一話
深夜のしじまを乱したのは、みすぼらしい姿をした男性だった。泥だらけのズボンとシャツは、擦り切れる寸前で、肌の色が見えている部分も多い。膝等の過去破れたらしい場所は、何度も布を継ぎ足して補修してあるが、それでは追いつかないほど劣化が進んでいる。
男は息をひそめ、夜の闇に存在を滑り込ませる。足音を立てないように、細心の注意を払っていた。
それでも、人間はそこにいるだけで気配が生じる。どんなに訓練を積んでも、人間は空気にも、風にもなれはしない。建造物の谷間で身を潜めた男は、訓練すら積んでいないのだから、気配を消しているつもりになっているだけだ。
金属でできたビルの路地裏から、血走った目付きで周囲を警戒している。だが、街灯という心細い光源では、確認できる範囲はたかが知れていた。
ドーム全体の空気は、巨大な空調装置で管理されている。その装置により発生した風は、男の臭いと音を黒衣の人物達に伝搬してしまう。
男が背中をぴたりとつけたビルの壁には、既にワイヤーが繋がっている。訓練を積んでいる黒衣の男は、ワイヤーを使いビルの屋上から地面まで、ほぼ無音で降下した。黒いヘルメットで顔を隠しており、その表情は確認できない。
身を潜めていた男の背後に降り立った黒衣の男は、素早く腰のホルスターからガンを抜く。
「あっ! がぎゃあぁ!」
ワイヤー針式スタンガンの針が背中に刺さった男は、路上まで跳び出して倒れた。白目をむいて、完全に気を失っているようだ。
黒衣の男が慣れた手つきでニードルとワイヤーを巻き取っていく。それを見ていた仲間らしき覆面をかぶった数人が、ビルの陰からスタンロッドとスタンガンを持って出てきた。
気を失った男を回収する仲間に目もくれない黒衣の男性は、訓練同様に手早くニードルのカートリッジを交換している。覆面を着た者達も、言葉を交わさずに男を担いで消えていく。
お互いの任務を、着実にこなした兵士は、場合によっては冷たい印象を受けるものだ。
黒衣の男性は、いつの間にか自分の背後に立っていた同じ服装の人物について、歩き始めた。二人とも、真っ黒なヘルメットと全身スーツを身に着けている。手袋と靴まで黒く、見た目を黒ずくめ以外の言葉では言い表し難い。その黒ずくめの服装に、ホルスター以外での目立った飾りはない。
軍の拠点へと徒歩で帰り着いた二人は、ロッカールームに向かう。そして、夜間用の戦闘服を脱いだ。
「今日の所は、及第点ね」
「ありがとうございます。教官」
ヘルメットをロッカーに入れた大介は、教官である美紀に敬礼をする。
岸田美紀は、かなり特徴的な女性だ。赤く染めた揉み上げだけが長い髪と三白眼も十分に目を引くが、他者はそこへ一番に目を向けないだろう。
顔を含めた見える範囲全ての肌に、痛々しい傷痕が刻まれている。それさえなければ、整っているであろう顔立ちはしているが、余りにも傷が多すぎる。好んで口説きたいと思う男性は少ないだろう。
「トリガーを引くのが、一瞬だけ遅れたわね。躊躇した?」
「すっ、すみません」
大介は裏の任務をこなす為に、訓練を受けた。最初に入ったのは新兵訓練キャンプ。食事や睡眠を制限されても、大介は編然としていた。成人した純粋培養の軍人よりもすべてが勝っているのだから、当然かもしれない。
「あの男はファクトリーを逃げ出したの。始末されても文句は言えないわ」
「はい」
敬礼をした大介は、顔色を変えない。
(怖い、お嬢ちゃんだぜ。俺との会話で集中が切れそうだったなんて、言えないわなぁ)
(頼むから、黙ってて)
美紀は握り拳を、軽く大介の胸にあてる。
「早く踏ん切りをつけなさい。貴方はすでに何人も人を殺してるの。手遅れなの」
美紀は、舟橋が隠した大介の召喚を知っている。それは、敵を大介が魔法で殺した事件を知っているという事だ。
「戦場で迷えば、それだけで死が近づいてくる」
「はい」
舟橋なりに、事件はもみ消している。だが、正式な入隊前にトラブルを起こした大介は、舟橋直属の部下としては配属されなかった。
