四話
学校指定のブレザーを着た大介は、自宅へ向かって歩いていた。その彼の様子を他者が表現するなら、ぼんやりもしくは心ここにあらずとなるだろう。
午前中で授業が終わり、バイトまで時間の余裕がある。そんな日は、特に余計な思考をしない。これが大介の普通なのだ。
目標もなく生きている。
ではなく、生きる事それ事態が目標。死なないように食事をして眠る為には、お金が必要だ。だからこそ学校に通い、バイトをする。学校も、就職する手段として卒業しようと考えただけだ。
思いがけず出来る暇な時間に、考え込んでしまうと嫌な事ばかり思い出す。だからこそ、ぼんやりと過ごす。
そんな大介も、この二週間は暇な時間が減っていた。理由もとい、元凶はグレムリンだ。グレムリンは、端末から大介に囁き掛け続けていた。
しかしその日は珍しく、黙り込んでいる。大介と語らう以外に、興味をひかれる事があるからだ。
注意力が散漫な大介は気が付いていない。
しかし、複数の監視カメラを目にしているグレムリンは、すぐに気が付いた。大介は、学校を出てからつけられている。それも、その日が初めてではない。
一定の距離を置いて大介の視界に入らないように、常に物陰へ隠れる人物がいた。大介以外の者でも、その追跡に気が付くには切っ掛けが必要だろう。素人にしては、手慣れたストーキングだ。
目をらんらんと輝かせて大介の背中を追う春川は、学校と少しだけ雰囲気が違う。彼女に話しかける勇気はないが、相手の事を知りたいという欲求は強いようだ。
グレムリンは彼女が先兵であり、数々の違法行為が法を守る立場の人間にばれたのではないかと考え、彼女の経歴等をネットで調べていた。
しかし、彼女には該当する過去も、腹積もりはない。自分に優しくしてくれた大介を知りたくて、後をつけているのだ。
幼少時代の春川は内向的ではなく、思ったことをすぐに口に出すタイプの人種だった。歯に衣着せぬ彼女の言葉は、意図せずに他人を傷つける。それが虐めを受けた発端なのだ。元々空気を読むのが得意ではない彼女は、鬱屈した環境で心を歪ませた。
春川の行動を、盲目の愛もしくは、一途な愛と表現する人もいるかもしれない。
だが、相手の事を考えずに行動をおこすそれは、はたして愛と表現していい物か疑問が残るだろう。目をぎらつかせて口元を歪める彼女を見ていると、妄執が適切ではないかと思える。
彼女が学校で孤立しているのには、ちゃんとした理由が存在した。自分に優しくしてくれる女生徒に、近づこうとする。相手の事を考えずに、土足で相手の心に踏みこもうとしたのだ。そのたびに拒否され、孤立していった。
拒否をされれば身を引くのが、彼女に残された数少ない正常な部分かもしれない。そして、外見に心の歪みが出なかった春川は、高校生になってから幾度か男子生徒に告白されている。
しかし、男性に虐められ続けた彼女は、男性を拒絶した。この流れが、孤立の理由なのだ。
そんな彼女が、男性を意識した。大介の行動が、彼女には見返りを求めない、包み込む様な優しさに感じられたらしい。不用意に人との距離を縮めない大介が、他の男性とは大きく別物に映り、神秘的にさえ感じたようだ。
一度好意を抱いてしまえば、全てが自分に都合のいい様に見えてくる。自分を気遣って話し掛けないのではないかと思い、大介に近い席に座って視線を投げかけ続けた。無視を続けた大介を、優しくて誠実で素敵な人と思ってしまったのだ。
不用意に近づきすぎて嫌われたくない。しかし、今すぐにでも近づいて抱きしめてほしい。この相反する思いの板挟みが、彼女に異常ともいえる行動を引き起こさせている。
春川を監視するグレムリンには、その考えが手に取る様に分かっていた。そして、何かに利用できないかと、ほくそ笑みながら端末の中で策を練る。
大介の知らない所で、複数の思惑が交差していた。中心にいるはずの大介は、何も気付けはしない。
****
(ヘイ! ヘイ! ヘイ!)
