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女神狩り  作者: 凜音
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2

「射出三十秒前。ゲート開放」

 アナウンスの声と共に、カタパルトデッキ前方のゲートが音もなく開いていく。

 薄暗いデッキ内にし込んでくるのは、眼下に浮かぶ碧と白の球体が放つ反射光だ。その光に、流線型のシャープな艦体が照らし出されてぼうっと浮かび上がる。

 先端を尖らせ、後部をやや膨らませた円盤のような形状だ。鏡のように磨き上げられたその艦体表面に窓や突起物はほとんどない。各種砲塔や外部センサー、カメラの類は大半が装甲隔壁の内側に格納されている。その全てはこれからこの艦が高速で突っ込むことになる濃密な惑星大気に対し、投影面積を少しでも減らすためだ。

再突入リエントリーコース確認、軌道上に障害物なし。艦体各部最終チェック、全て問題なし《オールグリーン》。ガーネット小隊三番艦〈メネラーオス〉、十秒後に射出します。カウントダウン開始」

 管制局のオペレーターが淡々と秒読みを続ける。カウントがゼロになり、電磁リニアカタパルトによって艦体が音もなく射出された瞬間、身体が緩衝シートに軽く押しつけられた。

 この時点での加速はそれほど大きくない。惑星の重力圏から脱出するためではなく、重力に引かれて落ちていくのを助けるためのものだからだ。高速で回転する遠心力の釣合い《バランス》によって永遠に落ち続ける状態を保っている軌道リングから狙いをつけて放り出すだけで、後は勝手に惑星大気の中に落ちていく。

 行動に支障がない程度の最低限の灯りしかない艦内は薄暗い。シートは向かい合わせに一列ずつ、最大四斑隊パーティ十六人は座れる設計だが、満載ではないにも関わらず、世辞にも広いとは言えなかった。

 体をすっぽり包み込む形状の緩衝シートを埋めているのは、特殊繊維製の戦闘服に身を包んだ降下猟兵ハンターたち十二人。いずれも押し黙ったまま、じっとその時を待っている。

 降下中の歩兵は積荷と何ら変わらない。歩兵の出番はまだまだ先だ。降下中にふね撃墜おとされたらそれでおしまい。何も出来ずに死ぬだけだ。

 そうさせないようにするのは航空兵クルーの仕事であって、積荷を降ろす前に撃ち落とされるのは航空兵の恥だ。だから、彼らも死にもの狂いで自分の仕事をする。それまで積荷に出来ることは何もない。精々彼らの邪魔をしないよう、大人しく座っていることくらいだ。

 とはいえ、外が何も見えない状況では息が詰まる。目標地点の地形図と降下後の作戦概要を再確認した後は、待機する以外にすることがない。どのみち、作戦といっても彼女たちに命じられているのは補助的な任務で、主体ではないのだ。

 ちらりと自分のまわりを見回してみると、落ち着かない様子で何やらブツブツ呟いている者もいれば、悠然と目を閉じて体を休めている者もいる。休める時に休んでおくのも兵士の大事な仕事だ、という基本を忠実に実践しているのだ。出番はまだ先なのだから、待機中に神経を磨り減らしても意味がない。

 自分も休んでおくことにしようと思い、艦内ローカルネットワークに意識の下位ノードを接続した西荻にしおぎゆみは、眼下に煌めく碧と白の円弧アーチの美しさに思わず目を奪われていた。

 艦の各所に埋め込まれたいくつもの外部カメラの映像を統合し、拡張電脳インプラント経由で再構築された視覚情報として受け取ると、まるで生身で軌道上に浮かび、母星を見下ろしているような錯覚を覚える。自身が身ひとつで大気圏へ飛び込んでいくようなその感覚に圧倒されて、弓夏の全身が粟立った。

 脳や神経系の間隙を縫うようにして全身に張り巡らされた微少機械ナノマシン集合体ネットワークで構成された拡張電脳は、この星系の人々にとっては胎児の段階で母から子に引き継がれるもので、生まれ落ちた後は体の一部としてともに成長する。

