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七話

 大介の意識は、真っ白な世界にいた。光の中ではない。ただ白いだけの、何もない世界だ。

 目は見開かれているが、何の光も識別しない。脳の自己保存機能が、ヒューズを切ってしまったのだ。全ての機能が、麻痺している。

 変わり果てた風景の中で、大介はぐったりとしていた。


(おい! おいって! マジで!)

 グレムリンは、大介の胸元から言葉を直接回線で飛ばす。それが切っ掛けとなり、大介の脳が再起動を始めた。

 混乱している脳の処理は、まず視覚を回復させようとする。壊れたテレビの様に、幾度も歪んだ景色が映っては消えた。それが幾度となく続き、何とか目に映る物を正確に表示し始める。そして、聞こえなくなっていた耳に、不快な音が届く。大きな耳鳴りと共に、口の中いっぱいに広がった鉄の味を大介は感じた。

「えほっ! ごほっ!」

 自立呼吸が回復すると同時に、咳き込んだ大介に、やっと意識が戻り始める。

(おい! 生きてるな?)

 幾度目かのむせる振動に、痛みが付加され始めた。その痛みは徐々に増していく。

「けほっ、あれ?」

 その痛みが、大介の意識を最終段階まで回復させた。

(大丈夫なのか? 死んでないな?)

「あっ、うん」

 大介は体全体で、鈍い痛みを感じている。しかし、耐えられないほどではなかった。

 全身を小刻みに震わせた大介は、重いと感じる頭を持ち上げ、周りを確認する。

「何? これ?」

(墜落したらしいな)

 見渡す限りの床や壁は、ぐしゃぐしゃに歪んでいた。金属の結合部分が凄まじい力で変形し、車両の部品だった物や、荷物が散乱している。辺りには、焦げたような臭いが充満していた。

 少しだけ状況を理解した大介の全身から、冷たい汗が流れ出る。鳥肌が立ち、震えが大きくなる大介は、思考が再び止まりそうになった。

 しかし、足元で血を流して倒れる春川を見つけ、急いで自分のベルトを外す。

(頭を打ってるっ! 動かすなよ!)

「分かった」

(最後までお前にしがみついていたのが、よかった。多分、死んではない)

 春川の口元に手をかざし、呼吸を確認した大介は、自分の腕に手を当てる。そこは、春川が抱き着いていた部分だ。必死で掴んでいたのだろう、火事場のくそ力とも言える握力で握られたそこは、青あざが出来ている。

 服で隠れていて大介は直接目で確認できないが、痛みは分かっていようだ。春川は、車両が地面に叩きつけられた瞬間に、体を床に強く打ち付けた。症状としては、全身の打撲と脳震盪だけで済んでいる。


「おい! 寺崎! 無事か?」

 春川をどうする事も出来ない大介は、自分を落ちつけようと何度も大きな呼吸を試みていた。

 そんな大介が聞いたのは、舟橋の声だ。声のした方向に目を向けた大介は、舟橋の姿を探す。

 床と天井だった金属に挟み込まれた舟橋を、少し離れた場所に見つけた大介が駆け寄る。

「先生! 大丈夫ですか? 先生!」

「大丈夫だ。大きな声を出すな」

 舟橋の下半身は金属板に挟み込まれ、どうなっているか確認できない。呼吸が浅くなっており、顔も青ざめている。ひび割れたメガネは、自分で拾ってかけなおしたのだろう。

「端末を貸せ」

 大介は舟橋が言うままに、自分の端末を差し出す。

(メガネ! これは、何だ?)

 回線がジャックから抜けると同時に、グレムリンは大きな声を出していた。

「五月蝿い! 俺にも分からない!」

 大介の端末を操作していた舟橋は、険しくなっていた顔をさらにゆがめる。思惑が外れたらしい。

(この状況から脱出する魔法なんて、生徒が持ってるわけないだろうが)

 グレムリンの言葉で、大介はドーム外にいる事を思い出した。それが意味するのは、ドーム内で制限されていた魔法が使える事実だ。

 だが、残念な事に、大介はそんな魔法はプログラムしていない。舟橋の手元に置いてある端末も、同様なのだろう。

(解除しろ)

 この状況を好転させられるのは、グレムリンの魔法だけだ。その事を、舟橋と大介も分かっているのだろう。

「それは」

(ここで逃げ出したり、危害は加えない。さあ)