休み明けに登校した大介。校門をくぐった瞬間に、端末から不快にも思える叫びが聞こえた。
(あれは、何だ!)
(見てわかるでしょ?)
大介が見つめる目線の先には、大きな金属の球体があった。自重を支える為の足が複数生えたその球体は、校庭に置かれている。
(俺が見て分からないから聞いたと思えないなら、お前の頭蓋骨に詰まってるのは脳みそじゃない! ワカメか昆布だ!)
(なんで、海藻限定なの? あれは、ドーム間移動用のバスだよ)
(あれがっ? バス? あのでっかい球が?)
(だから、嘘つかないって)
大介を中心に、半径五十メートルの監視カメラが一斉に球体のバスに向く。
(ばれないでよ?)
(お前! あの! あれ! どうやって進むんだ? 他の車も浮いてるけど、四角くてギリギリ跳べそうだけどもさ! あれは、どう考えても無理じゃないのか?)
(重力をコントロールするんだよ。重力推進なの)
(もう人間こええぇぇぇぇ! てか、おっかねえぇぇ!)
校門で立ち止まるわけにもいかない大介は、靴を履きかえて教室へ向かう。そして、いつもの様に窓際の席に座り、机に端末を接続する。
(超こえぇぇ! あり得なくない? どんだけだよ!)
(イチさん)
(なんだい?)
(流石にもうやめない?)
回線をつなぎなおしても騒いでいるグレムリンに、大介は顔をひきつらせながら意見した。
(ああ。飽きたしな)
端末内で親指を立てるグレムリン。そのグレムリンの考えが読み解けず、複雑な気持ちになった大介は溜息をついた。
(で? あのバス? は、なんでこの学校に?)
(魔技の練習試合だよ)
(昨日メガネが言ってた、午後からの見学って)
(そう。舟橋先生が言ってたのは、代表候補性同士の練習試合なんだ)
(へぇ)
(あのバスは、第二ガルーラだね。午後までには、第一ガルーラもくるはず)
惑星ガルーラのドームは、現在三つ。各ドームに小中学校は複数存在するが、高校は一校ずつである。十代の代表選手はその多くが、この三校より排出されていた。
十九才で代表になる選手もいる。
しかし、学校側のサポートが手厚い十六才から十八才の選手が、ほとんどの選手枠を獲得しているのが現状だ。
(高校同士では競わないのか?)
(一番大事なのは、国だからね。三校の代表選手を全員集めて、班分けをするんだ)
(練習試合で、実力を測るのか)
(そう。三校で五十人集めるから、実力の近い者同士で五班に分けるんだ)
端末は教室の机に接続されたが、監視カメラは尚も校庭のバスを映していた。
(で、練習試合が終われば、一週間の強化合宿に向かうんだ)
(門倉もか?)
(まっ、まあね)
(ふん。ところで、どの高校が一番強い?)
(個人競技だから、高校に弱いとか強いはないよ。ただ、人口が一番多い第一ガルーラは、選手の数も比例してるね)
ホームルームが始まる前に、バスをあらゆる角度から映していた監視カメラの動きが止まる。その代り、校内の監視カメラが、不規則に動き出していた。
その操作をしているのは、グレムリン以外には考えられない。情報の先読みが、主戦力の一つであるグレムリン。グレムリンは何かしらの直感で、校内の情報を集める。特に代表選手を重点的に。
(じゃあ、第一の次は、第二か?)
(いや、今年は第二よりうちが多いね。門倉先輩ともう一人いるんだ。対して、第二でほぼ確定してるのは一人だけ)
(確か第二と第三は、ほとんど人口が一緒だったな)
(うん。第二がちょっと多いだけだよ)
授業が始めると、大介はいつもの様に空を眺める。そして、グレムリンの質問に答えた。かなりの常識を身に付けたグレムリンだが、ネットの情報だけではその全ては吸収できない。足りない部分を大介が補足する対話が増えているのだ。
(中学生は代表選手にいないのか?)
