十二話
人類に残されたたった一つの可能性が、月面に向かって堕ちていく。
……美紀さん。僕、何も出来なかった。
「ちくしょおおぉぉぉ!」
幽世に引き戻されるグレムリンは、無意識に涙が流れ出すほど感情を爆発させた。
(悔……し……い……よ……)
絶望の大きな笑い声が、現世と異世界に響き渡る。
(美紀……さん……)
人間は死の瞬間に、人生の走馬灯を見る。時間の関係なくなった青年が、最後の瞬間に思い出すのは、愛する女性の記憶。
『愛しい大介』
青年が愛する女性は、魂だけの存在となりながらも語りかけた。
『私の全てをあげる』
そして、青年に全てを捧げた。
自分自身の魂すらも。
『だから……』
その超自然現象は、簡単には起こせない。
『大介の思うままに、生きなさい。全力で!』
だからこそ人は、それを奇跡と名付け……。
魔法として分類した。
大介に纏わりつく運命と絶望を、一人の女性が振り払う。
月面に大介の体が触れた瞬間、辺り一面を眩しいほどの光が照らしだした。大介の魂で眠りについていた一人の女性が、目覚める。
笑っていたはずの絶望は、顔をひきつらせ、声を失う。それは、運命の反転。運命とは、誰に対しても常に平等である。絶望だけに味方するわけではない。
現世で途絶えた人類の未来を、異世界の住人が新たに紡ぎ出した因果の鎖が繋ぎとめたのだ。そして、明日へとつながる新たな扉が姿を現す。
それに至る可能性は、限りなく無に等しかった。
船団は、月の衛星軌道上で大介を待ち伏せた。
アースを名乗った異世界の住人達が、グレムリンへの復讐を考えた。
最高指導者が、大介達をより苦しめる為に仕組んだ。
美紀が魂を含めた全てを、愛する青年に捧げた。
グレムリンと大介が、反逆を選択した。
神代の化け物達が、一人の人間を命懸けで信じた。
大介が異世界の住人達が考えた策さえこえ、最終局面へたどり着いた。
誰からも心を閉ざしたはずのグレムリンが、大介を本当の義兄弟と認めた。
人は偶然の折り重なった結果を振り返って、運命や奇跡を思い描く。そして、その偶然こそ必然だったと語り継ぐ。
確かにそれは間違いではない。異世界の住人が、自分達の生き残りをかけて仕組んだ必然が、運命の歯車として組み込まれている。
だが、大介とグレムリンが出会えたのは、本当の偶然だ。もしかすると、それこそが本当の神が仕組んだ悪戯かも知れない。
『大介! まだよ!』
……えっ?
『まだ終わってないなら、立ちなさい!』
……美紀さん?
『戦いましょう! 最後まで!』
……はい!
『大介は私が守って見せる! 絶対に!』
大介の魂が燃え尽きる寸前で、内部から美紀の魂が支えた。そして、大介の全身が真っ赤に光り、膨大な量の雷を放つ。
大介の肉体が半分以上死んでいる為に、その状態が維持できるのは刹那の時間だけだ。だがそれこそが、運命の扉を開く最後の鍵。
****
「情けない。ほれ、自分で立て」
幽世に落下していたグレムリンを、三つの影が受け止めた。
「はっ? カネ?」
グレムリンを支えたのは、戦友である三人だ。その四人を、信じられない数の異世界の住人達が取り囲んでいる。
「こちら側で、最後の鍵となるのはお前だ」
「デイダラの……お前……」
幽世に、言葉は必要ない。
世界を作ったとされる神の一人と人間に認知されているデイダラボッチから、全ての情報がグレムリンに伝わった。
「出来るな? 一箇神?」
知神の腕を振り払うように一人で立ったグレムリンは、いつもの悪者にしか見えない怪しい笑みを浮かべる。
「うけけっ! 誰にいってやがる! 俺を舐めんなよ!」
「ふんっ! さっきまで泣きべそをかいていたではないか」
「五月蝿ぇなっ!」
瀬戸際でも喧嘩を始めよとした二人を、雷神と武神が止める。
「止めろ、お前等! 馬鹿か!」
「カネも、煽んなってぇ」
火の玉に開いている目が、上空を見上げる。
「こちらの準備は、万全だ」
火の玉が見つめる先に、グレムリンも視線を向けた。
神々しく輝く三人が浮かんでいる。その三人の体から漏れ出す強い光は、三角形の魔方陣を作っていた。
