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五話

 自分の身に何かが起きた。その何かは、後ろめたいものがすぐに思いつける大介には、想像が難しくない。顔は青ざめ、呼吸と共に鼓動も早まっていく。

 全面が金属でできた部屋の、一つしかない扉を見つめてすくみ上っていた。部屋を支配する静寂が、より恐怖を大きなものへと変える。

 しかし、どれほど待っても部屋に何の変化もない。時計のない部屋で、大介の神経が削られていく。

 気が付くと、大介は扉に向かってしゃべりかけていた。誰も入って来て欲しくはない。

 だが、生殺しの様な現状にも、耐えられない。それが声として表現されていた。

「誰かいませんか?」

 耳をすまさなければ聞こえないほどだった声は、徐々に大きくなる。そして数分後には、力の限り叫んでいた。

 不快感から逃げ出したい。この本能に抗えない大介が出来たのは、叫ぶ事のみだった。


……あの人は、僕にとって神にも等しかった。

 しばらくして叫び疲れた大介は、ぐったりとしている。薄暗く、床に固定された椅子以外には何もない部屋。

 その部屋の椅子に複数のベルトで拘束された大介は、何も出来ない。

……あまりにも眩しくて。触れてはいけない存在だと、分かっていたのに。

 大介は、校内でいきなり意識を失った。何がおこったかも分からない彼には、瞬きをしただけで瞬間移動したようにも思えるだろう。

 実際には、魔法で気を失わされ、この部屋に運び込まれたのだ。

……僕は、馬鹿だ。あの人に近付いてはいけなかったんだ。

 グレムリンを召喚した事が、いつかばれるのではないか。この恐怖は常に抱えていた。

 しかし、一週間以上何も起こらなかった事で、上手くいくかもしれない。そう、自分を安心させるように思い込んでいた。正確には、思い込もうとしていたのだ。

 当然、現実はそれほど甘くない。


****


(ふん。どうするんだ? メガネ)

「元の世界に自力で帰るほどの魔力もないのに、不遜な態度だな」

(それくらいの覚悟なしに、何かをするほど馬鹿じゃない。俺を舐めるなよ)

 大介が閉じ込められている場所から少し離れた部屋で、端末内のグレムリンは不機嫌そうに座り込んでいる。机の上に置かれた端末は、椅子に座った舟橋教諭からその画面が見えるように、壁に立てかけられていた。

「しかし、犯人があの寺崎だとは思いもしなかった」

(犯人か)

「最近、サーバーのデータが何者かに改ざんされた。そして、本来使えない場所で、魔法が使われた痕跡が見つかっている」

 舟橋の言葉で、グレムリンはおおよその状況に察しがつく。グレムリンの魔法によるデータ改ざんは、うまくいっていた。

 ただし、犯人の正体を隠す事までであり、全てをなかった事に出来るほどはあざむけていない。グレムリンが知らない科学技術もしくは魔法技術で、痕跡をたどられていた。そして、それを行う組織がどこなのかも大体の見当はついている。

(ふん)

「どちらも違法なのは知ってるな? そして、直接召喚は極刑もあり得る重罪だって事も」

(けっ! 知ってるよ)

 そっぽを向いたままのグレムリンは、足を組んでコーヒーを飲む舟橋を見ない。その代りに、言い訳をする気もないようだ。

「意外だな。誤魔化そうとしないのか? 自分は使役契約で呼び出されただけで、何も知らないとか」

(俺は、自分を完璧なんて思ってない。データはうまく書き換えたつもりだが、絶対ばれないとは思ってなかった)

 グレムリンを見つめている舟橋は、不気味な笑みを浮かべている。誰が見ても、何か思惑があると考えるだろう。

「お前は、なかなか頭がいいようだな。これなら、話がしやすい」

(さっさと要求を。いや、命令を言えばいいだろうが)

 コーヒーカップを机に置いた舟橋は、顔を端末に近付ける。

「お前を、いろいろ脅して交渉する予定だったんだがな」

(時間の無駄だ。殺したいなら殺せ。それくらいは覚悟している)

 鼻から大きく息を吸い込んだ舟橋は、目を見開く。

「寺崎は、なかなかの逸材だ。そして、騒ぎ立てる肉親もいない。あいつが欲しい。俺の駒として」

(まあ、そうだろうな)

 分かっていたと言わんばかりのグレムリンが、閉じていた左目を開く。

(うおっ!)