「くっ!」

 少しだけ躊躇したようだが、舟橋は大介の端末を返した。そして、自分の端末を操作する。

 グレムリンが全画面表示され、一度浮かび上がった青い魔方陣が消える。

《アプランク》

 下半身を挟み込んでいた金属板が変形し、舟橋は自力で這い出してきた。そして、痛みで顔を歪ませながら、左足のズボンをまくりあげる。

 舟橋の左足は、紫色に変色し、大きくはれ上がっていた。それ以外に大きな外傷がないのは、奇跡的と言えるだろう。

「あれを、取ってくれ」

 舟橋が指さした先には、小さな金属の箱が複数個転がっていた。白く塗装され、角を丸く加工された箱には、赤い十字が見える。車両に乗せてあった救急パックだ。

 救急パックが入っていたらしい壁の引き出しは、ぐちゃぐちゃに変形している。形を留めている救急パックを三つほどつかんだ大介は、急いで舟橋の元へ戻る。

「ぐっ! はぁはぁ」

 麻酔らしき注射器を左足に突き刺した舟橋の顔色が、少しだけ和らぐ。かなりの痛みを我慢していたようだ。

(おい! そこの壁に手を付け!)

 端末を胸に取り付けた大介は、グレムリンの指示に従う。壁の金属から、グレムリンは棒を作った。

 その使い道が分かった大介は、舟橋に差し出す。その棒を添え木にした舟橋は、左足の応急処置を済ませた。そして、這うように春川に近付く。

「よし。只の脳震盪だ」

 春川の診断結果を聞いた大介は、大きく息を吐いた。心臓の鼓動は、早まったままだが、震えは止まる。

「先生?」

 さらに這い進もうとする舟橋に、大介は肩を貸す。


「この車両に、整備不良は考えられない。敵だ」

 舟橋は敵と言い切った。

 だが、大介はそれを想像できない。首を傾げながら、舟橋の体を支えて、運転席があった方向へ進んでいく。

 いびつに形を変えた隔壁の扉に、魔法で人が通れる穴をあける。その先で、大介は人生初めての経験をした。作られた金属の地面ではなく、大地を自分の足で踏みしめたのだ。

 墜落した軍用機を間近で見た大介は、自分が助かった幸運を改めて実感し、寒気を覚える。頑丈に作られていたはずのそれは、信じられない力でバラバラに引きちぎれていた。

「あれだ!」

 運転席だったらしい金属の塊を見つけた舟橋は、大介もそちらに進む様に促してくる。

 大介が初めて体験する森の中は、本来のそれとはかけ離れた物だった。裂けた機体の隙間から見える葉の生い茂った木は、自然の香りを人工物が燃える不快な臭いでかき消されている。頬を撫でる風も涼しさではなく、熱気を伝えていた。そして、森の生き物達は声を潜め、代わりにどこかから聞こえる遠雷の様な音。

 その音が何なのかは、運転席に入る事で理解できた。運転席を守っていたであろう、頭上から正面までのガラスだかアクリル板は砕け散り、歪んだ金属の骨組みだけが残っていた。何故そうなったかを大介は推測も出来ないが、その窓だった見渡せる木々のほとんどが焼け落ち、視界が開けている。

 三人が見たのは、光の幕で覆われた大きな金属の球体と、それの上空を旋回する軍用だと思われる機体だ。緑にコーティングされたその機体は、旧世代のヘリを思わせる形をしていた。メインとテールローターがない代わりに、小ぶりな金属製の羽が左右に一対取り付けてある。