(過去にいなかったわけじゃないけど、普通に考えて無理だよ。中学生と高校生じゃ、レベルが違いすぎる。中学生で出られるのは、天才中の天才だけだよ)
(まあ、そうか)
****
自由時間を与えられた第二ガルーラの生徒達は、武道場で過ごしている。各々が準備運動をするなどして、気持ちを落ち着かせているようだ。練習試合とは、代表候補選手の順位を決めるもので、中には気負いすぎている生徒もいた。
その中の数人が教師の目を盗み、武道場から出て行く。当然、監視カメラを通してグレムリンはその生徒達を観察する。
異世界の住人にとっての直感と、人間の直感は微妙に異なる。人間よりも魔法が身近な物である異界の住人。その直感は、時として予知に近い。
それを使う者によって効果はかなり誤差を産むが、グレムリンは自身の快楽を求める。そして、より危険を伴う心の隙間にたどり着く。
「どうだ?」
「ああ、今度は成功させた。任せてくれ」
「なんだ? その口のきき方は? 舐めてるのか?」
「あっ、あの。ごめんよ。舐めてないよ」
武道場から抜け出した第二ガルーラの生徒、村川は顔をひきつらせた男子生徒の胸倉をつかんで睨みつけている。
それを見つめるグレムリンは、先程までとの違いににたりと笑う。
村川は代表選手であり、周囲の注目を浴びていた。かなり短い頭髪は相手に爽やかな印象を与え、団子鼻ではあるが優しそうな顔をしている。愛想もよく、教師や他の生徒からの評価も悪くない。
しかし、それは表の顔。本心は自分をよく見せる為にどんなことでもする、虚栄心の塊なのだ。現在も、第三ガルーラの生徒である安岡の弱みを握り、利用している。安岡を睨むきつい顔つきが、村川本来の顔なのだろう。
グレムリンは、さらに情報を集めながら、策を練る。大介を楽しませる以上に、自分の好奇心を満たす為の作戦を。
グレムリンに手繰られた運命の糸が、歯車に絡まっていく。じわりじわりと、真綿で首を絞めるがごとく。
****
四時限目終了間際に、グレムリンは大介へ問いかけた。
(魔力は購買で売ってるんだよな?)
(えっ? うん。売ってるよ)
(じゃあ、悪戯の時間だ)
(まさか他校生に? 駄目だよ)
この会話自体も、グレムリンの想定内である。
(練習試合って、重要なんだよな?)
(そうだよ。じゃましちゃ駄目だよ)
(なら、その神聖な練習試合で、ずるをしようとしている奴がいたとすれば?)
(え? ずる?)
空を向いていた大介の視線は、机の端末へ移動する。少し怪訝な顔つきをした大介に気が付いたのは、グレムリンと春川だけだろう。
(そうだ。それも、そいつは他人に危害を加えるつもりだぞ?)
(はっ? どういう事?)
笑いをこらえて、真剣な顔を作ったグレムリンは使う。大介の心の鍵を。
(危害を加えるのは、門倉夏樹に対してだ)
大介は、無言で眉間にしわを寄せた。授業が終わった挨拶の号令を無視して、端末を真剣に見つめ続ける。門倉の名前を出されては、大介も平常心ではいられないようだ。
(どうする? このまま無視してもいいが、そうなるとあの女は大怪我するだろうな。確実に)
笑いをこらえきらないグレムリンは、煽るような顔で大介を見つめる。奥歯を噛みしめた大介の鼻孔が、ぴくりと動く。
(詳しく教えて!)
目を細めたグレムリンは、すぐには返事をしない。
(悪戯に乗らないなら、教えない)
(ふざけないでよ!)
(かっかするな。これが、交渉ってやつだ。乗るなら、指示通りに動いてもらう)
(それは)
(白黒つけようぜ。どうする?)
嫌らしく問いかけるグレムリン。端末を睨んだままの大介の顔は、赤みが増していく。
指示をするというグレムリンの悪戯が、よくないものだとは大介にも容易に想像が出来た。
だが、それに従わざるをえない大介は、一度深く息を吐き、呼吸を整える。そして、覚悟を決めた意思が、目に現れる。
……ここで逃げれば、きっと後で後悔する。
(のった!)
