したフライルが、先陣を切って飛んでいく。続いてモース、バターちゃん、最後にオレと続いた。
待ってろよアント……お前は、このオレが守ってやるから……。
オレは、嫌みのように晴れ渡った青い空を睨みつけながら、三匹の後に続いた。