「おい! 寺崎!」

 見とれていた大介は、舟橋の声で我に返る。そして、二つある操縦席へと近づいていく。

「くそっ! おい! しっかりしろ!」

 様々な計器と操縦桿らしき物の前には、二つの椅子が床に固定されていた。大介達から見て、奥の席に座っている男性は椅子と一緒に潰れている。生きてはいないだろう。

 ただ、手前の席で気を失っている男性は、怪我をして血を流しているが息はあるようだ。計器類にもたれ掛る様に座った舟橋が、必死に頬を叩いている。

「おいっ!」

 寺崎が揺さぶった事で目が覚めた男性は、首を勢いよく跳ね上げた。そして、大きく見開いた目で、周りをきょろきょろと見回す。

「大丈夫か?」

「はい。えっと、あっ! 生徒のバスは?」

「不時着して、自衛モードに入っている。残りの護衛車両はどうした? 何があったから教えてくれ」

 男性をなだめる様に喋りかける舟橋は、幾分か声が優しくなっている。

 大介も男性からの情報が欲しい。だが、目の前に広がる光景が、目を離す事を許さなかった。

 敵の軍用機は、運転席の下。着陸用の足の隙間から、大砲らしき物が生えていた。そして、バスを大砲から放たれる光で、何度も撃ち抜こうとしている。

(相当な威力がある魔法だな。多分、熱線みたいなものだ)

……門倉先輩。

 大介の頭は、不安で一杯になる。

「あのフィールドは、もう少し保てるはずだ! それよりも、こいつを席から床に移動させてくれ! 手足が痺れているらしい」

 舟橋の指示に従って、椅子のベルトを外してから、男性を床に寝かせる。何故か男性は、指以外全く動かないらしい。

「喋れるな?」

「はい! 護衛車両から、奴らの攻撃を受けました」

 男性から事故の状況を、手当てをする舟橋が聞いていく。

 敵の機体は呼称を飛行機とされる物で、軍用車両よりも高く飛べる。そして、レーダーの範囲外である上空から、いっきに護衛車両を襲った。

 敵の大砲は、宇宙船に搭載される強力な魔法兵器だ。さらに、敵の数は四機。それに対してこちらの軍用車両は三台。勝てるはずがない。

 軍用車両の一台に敵が集中砲火を浴びせている隙に、一機を沈めるのが限界だった。敵の兵器にフィールドごと撃ち抜かれた一台は空中で爆散し、大介達の乗った最後の一台も撃沈される。そして、現在に至ったわけだ。

 語り終えた男性は悔しそうに顔を歪ませ、歯を噛みしめている。


「先生!」

 どうしていいかも分からない大介は、舟橋の肩を掴んでいた。だが、現状を舟橋でも変える事は出来ない。

「グレムリン! 通信機を生き返らせることは出来ないか?」

(やってみよう。おい! そこの計器に掌をつけろ)

《アプランク》

 大介の手が淡く光る。そして、いくつかの計器が飛び起きる様に針を動かした。独立した機器だけが、反応したようだ。

……ああ! くそ! 先輩!

「先生! バスは大丈夫なんですか?」

 グレムリンが機器に潜っている間に、大介は舟橋に問いかけた。

「あれは、自衛モードと言って、軍用車両よりも強固なフィールドで守られている。あのフィールドが消えるまでは、中の人間は外界の情報を知りもしないはずだ。運転席にいる奴が、騒がなければだがな」

 軍用車両のフィールドは、自分側からの攻撃魔法兵器を放つために、制限があった。それに対して、自分を守るだけでいいドーム間移動用のバスは、もっとも強力なフィールドを持っている。

「それって、どれぐらい保てるんですか?」

「あの兵器にどれほどの威力があるかで、かなり変わる」

「あの! あのぉ!」

「落ち着け! あのフィールドは、内部からしか解除は出来ない! 今はどうする事も出来ないんだ!」

 大介はおろおろと何度も舟橋の顔と、熱線を浴びせられているバスを交互に見る。舟橋も冷静を装ってはいるが、内心気が気ではないようだ。幾度も横目で確認している。

 そんな二人に、グレムリンが告げたのは、悪い知らせ。

(駄目だな。通信機器は、どうしようもない。使えそうな機器すらないぞ)

「僕が走って、ドームに応援を!」

「無理だ。走って何時間かかると思ってるんだ。そこまではバスのフィールドが保てない」

 グレムリンの声を聞いた舟橋は目を閉じて、唇を噛んだままだ。そして、大介はその場にへたり込む。

 どうしようもない。この言葉が持つ、残酷さを味わった大介は、目に涙をためる。軍用機に、人間が勝てるはずもない。

 端末の中にいるグレムリンだけが、満面の笑みを浮かべている。機器にもぐりこみ、情報を得たグレムリンだけが策を思いついた。それは、グレムリンが楽しむには、十分すぎるほどスリリングな策だ。


(さて、悪戯の時間だ)

「えっ?」

 いつもと調子を変えないグレムリンは、囁き掛ける。

(このまま襲われるバスを見続け、助けを待つのも一つの策だろう。だが、それを選ぶなら、門倉達の生存率は著しく下がる)

「何か。何かできるの?」

(ああ。聞くか?)