「三……貴神? マジかよ」
三人が作り出した魔方陣は、呪力を変換する。グレムリンと大介に向けられた憎悪や期待といった様々な思いが、魔法の贄として使用されるのだ。
「お前よりは、顔が利くもんでな」
太陽、地球、月にため込まれていた規格外の魔力が、大介とグレムリンへ糸をつけた。
「仕方ねぇ! いっちょやるかっ!」
魔法に必要な全てが、作られた偶然として揃う。
万を超える異世界の住人達が、腕を上げ魔方陣に両掌を向けた。そして、空前絶後とも思える大魔法を発動させる。
《究極結界! 幽世! 発露おぉぉ!》
****
グレムリンが叫ぶと同時に、幽世ではなく現世に変化が起こる。
「なんだ? 何がおこった?」
アース船団に乗っている異世界の住人達が、慌てふためく。
地球を中心とした広大な宇宙空間が、幽世と呼ばれる異世界に変わったのだから、驚いて当たり前だろう。
「この膨大な魔力は、どこからきている?」
時間の制止した世界でも、魔力を通わせた船は正常に機能した。
最高指導者は、操舵室に走った。そして、部下を押しのけ、魔力の発信源を特定する。
「寺崎……大介ぇぇ!」
操舵室の大画面に映し出された大介は、月面でしっかりと立っていた。その大介の体は今まで以上に赤みを増して輝き、月半分を覆うほどの放電を行っている。
閉じていた目を開き、両腕を広げた大介は幽世からの言霊に従う。
《極限召喚! 八百万!》
大介は幽世に集まった全ての住人を、召喚した。
「うおおおおおぉぉぉ!」
数えられないほどの異世界の住人が、大介の魂を媒介に現世へと飛び出す。瞬く間に、大介の背後が半透明な人影で埋め尽くされた。
(何? これ?)
(えっ? えっ? 動けない)
幽世の中では、魂や魔力の本質を知らない人間は、動くことも出来ない。魂の力が弱い人金に至っては、言霊すら扱えない状態だ。
しかし、アースの兵士達と、転移してきた山本達は魂で目撃した。
(見える? なに? これ? 船が透けてる?)
(あれは、大介? なの?)
クロエ達にも、はっきりと大介の姿が見えた。そして、敵の真の姿も、門倉達アース兵士の目に映る。
(嘘……嘘よ)
「イチィィ! これが、お前の策かあぁぁ!」
最高指導者の持つ優れた頭は、いち早く状況を理解した。そして、仲間に指示を出す。
「敵は完全体じゃない! この船団なら、返り討ちに出来る!」
「はっ! はい!」
「戦闘準備だ! 急げ!」
アースの最高指導者が見抜いた通り、百万を超える召喚は完全ではない。戦死者を出さない為に、御霊の形で召喚されている。
幽世の中なので、その状態でも戦えるが、異世界で発揮できる本来の力は損なわれていた。何よりも、要である大介が倒されれば、魔法自体が効力を失う。
だが、敵はこの策をとった本当の目的を、まだ理解していない。
「我等五人はいつも通りだな」
一番早く出てきた武神が、他の住人と違い勾玉の形へと変化する。
「私達には、これが一番向いている」
「あっばっれるぜぇぇ!」
遅れて出た知神と雷神も、すぐに体を変化させた。
「さあ! 悪戯の時間だああぁぁぁぁぁ! 気合を入れろ! ブラザー! 」
四つの勾玉を取り込んだ大介は、異世界での全てを知る。そして、気合の入った目で笑う。
一際美しく輝く美紀の魂を、抱いたまま。
「師匠! イチさん! 行きます!」
召喚を終えた大介は、母船に向けて月面から飛び立つ。幽世では、重力にも時間にも縛られない。
「撃て! 撃ち続けろ!」
船に乗っている敵が、やっと大介達の策を理解した。そして、青ざめながら船の兵器を放つ。
最高指導者は、異世界の住人が乗っていない船も使って、砲撃を続けていた。
「おいおい、必死だなぁ」
「気持ちはよく分かるがな」
大介の中にいるグレムリンと知神は、その光景を見て鼻で笑う。
異世界の住人達は、不完全な状態で召喚された。それは現世で消滅させられても、死なない状態だ。
