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八話

 人は苦労がある事で、初めて幸せを感じられる。逆にいえば、苦痛のない人生に、幸せもないのだ。もし人生に幸せしかない者が存在したとすれば、その幸せは日常であり幸せだと理解できない。

 だが、現実は残酷なほど不条理に出来ており、そんな人生は存在しない。だからこそ人は、その大小に差はあるものの、不満やうっぷんを常に抱えている。そして、隙あらばそのうっぷんを解放したいと考えてしまう。

 スポーツや健全な娯楽から、虐めや犯罪等、うさを晴らす方法は数限りなく存在するだろう。その一つの方法として誰かに怒りを向け、その怒りを向けた誰かが不幸になるのを楽しむ者がいる。

 人として他人の不幸を楽しむのは間違えていると、主張する者もいるだろう。

 だが、法律、倫理、道徳全てがその誰かを否定するほどの大犯罪者が、死刑を宣告され、それは正しいと主張するのは間違いと言い切れないかもしれない。

 正しいと発言する事と、黙ってそれを楽しむ者の違いを、大きいと取るか小さいと取るかは人それぞれだろう。

 人でない者からすれば、もしかするとその違いは分からないのかもしれない。結果として、その誰かが死刑になる事に変わりはないのだから。


 星間通信を見た民は、全ての怒りを解放させていた。エウロパのようにぼんやりとした対象ではなく、個人が特定された事でその怒りは顕著になったのだ。

 現在、戦争で悲しい思いをした者達は、数えられないほどいる。ある者は家族を失い、ある者は一生を不自由な体で過ごさなければいけなくなった。何億もの怒りは、大介個人に向いている。

 思いや祈りだけで奇跡を起こせないのが現実で、大介に直接の被害は届いていない。そして、大介自身がそうなる事を理解し、受け入れたのだから問題はない。

 真実を知った者だけが、その不条理な現実に胸を痛めるだけだ。明日にすら背を向けた大介には、全く関係ないとしか思えなくなっていた。


「遅かったじゃないか。待ちわびたぞ」

 大介が目的の部屋へと入ると、豪華な椅子に脚を組んで座っていた指揮官が、笑顔で迎えた。

 敵にはぼろぼろの大介が一人であり、グレムリンの補助さえ受けられないと分かっている。部下と戦わせ、魔力を消費させたのはその指揮官なのだから、分かっていて当然だろう。


「ふん。これはいけないな。映像を修正しよう」

 リアルタイムでその部屋から映像を受け取ったアースの最高指導者は、大介の姿に不満を覚えた。ぼろぼろな相手をアースが虐めているように、民に見せるのはよくないと判断したからだ。

 グレムリンと同族である仲間が、全コマの大介を健康な状態に書き換える。人間には不可能な作業だが、異世界の住人である彼等には可能なのだ。

「よし。いいだろう。録画した映像を、星間通信に送れるように準備しておけ」

 部下に指示を出した最高指導者は、座り心地のいい椅子に腰掛けた。そして、大介とグレムリンが苦しむ姿を想像し、笑う。


「さて、始めようか?」

 長時間の大手術を終えて麻酔の抜けていない患者のように、呼吸にすら異常をきたしている大介に向かって、指揮官は問いかけた。

 大介は返事をせずに、憎しみの炎が燃え盛る目で敵を睨む。

 壁にある扉を開閉する為のスイッチには、緑と赤のランプがついていた。そのランプから光が消え、扉が開閉不能になった事が分かる。

「全く。下等なゴミ虫は、礼儀も知らんのか」

 不機嫌そうに立ち上がった指揮官は、脱いだ帽子を椅子に置き、腰につけていた剣を鞘から抜く。それは魔技で使う剣と大きさは同じだが、華麗な装飾が施されており、人間を容易に切り裂く刃が付いている。

「俺はお前ら小汚い裏切り者と違って、正々堂々と戦う。そして、全人類と我らの敵であるお前達を、倒して見せよう」

 指揮官は不機嫌な顔から、怪しい笑いに表情を変えた。そして、大介を見下しながら剣の先を向ける。

「その上、私はお前の卑劣な相棒と、今も戦い続けている。つまり、お前にハンデを与えている訳だな。分かるか?」

 ナイフを構えた大介は、返事をせずに相手の初動にだけ注意を払う。目からは弱いが、放電も開始されていた。

「礼を言ってもいいはずだがな。頭が悪すぎて、喋る事も出来ないようだ」

 わざとらしく首を傾けて、息を吐いた指揮官は、眉間にしわを寄せた。そして、左手だけで剣を持ち、フェンシングを思わせる構えをとる。

 前傾姿勢に構えた大介は、徐々に集中力を限界点へと向かわせた。気がおかしくなりそうなほどの痛みを意識の外へ追いやり、体中からの危険信号を無視する。


――大丈夫。大丈夫よ――


 死の恐怖が完全に消えると同時に、大介を構成するすべてが戦いへと奮い立つ。その圧力は、瀕死の人間が本来出せるものではない。死を恐れないからこそ、本当の限界点へと到達できるのだ。