(へへへっ! いいねっ! それだよ! それっ!)
****
購買で買ったパンを見る間に食べ終えた大介は、廊下を歩きながら端末にアタッチメントを取り付ける。
(魔力を増設した)
(よし。十分だ)
(次は倉庫だね?)
(ああ、急げよ。時間の余裕はないぞ)
早足で廊下を進む大介は、春川の追跡には気が付かない。ただ、門倉の顔を思い浮かべながら、グレムリンの指示に従う。
(安岡が犯人なの?)
(そうだ。あのデータを盗み出そうとした時から、監視はしてたんだがな。今日、全て理解できた)
(脅されてるの?)
グレムリンは、安岡と村川についての情報を教える。安岡は以前から春川にカードキーを盗ませて、情報を売っていた。動機は、小遣い稼ぎ。そして、春川を共犯にする事で、縛ろうとしたからだ。
わざわざばれない様に他のドームで情報を売り捌こうとした安岡は、村川に捕まった。
(村川ってのが、曲者でな。自分の地位を脅かしそうな後輩を、グループで襲ったりしていたらしいぞ)
(えっ? 嘘)
(ほんとですぅ! 疑うな! 他のドームからの情報転送に時間はくったが、画像もおさえたんだぞ! 見るか?)
(あっ、ああ、ごめん。後でいい)
村川は代表選手の中では、九位の実力だ。誰かが能力を向上させれば、代表選手から補欠選手に落ちてしまう。当然ではあるが、焦っている。そして、安川を使ってやろうとしている事は、自分に近い代表選手潰し。
(村川ってやつは、男尊女卑の傾向が強いらしくてな。八位の門倉と、十位に昇ってきた第一ガルーラの女を潰したいらしい)
(くそっ! 何考えてるんだ!)
(今回の悪戯は、矢面に立つが)
(分かってるよ! やるったら!)
(へへっ、いい感じに温まってきたな。それだ、そのロッカーを開け)
グレムリンが電子ロックを開錠されていた倉庫で、大介はロッカーに手を伸ばす。そして、手袋をした手で、音をたてないように開く。
(これって)
(そうだ。今回は、これが必要だ)
(何?)
(はぁ? 知らんのか? 皆様ご存じ、ショットガンだよ!)
(銃なの?)
魔法が普及して、すたれていった銃。その銃を大介が間近で見るのは、初めてだった。時間はないが、つい手に取った銃を色々な角度から眺める。
(ソードオフタイプのショットガンだ。弾倉は四つ。ゴム弾だが、それなりの威力はある)
(これが必要なんだよね?)
(そうだ。さっきも説明したが、これがないと絶対に成功しないはずだ)
魔法を唱えた大介の手が、手袋越しに光りだす。金属を操作するグレムリンが、動作確認をしているのだ。そして、作戦の打ち合わせを行う。魔技で特出した実力のない大介が、村川に勝つための作戦を。
****
大介が倉庫を出る頃、武道場で準備運動をする門倉に、一人の女性が話しかけていた。
「始めまして、門倉さん」
「はい? えっと、その制服は第一ガルーラの人ですよね?」
「ええ、霧林早苗です。よろしく」
「ああ! あなたが! 噂は聞いてますよ。よろしくお願いします」
霧林の情報を知っていた門倉は、笑顔で手を差し出す。
柔らかい物腰で、自分から挨拶をしてきた霧林。そんな彼女を門倉が冷たいと感じたのは、その特徴的な目のせいだった。一重で大きく切れ長の瞳が、吊り上っている。運動をしている女性らしく、髪は短く切りそろえられている。
鼻筋が綺麗に通り、薄い唇の彼女は、どこか大人びて見える美人だ。彼女が成人していると聞かされても、制服を着ていなければ疑わないだろう。
「こいつこの前の代表選考で、十位になったんだ。仲良くしてやってくれよな」
霧林の後ろにいた褐色の肌をもつ青年が、門倉に笑顔で話し掛ける。
「浜崎くん。この前より、さらに黒くなってない?」
パーマのかかった長い髪と、白い歯が印象的な青年の名は、浜崎浩太。代表選手の中でも、一番の実力者だ。第一ガルーラに通う彼は、霧林の幼馴染でもある。
「おう、この前焼いてきたんだ。白い歯と、小麦色の肌が、俺のトレードマークだからな」