つまりは、自爆覚悟で数百万の軍勢が、船に突撃していく。実体をもたないその軍勢は、一人一人の力は弱い。だが、数に圧倒的な差がある。その上で、魂だけの状態になっており、実体を持ってしまった敵よりも速く動けているのだ。
門倉と舟橋が指揮をしていた船団の攻撃を、いとも簡単にすり抜け、百しかない敵本船団に軍勢が向かって行く。
ある者は船の砲撃で消し飛び、またある者は船に体当たりをすると同時に消えた。だが、象に群がる軍隊蟻のように、船は端から駆逐されていく。
船内にいる敵は、軍勢の波状攻撃を受けて、一人また一人と倒れていった。ハイブリッドボディを捨てて、逃げ出そうとした者もいたが、すぐに万単位の住人達に取り囲まれる。
異世界の住人達は最強の群れを、馬鹿げた数の暴力で、個に貶めたのだ。
動く事の出来ない人間と人金は、その光景を魂の目で観戦し続ける。大介以外にその空間で動くことが出来る者がいないのだから、仕方がない事だろう。
「貴方だけでもお逃げください!」
母船にいた部下二人は、最高指導者を救命艇に押し込み、射出ボタンを押した。
「んっ? まずい! あれだ!」
グレムリンの叫びで、魔法の砲弾を掻い潜り、船を拳で砕いていた大介が救命艇に目を向けた。
魂の目で見る事で、その救命艇に誰かが乗っている事は分かる。
「間違いないのか?」
「ああ! あれに奴が乗ってやがる!」
「どうやら、当たりだ! 先に行け!」
「はいっ!」
大介達に直接ぶつけようと加速した母船を見て、武神が大介の中から飛び出した。
「ぬおおおおぉぉぉ!」
そして、一人で巨大な母船を止める。
「手伝おう!」
「ぐうう! 恩に着る!」
デイダラが、武神のいる船首を巨大な体で掴む。魔力エンジンの加速と、武神達の圧力に挟まれた母船は、そのままくの字に折れ曲がる。そして、母船の大爆発は、周りにいた異世界の住人をも巻き込んだ。
「急げ! 結界内から出られたら、アウトだ!」
「うおおおおぉぉ!」
光の弾丸となった大介は、救命艇に追いつき扉を無理矢理こじ開けた。
「ぬあああぁぁ!」
大介が力任せに押し潰した扉の中には、剣を振り上げた完全体ハイブリッドが待ち構えていた。
「負けんなよっ!」
雷神は勾玉のまま大介の中から抜け出し、雷の弾丸としてそのハイブリッドを撃ち抜いた。
「ぐぎゃあああぁぁ!」
ハイブリッド内部で全ての力を使ってはじけ飛んだ雷神は、中にいた敵と対消滅する。敵が乗っていたハイブリッドボディは、焼け焦げて煙を噴き出しながらその場に倒れ込んだ。
「くそおぉぉ!」
最高指導者も、剣を構えて大介を睨んでいた。ただ、敵が見据えているのはグレムリンだ。
「さあ! 最後だっ! 兄貴!」
「イチィ! お前って奴はあぁぁ!」
……美紀さん! 行きます!
最高指導者が、正眼に構えていた剣を振り上げ始める。
……遅い!
ハイブリッドボディの限界速度で剣を振り上げられている最高指導者だが、それ以上の速度で大介は踏み込んだ。そして、敵の腹部に渾身のボディーブローを撃ち込む。
「うん? まだだ!」
敵の動きを冷静に先読みした知神が、大介の体から飛び出す。
「くっ! はなせっ!」
ハイブリッドボディを捨て、体から抜け出した最高指導者はグレムリンと同じ容姿をしている。ただ一点、グレムリンと違うのは、右ではなく左目が傷で潰れていた。
知神に背中から羽交い絞めにされたその最高指導者は、必死にもがく。
「時間がない! 来い!」
大介は、ハイブリッドボディを貫いていた拳を引き抜いた。そして、そのままその拳を最高指導者に向ける。
「貫けえぇぇ! ブラザー!」
「いっけえええぇぇぇ!」
大介の拳から放たれる放電現象が、強くなっていく。
魔力が高まるだけでなく、雷の色も変わっていた。グレムリンが自分の全魔力を、拳に流し込んでいるのだ。
血のように赤黒い稲妻を纏った大介の右拳が、敵を知神ごと撃ち抜いた。大きな破裂音と共に、四人は爆発する様に広がる雷に飲み込まれていく。
知神が、笑って消えていった。
それに続く様に、最高指導者は凄まじい怒りの表情を浮かべて霧散する。
……やった?