 主として蛋白質プロテインといくつかの微量元素からなるその微少機械の群れは、この世に生を得てから死ぬまで宿主と共にあり続け、人類が生来持ち得なかった機能を提供するもうひとつの器官として働くことになる。

 仮に宇宙服を着て外に出たとしても、拡張電脳なしではこの感覚を味わうことは決して出来ない。人間には二つしか眼球はないが、艦はそれに代わるものを幾つも持っている。無数のカメラと様々なセンサー群がもたらす情報密度は、生身では受け取ることはおろか、処理することすら困難なほどに高い。

 降下猟兵の拡張電脳は一般人のそれに比して高い処理能力を持つが、それでも艦が処理の大半を肩代わりしてくれていなければ受け止めるのは厳しかったろう。

 だが、操縦士パイロットは視覚情報だけでなく、艦の挙動やその他の外部要因なども加えた遥かに緻密な情報を直接生データで受け取り、自分で処理を行っている。恐らく彼らにはこの眺望を楽しむ余裕はないだろう。それは乗客だけの特権だった。

 思わず洩れた溜息や歓声が耳朶を打った。見回せば、弓夏の他にも何人かが同じように艦内ネットワークに神経接続して外部の様子を眺めている。

 艦内ネットワークは原則としてオープンだから、新兵であっても接続は許可されている。弓夏と同様、することがなくて気を紛らせているのだろう。

 仮想ディスプレイを視覚に投射する仮想表示《VD》モードではなく、視覚をフル接続した状態だと、同じ空間に浮かんでいるように感じられる。それぞれ自身の姿を忠実に反映した自己イメージが仮想体アバターとしてネットワーク上に投影されていた。

 彼女の斑隊ではなく、一緒に完熟訓練に参加しているもうひとつの斑隊のメンバーのようだ。女が二人と男が一人。三人とも眼下の光景に夢中で、弓夏のことは気にもとめていない。

 彼らの声や姿を意識からカットして、弓夏は恐る恐る両の手足を広げ、視覚がもたらす浮遊感と落下感に身を任せてみた。

 体の下が母星、背中側が低軌道リングだ。どちらも凄まじい速度で動いているのだが、実感としてはなかなか伝わってこない。加えて言えば、自分自身もかなりの速度で落下していっているのだが、それもあまり実感はなかった。

 ただ、惑星ほしに引っ張られて落ちていく感覚は心地よくも恐ろしかった。実際に生身で身を投じれば自殺でしかないが、艦の感覚を受け取っているに過ぎないから、このまま暴力的な惑星大気に接触したところで燃え尽きることもない。

 弓夏の体の下には大きめの陸塊が南北に二つ、その二つの大陸を隔てる海にやや小さい陸塊がいくつか浮かんでいる。右足あたりに位置する赤道上には発生したばかりの台風が見えた。碧と白、そして茶色の入り交じった光が周囲に放たれている。

 碧と茶色は眼下に拡がる惑星エリスの豊かな海と広大な大地、白はその軌道上約一万キロを巡る低軌道リング〈セレニティ〉が放つ反射光だ。

 軌道リング内周部にある移動式カタパルトデッキから射出されたアルビオン級強襲揚陸艦〈メネラーオス〉は、惑星重力に身を委ねて惑星エリスの北大陸ラドニア西部にあるエセンシア州の州都ノイエラグーネを目指し、真っ直ぐ降下していた。

 北極海に面した港と干潟を持ち、二つの水路で挟まれた港湾都市は、本来なら北大陸ラドニアでも有数の美しさを誇っているはずだった。

 だが、分厚い大気の層を通して見るその姿は今、見ることが出来ない。

 暗灰色の穹窿ドームによって完全に覆い隠されているためだ。

 直径三十キロ、標高三〇〇〇メートルにも及ぶ、まるで山のようなその障壁シールドによって内部との連絡が絶たれてから、およそ四時間半が経過していた。

 電波も光も振動も、有線ケーブルを伝わるはずの電子や光子ですらも、何ものも超えることの出来ない不可触の壁。

 絶対障壁〈ゾーン〉。内部からこれを破ることは事実上不可能だった。

 〈敵〉《アプス》との最初の接触から半世紀あまり。

 現在、星系内にある一定規模の都市には待避所シェルターが完備され、〈ゾーン〉によって閉鎖されても、最低二週間は外部からの支援がなくても生存が可能なようになっている。