「早く! 早く教えて!」

 グレムリンは強制するわけではない。ただ、危険なギャンブルに大介を誘うだけだ。そして、命のダイスを、投げ入れようと笑う。

 ダイスになるのは、大介の命。勝利の先には、大介の敬愛する人物の生存がある。

「駄目だ! 駄目だ! 耳を貸すな! 寺崎!」

……門倉先輩。僕は。

 舟橋の言葉が、大介に届かなくなっていく。動悸が穏やかになると同時に、大介に冷静な思考が帰ってきた。

(成功する確率は、五割以下ってところだ。どうする?)

「くそっ!」

 グレムリンを封じようとした舟橋の端末が放電を始め、画面が消える。魔法が使えるグレムリンは、機械を支配下に置く。そのグレムリンを、本人の同意なしに封じる事は、難しいだろう。

(うけけっ。どうするよ?)

 自分と門倉の命を天秤にかけた大介。その脳裏に、あの日の門倉がよみがえる。記憶の中にいる門倉夏樹は、優しく笑っていた。

 短い時間で、大介の目から迷いが消える。

「駄目だ! ここで待つんだ! それしかないんだ! 寺崎!」

 大介の目を見た舟橋は、転げるように床へ移動して、這いよろうとする。腹黒さを持つ舟橋だが、この時は純粋に大介を心配したのかもしれない。

「行こう! イチさん!」

(おうよ! 時間との勝負だ! 急げ!)

「うん!」

「寺崎!」

 舟橋が大介の服を掴むより早く、立ち上がった大介は走り出す。


 迷いの消えた大介は、驚くほどの速度で準備をする。

《アプランク》

 春川の眠る貨物室で、大介は軍用の魔力カプセルを拾い集めた。そして、車両の金属板から、グレムリンが必要な部品を作り出す。作り出したのは金属製の、ベルトと杭。ベルトには端末と、魔力カプセルが接続できるようになっている。

(これで、魔力の上限が上がった)

 大介は、ベルトに端末とカプセルを取り付けて腰に巻く。次に差し込み式の回線を端末に接続し、耳につけた。

(その、それでいい。急げ!)

「うん!」

 舟橋の使った救急パックから包帯を掴むと、ポケットに入れた大介が車外へ向けて走り出す。


****


 杭を握った大介が、森の中を疾走する。

(そこだ! その岩に!)

 端末から脳内に直接送られてくる画像に従い、岩に見た事のない記号を掘りこんでいく。

 草木がかすった傷で、大介の服やズボンが破れていく。そして、裂傷からは血がにじみ出ていた。

(次はあそこだ! そこの地面に!)

 一心不乱に作業する大介は、痛みをほとんど感じなくなっていた。大介の集中力に、グレムリンも驚き、喜んでいるようだ。

 グレムリンが機器を探った時に手に入れた、周辺のデータ。その地図とも呼べるデータは、大介の脳内にも正確に伝わっている。大介はそれにしたがって、全力で駆けているのだ。

 呼吸と同時に、血の臭いが鼻をつく。心臓が血を巡らせようと鼓動を高め、足が重さを増していく。大介が走っているのは、舗装されたグラウンドではない。平坦な場所はなく、障害物が行く手を幾度も遮る。走るには不向きな場所だろう。

……門倉先輩! 門倉先輩! 門倉先輩!

 それでも、大介は岩を蹴り、ぬかるみで踏ん張る。自分を支える気持ちに答えも出せていない大介だが、一度決めた覚悟が体を支えた。

「はぁ! はぁ! はぁ! はぁ!」

(よくやった! 間に合ったぞ!)

 大きく肩で息をする大介は、焼け野原となった岩場から敵の機体を睨みつけている。

(最後だ。間違えるなよ?)

「はぁ! はぁ!」

 無言で頷いた大介は、ポケットから包帯を取り出す。そして、頬の血を指ですくい、包帯に記号を書いた。

(よし!)

