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〈メネラーオス〉はリフティングボディ形状の艦体で濃密な大気を受け止め、突入後の速度をわずかに緩めただけの状態で、闇に包まれたノイエラグーネ上空を駆け抜けていた。この速度こそが彼らの最大の武器だ。このまま敵地を急襲する。
ゲートがこじ開けられると同時に、リーリャは自身に与えられた上位者権限を使用して速やかに都市のネットワークにアクセスし、都市の管理電脳経由で各種情報の更新を行った。
地形情報、被害者数、避難状況、敵性体の配置状況。それらは住民が全て退避した後も、都市の管理電脳によって変わらず更新され続けていた。そして、その情報は全て戦術神経リンク経由で部隊の全員に即時共有される。
情報を総合すると、標的、すなわち女王は街の東にある丘の上を営巣地に選んだようだった。そこには立派な城壁に囲まれた巨大な城が聳えている。バルシュミューデ城と呼ばれているが、当然ながら王や貴族がこの地にいたことはない。
かつて管理電脳が推奨する画一的な都市デザインに飽き足らなかった人々が懐古趣味全開でこの街を建設した際、『せっかくだからお城も欲しい』というだけの理由でノリと勢いに任せて作り上げたゴシック風の壮麗な宮殿で、現在は高級ホテルとして使われていた。
街の其処彼処を彷徨く〈影〉《シャドウ》の姿が確認されたが、数はごく僅かだ。餌を探しているのだろうが、住民はとっくの昔に避難を終えていて、街にはもう人っ子一人いない。
ただ、残念ながら被害がゼロというわけにはいかなかったようで、記録によれば避難が間に合わなかった人々が十数名、犠牲になっていた。
「敵の動きは?」
「今のところありません」
後部ハッチで降下準備を調えていたラッセルの問いに、リーリャが淡々と答える。
「ない? そりゃ妙だな」
ラッセルは顔をしかめた。ここまで強引に侵入しているのだから、敵がこちらに気づいていないはずはないのだ。いつもなら迎撃の動きがあるところなのに、特に反応らしい反応は見られないというのは、あまりいい兆候ではない。
「……まぁいい、このまま行こう。最大限警戒してかかれ」
不気味ではあったが、どのみちやることは決まっている。敵に時間を与えてやる必要はない。このままラッセル斑が上空から目標地点に直接降下し、女王の巣を急襲するという段取りに変更はなかった。
そもそも戦場の雰囲気に慣れることが目的の弓夏たちは、はじめから戦力に数えられていない。着陸した〈メネラーオス〉の護衛が出来れば上々、女王のもとに集まろうとする親衛隊の何割かを引き寄せて足止めしてくれれば上出来。その程度の存在だった。親衛隊にすら手こずるようでは、女王など到底狩れるわけもない。
「待って。様子がおかしい」
余勢を駆って突入しようとした矢先、ミーシャが訝しげな声を上げた。
全員が共有している作戦地図の一部に警告マーカーが表示されている。そこには本来、街の地図には載っていない構造体があった。
真っ黒な棘が大地に突き立てられたようにも見えるそれは、女王の巣を守るような形で目標地点の左右に突き出し、街を睥睨している。磨き上げられた鏡のような表面の見慣れぬ物体を拡大して、ミーシャは眉を顰めた。
「なにこれ、塔……? 違う。これは──!」
咄嗟に地形情報のログを確認して、ゾーン出現後に出来たものだと判断したミーシャは、表情を強張らせた。その正体が何であれ、敵が作ったものにロクなものはない。
「緊急回避! 避けて!」
マリナの切迫した声と、ミーシャが咄嗟にスラスターを噴かしたのがほぼ同時だった。斜め後ろから蹴飛ばされるような勢いで艦が強引に身を捻ったその一瞬後に、それまで艦が辿ろうとしていたコースを眩い光芒が薙ぎ払う。