舟橋が出来たのは、信頼している美紀を教官に据える事と、大介に学生生活を続けさせる事までだ。
「私達兵士は、兵器になりきるの。忘れないでね」
「はい」
美紀は報告をする為に、一人でロッカールームを出る。それを見送った大介は、敬礼をといて着替えを再開した。
大介とグレムリンだからこそ、難なく任務をこなしている。しかし、大介が配属されたのは、始末屋と呼ばれる危険が高い部隊だった。先程のように逃げ出したものや、侵入した外敵と真っ先に交戦するのが任務だ。任務中におった美紀の怪我が、任務の過酷さを物語っている。
(報告が終わったらしいな。帰ろうぜ)
「そうだね」
美紀の上司への報告が終わると同時に、端末の中でグレムリンを囲む魔方陣の色が変わる。任務中は、一時的に制限が緩和されるのだ。
二度と問題が発生しないように、完全に解除されるわけではない。使用できる魔力の限界値は決まっているし、魔法の範囲も制限されている。解除の承認が出来るのは、それなりの役職を持った者だけだ。
生きる為に、大介とグレムリンはそれらを受け入れている。
「お疲れ様。ゆっくり休みなさい」
「はい。失礼します」
****
軍配給の食事を持った大介は、宿舎の部屋へと帰る。現在学校は、夏休みに入っていた。裏の人間となった大介に、休みはない。日中は代表合宿の雑用をこなし、夜は始末屋として働いていた。
現在、門倉達代表選手と一緒に、第四メインドームへ来ている。兵士としての訓練に適した環境があり、合宿場所でもあるそのドームは、大介がいるべき場所なのだろう。雑用の仕事も、学生生活を続ける代償として余儀なくされてはいたが、苦にはしていない。
(ん? あれは)
(春川さんだね)
兵士になるには未熟と判断された春川は、舟橋の下で雑用だけをしている。この合宿にも、仕事として同行していた。
(しかし、あいつ、もて始めやがったな)
(いい事だよ。早く、彼氏を作ってほしい)
大介が宿舎に帰り着くと、玄関ホールで春川と代表候補生の男が、仲良くおしゃべりをしていた。二人はソファーに座りながら、手を繋いでいる。
自信を得た春川は、短い間に大きく変貌した。性格が外交的になり、化粧を覚えて外見的な魅力も大幅に増している。今までとのギャップに、心をときめかせた男子生徒は多い。
(化粧ってのは、恐ろしいな。目が倍ぐらい大きくなってるぞ)
(いいんじゃない。それで彼氏が出来るなら)
入り口に背を向けて座る春川は、大介に気が付いていない。そして、大介が春川に自分から声をかける事はない。
春川の猫なで声に耳を傾けず、隣を素通りした大介は、真っ直ぐエレベーターに向かう。部屋が五階だからだ。
「あれ? 由梨ちゃん? どうしたの?」
「ちょっと! 離して!」
背後から春川の声が聞こえた大介は、歩く速度をあげる。
(来た! 来たぞ!)
(分かってる! でも、リストカットされないように!)
(そうだ! あくまでさりげなく! さりげなく全力だ!)
意味がないと分かっているが、大介はエレベーターのボタンを壊れるんじゃないかと思えるほど連打する。それも、体で壁を作り、春川には見えない様に。
(来た! 早く乗り込め!)
「大介!」
気付いてないとアピールしたい大介は、俯いたままエレベーターに乗り込み。残像が残るほどの速度で、五と閉のボタンを押した。閉まるのボタンは、親指が白くなるほど強く押し続けている。
(よし! いけるぞ)
(うん! 部屋に入って、中から鍵を閉めよう!)
ガシャンと大きく金属がぶつかる音と、バネが動くような小さな音が聞こえた大介は、恐る恐る顔を上げる。目の前で、エレベーターの扉が開かれていく。
扉が閉まりきる前に、春川が手を差し込んだらしい。異物を感知した扉が、安全装置を起動させたのだ。
(怖っ! こっわっ! こいつ、怖すぎるぞ!)
(助けて! イチさん!)
(無理言うな!)