 大介は前髪を左右に分け、鉢巻の様に包帯を巻きつける。

(準備完了! いくぞ! 呼吸を整えろ!)

 グレムリンの声を聞く前から、大介は既に深呼吸を始めていた。まるでそれが必要と、事前に分かっていたかのようだ。

「イチさん!」

(おう! 噛むなよ!)


 数秒で呼吸を落ち着けた大介に、記号ではなく文字が転送されてくる。大きく息を吸った大介は、それを唱えた。


『高天原に坐す八百万の神々。天津神の御言以て集へ給ひ』


 両腕を鳥のように広げた大介の体に、変化が起こる。大介の言霊が進むにつれて、魔法による光は、両掌と眼で強くなっていく。そして、真っ赤に光る眼球から、赤い雷が放たれると、その現象は体中を覆う。

(よし!)

 グレムリンは、端末内でくみ上げていたプログラムを発動した。それと同時に、大介が岩や大地に刻んだ記号が真っ赤に光り出す。


『高き尊き神教のまにまに正しき眞心もちて』


 グレムリンの立てた作戦とは、魔法で敵を倒す。ただそれだけの簡単な物だった。

 だが、現代では再現不可能な方法。かつて神話の時代に、選ばれた人間だけが辿り着けた、奇跡の力。古式ゆかしい正式な魔法。古い時代、人間は神と呼ばれるほど強い力を持った異世界の住人を、命を掛けて呼び出した。

 グレムリンの知識を使い、大介は忘れ去られた異界の住人を呼び覚まそうとしている。二十世紀に象形文字もしくは楔形文字と呼ばれていた記号は、一つ一つに魔法の意味を持つ。

 その力を解き放つ呪文が最終段階に到達し、記号同士が赤い光の線で結ばれてゆく。地面に描かれたのは、大きな八角形。

 その中心にいる大介の足元には、八角形のミニチュア版が浮かび上がった。大きさは二メートルほどだ。

(よし! よし! よし! 地脈から魔力が取り込めた!)

 バスを襲っていた三機のレーダーにも、跳ね上がった魔力が表示された。その力は、無視出来るレベルではない。

 戦闘機が大介に向き直るよりも少しだけ早く、大介が最後の言霊を口にする。


『恐み恐みも白す』


 大介のいる場所から地面に亀裂が走り、大きな岩が飛び出してくる。そして、溶岩があふれ出した。

「ぐっ! かはっ!」

 言霊を唱え終えた大介は、吐き気に近い不快感に襲われていた。心臓部分から、何かが膨れ上がるのを感じる。得体の知れないそれは、肺を含めた内臓を圧迫しているのだ。そして、大介の意識は真っ暗な世界へと落ちていく。


****


(ここは? あれ? なに? これ?)

「ここがさっき説明した、異世界との狭間だ」

(イチさん?)

 暗闇の中で大介の体は、弱弱しい光を出していた。その光に照らし出されたのは、生身のグレムリン。

「来るぞ。さっきも説明したが、頼み込んでどうなるかだ」

(うん)

「口添えはしてやるが、どうするかは奴が決める。これがルールだ。頑張ってみろ」

(分かった)


 グレムリンが見つめた先に、真っ赤に燃える火の玉が現れた。火の玉は、大きく、一つしかない恐ろしげな目を開く。

「よう! ご無沙汰!」

「お前か」

 火の玉から聞こえたのは、重低音がきいた男の声。

「久しぶりだな。デイダラの」

「そうだな。千年? いや、もっとか?」

「もう、そんなになるか? お前が異界に引きこもるからだ」

「わしの勝手だ。それよりも、その人間が呼び出したのか?」

「ああ。俺の相棒だ」

 グレムリンは、古い知り合いを大介に呼び出させた。神代に神と呼ばれた力ある者を。

(お願いします! 力を貸してください!)

 自分を見た火の玉に、大介はすぐさま土下座をした。召喚をするだけで、異界の住人は力を貸してはくれない。この交渉こそが、全ての決め手となる。

「ふん。わしはもう、人間とは付き合いたくないんだがな」

(お願いします! 貴方様の力が必要なんです!)