街の端からほぼ反対側まで一条の光が駆け抜け、射線上に建っていたいくつかのビルを、まるでチョコレートか飴細工のように易々とぶった切っていった。その後を無数の爆炎が数珠のように連なって花開く。
〈ゾーン〉に突入する直前まで艦を襲ってきていた砲撃と同種のものだ。恐らく、この砲撃が目玉のような紋様を通じて外部に放出されていたのだろう。
「砲台か、やってくれるぜ。簡単にいかせてくれるわけがねぇとは思ったが」
まるでおもちゃ箱をひっくり返したかのように荒れ狂う艦内で、壁面に取り付けられた無重力作業用の手摺り《ラツタル》にしがみついて体を支えながら、ラッセルが苦々しく呟く。他の三人の斑隊員も同じようにして体を固定するので精一杯だ。
「やっぱ学習してきてるんじゃねぇかな、あいつら……」
そう呟いて、ラッセルは口許を歪めた。敵がどうやって個体間で連携をとっているかは不明だし、そもそも連携をとっているという確たる証拠すらないのだが、相手も自身の邪魔をする存在に気づいて反応している、と彼は感じていた。
遠距離攻撃型のクイーンといえば、ゾーンを破るまでは激しく攻撃してくるが、いったん懐に入ってしまえば本体か親衛隊からの迎撃しかないのが常だった。ゾーン内部に侵入してきてからも砲撃してくるというのは前例がない。それも自ら砲台を用意して迎え撃つとなると、明らかに降下猟兵の襲撃を警戒しているとしか思えなかった。
街の住民は速やかに避難してしまうし、獲物の抵抗など気にする必要がない。対処が必要なのは後から強襲してくる降下猟兵だ。〈敵〉が自分たちを排除すべき外敵として認識している可能性がある、という事実は重かった。
(だが、逆に言えばチャンスでもある)
敵が防禦を固めているということは、クイーンの本来の目的である産卵行動に移るまでにより多くの時間を費やしたことになる。
あの砲塔を形成するのにどれだけ時間がかかったかは分からないが、産卵に入るまでにはまだ余裕があるか、入った直後ということも考えられた。産卵行動に入ったクイーンは迂闊に動けない。それならまだやりようはある、とラッセルは思った。
一方、コクピットの方では、そんなことをのんびり考えている余裕は全くなかった。シートに全身を固定された二人の身体はピクリともしなかったが、電子的に強化された脳と神経回路をひっきりなしに信号が駆け巡っている。人間に可能な限り反応速度を高めるため、肉体の大部分を切り離し、艦と脳とを直結しているのだ。
「右からもくるよ」
「わかってるから黙って。気が散る」
ほっと一息吐くことすら許さぬかのように火砲は今度は反対側からも襲いかかり、再び艦体は高速機動による回避を強いられた。超高張力素材で出来ている艦体がギシギシと嫌な音を立てて軋む。ミーシャは素晴らしい伎倆を遺憾なく発揮して砲撃を回避し続けるが、乗っている方はたまったものではなかった。
シェイカーのように揺さぶられ、一瞬ごとに違う方向から凄まじいGがかかる艦内で、ラッセルたちは振り飛ばされないよう、手近な何かにしがみついて耐えるしかない。シートに固定されている弓夏たちはまだいい方だ。出撃前に食事をしていたら確実に吐いていただろう。そして吐いた次の瞬間には舌を噛んでいたかも知れない。
胃の中身をごっそり吐き戻してしまいたくなるような衝動を必死で堪えている弓夏の左斜め向かいの席で、同じく初陣を迎える同期の兵士がこみ上げてきた胃液を飲み下して渋い顔をしていた。悲鳴こそ上がらないものの、苦悶の声や呻き声はあちこちで上がっている。シートの緩衝能力の限界を試しているのではないかと思えるほどの揺れだ。
「マリナ、このまま突っ込むよ」
「いいわ。任せて!」
戦闘機動を繰り返すたびに、せっかく稼いだ速度がどんどん失われていく。それを少しでも避けるため、ミーシャはスラスターを噴かすタイミングを計り、ギリギリのところでの回避を続けていた。