窓から挿した光を、浜崎の白い歯が反射する。
「あの、門倉さん。聞きたい事があるんです」
「早苗。だから、俺が前に調べたって」
少しだけ顔をしかめて注意する浜崎の言葉を、霧林は無視した。そして、真剣な目で門倉を見つめる。
会話を聞いていない他者からすれば、霧林が門倉を睨んでいるようにも見えるだろう。
「香坂って、私と同じ二年生を知りませんか? 魔技の実力もかなりあるはずなんですが」
「香坂?」
門倉は頭をひねるが、思い当たる人物がいない。
「ごめん。知らないわ。知り合いなの?」
その言葉を聞いた霧林は、俯いた。それを見て苦笑いを浮かべ頬を人差し指で掻く門倉に、浜崎が返事をする。
「中一の時に第三に引っ越しした。俺達の幼馴染なんだ。連絡が取れなくてさ」
霧林の伏せられた顔には、眉間に深いしわが入っている。そして、浜崎もいつもの笑顔が消えていた。複雑な事情があると推測できた門倉は、深くは聞かない。
気まずい空気が流れる三人の元へ、笑顔の村川が安岡達と近付く。
「ご無沙汰だね。門倉さんに浜崎くん」
「おっ? おお、村川か」
嫌な雰囲気を打破してくれた村川を、浜崎は笑顔で迎える。
この笑顔の二人を並べると、違いがよく分かる。浜崎の本当の笑顔に対して、村川は作り物の笑顔だ。どこか気持ちの悪さを感じる。そして、その村川は目的の為に、交渉を始めた。
(よし、来たぞ。準備はいいな?)
(うっ、うん)
一年生用のジャージを着た大介は、懐にショットガンをいれて武道場の外で待機している。
人通りが少ない校舎裏の扉に隠れているのは、それなりの理由があった。正体を隠す必要がある大介は、かなり目立つ外見になっていた。ジャージと一緒に倉庫から借用した、マスクをかぶっているのだ。
文化祭で使用されたそのマスクは、口元まで隠れているが、かなり目立つ。大介が名前も知らないプロレスラーのマスクを、複製したものだ。目元と口元は黒いメッシュ繊維で出来ているが、それ以外の場所は緑の生地にキラキラと光る赤いラインが複数走っていた。見つかれば、間違いなく通報されるだろう。
それでも、それ以外に用意できなかったのは、時間が不足していたせいだ。
(いいな。タイミングを間違えるなよ)
(うん)
(もうすぐだ)
(分かってる)
しゃがんだ大介は、扉の隙間から門倉を凝視する。その心拍数は跳ね上がり、呼吸の回数も増えていた。かなり危険な事だが、門倉の為ならばと大介は既に踏ん切りはつけている。
(安岡も真っ青な顔してやがるな)
(そうだね)
安岡は、前日のサーバールームへ侵入している。そこで、リングのプログラムへ細工をした。ある特定条件を満たすと、リングのフィールドが発生しないようにしたのだ。
そうとは知らない門倉達が、村川達と練習試合をすれば怪我をするのは間違いない。
(村川が持っているのは刃挽きしただけの、ただの剣だ。強度は普通の金属と同じだな)
(自分には魔法のフィールドをかけるんだよね)
(当然だ。だが、事故に見せかける為に、安岡達はわざと門倉達の魔法をくらう)
(そのどさくさに紛れて、門倉先輩を剣で殴るか。最悪、骨が折れるだろうね)
(なかなかこずるいが、まだまだ浅いな。ガキが)
リングは内部からキャンセルをかけなければ、膜が邪魔をして部外者は干渉できない。後は、門倉と霧林を罠にはめるだけだ。
大介とグレムリンが、フィールドプログラムを戻さなかったのには、理由がある。この場で村川達に制裁をくわえなければ、合宿の最中も門倉が狙われる。
っと、グレムリンに説得されたからだ。他の方法もあるが、大介はそこまで頭が回らない。
(あれ? でも、剣を調べれば)
(取り巻きの奴らが、すり替えてうやむやにするんだろうぜ)
(なるほど)
(安岡と手下Aが、門倉達の魔法を受けて怪我する予定だしな。自分も、知らなかったで言い訳は出来る)
(まあ、そうだよね)
(この状況を、利用する。俺達にそれ以外の選択肢は、ないんだ。もうすぐだぞ! 大丈夫なんだな?)