 それは、これまでに人々が重ねてきた悲劇の多さを物語るものでもあった。

 眼下に広がるその光景をぼんやりと眺めながら、弓夏は胸の奥からこみ上げてくるものをぐっと押さえ込んだ。反射的に広げていた両手を縮め、掌をギュッと握りしめる。

 遺伝子提供者ドナーとなった遠い祖先の形質を色濃く受け継いだ漆黒の瞳は、目の前の雄大な景色を捉えていながら、何処か遠く、この世ならざる世界を見ているようでもあった。彼女の内心の動揺を示すかのように時折、小刻みに震えている。

「怖いの?」

 不意に呼びかけられ、驚いて顔を上げた弓夏は、いつの間にか傍らに浮かんでこちらを覗き込んでいた女性の顔をまじまじと見つめ返した。

 女性、と呼ぶにはまだ幼さが残っているが、弓夏よりは明らかに年上だ。ふんわりとした柔らかなウェーブを描く栗色の髪と人懐っこそうなオリーブグリーンの瞳、卵形の丸っこい顔立ち。全体的に柔らかく女性的な優しさを纏っている。

「……ベアトリス艦長」

 相手の公開情報プロフィールを確認するまでもなく、弓夏は居住まいを正した。マリナ・ベアトリス少尉。強襲揚陸艦〈メネラーオス〉の艦長キャプテンである。艦に乗る前に紹介された。その時は全身を制服で包んでいたが、今は躰のラインがくっきり浮き上がるようなボディスーツを纏い、上衣を羽織っている。

「いいのよ、別にかしこまらなくて。今は待機中だもの。楽にしてていいわ」

 ふわりと微笑いながらそう言うと、マリナは白魚のような繊手をそっと伸ばして弓夏の手を取った。その時はじめて、弓夏は己の指先が小刻みに震えていたことに気づいた。

「いえ、あの、これは──」

「大丈夫。初陣だもの、緊張して当たり前よ。戦いが怖くない人なんていないわ。もしいたとしたらとっくに壊れてるのよ、心が。怖いのは正常な証と思いなさい」

 そう言って、彼女は弓夏の緊張を解きほぐすかのように優しく微笑んだ。その言葉に合わせて、マリナは弓夏の手を自分の掌の中にそっと包み込んだ。まるで指先の微かな震えを止めようとするかのように。

 弓夏は正直、余計なお世話だとは思ったが、気分が落ち着いてくるのも確かだったから、されるがままにしていた。

 現在降下中の艦の艦長が一体何をしてるんだろう、という疑問がわいたが、その穏やかな笑顔を向けられると何となく尋ねる気をくしてしまう。操艦は操縦士の仕事であって艦長の仕事ではないとはいえ、降下中に艦長が暇なわけではないと思うのだが。

 そして、内心で小さく息を吐く。彼女は思い違いをしている。自分の中に、戦いへの恐怖は微塵もない。むしろ恐怖とはほど遠い激情が嵐のように荒れ狂っていて、それを抑えるのに苦労していたのだ。

 それは、〈敵〉に対する尽きせぬ憎悪と殺戮欲だった。

 ──やっと戦える。早く、早く戦いたい。

 彼女はそう思っていたのだ。〈敵〉を殺すことだけを考えてずっと生きてきた。己を律し、身を削り、苦しい鍛練を重ねてきたのも、全てはそのためだ。

 だが、それを目の前にいる、恐らく初陣の兵士を気遣って声をかけてきてくれたであろう士官に対してぶちまける気にはならなかったから、弓夏は曖昧に微笑んでみせた。滅多にそういうことをしないので、上手く出来たかどうかは分からなかったが。

