異様な空気
「アント……お前……どうしてこんなとこに?」
「ビィくんこそっ!」
オレの知人――アントは、驚いているような怒っているような、微妙な声色を出している。
オレとバターちゃんはアントの元へと高度を下げながら近づき、彼のすぐ傍に足を着いた。
「今日は人間さん達の観察に行くんじゃなかったのっ?」
「い、いやぁ……そのぉ……」
なんて答えたらいいのか分からず戸惑うオレの横で、バターちゃんは四本の腕を二本ずつ組みながら険しい目つきでアントを見つめ、仁王立ちで立っていた。
なんか怒ってる気がするのだが……。オレかアントが、なんか悪いことしたのか?
さらに戸惑いの感情を深めてしまい、一声も声を発することができなくなってしまう。すると、
「……こんにちは」
オレが何も言わずとも、バターちゃんがアントに、無愛想な声でだが挨拶をした。
「こ……こんにちは」
アントも気まずそうに挨拶を返す。
こういう時に、オレは互いを紹介してやるのが常識なのだが……。今のオレには、そんな常識の行動さえ取れなかった。
オレは情けないが黙り込み、しばし二匹の自由にさせてやった。と、いうよりは、オレがただ何も出来ないだけなんだがな。
「二日ぶりですね、元気にしていましたか?」
「ボクはいつも元気にしてますけど……お姉さんこそ、病気になったりしませんでした?」
「病気になっていたら、今ここでこうしてあなたと喋っていることなんてできないですよ。あと、『お姉さん』なんて堅苦しい呼び方はいいですから……蟻さん」
「いえそんな、まだ二回しか会ったことないのに……。それより、お姉さんこそボクのこと『蟻さん』なんて言わずに、名前で呼んでください」
「それはごめんなさい。では、なんと呼べばいいですか?」
「まだ自己紹介してなかったですね。ボクは蟻のアントといいます」
「分かりました。……そういえば、私もまだ名乗ってなかったですね。私はアゲハ蝶のバタフライトルといいます。気軽に『バター』と呼んでくださいね、蟻さん」
「……お姉さんがボクのことを名前で呼んでくれないのなら、ボクもお姉さんのことを名前で呼ぶことはできません」
二匹の言葉のキャッチボールは、上手くつながっていた。しかし……これはキャッチボールというよりは、槍の投げ合いと言った方が似つかわしいだろう。
気のせいだと思いたいが、二匹の目からはバチバチと、細い電流が流れているように見えた。
ていうか、なんでこの二匹仲悪いんだよ……。一度見ただけで、そうと決めつけちゃ悪いとは思うが……これは明確だろ。
無愛想な表情といい、な~んか刺々しい声色といい……見ているこっちが引いちまうぜ。
「な、なぁ……二匹とも」
「なに?」「なんですか?」
うおっ……! 二匹とも、顔怖えぇって……! オレのこと睨みつけても、なんも変わんねぇと思うんだけどなぁ……。
このままでは殴り合いの喧嘩になりかねないので、オレは二匹の間に割って入り、仲裁することにした。正直怖い。この喧嘩に巻き込まれそうでな。
「アント、バターちゃん、何があったのかは知らねぇけど、喧嘩はよくないぜ?」
「喧嘩? そんな『やばん』なことしてないよ?」
アントは「何言ってるの?」みたいに言うが……いやいや、お前も喧嘩腰になってただろ珍しく。
続いてバターちゃんも、
「そうですよ。私は自分のことについて、話していただけですよ?」
小首を傾げながら、当たり前のように言ってきた。
二匹にはそういうやり取りだったのかもしれないが、少なくともオレには喧嘩に見えた。だからこうやって、殴られるのを覚悟で二匹の真ん中に入ってんだろ?
「いや、そうは言うけどさ……なんていうか、喧嘩腰だったじゃん」
「そう? 少なくとも、ボクは普通に喋ってたつもりだけど」
「私もいつもと同じでしたよ。……ビィくんの気のせいじゃないですか?」
ぐぬぬ……なんだ、オレの思い込みが激しいだけだって言いたいのか?
「そ、そうなのか?」
オレは首を左右に振って、二匹から返答をもらった。アントとバターちゃんの答えは、
「うん、ビィくんの気のせいだと思うよ?」
「私も同意見ですね」
恐ろしいほど満面の笑みを浮かべながら発せられた、そんな言葉だった。
「そ、そうか……そうだよな……」
この時のオレは、二匹の異様な迫力に負けて納得しちまったが……この時に、気付いていれば……。
後々起こるめんどくさい出来事に、巻き込まれずにすんだのになぁ……。
後にオレはそんな感情を抱くことになるのだが、それはまた別の話だ。