(うん!)
「団体戦か。確かに、レベルが近くないと練習にならないわよね」
「そうなんだよ。門倉さん。頼めるかな?」
「分かったわ。じゃあ」
門倉が納得した事で、村川の声が明るくなった。
三対三の団体戦。それこそが、仕掛けられた罠だ。先にリングに一人で入っていた安岡が、端末を操作する。床に書かれた四つのリングが歪み、一つの大きなリングへと変わった。
「じゃあ、こっちは俺と門倉と早苗でいいか?」
「いや、浜崎くんは遠慮してくれよ。そっちが代表二人に候補生一人じゃ、勝てるわけがない」
「そうか?」
「誰か付き合ってくれる候補生はいないかな?」
巧みに浜崎を口で誤魔化した村川は、門倉と霧林に無言でリングに入る様に促す。
振り向いてリングに歩き出した村川の顔は、気持ちの悪い笑顔に変わっていた。村川の手下らしい男子生徒数人も、笑っている。
(GO! GO! GO!)
ここしかないというタイミングで、扉を開いた大介がリングへ走り出した。そして、端末を操作して試合を始める。
(本当にこれで大丈夫?)
(大丈夫だって)
驚いてはいるが、村川が最初に言葉を口にする。
「とんだ飛び入りだね。まあ、練習だし大目に見よう。そっちも、いいよな?」
村川の言葉に、驚いて固まっていた門倉と霧林もお互いに見合わせた後、うなずいた。
仕込んだ不正なプログラムを無駄にしたくない村川は、どうしても試合を行う。そのグレムリンの読みは、外れなかった。
床のカウント終わると同時に、人差し指を天に向けた大介が魔法を使う。
《アプランク》
それこそが、グレムリン唯一の魔法。全ての金属と機械を操作する力。
「えっ?」
「何? これは?」
「はっ?」
リング内の大介以外が持った端末から、放電現象が起こる。グレムリンには、魔法と相対する力はない。
だが、それを起動する為に機械が必要なら、全てを無効化できる。これによりリング内で許された力は、純粋な暴力だけになった。
(撃ちまくれ!)
大介は、懐から取り出した小型のショットガンの引き金を引く。ゴム弾が一発撃ち出されるたびに、ポンプアクションを行い、薬きょうを排出する。
三対一で相手をねじ伏せるには、かなりの実力差か運が必要だ。そして、相手三人のうち二人が代表候補であり、実力的には敵わない。運だけでどうにかなる訳がない。
それでも、勝たなければいけなかった。だからこそ、必ず勝つにはずるいとも言える手段を選ばなければいけない。離れた場所からの不意打ち。グレムリンの作戦は、理にかなっている。
二十世紀の実戦を見てきたグレムリンだからこそ、容易に思いついた作戦だ。
「こぉのぉ! いかれ野郎が!」
手下を盾にした村川の顔は、計画を邪魔された怒りで歪んでいた。
「ふざけんなよ! 殺すぞ! こらぁ!」
盾になった手下と安岡は、気を失って倒れている。本性を現した村川は、本来の口調に戻っていた。
大介の背後に立つ門倉達は、訳も分からずその場に立ち尽くす。当たるはずのない遠距離攻撃が当たり、魔法が使えず、知り合いが本性を見せる。短い間にこれだけの事がおこり、驚くなという方が無理な話だろう。
(来るぞ!)