数秒のインターバルをおいて左右から立て続けに襲いかかる光芒をすんでのところで躱しつつ、艦体を敵クイーンの営巣地となっている丘陵地帯へと運んでいく。
この艦にも兵装がないわけではないが、いまは反撃している余裕などない。そんなことをすれば大気との摩擦でスピードが失われるし、そんな時間すら惜しかった。
敵の火砲は強力だが、攻撃自体は直線的で単調なので予測は容易い。いくら強力だろうと直撃しなければどうということはないし、そんな砲撃はマリナがどうにかしてくれるだろう。そう信じて、ミーシャはさらに加速した。
十字砲火をすり抜けながら〈メネラーオス〉はようやく塔の間を抜き、丘陵地帯に建つホテルへと疾駆する。そこへ、数瞬のタイムラグをおいて再び塔からの砲火が襲いかかってきた。今度は回避する余裕はない。
艦体にしがみつくようにしていたラタージャが片手をあげ、障壁が砲火を受け止める。数十枚の障壁がまるで紙か薄い硝子のように易々と打ち破られていくが、破られるそばから展開して押し出していくことで軌道を逸らし、どうにか艦体への直撃は阻止された。背後で凄まじい爆音が響いたが、気にしている余裕はない。
「やっぱ防ぐのはキツいわね……こりゃ弾くしかないか」
塔からの砲撃は、少なくとも侵入時に受けたゲートからのそれに匹敵する火力があるようだった。なまじ距離が近い分、威力も増しているということだろう。やや息を弾ませながら呟くマリナの声に合わせ、女神が悠然とその身を反らせ、両手を大きく広げた。
──ぱんっ!
ラタージャが体の正面で両の掌を大きく打ち合わせる。しゃりーん、と手首のバングルが涼やかな音を立てた。
女神の体の前面に巨大な光の円楯が浮かび上がる。それはラタージャの躯の動きに合わせて空中を音もなく移動し、襲いかかってきた火砲を受け止めた。光条が円楯に触れた瞬間、あたりが眩く輝く。女神が体をくねらせると、受け止めた砲弾が勢いよく弾かれ、続いて襲いかかってきた砲撃に向かっていった。火砲同士は正面からぶつかり合い、空中で凄まじい爆発を起こす。
砲撃を受け止めた砲弾で迎撃する、という文字通りの神業を見せた女神は、そこで慢心することなく、超然とした面差しを次の砲撃に向けた。
敵の砲撃のインターバルは一定のようで、攻撃もワンパターンだ。確かに強力ではあるが、決して防げないほどではない。下手な方向に跳ね返せない、という点では外にいたときと変わらないが。
(あの砲撃、ひょっとしてゾーンの障壁を破れたりする?)
そう考えて、マリナは目の端でゾーン表面を探る。突入時に見たあの目玉のような模様は内側からは確認出来ないが、ひょっとすると任意で場所を変えられるのかも知れない。一瞬試してみようかとも思ったが、万一すり抜けでもしたら大変だと思い直す。外の様子が分からない以上、迂闊なことは出来ない。
「やっぱ根っこを断つしかないってことになるわよねぇ……うーん、当たるかなぁ」
思わず溜息を吐くと、防禦をラタージャ《マリナ》に任せて自身は回避機動すらやめ、ひたすら速度を上げることに専念した相棒がぼそりと言った。
「その調子で時間を稼いで」
「ったく、気楽に言ってくれるわねぇ。結構疲れるのよ、コレ」
「あとちょっとだから」
「はいはい、おねーちゃん頑張りますよ、っと!」
お気に入りのプレイリストを拡張電脳で再生しながら、マリナはテンションを上げていく。疲れを吹き飛ばしてくれる一曲だ。その曲に合わせて踊るように身をくねらせながら、女神は時に手を空に差し伸べ、また振り払う。その動きに追随して円楯が虚空を動き回り、砲撃を弾いていった。
相手の砲弾を跳ね返して迎撃する、などという真似がそうそう上手くいくものではないらしく、弾くことは出来ても当たらなかったり、関係ない方向に飛んでいってしまったりすることが続いた。