 そこには、鼻息の荒い舟橋の顔が端末に、ぎりぎりまで接近していた。

(きもいわ!)

「おっと、悪いな」

 グレムリンとの会話が楽しいのか、笑っている舟橋は身を乗り出したままだ。だが、相手の反応で端末と顔の距離を、少しだけ離した。

「お前は、色々知っているようだな。どこまで知っている?」

(こっちに来て、まだ日が浅いんでな。全部分かってるわけじゃない。だが、推測ぐらいは出来る)

「うん。続けてくれ」

(お前が所属してるのは、裏の組織的なもの。それで、その組織があいつに目を付けた)

 グレムリンがあえて裏の組織と言ったのには、明確な思惑があった。この状況でも鎌をかけ、可能な限り情報を引き出そうとしているのだ。会話の中でもピースを拾い集め、パズルを解こうとしていた。

 それを知ってか知らずか、目を閉じた舟橋が何度もうなずいている。そして、しばらく何かを考えて自分の端末をポケットから取り出した。

「このグラフがなにか分かるか?」

 舟橋の端末には、グラフ表が映し出されている。その六角形のグラフは、四種類に色分けられていた。

(持久力に瞬発力。誰かの身体能力か?)

「とぼけるな。分かっているんだろ?」

 自分のおでこにある角を撫でたグレムリンは、溜息をついた。グレムリンとしては、舟橋と喋るのがあまり楽しいとは思えないようだ。

(あいつのデータだろ?)

「その通り。十七才男性の平均値が、この一番小さなグラフ。次に、魔技の代表選手。そして、二十代軍人の平均だ」

(一番大きな、枠をはみ出してるのが、あいつのだな)

「そうだ。魔技で何故全力を出さないかは分からないが、こうやって見れば一目瞭然だ。あれは、選ばれた才能がある」

 舟橋と喋るグレムリンに、不快感が増していく。ただ、この流れはグレムリンの中では、想定内の出来事だ。

 不快感の原因を、言葉で表すなら同族嫌悪となるだろう。薄暗い部屋で怪しく光る舟橋の瞳は、端末の中で笑う自分と似ていると分かっているようだ。相手を推し量るのは大好きだが、自分の腹を探られるのは好きではないらしい。

「これで、こっちの思惑は伝わったよな?」

(だいたいはな)

「じゃあ、次はそちらの情報を貰おうか」

 メガネの奥にある舟橋の目は、笑っているがその冷たさを増していく。

 ぼさぼさで寝癖のついた髪。黒い色をしたハーフフレームの、眼鏡。灰色の背広。そして、ネクタイをせずに柄物のシャツを着ている。いつも教壇に立って、生徒達を笑わせる姿となんら変わりはない。

 だが、邪悪さを感じさせる顔のせいで、別人にしか見えないだろう。

(なんの情報だ?)

「契約内容を聞こうか?」

(あいつを楽しませる代わりに、魔力を貰う。それだけだ)

 グレムリンは、正直に話す。嘘はついていない。

 だが、大介に隠したのと同様に、全てを説明したわけではない。

「このペテン師め」

 舟橋は、すぐさま重要な部分を見抜く。

「それだと、説明不足じゃないか? 寺崎にも同じ説明を?」

(ふんっ!)

 分かっているだろうと言わんばかりに、グレムリンは顔をそむける。舟橋に隠し通せるとは思っていないようだ。

「その契約だと、魔力の供給が出来なければ、寺崎は魂を持って行かれる。だが、お前は違うよな?」

 返事をしないグレムリンを無視して、得意げな舟橋は言葉を続ける。

「楽しませなければ、魔力を貰えないだけだ。そして、寺崎が死ねば契約は自動的に破棄される」

 グレムリンとの交渉に、落としどころを見つけた舟橋。その唇はいびつに吊り上り、歯が見えるほどの笑顔に変わっていた。

「お前もリスクがないわけじゃないが、ずいぶんと都合のいい契約だな?」

(お前にとやかく言われる筋合いはない)

「確かに、異界の住人と不用意に契約を結んだ、寺崎のミスだな」


 コーヒーを一口飲んだ舟橋は、椅子の背もたれに体重をかける。

「もう一つ教えてくれないか? お前の種族と、能力を」

 まっすぐ正面を向いて立ち上がったグレムリンは、胸を張る。そして、腕を組み、誇りを持って言葉を投げつけた。

(俺は、グレムリンっ! 金属と機械を自在に操作できる! 覚えておけ!)