「なんだ? その生意気な目は!」

 先手を取った指揮官は、ハイブリッドボディの性能を十分に発揮した速度で、踏み込む。そして、大介が射程内に入った瞬間に、曲げていた左腕を伸ばして突きを繰り出した。

……見える!

 剣先にナイフの背を当てた大介は、力をこめた。そして、右肩に進んでいた剣の軌道を変え、体の外へ進ませる。

「甘いわ!」

「がっ!」

 ハイブリッドの力は、人間の比ではない。いくら大介が人間の中でも強靭な力を持っていたとしても、ハイブリッドボディの力を限界まで使える指揮官には及ばないのだ。

 大介が力を加えたナイフは、指揮官の剣に押しかえされた。そして、大介の右肩にその剣先は突き刺さる。

「ふふふっ。簡単には殺さん」

 大介の肩に数センチ刺さった剣を、指揮官はあっさり抜いた。そして、大介が振るったナイフを避ける為に、後ろへ跳ぶ。

「お前の苦しむ姿を、可愛い家畜共が待っているからな」

 暗に指揮官はその映像が、星間通信に乗ると言った。そして、大介が顔をしかめたのが嬉しかったのか、さらに気持ち悪く笑う。

「さて! 何回耐えられるかなぁぁ!」

……力には技で対抗するんだ。それこそが、武術。

 冷静な思考を失わなかった大介は、武神からの教えを何度も反芻する。

 自分の体に突進してくる刃に、大介はナイフの背を這わせ数え切れないほどの回数に分けて少しずつ力を加えた。驚くほど繊細に誘導された敵の刃は、着弾点に極僅かではあるが変化がおこる。

 大介はその作業と同時に、体の位置をほんのわずかだけずらし、急所へ剣を届かせない。指揮官はそのわずかな違いを、感じ取れてはいないようだ。

 右の太ももにわずかに刺さった剣を抜いた指揮官は、すぐさま距離を取る。そして、冷笑しながらステップを踏んだ。その行動には、脅しと挑発の意味があるのだろう。

 大介には、指揮官の動きに付き合えるほどの体力が残っていない。その場でナイフを構え、指揮官を睨んだまま待ち構えた。

「そらそらぁ! 避けないのかぁ? んんっ?」

 距離を置いていた指揮官が踏み込み、床を滑るように高速で大介との距離を詰めた。

 大介は剣の軌道に再びナイフを向かわせ、体をわずかに捻る。胸部に突き刺さるはずだったその剣は、脇腹の皮を切り裂くだけにとどまった。


 集中力がさらに高まり続ける大介は、三人の仲間を信じて気が遠くなる作業を続ける。それが勝利につながるかは、まだ確証がない。

 異世界へと戻った三人の準備が失敗すれば、それは消える。大介が力尽きても、それには届かない。それでも大介は自分と、命を掛けてくれた三人を信じて、機を待つ。

「ぐうっ!」

 敵がなぶる為に与えてくる浅い傷も、今の大介には無視できないほど命に切迫してくる。頬の傷を裂かれた大介の顔が、歪む。

 それを見た指揮官は、距離を取った後で嬉しそうに歯が見えるほどの笑顔を作る。

「どうした? 苦しいか? だが、まだだぁ!」

 指揮官の持つ剣の先は、大介の血で真っ赤に染まっていた。数えられないほど大介の体を突き刺し、切り裂いたのだからそうなっていなければ逆に不自然だろう。

 それでも、敵は攻撃を緩めない。大介が全ての血液を流しきるまで、ちくちくと攻撃を続けるつもりのようだ。

「苦しめ! もっと苦しめ! 俺達の恨みを、癒す為になぁ!」

「があっ!」

 大介の目は霞み、ほとんど何も見えなくなっていた。

 だが、魂の瞳で、敵の動きを追いかける。そして、何とか命を繋ぎとめていた。

……まだ、まだ。

 大介を囲うように出来た血の円には、少しだけ違和感を覚える。仕方のないことだが、傷の量や深さに対して、血の量が少ないのだ。出血が致死量に届いてしまっているのだろう。