さっきまで仲良く手を握っていた男性に、軽く手を振った春川は、躊躇なく閉まるのボタンを押す。エレベーターの中で、春川と目を合わせないように壁を見つめる大介。隣に立っている春川は、その大介をじろじろと見ている。
胸のポケット部分につけられた端末には、グレムリンがいる。それを知っている春川は、端末へも目線を走らせた。グレムリンは睨み返そうかとも考えたようだが、恐怖に負けて断念した。そして、端末内で背を向けている。
「もう、遅いじゃない」
(何が?)
(聞いてみろ)
(嫌です)
「昨日の約束。破られたかと思ったよ?」
春川の言葉が理解できない大介は、何度かその言葉を頭の中で反芻する。しかし、意味が理解できない。
(何を約束した! 馬鹿か、お前!)
(知らない! 知らないんだって!)
混乱する大介達は、春川から答えらしきものを聞いた。それを聞いた二人は、さらに顔を引きつらせる。
「昨日夢に来てくれた大介が、一緒に花火しようって言ったじゃない? 準備は大介がするって言ってたけど、その袋がそうなの?」
大介の頬に鳥肌が立つ。ドーム内の環境は夏に設定されており、寒いわけではない。そして、ホテルの空調が壊れた訳でもない。
(まずい! まずいぞおぉぉ! ガチンコだ!)
(夢とかって、どうやっても防げないよ! 助けて! イチさん!)
(だから、無理だ! 馬鹿!)
にじり寄ってくる春川から逃れる様に、大介はエレベーター内の角で精一杯小さくなる。
「あら?」
エレベーターの扉が開かれると、そこには門倉がいた。端末だけを持った門倉は、部屋着のまま飲み物を買いに行こうとしているようだ。
「仲がいいわね」
門倉の言葉で、青くなっていた大介のスイッチが入る。自分の腕を掴もうとする春川を躱し、門倉の脇をすり抜け、廊下を全力疾走した。軍で訓練を積んだ大介の動きは、以前より洗練されており、一般人が追従できるものではない。
「大介!」
春川は、門倉を押しのけて走り出す。
「えっ? あの」
驚いた門倉は、エレベーターの扉が閉まってしまうまで、動くことが出来なかった。
部屋の鍵を内側から閉めた大介は、一人で食事を取る。
(この部屋が防音でよかったな)
「本当にね。でも、こんな夜中まで起きてるとは、思わなかった」
春川の事に集中し過ぎた大介は、門倉に対して注意を向けられない。深夜に喉が渇き、飲み物を買いに出る。その行動に、おかしな点はない。だが、門倉は鼻声になっており、両目が腫れていた。
(お前)
「何?」
(それ、美味いのか?)
「えっ? 普通」
ベッドで軍用の食事を取る大介に、その味を質問したグレムリンも、門倉の変化には気が付いていないようだ。
ユニットバスと、少し広めのベッドがある角部屋に、大介は宿泊している。オレンジ色のランプの下には、机と一体化されたパソコンも据え付けられていた。学生達からすれば、簡素な部屋だと思えるだろう。
しかし、大介にとっては、自分の家とほぼ変わらない、落ち着ける空間だった。一日中つけている端末との回線を外せるのも、開放感の一因だろう。
(野菜の味がする繊維の入ったゼリーに、肉の味がする固形物って)
「この白い塊は、お米の代わりなんだ。僕に不満はないよ」
(俺からすると、味気なく見えるんだよな。昔の人間は、もっと食に命を掛けてたんだがな)
「こっちの方が栄養バランスもいいし、フォークで食べられるのが楽だよ」
この時代の人間が、皆大介のように食事に気を使わない訳ではない。材料こそ合成した食材を使っているが、人類は千年の時間を越えても、食をおろそかにするわけがないのだ。
大介の感覚が異常で、それには理由がある。幼少期は、母親の作るカレーやハンバーグが好物だった。大介が食事に気を使わなくなったのは、母親が死んで以降だ。
精神的に追い込まれ、病気とも言える精神状態での食事は、苦痛でしかなかった。その為か、大介の舌にある味蕾は、脳に味を伝えなくなっていたのだ。
食事を楽しいと思えなくなった大介は、死なない様にだけ食事を取る。皮肉にも、それは規則正しい健康的な食事へと繋がった。
(他のガキ共一緒に、バイキングを楽しめばよかったんじゃないのか?)