 大介は地面に頭を擦り付ける。グレムリンからは、魔力だけで依頼を引き受ける性格ではないと聞いていた。火の玉が欲しがる物を、大介が用意できている訳ではない。出来る事は、誠心誠意頼み込むだけ。

「ふん。人間は平気で嘘をつき、わし等を謀るからな。口だけではないのか?」

 目を細めた火の玉は、大介を見下すように睨みつけていた。

(命でも体でも! 僕にあがられるものがあれば、なんでも差し出します! どうか! どうかお力を!)

「ふんっ。目を見せろ」

 土下座の体勢を変えずに、大介は顔だけを上げた。

「真っ直ぐな目だな。まだ、穢れを知らんか」

「まあ、こいつは、見所のある奴だよ」

 グレムリンの言葉に、火の玉は少しだけ考え込む。

 大昔に自分から人間に関わった、変わり者。結果として人間に失望して、異界に帰った火の玉だが、人間に無関心な訳ではない。その部分のみに期待したグレムリンは、二人のやり取りを静かに見守る。

「理由はなんだ?」

(守りたい人がいるんです! 命に代えても!)

「その見返りに、そいつから何を受け取る? 金か? 体か?」

(何も)

「うん?」

(何もいりません! 守れるなら、それだけでいいんです!)

 グレムリンがにやりと笑う。どうやら、大介はグレムリンの期待した言葉を、言っているらしい。

 その言葉は、変わり者の心に届く。純粋な言葉とは、時に考え抜かれた策略を凌駕するのだ。

「なるほど、いいだろう」

(本当ですか!)

「ふん! 二言はない」

(ありがとうございます!)

 何度も頭を擦り付ける大介を見る火の玉の視線は、何処か穏やかになっていた。

 その段階になって、待っていましたと言わんばかりのグレムリンが、喋り出す。

「出来れば、俺はこいつを生かしておきたい。そうなると、こっちには、お前を全部召喚するほどの魔力はない。」

「まあ、そうだろうな」

「で、お前の上半身だけを貸せ。見返りはこいつの魂以外の魔力全部だ」

「構わんが、それでは何の役にも立たんぞ?」

「大丈夫だ。俺が紐の代わりになる。操作は、こいつに任せる」

「また、ずいぶんと危ない橋を渡るな」

 呆れた口調になる火の玉に、グレムリンは笑いかける。楽しくて仕方が無いようだ。本当に生き生きとしている。

 それを見つめる大介にも、何故グレムリンが楽しいと思えるかは分からない。

「おい。さっき説明した注意点は、覚えているな?」

(あっうん。操作させてもらえる代わりに、ダメージは僕も受けるんだよね?)

「そうだ。魔力を浪費しない為に、ダメージの八割はフィードバックする。まあ、こいつが受けるダメージ量だがな」

(そして、時間を過ぎれば、僕の魂と精神が消費されていく。だから、それまでに敵を倒しきる)

「よし。いけるな?」

(うん!」

 立ち上がった大介は、うなずくと同時にその空間から消える。幽世から魂が体へ戻ったのだ。その世界には、時間の概念が存在しない。それは、肉体を持ったままそこへはたどり着けないという事だ。

「お前はまだ、人間に好んでかかわるんだな。人間に腹は立っていないのか?」

「流石に俺も、一神教に取り込まれて、悪魔って呼ばれた時はきれたけどな。まあ、むかつく事は多いけど、楽しい事も多いのさ」

「ふん。それにしても、自身を紐にするとは思いもしなかった」

「それぐらいのリスクは、当然だろう?」

「へたをすれば、お前も死ぬんだぞ? 一箇神いちのかみ

「スリルってなぁ、危険が高いほど、おもしれぇのさ」

 不気味に笑うグレムリンが、幽世から消える。再度呆れたように溜息をついた火の玉も、久方ぶりの現世へと向かった。


****


『擬似! 完全召喚! デイダラボッチ!』

 大介の叫びに答えた大地が、人型へと変化する。溶岩で作られた上半身は、燃え上がる岩で覆っていく。その岩は、ひび割れた皮膚を彷彿とさせた。顔に口や鼻はなく、巨大な目玉だけがぎょろりと敵を見つめる。

 睨まれた機体内の敵に、恐怖がまとわりつく。上半身だけにも関わらず、高層ビルにも匹敵する体には、それに見合った燃える太い腕が生えている。

 召喚を上半身にとどめたせいで、大介の下半身が岩のように固まり、動かなくなった。

(よし! 五分で始末しろ!)