「せー、のっ!」
それでも何度かやっているうちに要領を掴んだのか、二回に一回は迎撃出来るようになってきた。そうなると面白くなってきたらしく、女神の動きはさらにリズム良く跳ね踊る。その様子を視覚の隅で微笑ましく眺めながら、ミーシャはメインスラスターを噴かして一気に加速した。と同時に高度を下げていく。地表に近い方が狙いにくいはずだ。
目標地点のホテルの周囲に同じような砲塔は見えない。クイーンは巣の奥に身を潜めているのか、まだ姿を現していなかった。正面からの迎撃もないので、このまま突っ込むことにする。
「ラッセル、用意いい?」
「あいよ、いつでもいいぜ」
揺れの収まった後部デッキでは、降下準備を調えたラッセル斑がその時を待ちかねていた。さすがにこれまでに何度も修羅場をくぐってきたベテランチームだけのことはあって、これくらいで動じたりはしていない。ミーシャの問いにラッセルが悠然と応える。
「リーリャ、ハッチ開放」
「ハッチ開放します。お気をつけて」
リーリャの声と共に、後部デッキのハッチがゆっくりと開いていく。それに伴い、風がデッキ内に勢いよく舞い込んできた。眼下ではノイエラグーネの街並みが高速で流れていく。眺めている内にもその街並みはあっという間に途切れ、緑と茶色の丘陵地帯へと変わっていった。
「GO!」
ラッセルの声に、斑隊員が次々に後部貨物ランプから外に飛び出していく。全員が出たのを確認して、最後にラッセル自身も飛び出していった。渦巻く風と浮遊感が体を包み込むに任せながら眼下の目標を見据えた彼は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「降下確認、離脱する」
全員が飛び出したのを確認して、ミーシャは艦体を大きく捻り、丘陵地帯を迂回するようにして街の外辺部へと向かった。その進路上に、未だに砲撃を執拗に繰り返している塔がある。さすがに女王の城が射線上にあるうちは撃ってこなかったが、射線から外れた途端に砲撃が再開された。
火線は艦にはかすりもしていないが、その代わりに射線上にあるものを容赦なく薙ぎ払い、灼き尽くしていく。いくら無人の都市とは言え、都市インフラの破壊は待避所の機能低下やこれからの支援任務に支障を来す恐れがあるので看過出来ない。
「リーリャ、主砲発射用意。あいつを黙らせるよ」
「了解、主砲発射用意。三点バーストで一斉射します。弾体加速準備開始、完了まで六〇秒。発射タイミングはそちらに」
ミーシャの指示に従い、リーリャは艦前面上部に格納されている主砲を出して射撃準備を開始する。その分、空力性能が犠牲になるが仕方ない。
〈メネラーオス〉の主砲は弾体を電磁誘導で加速して撃ち出す十ミリ電磁投射砲だが、威力より連射性能と携行弾数を優先している。小口径な分、射程も大気圏内ではそれほど長くないから、こちらが撃てるのは相手の攻撃圏内に入ってからになる。それまでは基本的に撃たれっぱなしだ。
「艦長、防禦の方よろしく」
「不思議ね、何故かいま『楯になってね』って言われた気がしたわ」
「だいたい意味は合ってる」
「うっわ腹立つ」
この艦で最大の防御力を持つのが彼女である以上、楯になるのが仕事だし、そこに誇りを持っているとはいえ、そこまで露骨に言われるとそれはそれで腹が立つ。ミーシャの言葉にマリナは思わず唸り声を洩らした。そんな彼女に、ミーシャは淡々と言葉を重ねる。
「こっちは避けてる余裕ないから。艦長が防いでくれないと全員アウト」
「……はいはい。そう言われちゃ頑張らないわけにはいかないわねぇ」
やれやれと溜息を吐いて、艦体上部でラタージャの身を起こしたマリナは、前方に迫る塔を睨めつけた。