「仕事だったんだから、しょうがないよ。それに、あんまりあそこで食事したくない」
春川の恐怖を思い出したグレムリンは、座って角を撫でる。大きな食堂で春川といれば、トラブルがない方が不自然だ。
「だって、食堂に行くとさ……」
(みなまで言うな。悪かった)
「シャワー浴びてくる」
(おう)
ゴミ箱へ空になった弁当を投げ捨てた大介は、着替えを持って浴室に向かう。一人になったグレムリンは、大介の変化について考える。精神的に変化した。以前よりも口数が増え、人間らしくなったように思える。
しかし、グレムリンが気にしているのは、そこではない。大介は、幽世へと足を踏み入れた。それは、大介の存在自体を大きく変質させ始めている。その変化を見逃さないように、グレムリンは注意を払っているのだ。
****
翌日、大介は大量のタオルを武道場に運ぶ。倉庫と武道場を往復するその姿を、同じ仕事をする舟橋の部下達が見つめる。
「へぇ、凄いなぁ」
圧縮されたタオルの束は、軽いものではない。それを一度に複数個抱え、自分達よりも素早く動いているのだ。驚くのも無理はない。
大介の作業を見つめているのは、裏の人間だけではない。武道場で、合宿をしている代表候補生達の目にもとまる。
「おい、あれ見ろよ」
「第三の生徒らしいな」
舟橋の部下達とは違い、嘲笑している。その目から、憐れみと優越感が読み取れた。
「あんな事までして、代表候補性になりたいのかねぇ」
「才能ない奴は、なにしても無駄なのにな」
「可愛そうな奴だ」
周りからちやほやと、特別扱いを受ける代表候補生達の中には、それを鼻にかける者も少なくない。ただ、代表選手になれるのは、その中でも九人だけだ。
天才の中でも、優劣は存在する。そして、その壁を超える事は、難しい。
自分の順位を高められず、くすぶっている者はそのはけ口を探す。己の無駄なプライドを守る為に、上ではなく下を観察し、その相手より自分が勝っていると、悦に入る。
(アホガキ共が)
(まあ、いいじゃない。将来、代表候補生だったことなんて、ほとんど役に立たないんだし。ここで頑張れるかは、本人次第だよ)
(あのくそガキ共は、上にいけんだろうな)
(多分ね。まあ、関係ないけど)
(お前のその他人に無関心で、冷めた性格も、度が過ぎると考えもんだぞ?)
相手に興味がなければ、聞こえよがしな言葉も、意味がないのかもしれない。
タオルを運び終えた大介は、武道場に隣接された施設へと向かう。その施設の一室は、引率教員用の事務所になっている。そこで、コンピューターに向かい、舟橋は書類を作っていた。
「先生。タオル運び終えました」
「そうか。なら、少し休んでいいぞ。先に飯にするか?」
「あっ、じゃあ」
大介の報告を受けた舟橋は、データを保存して、椅子に座ったまま伸びをする。そして、用意されていた弁当と、ペットボトルに入った水を大介に差し出す。
「そこの席が開いてるから、そこで食べろ」
「はい」
舟橋も、自分の席で食事を始めた。
(おい。ちょっと回線を外せ)
事務所には舟橋しかおらず、大介はグレムリンの言うがままに回線を外した。
(おい。メガネ)
「なんだ?」
(部下に出来なかったくせに、何故手伝わせてるんだ? これは必要ないんじゃないのか?)
「そうだな。説明するとすれば、いくら偉くなっても日ごろからやましい事はしない方がいいって事だけだな」
(この腹黒メガネめ)
グレムリンには舟橋の言葉が分かったようだが、大介は理解できていないようだ。首を傾げながら、食事を続ける。
舟橋が、大介の所属する部隊にいる権力を持った人物の弱みを握っているだけなのだが、それを直接言葉にはしない。数か月で、グレムリンと舟橋のやり取りは、円熟し始めていた。他者からは暗号のように聞こえる言葉で、会話を続けている。
毎回、大介はその会話には加わらない。ただ、ぼんやり聞いているだけだ。
「一時過ぎには、戻ってこい」
「はい」
時間が出来た大介は、施設を出る。施設には代表候補生達用の娯楽室もあるが、そこには男性に囲まれた春川がおり、入りたくなかったのだ。
代表候補生達も、既に昼の休憩を取っている。
(なんかモテモテだな)
(知らないって事は、幸せかもね)
(でも、もて過ぎじゃないか?)