 グレムリンの言葉を聞いた舟橋が、真顔に戻る。そして、急いで自分の端末を操作した。

 椅子が倒れる音と同時に、舟橋の魔法が発動される。

(ちっ!)

 舟橋の顔色を見て、グレムリンはわざと舌打ちをした。自分には力が残っていると、思わせる為にだ。

 実際には村川達との試合で、端末から抜け出すほどの魔力は残っていない。

 だが、グレムリンの事を知っているらしい舟橋は、大介の端末が置かれた机に、光の魔方陣を出現させた。これは、グレムリンの魔法が使えなくする為のものだ。

 グレムリンの怖さが伝わっているのは、舟橋の額にしみだしてきた冷や汗で分かる。

 このブラフが、さほど効果はないとグレムリンにも分かっていた。だが、手を抜きはしない。

「まさか、あのグレムリンか。こんな所でお目にかかれるとは、思ってもいなかった」

(どうだ? 光栄だろう?)

 舟橋は急いで立ち上がった際に倒してしまった椅子を、元に戻した。そして、一瞬でからからになった口内を潤す為に、コーヒーを飲み干す。


 両手を口元で組んだ舟橋は、しばらく沈黙する。腕を組んだまま胡坐をかいて座ったグレムリンには、この意味が分かっていた。自分の種族が忘れ去られた理由。

 それは、グレムリンが、人間にとってあまりにもリスキーな存在だからだと分かっていた。有機物ではなく、金属や機械が世界の多くをしめている現在では、グレムリンの魔法はもたらされる利益と同じだけの危険を持っている。

 もしかすると、過去に人間へ迷惑をかけた同族も存在するかもしれないとグレムリンは、推測している。

 グレムリンとは元々、人間に金属加工などの知恵を与え、神の様に敬われていた。だが、時代とともに慢心した人間は、敬う心を忘れる。そして、気分を悪くしたグレムリン達は、悪戯しかしなくなった。人間にとってグレムリンは、友好的な種族ではないだろう。

 ここまでの会話を読んでいたからこそ、グレムリンは最初に殺される覚悟があると言った。そして、舟橋からの判決を静かに待つ。


「魔法でお前の自由を制限する」

 数分後に口を開いた舟橋は、鋭い眼光を大介の端末に向ける。

 いつの間にか舟橋に背を向けていたグレムリンは、にたりと笑った。異世界に送り返すわけでもなく、殺し訳でもない。ただ、リスクを下げようとしている。

 つまり、舟橋はグレムリンがもたらす利益を、手放せないと判断したのだ。顔から笑みを消したグレムリンは、真剣な顔を作る。そして、振り向いた。

(まあ、仕方ない。死ぬよりはましだな)

「かなり強く制限するが、悪く思わないでくれよ。お前は危険すぎる」

(いいだろう。協力してやる)

 グレムリンの言葉で、舟橋は額の汗をぬぐった。

(だが、こちらからも要求を出すぞ)

 緊張を緩めた舟橋は、目を細めた。グレムリンを警戒しているようだ。何時でも魔法を使えるように、自分の端末はしっかり握っている。

(そう警戒するな。俺の要求は、情報が欲しいってだけだ)

「本当にそれだけか?」

(嘘はつかない。喋れることだけでいいし、あいつに黙ってろって言うなら、黙っててやる。契約を結んでもいい)

「で? 何を聞きたい?」

 左目を大きく見開いたグレムリンは、舟橋を凝視する。

(この作られた世界の、裏。もしくは、外の情報をよこせ)

「どこまで知っている?」

(何にも知らないぜ。だが、この世界がおかしいことくらいは分かってる)

「お前が、前回この世界に来たのは?」

(二十世紀くらいだな)

「この世界のどこがおかしいんだ?」

 大きく息を吐いた舟橋は、覚悟を決める。

(まずは、そうだな。犯罪者の中に、反社会的な人間がほとんどいないのは何故だ? 我を通す国もないみたいだしな)

「この世界が、自分を善人と信じる人間によって作られたからだ」


 舟橋は語る。大介達一般人が知る事を許されていない、裏の世界について。

「二十三世紀の世界戦争は、知っているな?」

(ああ)

 進化の行き詰まりにいた人類を襲ったのは、資源の枯渇、食料不足、新しい疫病の蔓延等、解決し難い問題ばかりだった。そこで、政治家達は戦争を始めてしまう。

 限られた地球と言うビスケットを、より多く自分が食べる為に。正義の名を掲げて。そして、地球は徐々に人間が生きられない星へと変わった。

 そんな人類を救えたのは、政治家でも、軍隊でも、民衆でもない。一部の天才と呼ばれた研究者達と、その研究に資金を援助した資産家達だった。地球を脱出する力を持っていたのは、その者達だけだ。