(あっちも本気でくるみたいだし、ね)
こちらの接近を感じ取ったのか、敵砲塔は黙り込んでいる。それが不気味でならない。先ほどまで鬱陶しいほどの砲火を浴びせてきていたのが嘘のようだ。
遠い方の砲塔は随分前から沈黙している。〈メネラーオス〉は二つの塔の間をすり抜けてホテル上空を通過し、ゾーンの内壁に沿うようにして反転、今は左側の塔へ接近するコースを飛んでいるから、もしかすると右側の塔の攻撃範囲外に出たのかも知れない。それならこちらは今は無視して構わないだろう。
もっとも、予断は禁物だ。なにしろ相手は人類ではないのだから、敵がどう出てくるか予測がつかない。相手は獣ではない。獣に見えるが、人間並みか、それ以上の知能があると思われる存在なのだ。
この『戦争』と呼んでよいかさえ定かでない戦いが始まってから既に半世紀余りになるが、未だに相手のことはほとんど何も分かっていない。そんな異生体の行動を、人類の基準で判断する愚は犯せなかった。
「さて、どう出る……?」
ぺろりと唇を舐めて、女神は両手を大きく広げた。その動きに合わせ、前方に展開されていた円楯がそのサイズを半分にして二つに分かれる。女神はそれを重ね合わせると、軽く腰を落とした。金色の双眸は眼前の砲塔をしっかりと見据えていて微動だにしない。
「念のために追加しとこっかな」
シャラン、とバングルが涼やかに鳴り響き、円楯の前面にまるで分身のように半透明の障壁が何層にも重ねられていく。それぞれの大きさは円楯の半分もないが、それが何百枚も重なっている。円楯が動くと、やや遅れて分身の柱が追従してくる。機動性は落ちるが、敵の攻撃が予想出来ない以上、ここは防御力重視でいった方がいいだろう。
「敵性体内部から重力波を検知。内部で加速しているようです」
「やっぱりね。そうくると思ったわ」
敵もこちらを一撃で仕留めるつもりらしい。先ほどから砲撃を止めていたのはこのためだったようだ。
「きます」
リーリャの静かな警告の声と、目前に迫った塔の上部がパクリと開いて砲口が顔を覗かせたのがほぼ同時だった。その次の瞬間、先ほどまでの砲撃がまるで線香花火に思えるほど強烈な閃光が、こちらに向かって真っ直ぐに放たれる。
「ミーシャ、しっかり当ててよ! あんまりもたないからねっ!」
敵の狙いは正確無比だった。そのお陰でマリナの方も前方に展開した障壁群を正しく誘導出来たが、その威力は予測を大幅に上回っていた。一瞬で数十枚の障壁がぶち破られ、そのまま一気に半分以上まで持っていかれる。
それでも砲撃の威力は微塵も衰えた様子を見せず、残りの障壁も紙切れを並べているかのように易々と破られていった。破られるそばから障壁を新たに展開して押し出していくが、勢いを押しとどめられている感じは全くしない。
「くっ、なんて威力……!」
防げないならせめて軌跡を少しでも変えられないかとマリナは足掻いてみたが、それもどれほど効果があるかは分からなかった。
「大丈夫。任せて」
リーリャと同じくらいの淡々とした口調で答えるミーシャ。何かとイライラさせられることの多い相棒だが、こういう時は頼りになる。
ミーシャは操艦の大半をリーリャに任せ、視覚を艦の火器管制システムに直結させていた。レティクルの中心に砲塔を据え、艦の挙動を計算に入れて標的をロックする。そして最大の威力を発揮出来る距離まで近付いた瞬間、ミーシャは銃爪を引いた。
光速の数パーセントにまで加速された砲弾は、目には見えなかった。砲弾が大気中を高速で駆け抜けた後に残す水蒸気の白い尾と、遅れてやってきた雷のような衝撃音がその存在を示しているだけだ。
重苦しいその音が三度、半ば重なり合うように大気中に響き渡った。その数瞬後、塔の後ろへと砲弾が突き抜け、大地を深々と貫いて土煙を上げる。