「ありがとうございます。大丈夫ですから」

 そう言って手を引こうとしたが、マリナは手を離そうとはしなかった。彼女はじっと弓夏の瞳を覗き込んで、飽きるほど見つめてから、小さく溜息を吐いて首を振った。

「ダメよ」

「……え?」

「あなたの任務はまず生きて戻ってくること。それ以外は考えちゃダメ。敵を一体でも多く倒してやろうとか、そういう余計なことは考えないで。でないとあなた、死ぬわ」

「そんなこと──」

 どうしてあなたに言われなくてはならないのか。弓夏はそう反論しかけたが、マリナのオリーブグリーンの瞳があまりに真剣に見つめていたため、言葉を飲み込んだ。

「わたしはこれまで、大勢の兵士を戦場に運んできた。傷ついた兵士たちも大勢見てきた。わたしの手を握って死んでいった子もいっぱいいる。わたしには、あなたが死に急いでいるように見える」

「……そんなつもりは」

 言い淀んで、弓夏は唇を噛みしめた。犬死にする気はないが、敵との戦いの最中に命を落としたとしても平気だった。それまでに一匹でも多く敵を倒せるなら本望だと思っていた。どうせ誰も、自分の死を悼みはしないのだから。守るべきものなどもう何もない。あるのは不条理への尽きせぬ怒りだけだ。

 そのために、彼女は他の全てをなげうち、日々の時間の大半を厳しい鍛錬に費やしてきた。生き残るためではなく、ただ敵を屠る技術を磨くために。

 そんな弓夏を見やって、マリナはふっと微笑んだ。弓夏の考えていることなどお見通しだ、とでも言うかのように。

「あのね? そんなに簡単に死んでもらったら困るの。あなたが狩るべきは雑兵ポーンじゃなくて女王クイーンなのよ。あそこにはクイーンが一体いるだけ。しかもそれを狩っておしまいじゃないのよ。あなたにはこれからもっともっと多くのクイーンを狩ってもらわなきゃいけないんだから、そう簡単に命を捨てられては困るの。わかる?」

 容赦のないことを優しい口調でさらりと言って、マリナは弓夏の手をしっかりと握りしめた。たおやかそうに見えて、その手は力強かった。

「だから、約束して。ちゃんと生きて帰ってくるって。死んでさえいなければ、わたしが責任をもって治癒なおしてあげるから。いいわね?」

「……はい」

 弓夏は、小さく頷くことしか出来なかった。

「いいこと言うじゃないか、マリナ。さすがは艦長だ。成長したもんだな」

 頭の上から降ってきた威勢のいい声に弓夏がハッと顔を上げると、焦げ茶色の瞳がこちらを見下ろしていた。小麦色の肌に黒髪ショートの女性がすぐ脇に浮かんでいる。彼女はニンマリ笑いながら手を伸ばすと、マリナの栗色の髪に包まれた頭をわしゃわしゃと撫で回した。やられる方にはすこぶる評判が悪いが、これが彼女の愛情表現だった。

「ちょ、ネッサ先輩、やめてくださいってば」

「何だ、照れてるのか? 久しぶりだからって遠慮することはないんだぞ、ほれほれ」

「遠慮じゃなくて純粋に迷惑してるんですっ」

 頬を膨らませてそう言いつつも、マリナは彼女の手をはね除けようとはせず、されるがままになっている。弓夏は、彼女がマリナを紹介した時に自分の後輩だと言っていたのを思い出した。

 ヴァネッサ・アンドレオッティ中尉。弓夏たち少尉候補生の指導教官の一人にして、彼女たち二〇四三斑隊を率いる斑隊長である。己が育てた新兵の慣熟任務に隊長として同道するのは教官としての責務だ。これは新兵への最後の授業でもあった。

「……私の言いたいことはあらかた少尉が言っちまったが、要はそういうことだ、西荻。お前らの養育には時間も手間もたっぷりかかってる。だからあっさり死んでもらっては困るんだよ。きっちり働いてもらわんとな。しっかり経験を積んで生き残って、後進を育てるいい教官になれ」