 幾度となく傷つけられた大介の体は、けがをしてない部分を探す方が難しい。


「よし。もういいだろう」

 地球にいるアースの最高指導者は、指揮官へ連絡を入れた。

 星間通信で大介がいたぶられる姿を見ていた民の熱気が、最高潮に達したのだ。そして、大介を始末してもいいと許可を出した。


『…………ツヒ』


 許可を得て喜ぶ指揮官は、気が付かない。大介の端末が、淡く赤い光を漏らした事を。

「くくくっ……ふははははっ! お前の相手は、もう飽きてきたぞ! ほら、焦れよ?」

 指揮官は、無理矢理にでも大介を心から屈服させたいようだ。

 だが、人心を操るすべには長けていないらしい。

「お前はこれから、俺に殺されるんだ! 悔しいだろう? んん? 泣き叫べば、見逃すかもしれないぞ? どうだ?」

……焦るな。機を見逃すな。

 大介は指揮官の言葉を無視して、呼吸を整える。そして、反撃の機会をうかがう。

「無様に泣き叫べって言ってるんだぁ! この畜生が! いいだろう。まずは、片腕を切り落としてやる! 泣き叫べ!」

 それまでとは比べ物にならないほどの速度で、指揮官は踏み出した。そして、始めて両手で構えた剣を、大介の左肩に向かって振り下ろす。

「えっ? ああ?」

 本来であれば、大介の腕を切り落とすはずの剣は、空を切った。大介はナイフを振るってもいない。

 狐につままれたような顔をした指揮官は、背後にいるはずの大介に振り返る。それと同時に大介も振り向き、変わらずにナイフを構えていた。

「んっ? おお! 焦り過ぎたな」

 原因が分かった指揮官は、その場にしゃがみ、緩んでいたブーツのひもを締め直す。大介の腕を斬り損ねたのは、それが原因だった。

 速度を急に引き上げたのも相まって、靴の紐が緩んでいた事で敵の踏み込みが大きくずれたのだ。本当に大介はなにもしていない。

「まあ、あれだ。お前の怯える顔が見たくてな。ちょっとした冗談だ」

 何も言っていない大介に対して、指揮官は必死に言い訳をして最後に咳払いで誤魔化した。

「次は真面目にやってやる。光栄に思え!」

 再度踏み出した指揮官は、その瞬間に青ざめた。全体重を乗せた左足が、大介の血で滑り、バランスを崩してしまったのだ。

 両手で剣を握っている指揮官は、手で体を支える事も受け身も取れず、情けなく床を転がった。

 勿論、大介はなにもしていない。ただ、敵を観察し、力を解放するタイミングを探っている。

「くっそおおおぉぉぉ! なんなんだ! ぐああぁぁ!」

 立ち上がろうとした指揮官は、そのままもう一度転んでしまう。想定外の力が加わったハイブリッドボディの膝が、割れてしまったのだ。

 痛みを自分の物として認識できない異界の住人は、転ぶまでそれに気が付かなかった。


「よく見るんだ! そいつの背後を!」

 地球の最高指導者は、指揮官へ知らせを送った。


「えっ? あっ……ああ!」

(どうやら、気が付かれてしまったな)

(今のは、気が付かないほうがおかしい。今まではただ立っている我らに、偶然気が付かなかったにすぎないしな)

 大介の背中には、背中合わせになった半透明の二人が立っていた。

「マガツヒ……ノカミ?」

 全てが理解できた指揮官は、驚きで目を見開いている。

 敵はその神主に似た衣装を身に纏った二人を、よく知っていた。二人とも女性の様な中性的な顔をしているが、男だ。長い鴉濡れ羽色の髪をなびかせているのが、兄のヤソマガツヒで、烏帽子をかぶっているのが、弟のオホマガツヒだ。