 可能な限りの資源を宇宙船に詰め込み、限られた民衆を乗せてそれは地球を出る。俗世の汚れに塗れていない研究者と、世の中の酸いも甘いも全てを噛み分けた資産家。宇宙船や魔法の研究と同時に、理想の世界を考えていた。それが、争いのない今の世界。

 その世界に不要と思える人間は、全て地球へ意図的に残してきたのだ。

 時として純粋な人間ほど、残酷になる。地球に残されたのは、争いを好む人間だけではない。難病に苦しむ人間や、高齢者も宇宙船には乗せてもらえなかった。

(そんなこったろうと思ったぜ。人間は、戦う事が大好きだからな)

「歴史を見ても分かるよな。で、作られた理想の世界だが」

 首を小刻みに左右にふりながら、溜息をついたグレムリン。

(人間ってのは、損をするのは死ぬほど嫌いで、自分だけが得をするのが大好物なんだよな?)

「その通りだ」

 どんなに完璧な法を作り、警察組織を真っ白にしても、人間に知恵がある限り業からは逃げられない。必ず不穏分子は湧いて出る。

 それを処理する裏組織が必ずあると、グレムリンは睨んでいた。そして、舟橋はその軍隊とも特殊部隊とも言える組織の人間だ。

(政府公認の組織か?)

「ああ。非公認なのは、全部敵だ。それを、民衆に気付かれずに排除するのが、俺達の仕事だな」

(この話をあいつには?)

「寺崎にか? 俺から話す予定だ。好きに言え」

 作られた世界の悪戯に飽き始めていたグレムリンの胸は、高鳴っていた。楽しいとしか思えないようだ。

(ところで、もう一つ教えろ)

「なんだ?」

(服装についてなんだがな。昔とほとんど変わってないのは、なんでだ? もっと、未来人チックになっててもいいんじゃないか?)

「お前が未来を、どう想像したかは知らない。だが、服なんかに労力を裂けるほど、余裕がなかったんだ」

(ああ、それでか)

「ここまで平和になったのは、たかだか五十年前。それまで、惑星を探して、食料を確保して、資源を掘り起こして。生きるだけで、精一杯の時代が千年以上続いたんだ」

(だいたい分かった。情報が必要になったら、またよろしくな)

 緊張で肩がこったのか、舟橋は椅子に座ったまま肩を回した。そして、大介の部屋に向かおうと立ち上がる。

(おっと、あいつの所へ行くんだろ?)

「そうだ。勧誘してくる」

(なら、一ついい事を教えてやる)

 怪しく笑うグレムリンは、楽しいと思う事に全力を出す。そして、心の鍵を平然と差し出す。それが他人の物だったとしても。


****


 閉じ込められていた部屋は、完全防音らしく、扉が開くまで何も聞こえなかった。

 ぐったりとしていた大介は、突然開いた扉の音に体をびくりと反応させる。そして、今にも死にそうな表情で入ってきた人物を見つめた。背広を着た長身の、大介がよく知っている人物。

「えっ? あっ? えっ?」

「寺崎。お前、死刑だぞ? 分かってるのか?」

 とても冷たい声を出す舟橋は、日頃とは違う雰囲気を出している。こちらが本当の姿なのだろう。殺気とも取れるオーラを纏っている。

 死刑の言葉を聞いた大介は、視界が定まらなくなり、呼吸を忘れた。

 ぷるぷると震える大介を、舟橋は無言で見つめる。見極めようとしているのだ。これで壊れるほど脆い心ならば、完全に壊した後で人形として使う。立ち直るならば、その強さを利用する。

 一度、目を閉じた大介の震えが止まった。グレムリンと契約してから、どこかで覚悟は決めていたのだろう。なにより、門倉の言葉で自殺を思いとどまっていただけ。

……あの人を守って死ねるなら。あの人に迷惑を掛けずにいなくなれるなら、構わない。

 目蓋を開いた大介の目から、恐れは消えていた。壊れてしまった心が、本能からくる恐怖を無視したのだ。

「なるほどな。死ぬ覚悟は出来てるか?」

「はい」

 壁にもたれ掛った舟橋は、腕を組む。

「命乞いはしないのか?」

「はい」

「助かる方法はあるんだぞ?」

 肩透かしを受けた大介は、首を傾げていた。

「軍直属の雑用係になるなら、死刑はなくなる。どうだ?」

「はい? あの、それは?」

「答えは、はいかいいえしか受け付けない」

 大介の求めるような声を、舟橋はいとも容易く斬り捨てた。

 舟橋の雰囲気を察した大介は、問いかけても無駄だと理解したらしい。一人で考え込む。

 何故警察ではなく、教師である舟橋がここにいるのか。軍の雑用とはなにか。グレムリンとの契約はどうなるのか。疑問が大介の脳内を駆け回る。

……これで答えろなんて、無理だ!