 そう言いながら、ヴァネッサは弓夏を慎重に見つめた。指導教官である彼女は、もちろん弓夏の出自を知っている。当然、彼女が心の内に抱えている闇も。この一年、彼女を指導し、その卓越した才能と努力に驚かされながらも、それを支えているのが復讐というただ一念にあることも、よく知っていた。そしてそれをどうにかしようともしてこなかった。否、出来なかった。

 世界中が〈敵〉の脅威に晒されているこのご時世、弓夏のような生徒は決して珍しくない。大家族に生まれ、両親の負担を少しでも減らすために士官学校に入ったヴァネッサとは違って、彼女が受け持ってきた生徒の大半が同じような傷を抱えている。

 軍の幼年学校に入る道を選ぶ子供たちの多くは、〈敵〉によって家族を失った孤児だ。もちろんその義務はない。施設で暮らして他の進路を選ぶことも出来るし、里親に引き取られるという選択肢もあるのだが、それでも志願してくる子供たちは少なくなかった。

 彼らが生き残ったのはほんの些細な幸運に過ぎないが、残された者が生きていくためには何かにすがるしかない。彼女の場合はそれが〈敵〉への憎悪だった。それだけだ。そして、それすらもレアケースではなかった。しかし、これから彼女たちが赴くのは戦場だ。憎悪や復讐に目が曇ったままでは生き残れない。

「出発前にも言ったはずだな、西荻。お前たちの仕事はまず生きて戻ることだ、と。死にたがりの兵士など邪魔なだけだ。そんな考えは今すぐ捨てろ。でなければお前を出すわけにはいかん。分かったか?」

「……はい」

 弓夏は小さく頷いた。

「わたしの目を見て言ってみろ。お前の仕事は何だ?」

「生きて戻ることです」

「よし。肝に銘じておけ。いいな」

「はい、教官」

 自分の瞳をまっすぐに見つめて答える教え子の顔を厳しい表情でしばらく見つめてから、ヴァネッサは「しょうがないな」という風に苦笑し、そっと手を伸ばして弓夏の髪をくしゃくしゃと掻き回した。

「まぁ、あれだ。もうちょっと気楽にいけ、気楽に。真面目すぎるんだ、お前は」

「はぁ……」

 そんなこと言われても、と弓夏は答えに窮するしかない。

 その時、鈴を振るような可憐な声が脳内に響き渡った。決して気取らず、邪魔にならないが、さりとて無視出来るほどでもない、ほどほどの厚かましさを込めた声だ。

「総員へ通達。まもなく大気圏に突入します。各自、ハーネスを確認してください」

「おっと、まずい。じゃ、また後でな」

 艦の管制電脳〈リーリャ〉の声に、ヴァネッサは素早くネットワークから姿を消した。同じように外を眺めていた連中も一斉に感覚共有を切断していく。

 それを見送って小さく溜息を吐いてから、弓夏も同じようにネットワークから意識を切り離すと、自身の体を緩衝シートに固定しているハーネスがしっかりロックされていることを再確認した。


再突入リエントリーシークエンス完了後、三分で目標の警戒エリア内に侵入します。迎撃が予想されます。マリナ、準備はよろしいですか?」

「ええ、いつでもいいわよ」

 全身を包み込むような艦長席に身を沈めたまま、艦内ネットワークから感覚を切り離したマリナは、並行して進めていた作業に意識を戻しつつ、あっさりとした口調で答えた。

 マリナが艦長になってから、この〈メネラーオス〉が新兵の慣熟訓練に参加するのはもう何度目か覚えていないが、たまに弓夏のような兵士に出会う。その度にマリナは今回のように声をかけ続けてきた。

 中には単純に戦いへの恐怖で震えている新兵もいるが、大半は躰の奥底で暴れ回る憎悪を抑えきれずにいるのだ。敵への憎悪は戦いへの恐怖を塗り潰すには便利だが、それに頼っていては敵を討てない。