(代表候補生には女の子が少ないし、いたとしてもライバルなんだよ)
(ああ、それで春川が手頃なのか)
しばらく無言だった大介とグレムリンは、同じ事を考えていた。春川に大介以外の本命を見つけてほしい。
(何考えてる?)
「はははっ」
(うへへっ)
乾いた笑い声を出す二人の目は、決して笑っていない。
作り物とはいえ、夏の環境を作り出しているドーム。喉の渇きを感じた大介は、飲み物を購入して武道場の日陰で座り込んだ。
「嫌よ! わかれたくない!」
大介の耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。武道場の中を覗くと、門倉が泣いていた。
(あれは、門倉の彼氏だな。確か、同じ高校の三年生だったよな?)
大介は、グレムリンに返事をしない。武道場にいる門倉を、無言で観察する。昼休みの武道場には、門倉達だけしかいない。
「付き合ってって言ったのは、そっちじゃない! それなのに勝手すぎるよ!」
「俺達三年生だろ? 代表の試合に集中したいんだ。分かってくれよ」
大介は、その男子生徒が、他の女生徒と付き合っているのも知っている。それも、大介が知るだけで、彼女と呼べる存在が、三人存在した。
だが、大介は門倉にそれを告げ口するようなことはしない。
……あの人には、俺から近付いちゃいけない。
胸の痛みをこらえながら、大介はただ見つめる。
端末の中にいるグレムリンは、溜息をついて首を左右に振った。大介の行動は理解できないようだ。だが、助言や口出しはするつもりがないらしい。
……あの人に涙は似合わない。でも、僕なんかじゃ、どうしようもない。
門倉が武道場を走り去ると同時に、大介も場所を移動する。その胸中には、寂しさとも、悲しさとも言える感情が渦巻いていた。
だが、門倉に自分から何かする事は、決してない。それは、綺麗なままの門倉を心の中にとどめたい、大介のエゴとも言えるだろう。
……あの日、僕はそう決めた。
溜息をついた大介は、空を見上げる。
****
日が沈む前に雑用を終えた大介は、軍の拠点へと赴いていた。
「どうしたの? 今日の仕事はないわよ?」
トレーニングルームで大介を見つけた美紀は、声をかける。美紀の声で、一心不乱に腹筋をしていた大介が、それを中断した。
「あっ、その。体を動かしたくて」
顔色の変化を読み取った美紀は、ぽりぽりと眉間を人差し指で掻き、何かを考えている。
肩で息をする大介は、意図的に美紀と目を合わせない。うっぷんを、己の中にため込もうとしている。
「少し、ついて来なさい」
「えっ?」
「いいから早く」
美紀に連れ出されてのは、建物の屋上だった。すでに日が沈み、星空の画像に変わっていた。
「ここに座って」
「はぁ」
美紀の隣に座り込んだ大介は、空を見上げる。それは、美紀が空を指さしているからだ。
「あれ。あれが白鳥座」
美紀は、大介に夜空の説明を続けた。空には、かつて地球から見えた星空の画像が映し出されている。
両膝を抱えて座る大介は、無言でそれを聞き、美紀が指さした方向から、説明された星座を探す。
作られた町の中で、虫の声は聞こえないが、心地よい風が吹いていた。
……気を遣わせてしまったな。
(まあ、若干怖いが、いいお嬢ちゃんだ)
徐々に大介の表情が和らいでいく。美紀の気持ちが、大介にそうさせたのだろう。
講義を終えた美紀は、持っていた缶コーヒーを一口飲む。そして、それをそのまま大介に差し出した。
「え?」
「のど乾いてない?」
真っ直ぐに自分を見つめる美紀を見た大介は、缶を受け取っていた。
(へへっ)
「何か嫌な事があったなら、私に言ってみない? 人に話せば、少しは楽になるかもよ?」
訓練中とは違う、優しい声だった。大介の頬が少し赤くなっているのを、大介自身も気が付いていない。ただ、目が潤んでいるのは分かっているようだ。そして、グレムリン以外が知らない門倉との事を、大介は喋り出していた。
独り言のように、空に向かって。