 まだ青さの残る大介が行きついたのは、理不尽に対する怒り。ゆりかごの中で、守られながら育った大介は、経験が不足している。いままで出会った負の感情を持った人間は、せいぜい軽度の犯罪者まで。狐や狸の類と思える舟橋に対して、グレムリンの様に交渉する力はない。

「いいえ」

 覚悟を決めたのは、正解と言えるだろう。しかし、自分がいいえと言えば、何らかの情報がもらえる。そして、再度の選択権が与えられると考えてしまった。

 だからこそ、その甘い考えが口から出た。

「そうか。残念だ。」

「え?」

「今日中に死刑は執行だ。それまで大人しくしていろよ」

 覚悟を決めていたはずの大介の顔から、血の気が引いていく。助かるのではないかと思えた事で、その覚悟は揺らいでしまっていたのだ。そして、安易に要求に答えるべきではないと考えた、

 だが、何枚も上手な舟橋は、交渉の席にすら来てくれない。舟橋が背を向けた事で、目の前に垂れ下がった蜘蛛の糸に、全力で跳びつかなければいけなかったと、大介にも分かったようだ。

「あっ、あの。えっと、その」

 舟橋を引き留めたい大介だが、どうすればいいかが分からない。ただ、狼狽えている。背を向けた舟橋が、気味悪くにやついている事など、分かるはずもない。

 これが舟橋の交渉術なのだ。相手の心を揺さぶり、自分の優位を盤石なものにする。

 覚悟を決めた大介を、へたに食いつかせないように、一度斬り捨てたのだ。そして、切り札で止めを刺す。

「残念だ。彼女もかわいそうだが、処罰を受ける」

「えっ? 彼女?」

「そう、お前にとって彼女は大事なんだろう? だが、彼女はお前の秘密を知ってしまった。この情報を、外部に漏らすわけにはいかない」

 大介の呼吸が、再び止まる。彼女の為にした事が、彼女の首を絞めてしまった。目眩がするほど精神的に打ちのめされた大介は、涙目になった。

……最悪だ。僕は、最悪。

「待って! 待ってください! お願いします!」

 扉のノブに手をかけた舟橋に、大介はかすれるほど大きな声で叫びかけていた。

 これほど冷静さを欠いた大介は、そう見られるものではない。動けないと分かっていても、椅子から立ち上がろうともがいている。

「どうした? いいえ、なんだろう?」

「お願いします! なんでもします! だから! だからあの人には!」

 扉のノブから手を離した舟橋は、大介に向き直った。そして、わざとらしく溜息をつく。

「仕方ないな。今言った事は、忘れるなよ?」

 願いがかなった事で、大介の全身から力が抜ける。

「はい」

 泣き出さんばかりの表情で返事をした大介は、微かに笑っている。自分がまんまとはめられたとは、思っていない。


 重量のある扉がゆっくり開かれ、首だけを部屋の外に出した舟橋が、誰かに声をかけている。

「よかったな。寺崎がお前を助けてくれたぞ」

 この言葉が、悪意でしかないと大介に分かるはずもない。部屋に飛び込んできた女性は、走って大介に跳びついた。そして、大介の頭を胸元に引き寄せ、力の限り抱きしめる。

「えっ? はい?」

「大介! よかった! よかったよぅ」

……春川? えっ? 彼女って、春川? はい?

 大介は心を落ち着けて、舟橋の言葉をゆっくりと思い出す。舟橋は、一言も門倉とは言っていなかった。そして、自分が手玉に取られたと自覚する。

 舟橋が部屋を出たらしい扉の音を聞いても、反応できない。頭上から降り注ぐ春川の涙を感じても、言葉が出ない。ただ、身動きが取れないまま、茫然としていた。


 彼が全てを受け入れるのには、もう少し時間が必要なのだろう。

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