 もちろん、マリナ自身にとっても〈敵〉は憎むべき存在であり、共存などあり得ないが、だからといって討伐のためなら命を捨てても構わない、というのは馬鹿げている。

 果たして彼女は大丈夫だろうか。今回も折を見てひととおり新兵ルーキーたちに声をかけたが、中でもあの少女が一番危なっかしく思えた。マリナの先輩であり、あの少女の担当教官であるヴァネッサも恐らくそう考えているのだろう。

「ミーシャ、準備はいい?」

 もともと計器やパネルはほとんどないため、灯りは僅かで、操縦室コクピット内はひどく薄暗いが、マリナたちの感覚は神経ナーブリンク経由で転送されてくる膨大な量のデータで埋め尽くされている。仮想ディスプレイ《VRD》に投影するという手間すら省き、生データを直接受け取って処理しているのだ。それくらい出来ないと艦長はつとまらない。

 普通の人間ならあっという間に脳がパンクするような密度の情報を顔色ひとつ変えずに処理しながら、マリナは自身の足元方向に位置する席に座る少女に声をかけた。狭い空間を有効に活用するため、二人は斜めに交差した座席に体を固定されている。マリナの位置からは相手のシートのごく一部しか見えない。

 狭い操縦室は二人きりだ。大半の操艦作業は管理電脳と自動機械オートマタが行うため、艦の運用に人員はそれほど必要としない。人間の乗組員クルーは彼女たちだけだ。

「いつでも」

 ややハスキーな、抑揚のない声がぼそりと答える。この艦の操縦士パイロット兼魔導担当士官ウィザード、ミーシャ・ロスコフの声だ。

 大半を管理電脳に任せておける降下時の操艦ではなく、〈ゾーン〉を破るのが今の彼女の主たる仕事だ。彼女もマリナと同じかそれ以上に膨大なデータを処理しているのだろう。もっとも、抑揚や愛想が乏しいのはいつものことだったが。

 通常の方法では破ることの出来ない〈ゾーン〉を突破するため、人類はマキナのもたらした超越技術オーバーテクノロジーを受け入れるしかなかった。

 〈魔導マギカ〉と呼ばれる力もそのひとつだ。使い方はどうにか把握するに至ったが、その原理については到底理解しているとは言い難い。人類にとっては未知の領域ブラックボックスだらけの技術だが、それに頼るしかないのが現状だった。何しろ、それ以上にわけの分からない相手が敵なのだから。

「ゾーンのスペクトルパターン分析によると、敵性体アプスの脅威力は八十六。ランクA、属性銀シルバー遠距離砲撃ロングレンジアタックタイプと推定されます。装備セット変更の必要はありません」

 大気圏に突入し、艦体先端部が断熱圧縮で明るく輝く。プラズマ化した大気に包まれ、震動だけが響き渡る艦内に、リーリャの冷静な声が流れた。

 厳密には戦術リンクを介しているため、拡張電脳インプラントを持たない人間がこの場にいたら何も聞き取れないだろうが、拡張電脳を持たない人間などこの星系内では探す方が難しいし、万が一いたとしても、その人物のためにリーリャは淡々と別の手段を併用するだけだろう。必要であればそうする。管理電脳とはそういうものだ。

 Aランクの脅威力というのは、通常ならマリナたちのような兵員輸送と後方支援を担当する後衛サポートの他にもう一隊、実際に敵と相対する前衛オフェンス斑隊パーティで討伐するクラスである。これが降下猟兵の最小単位だ。これ以下のクラスは地上部隊が対処する。

 現在、この艦に乗っている降下猟兵ハンターは全部で三斑隊パーティ、十二名。充分すぎる数である。問題は、そのうち二斑隊が今回初陣を迎える新兵ルーキーということだ。

 新兵たちを〈ゾーン〉内部でしか体感出来ない独特の雰囲気と実戦に慣れさせるのが慣熟訓練の目的で、実際の討伐任務はマリナたち後衛斑隊と、ラッセル・コート率いる前衛斑隊が行う。討伐回数が二ケタを超えるベテランチームなだけに、新兵の面倒を見るのも任務のうちだった。