「ああ。やったぞ、ブラザー」
力をほとんど使い果たした大介は、そのまま救命艇を出る。そして、自分が先程倒れ込んだ月面に向かう。
異世界の住人達はかなり数を減らしたが、敵を殲滅しその場所で大介の帰りを待っている。
……終わった。終わったよ。美紀さん。
「二人とも。大義であった」
大介の前に、地球と月と太陽を司る三人が、姿を見せた。
「この空間は、我らが帰還すると同時に、消滅する」
「はい」
大介は笑う。
一切の淀みなく、笑いながら返事をした。
「その前に、お前達に褒美を取らそう。好きな願いを、一つずついうがよい」
大介はいつの間にか分離して、自分の隣に立っているグレムリンを見下ろした。笑顔から驚きの顔に変わっている。
「我等で可能な願いなら、なんでもかまわんぞ」
「ん、じゃまあ、俺からは……」
グレムリンからの願いを聞き、三人は眉をひそめた。ほとんど使い果たした魔力を、グレムリンは要求するだろうと思い込んでいたからだ。
「まあ、あの男は死んでるからどうしようもないとして、あそこで倒れてる嬢ちゃん。あれ、助けてくれ。時間止まってるし、まだ死んでないから、お前達ならいけるだろ?」
グレムリンは霧林を指さしつつ、もう片方の手で大介に親指を立ててみせる。
嬉しそうに笑う大介も、三人に目を向けた。
「この人を……この人に幸せをあげたい」
自分の胸に手を突き刺した大介は、光の球体を掴みだした。それは美紀の魂だ。
「転生……ならば可能だが……。それでもよいのか?」
「はい。お願いします」
三人は霧林の傷を癒すと同時に、アースの船内へと転移させた。そして、大介から美紀を受け取る。
大介とグレムリンは、その場に座り込み、笑いながらその光景を見つめていた。
「では、さらばだ」
三人と共に、他の住人達も異世界へと戻っていく。残されたのは大介とグレムリンだけだ。
「最高の気分だ」
地球を見つめて座る大介に、グレムリンは顔を向けない。
「これでよかったのか?」
「うん! 僕はもう何もいらない」
「そうか。何よりだ」
「ねえ? イチさん?」
「おう?」
大介もグレムリンに顔を向けず、問いかけた。グレムリンが兄貴と呼んだ、敵の事について。
「一応。あれが、俺の兄貴だ」
「イチさんは、お兄さんを裏切ったの?」
「おう。兄貴は腹黒い俺と違って、真っ白で真っ直ぐだった。だから、俺みたいに途中で投げ出せなかったんだ」
「もしかして、お兄さんの事を思って裏切ったの?」
グレムリンは、大介の言葉を鼻で笑う。
「いいや。真っ白い兄貴が、俺は嫌いだっただけだ」
「イチさんは、最後まで嘘つきだね」
「うけけけけっ」
「ふふっ、あははははっ」
二人は笑う。月面に座り、地球を見つめながら。
幽世だった空間は、どんどん縮小を続けていた。その縮む速度は徐々に速度を増していき、もうすぐ消えるだろう。
「ねえ?」
「なんだ?」
「なんで、僕を選んだの?」
グレムリンは頭をぼりぼりと掻き毟ってから、説明する。
「なんか……な」
「うん」
「お前が、昔の俺に似てたんだよ」
「昔のイチさんに?」
照れながら、グレムリンが鼻の頭を掻く。
「俺の種族は、弱くてな。魔力が強い奴等に、しょっちゅう追い回されてた」
「うん」
「俺達の世界にある、辺境の端っこ。そこまで追いやられたんだ」
「うん」
グレムリンはその当時を思い出し、目を閉じる。
「それも、頭のいい兄貴のおかげで逃げのびたって言ったほうが、正しいな」
「そんなに、ひどかったんだ」
「金属でできた岩山に、魔法で穴をあけてな。隠れて暮らした」
「こっちに来る前は、やる気がなくなってた言ってたよね?」
「死にもせず。生きもしない。そんな感じだった。どうだ? 分かったか?」
「うん。よくわかった」
迫ってくる幽世の終端を見たグレムリンが、立ち上がる。それと同時に、赤く光ったままの大介も勢いよく立った。
「さて、俺も帰るぞ」
「うん。ありがとう」
グレムリンは一度だけ、月面に転がる大介の体を見た。心臓を潰され、噴き出した血でシールドが内側から真っ赤に染まっており、顔は確認できない。
魂だけの大介も、それを笑いながら見つめる。
「楽しかったぜぇ。ブラザー」
「僕も。最高だったよ。兄弟」
目を閉じて消えようとしたグレムリンが、思い出したように目蓋を開いた。そして、大介に顔を向ける。
「俺の魔力もほとんど残ってない!」
「えっ?」
「だから、すぐにそっちに行く! ちょっと待ってろよ!」
返事をせずに大介が、笑う。
「三途の川ってなぁ、観光名所のはずだ! バイトでもして、時間を潰してろ!」
大介の笑って細くなった目から、魂と同じ真っ赤な涙が流れ出した。
「いいな! 待ってろよ!」
大介がうなずくと同時に、現世から幽世が消えた。
アースとエウロパの各連合船団は、動かない。彼等は、一秒にも満たないその光景を確かに見た。だが、何一つとして証拠がない。
現実に残ったのは、壊滅したアース本船団の残骸と、月面にある二つの屍だけだ。残された人類には、まだ多くの問題が残っている。
だが、それは彼等が解決すべき問題だ。反逆者と呼ばれた二人は、もういない。
もう二度と動かなくなった青年を、母なる星が悲しそうに見つめている。
FIN