「おおおぉぉ!」

 八角形の魔方陣で大介が腕を振るうと、それに連動した巨人の腕も動く。

 恐怖に囚われた人間は、冷静な判断が出来ない。ここで敵が選ぶべきだったのは、撤退か距離を置く事だ。

 そのどちらも選ばなかった敵は、熱線を迫ってくる巨人の左腕に向けた。自分達が、巨人の射程内にいると分かっているにも関わらずだ。

 ダメージが伝わった大介の左腕は、肉がはじけ飛び、骨が折れる。しかし、一度振りぬいた勢いは消えない。羽虫のように叩き落された一機が、燃え上がりながら地面に叩きつけられ、爆発する。


「えっ? あれ? 大介?」

 凄まじい爆音で、春川が目を覚ました。そして、大介を探す。

 ふらふらと夢遊病者のように貨物室を出た春川は、運転席で舟橋を見つけた。

「先生? 大介は?」

 春川の声に、舟橋は反応しない。舟橋は目の前で展開される、魔法に見入っているのだ。

「きゃあ! 炎の、化け物?」

「まるで、ゴーレムだ」

 体を動かせないパイロットの兵士も、首を伸ばして戦いを見守る。

 腰を抜かした春川は、その場に座り込んでしまった。


(よし! そうだ! もう一つ!)


 大介のだらりと垂れさがった左腕は、多量に出血して動かなくなった。だが、大量の化学物質を分泌した大介の脳は、痛みを無視する。

「はあぁ!」

 振りぬいた巨人の右拳は、敵に回避されてしまった。どうしても大きさの誤差が生じて、巨人の動きは遅くなってしまう。

 だが、敵は再びの間違いを犯していた。拳を避けて、巨人側に近付いてしまったのだ。

 右の拳を引き戻しつつ、大介が放った次の一撃は頭突き。

「このおおぉぉ!」

 大介が反射的に放ったその一撃は、敵の回避を許さない速度だった。

 敵の機体を操縦する人間が出来た事は、たった一つだけ。兵器発射のトリガーを引く事しか出来なかった。

 大介の額から頭頂部にかけて、皮膚が裂ける。大げさに血が噴き出した傷だが、骨を少し削るだけにとどまった。

 巨人の頭が直撃した敵機は、ドロドロに溶けながら落ちていく。

(よっしゃぁ! 最後だ!)

 仲間の死を観察した最後の一機は、逃げ出さなかった。

「いっ! けえぇぇ!」

 逃げ出さないだけではなく、迫ってくる燃え上がる右拳を、正面から迎え撃とうとしている。敵は魔法の知識をフル回転させて、対策を思いついたのだ。そして、魔法のシステムを組み替えた。

(なるほどな)

 巨人の右拳に敵機がぶつけたのは、熱線ではない。真逆の魔法だ。全てを凍てつかせる真っ白な光は、拳を凍りつかせる。

 熱に対して、冷却の力をぶつけたのだ。

(人間ってのは、魔法の本質を理解出来ないようだな)

 巨人の拳が凍りつくと、大介の拳も凍傷に襲われた。皮膚が裂け、爪がはじけ飛び、鮮血を噴き出す。

 だが、大介の拳を止める事は出来なかった。そして、それに連動された巨人の拳も、同じだ。

 規格外の巨大な物理攻撃は、最後の敵機を木端微塵にする。

(魔法ってのは、超自然的な物理現象。お前達が警戒するべきだったのは、熱じゃなく質量と硬度なんだよ)

……ああ。ここまでか。悔しいな。

 大介を包んでいた真っ赤な雷が、その強さを増していく。

……やっと少しだけ楽しくなったのに。やっと、生きる意味が見え始めたのに。悔しいな。

「ごほっ!」

(まずい! 解除だ!)

 吐血した大介は、既に気を失っていた。鼻や耳からも血が流れ出している。

(ここまでだな)

(おう! またな! とっとと帰れ!)

 グレムリンがプログラムを解除すると、大介の足元に光っていた魔方陣が消える。そして、巨人は崩れ落ち、溶岩が地割れに吸い込まれていく。


 大介の前方数キロは、飛び出していた岩と地割れが地中に戻り始め、焼け野原に変わっていった。

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