「再突入シークエンス完了。目標まで二分。迎撃、きます」

「はーい。んじゃ、あと頼むわね、リーリャ」

「はい、艦長」

 リーリャの声に気楽な感じで答えて、マリナはそっと目を閉じ、シートに全身を預けた。余計な情報を遮断し、ボディスーツの下の胸元に直接埋め込まれた虹色の宝珠に意識を集中させる。その様子を眺めているものがこの場にいれば、彼女の体がぼうっと仄かな燐光オーラを帯びていくのが見えただろう。

「いくよ、ラタージャ」

 マリナが小さく呟くように名を呼んだ、その次の瞬間、彼女の体を包み込んでいた燐光がむくりと上体を起こした。意識を失ったようにぐったりとシートに横たわったままのマリナの肉体を残し、人の姿型を象ったまま、それはゆっくりとその場に立ち上がる。

 やがてその姿はより精細感を増していき、全裸に近い褐色の肌をヒラヒラした半透明の衣で辛うじて覆った黒髪の美女の姿へと変わっていった。

 彼女はそのまま顔を上に向け、とん、と軽く床を蹴った。その体がまるで重力などないかのようにふわりと浮かび上がり、そのまま天井をスルリと突き抜けて、艦体の上部へと抜けていく。

 マキナがもたらした異界技術の最たる存在、〈魂核ソウルコア〉の恩恵は数多いが、中でもこの〈化身アバター〉を抜きに語ることは出来ない。全ては魂核そのものが有するもの。魂核に宿る神格が顕現し、半実体化することにより、様々な驚異を具現化する。それが化身だ。

 通常、化身は装着者ハーモナー自身の身を守る鎧として顕現する。装着者の肉体を置き去りにして行動出来る化身は稀有だ。

 もっとも、化身の能力は魂核と装着者によって異なるし、感応ハーモニーがどれだけ進むかによっても大きく変わる。仮に同じ魂核を受け継いだとしても、同じ能力を引き出せるとは限らない。故に、個々の能力に応じてチーム構成を行い、目的のために最適な部隊を編成するのが一般的だった。

 魂核と拡張電脳を通じて艦の各センサー、マリナ、そしてラタージャの視覚情報が共有されているため、他の乗員にも艦体上部に出てきたラタージャの姿、そして彼女ラタージャている光景を目にすることが出来る。

 艦体上部に陣取ったラタージャは、吹き荒れる風に髪を乱れるが任せ、その場に悠然と佇んでいた。凛として見据えたその視線の先には、〈メネラーオス〉の目指すノイエラグーネを包み込んだ〈ゾーン〉がある。

 銀灰色の穹窿ドームは、外界の様子など気にも留めないかのように悠然とそびえていた。その表面に瞼も睫毛もない目玉を思わせる不気味な紋様シンボルが浮かび上がり、こちらをギョロリと睨めつける。

 その次の瞬間、ラタージャの体が素早く動き、手首のバングルがシャラン、と涼やかな音を立てた。同時に、すぐ傍で太陽が弾けたような眩い閃光があたりを包み込む。

 ──ぎぃんっ!

 鋭い金属音にも似た耳障りな擦過音があたりに響き渡った。えない何かが飛んできた、と認識するより早く、ラタージャが中空に手を差し伸べる。その掌の指し示す先の空間に不可視の障壁シールドが幾重にも展開され、〈ゾーン〉から放たれた大容量のエネルギー砲撃を受け止めて明るく輝いた。障壁に弾かれたエネルギーの奔流が傘のように拡がってあたりに降り注ぐ。

 ラタージャが腕を軽く振るうと障壁が四方八方に張り巡らされ、砲撃を受け止め、時にはそのまま何もない蒼穹の一角に向けて弾かれていく。敵の攻撃は間断なく続き、ラタージャが優美にその身を翻すたびに閃光があたりを飲み込み、弾かれた光芒が虚空そらへと飲み込まれていった。