その直後、塔は内側から溢れ出すエネルギーに耐えかねたように大きく膨らみ、周辺の大地を掘削しながら爆発した。そのまま爆炎の中に熔け崩れていく。それを確認して、ミーシャは艦の軌道を強引にねじ曲げ、火線を回避しようとした。
だが、こちらも無傷というわけにはいかなかった。ギリギリまで耐えたものの、ラタージャの楯が限界を超えて光の中に弾ける。
その次の瞬間、女神の右肩を掠めるようにして光条が伸び、艦の右舷後部の装甲板を炙って駆け抜けた。多積層構造の装甲板が見る間に熔融し、内部に格納されていた補助スラスターが貫かれて爆発する。
「右舷第二から第三補助スラスターカット! ダメコン急いで!」
塔の引き起こした大爆発と右舷補助スラスターの爆発で大きく翻弄され、爆煙を引きながら錐揉み《スピン》状態に陥りそうになっている艦体をどうにか立て直そうとするミーシャの後ろで、化身を本体に戻したマリナが苦しげな息をしながら指示を飛ばした。
その指示を受け、リーリャの制御下にあるメンテナンス用の作業機械たちが一斉に艦内に放たれ、損傷箇所のダメージ処理に向かっていく。
「マリナ。大丈夫なの?」
「平気、よ。死ぬほど痛いけど、死にはしないわ」
「……ならいいけど」
答えるその声は、それほど余裕があるようには聞こえなかった。生身の人間では到底耐えられない衝撃にすら耐える化身とは言え、決して無敵の存在ではない。敵と同じく、相応の攻撃を受ければもちろん傷つきもするし、化身の受けたダメージは装着者に跳ね返ってくる。ラタージャのような遠隔操作型の化身とてそれは変わらない。
「こっちもこれ以上は無理。着陸する」
化身を保っていられないほどのダメージを受けたのではと心配するが、今はそれを確かめる術も、またその時間もない。内心の不安を押し殺して、ミーシャは素早くマップ上で着陸地点を検索した。艦体姿勢を立て直すためにだいぶ高度を失ってしまったため、センサーが警告を出しているが無視する。
近くには川が流れている。ノイエラグーネを挟んで流れる二本の川のひとつだ。その周辺には治水用の運河と広大な農作地が拡がっている。
何処までも続く畑を貫くように、滑走路になりそうな幅広の道がまっすぐ伸びていた。大型の耕作ロボットや貨物輸送車輌の大重量にも耐えられるようしっかり造られた道だ。艦が降りても問題ないだろう。距離も充分にある。
実映像では単に暗闇が拡がっているだけにしか視えないが、艦のセンサーは地形を正確に捉え、地形図と照らし合わせてくれている。とはいえ、普通の滑走路ではないので、実際にこの目で確かめてみないと安心は出来なかった。
やられたのは補助スラスターだけなので、通常飛行には問題ない。とはいえ、右舷側の姿勢制御用スラスターの大半が使えない状態では、空力制御だけで飛行姿勢を維持するには限界がある。ちょっと気を抜くとフラフラと暴れ出す艦体をどうにか宥めすかしつつ、誘導路灯《TWCL》もない真っ暗な地面を見下ろして、ミーシャは小さく溜息を吐いた。
(パイロットは艦を地上に下ろす《ランディング》までが仕事、っと)
これでも訓練で受けた最悪の状況に比べれば遥かにマシだ。それを思えば、あの鬼のようだった教官に感謝のキスくらいしてやってもいい気がしてくる。しないけど。
「リーリャ、照明弾発射。いける?」
「問題ありません」
ミーシャの要請に落ち着いた声で答えて、リーリャが照明弾を発射した。空中でパッと花開いた照明弾が、周囲をぼんやり照らし出しながらゆっくりと落ちてくる。
「なんとかなる、かな」
有り難いことに、障害となる車は駐められていなかった。距離も道幅も充分にある。あそこまでどうにか艦を運んでいければ、着陸させることは出来るだろう。
(ここが腕の見せ所。マリナが頑張ったんだから、今度はあたしが頑張る)
内心そう呟いて、ミーシャは唇を引き結んだ。