 その兄弟が司るのは、災厄と払除である。この兄弟に挑んだ敵は、運に見放され、災難が降りかかり続けるのだ。

 「馬鹿な! 馬鹿な! 馬鹿なあぁぁ! 何故、そんな高位の存在を儀式もなしに! いや! 魔力がないはずだ!」

 その指揮官の指摘は、正しい。大介は何の代償も払っていないし、残っている魔力に魂を追加して呼び出すには足りないのだ。

 何よりも高位の存在である二人は、人間がそう簡単に呼び出せる存在ではない。

 だが、二人は儀式すら行っていない大介の呼び出しに応えた。

 これが、知神の策。三人の魔力を大介に注いでも、耐えられるだけの体が大介には残っていなかった。しかし、マガツヒの運ならば、大介の体は負荷がかからない。

 大介が幽世に直接リンク出来る事をいかし、呼び出しのみを直接行わせたのだ。攻撃を受けている間中、大介は端末を通してマガツヒへの呼び出しを続けていた。

 異世界に帰り着いた三人は、すぐさまマガツヒとの交渉に向かったのだ。無理を承知でプライドが驚くほど高い三人が、頭を下げた。代償として三人は、命である魔力全てをマガツヒに差し出すと約束したのだ。

 三人の命がこもった魔法は、確かに大介に届けられた。大介の目からは、深紅の雷が涙のように零れ出している。

(さて、人間。クニノトコタチ……いや、デイダラの認めた力)

(我等兄弟にも示して見せよ)

「くそおぉぉ! 動けぇ! このポンコツがぁ!」

……機!

 焦りから混乱した指揮官は、自分の膝を叩き、大介から目を離した。その瞬間に、大介は自分の残った全てを爆発させる。

「おおおおおぉぉぉ!」

 大介は真っ赤に発光し、部屋全てを包み込むほどの雷を纏う。それと同時に、端末は残っていた魔力カプセルを消費し始めた。

 まさに疾風迅雷そのものと化した大介は、ナイフを指揮官に向けて振り下ろす。

 時を刻むことが忘れられた世界で、指揮官もグレムリンの対応に割いていた魔力を戻し、真っ青に光り出していた。

 グレムリンはその機会を逃さず、母艦の全てを掌握し、目的の動作を作動させる。

 敵指揮官は、その窮地で悪魔のように避けるほど口を開いて笑った。それは、振り上げた自分の剣で大介のナイフが砕けたからだ。

 敵のように魔力が余裕のなかった大介は、攻撃を凌ぎながらナイフの強度を回復できていなかった。運を味方につけても、絶対的な現実はどうする事も出来ない。

 勝利を確信した敵指揮官は、座ったまま振り上げた剣を大介に向かって振り下ろそうとした。しかし、勝利を確信した者ほど隙が出来る。

 知神が帰還前にくみ上げた武神と雷神の力をコピーした簡易魔法が、端末の中で発動し、大介の体に伝達した。

 踏み込んでいた大介の右足と、骨が砕けている左腕が、魔法の力で強化される。さらにその左拳には、電撃の魔法が付加されていた。


《合成簡易魔法! 電獣でんじゅう!》


 ナイフを振り下ろしていた大介の上半身は、振り子のように力の向きを逆転させる。激しく放電し続ける大介のボディーブローは、笑ったままの指揮官を撃ち抜いた。

 端末で起動できる簡易魔法では、本来異世界の住人にダメージは与えられても、死に至らしめるのは難しい。

 だが、何故か運の悪い指揮官は、電撃が全て急所に偶然注ぎ込まれていく。


……やった。やりました。やりましたよ。師匠。美紀さん。

 大介の発光がおさまると同時に、指揮官が握っていた剣が床に落ち、転がる。

 指揮官だった物は、ただの焼け焦げた人形へと変わっていた。

(なるほどな。いいものを見せてもらった)

(もし因果の偶然があるのならば、また会おう。人間よ)

「うぐっ!」

 気配を消したマガツヒに、大介は返事を出来なかった。倒れたまま口や鼻だけでなく、目や耳からも血を流している。

 既にまともに動ける状態でもなければ、回復をする魔力も残っていない。船内に流れているアナウンスも、聞き取れていないようだ。

 そのアナウンスはグレムリンが流した。船内に騙されただけの者が、大勢いるからだ。

 全てを支配下に置いたグレムリンは、三十の船団を恒星に向かって転移させた。第四メインドームの転移プログラムを、コピーしていたのだ。


(ブラザー? 生きてるか?)

(イチさん? 僕やったよ)

(ああ。やっぱりお前は最高だ)

(へへっ。褒められた)

 大介の端末に戻ったグレムリンは、胡坐をかいて座る。どうしようもない事は、分かっているようだ。

 うつ伏せに倒れた大介は、痙攣すらしなくなっていた。

(イチさん?)