村川は、腐っても代表選手。並みの動きではない。大介の先を取り、正眼に構えた剣を振りかぶりながら一気に距離を詰めてくる。
迫ってくる金属の塊を、大介は瞬きもせずに見つめていた。そして、振りぬく速度に合わせて、回転する様に村川に正面を向けたまま体をずらす。
ここで殴りつければ勝てる。そう考えたグレムリンは、甘かった。
選りすぐられた十人の一人である村川は、ぎりぎり自分の左側面に立つ大介の姿を視界にとらえていた。そして、振りぬかれたはずの剣は、何かに弾かれたように軌道を変る。村川の膝付近にあった剣の先は、斜めに伸び上り大介に向かう。
(しまっ!)
グレムリンが端末内で叫び終わるよりも早く、村川の剣は大介の脇腹に直撃し、左肩までを両断した。
戦いを見ていた代表候補者達には、そう見えていた。刃挽きした剣では、体を両断する事は出来ない。村川が斬り捨てたのは、虚像だった。
剣を振りぬいた村川の視界。その隅で黒い影が動く。
片膝を折り曲げ、もう片足を開脚する様に伸ばして身を屈めた大介だ。銃を手放し、ギリギリ剣を避け、村川の死角に退避していたのだ。
(今だ! 立ち上がる力も全部! 拳にこめろ!)
「おおぉぉ!」
剣を振りぬき、のけ反ったまま無防備な村川に向かって、大介は体をぶつけるつもりで立ち上げる。まだ肘が曲がった右腕の拳が、村川の顔面に直撃した。そして、全体重を乗せた右腕の肘を伸ばしきる。
拳を振りぬいた勢いで、大介は突っ伏してしまう。
しかし、拳を浴びた村川の体は空中に浮きあがり、回転を始める。鼻の粘膜と口内が傷ついた村川を、血とそれに反射した光が彩る。
試合開始から村川が地面に後頭部をぶつけて気絶するまで、極めて短い時間だった。その全てを完全に理解しているのは、グレムリンと大介だけだろう。
ショットガンを拾った大介の端末操作で、リングの膜が消える。そして、大介が一目散に武道場から逃げ出して、やっと生徒達がどよめき始めた。彼等が状況を理解するには、もう少し時間が必要だろう。
****
倉庫から教室に戻った大介は、午後からの見学が中止になった事を教師から聞いた。
(完了だな)
(うん。でも、もう二度としたくない)
(なんだ? 面白くなかったか?)
(まあまあ、かな?)
席に座った大介は、右の拳を何度も開いては閉じていた。その顔は、言葉とは裏腹に笑っている。それを見ていたグレムリンも、端末内で笑う。
ただし、大介とは違う理由で。大介の体捌きは、並ではない。魔技の試合を見てから、グレムリンはそう確信していた。動体視力や反射神経等、どれをとっても大介は並ではない。
ただ、その動きを全て勘で行っているふしがあった。勘だけに特化した人間は、考える前に体が動いてしまう。剣の軌道を読み、紙一重で避けようとすれば、当たり判定のフィールドに触れてしまう。
これこそが、大介が魔技で伸び悩んだ原因なのだが、それを的確に指摘できる教師はいなかった。大介の感覚は、他者よりもかなり異質なのだ。それを一教師が指導するのは、容易ではない。
何よりも、勘で動いている大介自身が、それに気付けないでいた。勘で行う癖の様なものを、他者の指摘なしに改善できる人間はそうはいないはずだ。実際に、大介も壁にぶつかって希望をなくした。気が付いたのは、皮肉にもグレムリンだった。
わざわざ矢面に大介を立たせ、それを検証したのだ。つまり、グレムリンの笑いは、もう一つの心の鍵を手に入れた事に対してだ。そして、考えるのは、今後、より自分が楽しむのはどうすればいいか。
そんなグレムリンの笑みの意味に、大介では気が付けるはずもない。