 女神は受け止めた砲撃を軽くいなしながら影響の少ない方向へ飛ばす。障壁に弾かれても砲撃の破壊力が消えるわけではないので、飛ばした先で二次被害が出る恐れがあった。

 〈ゾーン〉の内部は避難が完了しているだろうが、その周辺は分からないし、人がいないからといって、耕作地や何らかの施設にダメージを与えるのは可能な限り避けたい。別に彼女が損害賠償を請求されるわけではないが、最終的にそれは社会負担となるので、ゼロには出来ないにせよ、被害は少ないに越したことはないのだ。

標的ターゲット確認ロック。ターゲットパイル射出」

 攻撃の合間の一瞬のタイミングを見計らったミーシャが淡々と告げ、〈メネラーオス〉側面の射出口から槍状の物体が続けざまに六本撃ち出されていった。それは瞬く間に空を駆け、執拗な迎撃を繰り返す〈ゾーン〉表面に浮き上がった目玉を取り囲むように次々と突き刺さっていく。

 無論、それだけでは何もダメージを与えられない。パイルは目玉の動きを封じるかのようにがっちりと食い込み、互いに連繋するようにして虚空に光の印形を刻んでいく。

 目玉はそれに反応し、身悶えするかのように表面をウネウネと波打たせた。その様はまるで生き物のようで、今にも苦悶の叫びを上げるのが聞こえてきそうだ。

「パイル固定、中和開始。誘導波の発振を確認。ゲートブレーカー起動。着弾まで三秒」

 ミーシャの声がしてから程なく、天空から先ほどの光芒など比較にならないほどの眩しさで閃光が降り来たり、パイルによって固定された紋様へと突き立つ。

 自動的に視覚にフィルターがかかったが、それすら役に立たないと思えるほどの眩さに、弓夏は無意味と知りつつ思わず目を細めた。凄まじいエネルギーが大気をびりびりと震わせ、艦体を通じて乗員の体にまで震動が伝わってくる。

 目玉は藻掻もがき苦しむようにさらに激しく蠢いたが、やがて力を失い、黒く染まって閃光の中にグズグズと溶け崩れていった。

 〈セレニティ〉内周部に設置された移動砲台〈ゲートブレーカー〉から放たれた破壊の閃光が止んだ後、そこにはパイルによって固定された大穴がぽっかりと開いていた。

「ゲート破壊確認。突入する」

 ミーシャのその声と共に、〈メネラーオス〉は再突入後の速度をほとんど緩めることなくわずかに軌道を変え、そのぽっかり開いた大穴の中にその身を滑り込ませていった。

 その背後でパイルが力尽きたように燃え尽き、ボロボロと崩れ落ちる。障壁の再生を阻んでいたものがなくなったため、さっきまで開いていた大穴が瞬く間に塞がり始めた。やがて射し込んでいた光は失われ、内部は再び闇に包まれる。

 これでもう、〈ゾーン〉を生み出している女王を狩らぬ限り、脱出出来なくなった。外部との連絡が途絶した今、助けを呼ぶことも出来ない。兵力に余剰があるわけでもないので、基本的に増援は望めない。

 だが、そんなことは初めから分かっている。

「さぁ、狩り《おしごと》の時間よ、ラッセル」

「あいよ。待ちかねたぜ」

 そんな状況を楽しむかのような口調でマリナが言うと、後方の席から一人の男が立ち上がった。それとほぼ同時に三人の隊員が次々と立ち上がる。

 男性三名、女性一名の斑隊パーティだ。斑隊長リーダーはラッセル・コート。野戦服の袖を捲り上げた黒髪の大男で、大きく開かれた襟元からは鍛え抜かれた赤褐色の肌が剥き出しになっていた。無精髭を生やし放題にした野趣溢れる風貌は、一見すると山賊のようだ。

「んじゃ、お先に」

 ラッセルは弓夏たちに軽く手を挙げると、後部ハッチへと歩いて行った。斑隊員たちも無言でそれに続く。いずれも実戦を幾度も乗り越えてきたのだろう、緊張も気負いもなく、淡々と任務をこなすだけだという印象を受けた。

 彼らはこれから、この〈ゾーン〉を支配する女王クイーンを狩りに往くのだ。


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