(なんだ?)

(向こうに帰らないの? 敵はまだいるよ?)

(生憎、俺は非力だからな。帰っても役に立てねぇんだよ。さっき、魔力もかなり使っちまったしなぁ)

 門倉や他の武官が、全体アナウンスを使い、緊急避難への移動を指示していた。その声に余裕は、みじんも感じられない。

(それによぉ)

(うん?)

(地獄ってなぁ。一人で行くのは、さびし過ぎんだろうが)

(イチさんって鬼だし。道案内でもしてくれるの?)

(まぁな。道なんて、しらねぇけどなぁ)

 二人は回線を通して、笑う。

(眠い。凄く眠い)

(おう。お前は、慢性的な寝不足だ。眠っとけ)

 目を閉じたグレムリンは、端末の中で角を掴んだ。そして、折れてしまうのではないかと思えるほど、強く握りしめる。

 死を待つだけだった二人は、気が付いていない。運を司る神とも呼べる兄弟の言葉に、どれほどの力があるかを。


「だっ! 大ちゃん! しっかり! しっかりして!」

 部屋に入ってきた霧林は、一目で分かるほど瀕死の怪我をした大介に駆け寄った。そして、涙を流しながら、大介を抱き起す。

(ストップ! 寝るな! ブラザー! ウェイクアップ!)

(えっ?)

 激戦で緩んでいた端末の回線が、本当に偶然外れる。

(おい! ねえちゃん!)

「えっ? え? 鬼?」

(俺達を操舵室の、船に連れて行け! 頼む!)

「あの、え?」

(お前も死ぬぞ! 早くしろおぉぉ! 頼むからぁ!)

……誰? 誰かが僕を?

 霧林は大介を背負い、走り出した。自分の持ち場だった、操舵室へ向けてだ。

 船内の隔壁はすべて解除されており、兵士もほとんどが逃げ出して、霧林を邪魔する者はいなかった。

 大介を敵だと知りつつも、霧林は大介を見捨てられない。それは自分の中に唯一ある、恋と愛を捨ててしまう事と等しいからだ。せめて一度、会話がしたいと考えている。

 大介が乗ってきた船の扉は、敵に開けられない様にグレムリンが魔法で溶接に近い状態にしてあった。

(ねえちゃん! こいつの手を扉につけろ!)

「えっ?」

(ここまで来たら迷うなよ! 早くしろよ! 時間がねぇだろうがぁ!)


 グレムリンは自分の魔力を消費して、乗り込んだ船を発進させた。緊急脱出艇を回避した黒い翼は、誰にも見つからない様に、惑星の影に隠れる。

(セーフゥゥゥ)

「説明してほしいんだけど」

 端末内で倒れ込みながら息を吐き出しているグレムリンに、霧林が話しかける。だが、グレムリンは説明をしなかった。

(悪いが、話は後だ。こいつが死んじまう)

「あっ、そうね」

(そこのバッグにある魔力カプセルを、端末と拡張アタッチメントに付けてくれ)

「それだけでいいの? 救急箱は?」

(死ぬっつってるだろうがぁ! 回復プログラムがあるんだよぉ! 急げって!)

 死ぬというグレムリンの言葉に、霧林はあわてて従った。状況を知る事よりも、大介の命が重要と考えているらしい。


「ちょっと! 大ちゃ……大介?」

「うう……はぁ! はぁはぁ……ふっ! ぐっ!」

 十分後、目を開いた大介は、霧林が床に置いたバッグに向かって這い進む。そして、バッグの中から食料ではなく、栄養を凝縮した薬と水を取り出した。

 激痛に顔を歪めながら、錠剤やカプセル薬、様々な薬を噛み砕き、水で流し込む。朦朧とした意識の中で、大介にはそれが必要だと分かっているらしい。

 大介をそうさせるのは、生への執着ではなかった。死んでいないならば、戦わなければいけないという、負の感情だ。

 栄養分を無理矢理胃に詰め込んだ大介は、そのままバッグの中に顔を沈めて眠る。

 霧林はその異常とも思える光景を、見つめることしか出来なかった。彼女の心は疑問や不安が渦巻き、顔は暗くなっていく。

 グレムリンは端末内で回復プログラムの調整を、行い続ける。大介の命を繋ぐために。

 この三人の脱出に、どれほどの意味があるかを、今は誰も知らない。


 運命の歯車が回り続ける中で、大介は一人で眠る。愛する女性の魂に抱かれて。

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